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幽冥竜宮
摂政関白
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耳に心地よい波の音が、夜の静寂を際立たせ、夜空と水面の境界なき姿が、現し世と常世の似て非なるものという、位置付けを思い起こさせる。
人は生を終えたら、終わりではないのだ。今度は極楽浄土へ往生する。つまり、浄土に生まれるのだ。それを拒み、未だに常世の一歩手前のような場所に居座る関白が、何故、導かれることを避けているのか?……などは皆、預かり知らぬことであった。
元々、常世の住人は、人様のことに興味はない。言わないことを根掘り葉掘りと聞きはしないのだ。尋ねはしたが、すかさず
「いや、言いたくないのであれば……」と、濁すが言葉が終わる前に、関白の返答は返ってきた。
「花の雨が降る中、出逢った者に似ている気がしたのだ」
「あ、言いたくないわけではないのか」
菅公は、気の抜けた声をあげた。
「別に、言っても構わぬが理由はそれだけだ」
「花の雨とは、また風流じゃな」
朧は、両の掌を重ね、水を掬うような仕草をしてみせる――と、何としたことか、掌の上で花びらを舞い上がらせた。
まるで小さなつむじ風が、朧の手に収まり、淡い桜の花弁が踊っているかのようだ。
「で?その者は、関白の家族にいるのか?」
瑞々しい唇から尋ねられた言葉に首を振ると、空洞のような眼は、黒くうねる水面を照らす人魂を一瞥した。
家族の成れの果てとも云うべき姿に、何の感情も映し出すことはない風穴のような眼は、関白の憂う心情も、悦楽の極致も覗くことは出来ない。
ただ、関白は元来、素直な男である為、憂いも悦楽も身から発するもので察することが出来るのだ。
家族という人魂は、すべてが大小異なり、色合いもそれぞれであった。関白の家族が元々、人であったからだろう。
身体を持たずに従う人魂は、その色形で生前の体つきを表しているものなのかもしれぬ。そんなことを沸々と思っていた菅公だったが、気を取り直し尋ねた。
「花雨の君は、さぞや美しかったのであろう?」
芳乃と似ているのならば、然もありなんと思う。
「ああ、私より先に死んでしまったから、先に死出の山を越えてしまった」
「ん?それでは、あの人魂……いや、家族は関白より、後か?」
「そうじゃ、後だったから私が待っていたのだ」
「……花雨の君は、さっさと旅だったのか?」
「そうじゃ、数刻の違いだったのに」
「……そうか、残念だったのぅ」
菅公は、思った。
関白は、生前、桜の花が舞い散る中、芳乃に似た美しい娘に恋をしたが、死に別れた。
娘の死に遅れること数刻、関白も死んだが娘は関白などお構いなしに、死出の山を越えていたと。
―― 要するに、片恋の娘に似ている芳乃を不憫に思っていたのか……。
それにしても、花雨の君も関白も、立て続けに死ぬなど、流行り病でもかかったのか?などと考えるが、そこまで聞くのも無粋な気がしたので口をつぐんだ。
「何となく、あやつに似ておるなぁ……などと思うと、不憫になってな。救えるのならば響殿に救い上げて欲しい。地獄で下働きなど可哀想じゃ」
「それならば、関白も一緒に往生してはどうじゃ?」
「朧殿、私はもう生まれ変わりたくないのだ」
「しかし、あの妻子共は転生したいと思っているかもしれぬぞ?」
「そう思っておるなら、勝手に参ればよいと常々言っておる。逝かぬのは逝きたくないからであろう」
「……そうかのぅ、まあ良い」
関白の言い分に、少々引っ掛かりを覚えるのか朧は、小さく疑問を吐きかけた――が、これが迷い悩む者ならば、話を聞き、導く事はあれど、亡者が悩みもしない事柄なのだ。
明王が、口を挟む必要もなしと考えるのだろう。玉水のような唇からは、それ以上言葉は継がれなかった。
しかし、代わりに言葉を継いだ者がいた。
「待て、どれが妻子なのだ?たくさん居すぎてわからぬが……」
菅公は、辺りを見渡す。
関白の側で戯れるような小さな人魂は、子かもしれないが、数が尋常ではないのだ。数えたことはないが家族というのだから、てっきり一族郎党と思っていたほどなのだが……。
一族郎党に妻子も含まれる。
言われてみれば当然であったと、失念したことを菅公は反省した。
「小さい子がいると知っていれば、菓子などをくれてやったのに。妻女にも……」
「何を申しておるのだ?あれ全てが妻子じゃ、ああ乳母もいるか」
「何と!? いや、待て!ざっと見ても三十……いや、四十はいるのではないか!?」
「ああ、いるかも知れぬな」
「いるかも……とは、何じゃ!そなた死して三十も四十も妻子が揃うのを待っておったのか!? 一体何年待っておったのだ!?」
「待っておらぬよ、私が死んだあと妻子達は処刑され、一緒に参ったゆえ……ああ!菅公、まさか私の名を覗いておらぬのか?」
「諱など覗かぬ!」
「覗いてみよ、ほら額に意識を集中し、私を見れば名が浮かび上がるであろう?」
「け、結構じゃ!初めにそなたが名乗った名で十分じゃ!」
「おお、そうか。それなら、それでよい。私はせっしょう関白である」
「ははは!面白い!」
「笑い事か!朧殿!関白は、私をからかっておるのだ!」
「からかってはおらぬよ、私は菅公が好きだ」
「……もうよい、偉い偉い摂政関白殿下」
闇に、ボッ!――と、鈍い音を響かせ、人魂が一斉に燃え盛った。海に浮かぶ朱色の御殿は、不知火に彩られるように、豪華絢爛な姿を揺らめかせているだろう。
関白の横で、弾けるように飛び回る人魂は楽しげに戯れているようであり、海を漂う人魂は、ゆらり、ゆらりと揺れ動き、さながら浮き世を眺め、のんびりと過ごす貴人のようだ。感情など持たない人魂であるのに、全てが睦まじく、宴を催しているかのような――そんな風情を醸し出していた。
常世の三人は顔を見合わせ、板間の中央に視線を移した。
青白い光を放つ、浄玻璃鏡には、現し世と常世を繋ぐ六道辻、黄金色に輝く守り本尊の誘いを、はきとした声音で拒絶した芳乃が、響と対峙していた。
人は生を終えたら、終わりではないのだ。今度は極楽浄土へ往生する。つまり、浄土に生まれるのだ。それを拒み、未だに常世の一歩手前のような場所に居座る関白が、何故、導かれることを避けているのか?……などは皆、預かり知らぬことであった。
元々、常世の住人は、人様のことに興味はない。言わないことを根掘り葉掘りと聞きはしないのだ。尋ねはしたが、すかさず
「いや、言いたくないのであれば……」と、濁すが言葉が終わる前に、関白の返答は返ってきた。
「花の雨が降る中、出逢った者に似ている気がしたのだ」
「あ、言いたくないわけではないのか」
菅公は、気の抜けた声をあげた。
「別に、言っても構わぬが理由はそれだけだ」
「花の雨とは、また風流じゃな」
朧は、両の掌を重ね、水を掬うような仕草をしてみせる――と、何としたことか、掌の上で花びらを舞い上がらせた。
まるで小さなつむじ風が、朧の手に収まり、淡い桜の花弁が踊っているかのようだ。
「で?その者は、関白の家族にいるのか?」
瑞々しい唇から尋ねられた言葉に首を振ると、空洞のような眼は、黒くうねる水面を照らす人魂を一瞥した。
家族の成れの果てとも云うべき姿に、何の感情も映し出すことはない風穴のような眼は、関白の憂う心情も、悦楽の極致も覗くことは出来ない。
ただ、関白は元来、素直な男である為、憂いも悦楽も身から発するもので察することが出来るのだ。
家族という人魂は、すべてが大小異なり、色合いもそれぞれであった。関白の家族が元々、人であったからだろう。
身体を持たずに従う人魂は、その色形で生前の体つきを表しているものなのかもしれぬ。そんなことを沸々と思っていた菅公だったが、気を取り直し尋ねた。
「花雨の君は、さぞや美しかったのであろう?」
芳乃と似ているのならば、然もありなんと思う。
「ああ、私より先に死んでしまったから、先に死出の山を越えてしまった」
「ん?それでは、あの人魂……いや、家族は関白より、後か?」
「そうじゃ、後だったから私が待っていたのだ」
「……花雨の君は、さっさと旅だったのか?」
「そうじゃ、数刻の違いだったのに」
「……そうか、残念だったのぅ」
菅公は、思った。
関白は、生前、桜の花が舞い散る中、芳乃に似た美しい娘に恋をしたが、死に別れた。
娘の死に遅れること数刻、関白も死んだが娘は関白などお構いなしに、死出の山を越えていたと。
―― 要するに、片恋の娘に似ている芳乃を不憫に思っていたのか……。
それにしても、花雨の君も関白も、立て続けに死ぬなど、流行り病でもかかったのか?などと考えるが、そこまで聞くのも無粋な気がしたので口をつぐんだ。
「何となく、あやつに似ておるなぁ……などと思うと、不憫になってな。救えるのならば響殿に救い上げて欲しい。地獄で下働きなど可哀想じゃ」
「それならば、関白も一緒に往生してはどうじゃ?」
「朧殿、私はもう生まれ変わりたくないのだ」
「しかし、あの妻子共は転生したいと思っているかもしれぬぞ?」
「そう思っておるなら、勝手に参ればよいと常々言っておる。逝かぬのは逝きたくないからであろう」
「……そうかのぅ、まあ良い」
関白の言い分に、少々引っ掛かりを覚えるのか朧は、小さく疑問を吐きかけた――が、これが迷い悩む者ならば、話を聞き、導く事はあれど、亡者が悩みもしない事柄なのだ。
明王が、口を挟む必要もなしと考えるのだろう。玉水のような唇からは、それ以上言葉は継がれなかった。
しかし、代わりに言葉を継いだ者がいた。
「待て、どれが妻子なのだ?たくさん居すぎてわからぬが……」
菅公は、辺りを見渡す。
関白の側で戯れるような小さな人魂は、子かもしれないが、数が尋常ではないのだ。数えたことはないが家族というのだから、てっきり一族郎党と思っていたほどなのだが……。
一族郎党に妻子も含まれる。
言われてみれば当然であったと、失念したことを菅公は反省した。
「小さい子がいると知っていれば、菓子などをくれてやったのに。妻女にも……」
「何を申しておるのだ?あれ全てが妻子じゃ、ああ乳母もいるか」
「何と!? いや、待て!ざっと見ても三十……いや、四十はいるのではないか!?」
「ああ、いるかも知れぬな」
「いるかも……とは、何じゃ!そなた死して三十も四十も妻子が揃うのを待っておったのか!? 一体何年待っておったのだ!?」
「待っておらぬよ、私が死んだあと妻子達は処刑され、一緒に参ったゆえ……ああ!菅公、まさか私の名を覗いておらぬのか?」
「諱など覗かぬ!」
「覗いてみよ、ほら額に意識を集中し、私を見れば名が浮かび上がるであろう?」
「け、結構じゃ!初めにそなたが名乗った名で十分じゃ!」
「おお、そうか。それなら、それでよい。私はせっしょう関白である」
「ははは!面白い!」
「笑い事か!朧殿!関白は、私をからかっておるのだ!」
「からかってはおらぬよ、私は菅公が好きだ」
「……もうよい、偉い偉い摂政関白殿下」
闇に、ボッ!――と、鈍い音を響かせ、人魂が一斉に燃え盛った。海に浮かぶ朱色の御殿は、不知火に彩られるように、豪華絢爛な姿を揺らめかせているだろう。
関白の横で、弾けるように飛び回る人魂は楽しげに戯れているようであり、海を漂う人魂は、ゆらり、ゆらりと揺れ動き、さながら浮き世を眺め、のんびりと過ごす貴人のようだ。感情など持たない人魂であるのに、全てが睦まじく、宴を催しているかのような――そんな風情を醸し出していた。
常世の三人は顔を見合わせ、板間の中央に視線を移した。
青白い光を放つ、浄玻璃鏡には、現し世と常世を繋ぐ六道辻、黄金色に輝く守り本尊の誘いを、はきとした声音で拒絶した芳乃が、響と対峙していた。
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