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幽冥竜宮
等活地獄
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「等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間。地獄は八つに分けられている。そこに、それぞれ小地獄が十六。死ぬることはない永遠の責め苦を受けるのだ」
涼しげな声音は、静かに語る。
ここが六道辻であり、刻が止まった六郎が側に居ることも忘れかける程、あたりは静寂に包まれていた。
有難いお経のように、滑らかに語られるのは地下にあるという、恐ろしい地獄の有り様だった。
「等活地獄に、落ちた亡者達の爪は伸びきった鉄の爪になる。そして己以外を傷つけようと試み、襲いかかり身を引き裂きあう。バッタリ出くわしただけなのに……だ。お互いが憎くて仕方がない。または、獄卒に金棒で殴られ、骨は砕け散り、研ぎ澄まされた刀で魚をおろすように、肉をさばかれる」
響が、八つある中の一つを詳しく語り出したことで、芳乃はこれから自分が落ちるのが等活地獄であることを察した。
「それで終わりならば良いのだが、苦しみは永遠に続く。刻まれた身体になっても獄卒が現れ、杖を付く」
シャン!シャン!
錫杖を鳴らす音がした。芳乃の面は、未だに響の掌に覆われている為、目にすることはないが獄卒の真似をしているのだろう。
「獄卒は『活活』と呪文を唱えるのだ。生き返るべし――と。亡者は、又もや甦る。等活とは、等しく活るということだ。刑期は、どの位かわかるか?」
響の言葉に、ゆっくりと首を振った。
無論、横に。
「閻魔の話では、一兆六六五三億一二五〇年とか……」
もはや、想像もつかない。
想像がついたとしても、どうしょうもないことに芳乃は、うなだれた。
「地獄に堕ちれば、その身を焼かれる……芳乃」
「……はい」
「そなたを焼くのは、火に非ず。悪業すなわち、これ焼くなり。そなたは、自身の罪により焼かれるのだ。業の焼くのは滅すべからず。その火を消すことなど出来ぬ」
「はい……」
「それでは、もう一度聞く。芳乃、手にする地蔵菩薩の頭で六郎を打ちつけよ」
「えッ!? 」
「申した通り、そなたの堕ちる地獄とは言葉では言い表せぬ。私は守り本尊として導いてやりたいのだ」
「しかし……!」
「吾子は、賽の河原で獄卒に苛められ、泣いておるのだぞ?迎えに行かなくてよいのか?」
「あ、吾子が……」
◆◆◆◆◆
「これは……狡い!! 」
こう漏らしたのは、菅公。すかさず関白は
「狡いとは何じゃ!響殿は、芳乃殿を救う為に申しておるのだぞ!」
と、わめき出す始末。芳乃に花雨の君の、面影を重ねる関白は、黙っていられぬのであろう――と直ぐ様、察した菅公は「すまぬ、すまぬ」と折れてみせた。
確かに、地獄の話は聞くだけでも身震いする程のものだった。刀で肉を削がれるなど考えただけで、又もや泡を吹いて倒れそうだ。菅公は、束帯の袖を広げ、自身を抱き締めた。
「これで、芳乃殿は浄土へ参れるのだな?」
「殴れば……であろう?」
「殴るであろう」
「まだ、わからぬぞ?」
自身に置き換え芳乃は、殴ると決めてかかる関白と、結論は急がず――と、黙り見守る菅公の耳を、一言が擘いた。
「いいえ……、いいえ!太郎地蔵様で殺める訳にはまいりません」
それは、浄玻璃鏡から響き、三人が鎮座する一室はおろか常世全体に反響する。
じゃぶり、じゃぶり――と打ち付ける水面は、ピタリと止まり、時を同じくして
ゴゴゴゴゴ――ッと、地響きにも似た音が鳴り響くと、床下まであった水はグングンと引き、元の美しい白砂の庭が現れた。
朧は、小さく呟いた。ああ、地獄の釜のふたが開いた――と。
「ぎゃぁぁぁ!馬鹿か!芳乃殿!」
関白は、驚倒せんばかりに、鏡の向こうへ叫んだ。
芳乃の面は、相も変わらず見ることは出来ないが、先程まで笑みを浮かべていた響の面からは、笑みが消え去っている。
最期に差し伸べた手を、払われた形となったのだ。憂憤の思いはあるだろう。
「……そうか、そなたは吾子を救うより、地蔵の頭を選ぶのだな?」
「いいえ、いいえ、違います」
「何が違うというのだ?」
「私は、何百年もの昔、過ちを犯しました。吾子の無念を晴らさんと、怨念を抱き、人を殺めました。それにより吾子は、親より先立った罪と私を夜叉に変えた罪を背負ってしまいました。ここで又、過ちを犯すなど……出来ません!」
「先程も申した。これは幻影の現し世じゃ。六郎は死にはせぬ」
「いいえ、死にはせずともお釈迦様は見ておられます!」
「……そうか、もうこれ以上は言わぬ。ただ最期に聞く、そなたは私より地蔵菩薩を選ぶのだな?」
「そのような意地の悪い……」
「大事なことなのだ、ハッキリさせぬと面倒故……」
「面倒や、せっかちなど……ふふふ、響殿は勢至菩薩様であられるのに……」
「なにぶん、修行中ゆえ、煩悩が捨てきれておらぬのだ」
芳乃は、肩を揺らした。そしてはきと答えた。
「……はい、太郎地蔵菩薩様は、私にとって何よりも大切な方にございます。こればかりは勢至菩薩様でも、如来様でも順序を入れ換えることは出来ませぬ」
「ははは!よう言った。それでは冥土の土産に良いものを見せてやろう」
響の愉しげな笑い声と共に、芳乃の面を覆っていた掌が、カッ!! と閃光を放つ。途端、芳乃の脳裏に鮮やかな風景が広がった。
全体を灰色に覆われた、陰雲立ち込める空の下、礫石転がる河原が見えた。
たくさんの子供達が石を積む。
その中に一人、獄卒がピタリと張り付く子供がいた。子供は、石を取ろうと手を伸ばすが、直ぐ様金棒で周りを払われ、石が消える。
三つ程の年頃に見えるが、顔つきは目元が芳乃、口元は六郎によく似ていた。
涼しげな声音は、静かに語る。
ここが六道辻であり、刻が止まった六郎が側に居ることも忘れかける程、あたりは静寂に包まれていた。
有難いお経のように、滑らかに語られるのは地下にあるという、恐ろしい地獄の有り様だった。
「等活地獄に、落ちた亡者達の爪は伸びきった鉄の爪になる。そして己以外を傷つけようと試み、襲いかかり身を引き裂きあう。バッタリ出くわしただけなのに……だ。お互いが憎くて仕方がない。または、獄卒に金棒で殴られ、骨は砕け散り、研ぎ澄まされた刀で魚をおろすように、肉をさばかれる」
響が、八つある中の一つを詳しく語り出したことで、芳乃はこれから自分が落ちるのが等活地獄であることを察した。
「それで終わりならば良いのだが、苦しみは永遠に続く。刻まれた身体になっても獄卒が現れ、杖を付く」
シャン!シャン!
錫杖を鳴らす音がした。芳乃の面は、未だに響の掌に覆われている為、目にすることはないが獄卒の真似をしているのだろう。
「獄卒は『活活』と呪文を唱えるのだ。生き返るべし――と。亡者は、又もや甦る。等活とは、等しく活るということだ。刑期は、どの位かわかるか?」
響の言葉に、ゆっくりと首を振った。
無論、横に。
「閻魔の話では、一兆六六五三億一二五〇年とか……」
もはや、想像もつかない。
想像がついたとしても、どうしょうもないことに芳乃は、うなだれた。
「地獄に堕ちれば、その身を焼かれる……芳乃」
「……はい」
「そなたを焼くのは、火に非ず。悪業すなわち、これ焼くなり。そなたは、自身の罪により焼かれるのだ。業の焼くのは滅すべからず。その火を消すことなど出来ぬ」
「はい……」
「それでは、もう一度聞く。芳乃、手にする地蔵菩薩の頭で六郎を打ちつけよ」
「えッ!? 」
「申した通り、そなたの堕ちる地獄とは言葉では言い表せぬ。私は守り本尊として導いてやりたいのだ」
「しかし……!」
「吾子は、賽の河原で獄卒に苛められ、泣いておるのだぞ?迎えに行かなくてよいのか?」
「あ、吾子が……」
◆◆◆◆◆
「これは……狡い!! 」
こう漏らしたのは、菅公。すかさず関白は
「狡いとは何じゃ!響殿は、芳乃殿を救う為に申しておるのだぞ!」
と、わめき出す始末。芳乃に花雨の君の、面影を重ねる関白は、黙っていられぬのであろう――と直ぐ様、察した菅公は「すまぬ、すまぬ」と折れてみせた。
確かに、地獄の話は聞くだけでも身震いする程のものだった。刀で肉を削がれるなど考えただけで、又もや泡を吹いて倒れそうだ。菅公は、束帯の袖を広げ、自身を抱き締めた。
「これで、芳乃殿は浄土へ参れるのだな?」
「殴れば……であろう?」
「殴るであろう」
「まだ、わからぬぞ?」
自身に置き換え芳乃は、殴ると決めてかかる関白と、結論は急がず――と、黙り見守る菅公の耳を、一言が擘いた。
「いいえ……、いいえ!太郎地蔵様で殺める訳にはまいりません」
それは、浄玻璃鏡から響き、三人が鎮座する一室はおろか常世全体に反響する。
じゃぶり、じゃぶり――と打ち付ける水面は、ピタリと止まり、時を同じくして
ゴゴゴゴゴ――ッと、地響きにも似た音が鳴り響くと、床下まであった水はグングンと引き、元の美しい白砂の庭が現れた。
朧は、小さく呟いた。ああ、地獄の釜のふたが開いた――と。
「ぎゃぁぁぁ!馬鹿か!芳乃殿!」
関白は、驚倒せんばかりに、鏡の向こうへ叫んだ。
芳乃の面は、相も変わらず見ることは出来ないが、先程まで笑みを浮かべていた響の面からは、笑みが消え去っている。
最期に差し伸べた手を、払われた形となったのだ。憂憤の思いはあるだろう。
「……そうか、そなたは吾子を救うより、地蔵の頭を選ぶのだな?」
「いいえ、いいえ、違います」
「何が違うというのだ?」
「私は、何百年もの昔、過ちを犯しました。吾子の無念を晴らさんと、怨念を抱き、人を殺めました。それにより吾子は、親より先立った罪と私を夜叉に変えた罪を背負ってしまいました。ここで又、過ちを犯すなど……出来ません!」
「先程も申した。これは幻影の現し世じゃ。六郎は死にはせぬ」
「いいえ、死にはせずともお釈迦様は見ておられます!」
「……そうか、もうこれ以上は言わぬ。ただ最期に聞く、そなたは私より地蔵菩薩を選ぶのだな?」
「そのような意地の悪い……」
「大事なことなのだ、ハッキリさせぬと面倒故……」
「面倒や、せっかちなど……ふふふ、響殿は勢至菩薩様であられるのに……」
「なにぶん、修行中ゆえ、煩悩が捨てきれておらぬのだ」
芳乃は、肩を揺らした。そしてはきと答えた。
「……はい、太郎地蔵菩薩様は、私にとって何よりも大切な方にございます。こればかりは勢至菩薩様でも、如来様でも順序を入れ換えることは出来ませぬ」
「ははは!よう言った。それでは冥土の土産に良いものを見せてやろう」
響の愉しげな笑い声と共に、芳乃の面を覆っていた掌が、カッ!! と閃光を放つ。途端、芳乃の脳裏に鮮やかな風景が広がった。
全体を灰色に覆われた、陰雲立ち込める空の下、礫石転がる河原が見えた。
たくさんの子供達が石を積む。
その中に一人、獄卒がピタリと張り付く子供がいた。子供は、石を取ろうと手を伸ばすが、直ぐ様金棒で周りを払われ、石が消える。
三つ程の年頃に見えるが、顔つきは目元が芳乃、口元は六郎によく似ていた。
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