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幽冥竜宮
浄土
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楼門をぐくり抜ける道すがら、脳裏に浮かぶのは、六道辻で佇む姿。
浄土へ向かう者達をぼぅっと眺め、清水詣に向かう貴人を見送る。
常世にも参れず、現し世に止まりても、生を受けるわけもなし。経帷子をまとい死出の旅路に出ることも、美しい衣装をまとい清水詣でも叶わない。
芳乃は、ぼんやりと常ならぬ世を流し見ていた。時折、行き交う者達の噂話が聞こえるが、時の流れは早く、瞬きをすれば何十年と過ぎ去っているようだ。
誰彼が争い、都は戦禍を被る。家屋は燃え、川は兵か? いや、巻き込まれた市中の者かもしれぬ血に染まり、落日のように赤く染まる。都には帝と将軍が並び立ったかと思うと直ぐ様、別の者が天下を治める。
世の中が殺伐としても、平穏な治世だとしても亡者には関係なし。芳乃は、いつものように地蔵の傍らに佇んでいた。
そんなある日、一人の男がしゃがみ込んだ。金糸が織り込まれた豪華な羽織を身に付け、濃きと呼ばれる黒に近い紫の袴。傍らには小姓が控え、供回りも立派なことから身分が高い者だろう。
頬杖をつき、まじまじと太郎地蔵を見る眼は、吸い込まれそうな程、黒く大きい。
「何故、この地蔵は首が落ちているのか」
「ここには、昔から地蔵が祀られていますが、新しくしても勝手に首が落ちるらしいのです」
「勝手に?」
「はい。しかも首の落ち方も、顔の割れ方も同じとか」
「気味が悪いな」
「左様で。近隣の者達も放っておくことにし、そのままだとか……」
男は立ち上がると、周りを見渡し、畦道にある白い花を腰の物で数本切り取った。
「何かの縁である」
そのようなことを言い、地蔵の足元に添えると手を合わせる。
「綺麗な卯の花でございますね」
「これも何かの縁である。……ああ、その方、この先覚えておったら空木の咲く頃に、花を供えよ」
「私がですか!?」
「その方、私に嘘を申して側を離れるではないか。輿で出掛けておるのも知っておるのだぞ、清水詣か知らぬが信心があるのなら、年に一度位構わぬだろう」
男はケラケラと声高に笑い、馬に飛び乗った。今にも駆け出しそうな男に小姓は慌てて手を伸ばす、お待ち下さい!殿下!――こう叫ぶが、伸ばした手は制止することは叶わず、放たれた言葉は蹄の音にかき消えた。
「ああ~!もう!」
土煙をあげ遠ざかる姿に、供回りも追いかける。置いてけぼりを喰らった小姓はガックリと肩を落とし、自身の手綱を寄せると芳乃の前に膝を折った。
「これからは毎年、この時期に参ります。変わり者の主ですが、これも何かのご縁と極楽浄土へ往生の際は何卒、よしなに」
静かに手を合わせる。若草色の鮮やかな小袖は、白い面を殊更際立たせた。芳乃は、辻を通る亡者や生人の中で、これほど美しい若衆を見るのは初めてのような気がしたが、何処と無く見覚えのある顔に、ぼんやりと魅入った。
――そんな記憶の断片が、脳裏を巡る。
楼門は、まだまだ出口を迎えない。吾子を抱く、芳乃は何故、この道を歩いているのかさえ分からなくなっていた。
それでも、響き渡る声は耳朶を打ち付ける。いつ見た風景かも分からぬものが脳裏を巡る。それが生前の記憶なのか?ただの幻想なのかも、わからない。
ごおおおぉ――となる、風穴から抜ける音は人々の叫びのようにも聞こえ、芳乃は恐ろしいと身震いをし、足を止めた。
『あれは報いを受ける、受けない筈がない』
慟哭するかのような風音は、時折、憤激露に鳴り響く。
『血を分けた甥を――』
『 跡継ぎではなかったのか?』
『豊太閤は、必ずや奈落に落ちる』
『三条河原は、まるで地獄絵図だったとか』
『関白の妻子は、市中を引き回され次々と――』
『鴨川は血で出来たように染まり、無数のカラスが飛びかっていた』
嗚咽にも似たものが風音に混じり、鳴り響く声音は哀憐の情を含むように、辺りを漂う。
『秀次様も浮かばれまい』
『関白《かんぱく》が首を晒されるとは、前代未聞だと殿上人らも、眉をひそめておるとか……』
「……関白?」
芳乃は、ゆっくり背後を振り返った。間違いなく通って来た道なのに、後ろにあった筈の入口は消え去ったのか?はたまた、遠く見えなくなる程、離れてしまったのか?目に映るのは、ひたすら続く漆黒の闇。
「……はて、何であったか?」
孟婆茶の効果が、現れてきたのだろう。
一呼吸前の考えも行動も、記憶から消え去った芳乃は、頬にかかる後れ毛をそっと耳にかけると、左腕に抱き抱えるものに、つっと視線を流す。
バチリとぶつかるのは、胸元でこちらを見上げる赤子の眼差し。紅葉のような小さな手は、すがり付くように袂を固く握りしめていた。
「……誰じゃ、これは?」
じっと見上げてくる双眸を見つめ返すにつけ、何故か手を離してはいけない気がした。芳乃は、赤子を抱いたまま、光に向かい又、一歩踏み出す。
地獄の風穴の様な低く唸る音は、いつの間にか消え去っていた。耳朶を打ち付けるような物音はなく静寂に包まれる中、突如声が掛けられる。
「こちらじゃ」
誘う言葉は、幾重にも広がり、響き渡る声音は読経のように低く耳に心地よい。
暗闇に目を凝らす必要はなかった。眼前に立つ者は身から後光を発し、四方を照らす。はっきりと浮かび上がる、その面には、つむじから右眉にかけ大きな傷が走っていた。
「おぅおぅ、吾子。そなたは茶を飲んでおらぬ故、わしが分かるか。……菩薩め、わしに気を使いおったのか?……まあ、よい。さあ、浄土までわしが案内しよう」
「……道案内をしてくれるのか?しかし、そなたは誰じゃ?」
「太郎じゃ、太郎と呼んでくれ」
「よしなに、太郎」
「……いや、太郎どんで頼む」
「よしなに、太郎どん」
一陣の風が吹き抜けた。先程の漆黒の闇は、靄だったのか?瞬時にかき消され、開かれた風景は、真っ白な空木の花が一面に咲き誇る。鳥はさえずり真珠のような実がなる大樹には、金色の鳳凰が羽を休めていた。
遠く見えるのは、朱色の屋根。
何処か懐かしい風景に女は、溢れんばかりの笑みを浮かべた。
浄土へ向かう者達をぼぅっと眺め、清水詣に向かう貴人を見送る。
常世にも参れず、現し世に止まりても、生を受けるわけもなし。経帷子をまとい死出の旅路に出ることも、美しい衣装をまとい清水詣でも叶わない。
芳乃は、ぼんやりと常ならぬ世を流し見ていた。時折、行き交う者達の噂話が聞こえるが、時の流れは早く、瞬きをすれば何十年と過ぎ去っているようだ。
誰彼が争い、都は戦禍を被る。家屋は燃え、川は兵か? いや、巻き込まれた市中の者かもしれぬ血に染まり、落日のように赤く染まる。都には帝と将軍が並び立ったかと思うと直ぐ様、別の者が天下を治める。
世の中が殺伐としても、平穏な治世だとしても亡者には関係なし。芳乃は、いつものように地蔵の傍らに佇んでいた。
そんなある日、一人の男がしゃがみ込んだ。金糸が織り込まれた豪華な羽織を身に付け、濃きと呼ばれる黒に近い紫の袴。傍らには小姓が控え、供回りも立派なことから身分が高い者だろう。
頬杖をつき、まじまじと太郎地蔵を見る眼は、吸い込まれそうな程、黒く大きい。
「何故、この地蔵は首が落ちているのか」
「ここには、昔から地蔵が祀られていますが、新しくしても勝手に首が落ちるらしいのです」
「勝手に?」
「はい。しかも首の落ち方も、顔の割れ方も同じとか」
「気味が悪いな」
「左様で。近隣の者達も放っておくことにし、そのままだとか……」
男は立ち上がると、周りを見渡し、畦道にある白い花を腰の物で数本切り取った。
「何かの縁である」
そのようなことを言い、地蔵の足元に添えると手を合わせる。
「綺麗な卯の花でございますね」
「これも何かの縁である。……ああ、その方、この先覚えておったら空木の咲く頃に、花を供えよ」
「私がですか!?」
「その方、私に嘘を申して側を離れるではないか。輿で出掛けておるのも知っておるのだぞ、清水詣か知らぬが信心があるのなら、年に一度位構わぬだろう」
男はケラケラと声高に笑い、馬に飛び乗った。今にも駆け出しそうな男に小姓は慌てて手を伸ばす、お待ち下さい!殿下!――こう叫ぶが、伸ばした手は制止することは叶わず、放たれた言葉は蹄の音にかき消えた。
「ああ~!もう!」
土煙をあげ遠ざかる姿に、供回りも追いかける。置いてけぼりを喰らった小姓はガックリと肩を落とし、自身の手綱を寄せると芳乃の前に膝を折った。
「これからは毎年、この時期に参ります。変わり者の主ですが、これも何かのご縁と極楽浄土へ往生の際は何卒、よしなに」
静かに手を合わせる。若草色の鮮やかな小袖は、白い面を殊更際立たせた。芳乃は、辻を通る亡者や生人の中で、これほど美しい若衆を見るのは初めてのような気がしたが、何処と無く見覚えのある顔に、ぼんやりと魅入った。
――そんな記憶の断片が、脳裏を巡る。
楼門は、まだまだ出口を迎えない。吾子を抱く、芳乃は何故、この道を歩いているのかさえ分からなくなっていた。
それでも、響き渡る声は耳朶を打ち付ける。いつ見た風景かも分からぬものが脳裏を巡る。それが生前の記憶なのか?ただの幻想なのかも、わからない。
ごおおおぉ――となる、風穴から抜ける音は人々の叫びのようにも聞こえ、芳乃は恐ろしいと身震いをし、足を止めた。
『あれは報いを受ける、受けない筈がない』
慟哭するかのような風音は、時折、憤激露に鳴り響く。
『血を分けた甥を――』
『 跡継ぎではなかったのか?』
『豊太閤は、必ずや奈落に落ちる』
『三条河原は、まるで地獄絵図だったとか』
『関白の妻子は、市中を引き回され次々と――』
『鴨川は血で出来たように染まり、無数のカラスが飛びかっていた』
嗚咽にも似たものが風音に混じり、鳴り響く声音は哀憐の情を含むように、辺りを漂う。
『秀次様も浮かばれまい』
『関白《かんぱく》が首を晒されるとは、前代未聞だと殿上人らも、眉をひそめておるとか……』
「……関白?」
芳乃は、ゆっくり背後を振り返った。間違いなく通って来た道なのに、後ろにあった筈の入口は消え去ったのか?はたまた、遠く見えなくなる程、離れてしまったのか?目に映るのは、ひたすら続く漆黒の闇。
「……はて、何であったか?」
孟婆茶の効果が、現れてきたのだろう。
一呼吸前の考えも行動も、記憶から消え去った芳乃は、頬にかかる後れ毛をそっと耳にかけると、左腕に抱き抱えるものに、つっと視線を流す。
バチリとぶつかるのは、胸元でこちらを見上げる赤子の眼差し。紅葉のような小さな手は、すがり付くように袂を固く握りしめていた。
「……誰じゃ、これは?」
じっと見上げてくる双眸を見つめ返すにつけ、何故か手を離してはいけない気がした。芳乃は、赤子を抱いたまま、光に向かい又、一歩踏み出す。
地獄の風穴の様な低く唸る音は、いつの間にか消え去っていた。耳朶を打ち付けるような物音はなく静寂に包まれる中、突如声が掛けられる。
「こちらじゃ」
誘う言葉は、幾重にも広がり、響き渡る声音は読経のように低く耳に心地よい。
暗闇に目を凝らす必要はなかった。眼前に立つ者は身から後光を発し、四方を照らす。はっきりと浮かび上がる、その面には、つむじから右眉にかけ大きな傷が走っていた。
「おぅおぅ、吾子。そなたは茶を飲んでおらぬ故、わしが分かるか。……菩薩め、わしに気を使いおったのか?……まあ、よい。さあ、浄土までわしが案内しよう」
「……道案内をしてくれるのか?しかし、そなたは誰じゃ?」
「太郎じゃ、太郎と呼んでくれ」
「よしなに、太郎」
「……いや、太郎どんで頼む」
「よしなに、太郎どん」
一陣の風が吹き抜けた。先程の漆黒の闇は、靄だったのか?瞬時にかき消され、開かれた風景は、真っ白な空木の花が一面に咲き誇る。鳥はさえずり真珠のような実がなる大樹には、金色の鳳凰が羽を休めていた。
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