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幽冥竜宮
響の真意
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ハッキリと告げた芳乃を見つめるのは、常世の者達であった。覗き込む浄玻璃鏡は水晶の如く冴え渡り、現し世を鮮明に映し出していた。
金色に輝く勢至菩薩と向かい合うのは、朱色の御殿を作り出している芳乃であり、隅の方には黙り佇む、太郎地蔵の姿もあった。
辺りは、すっかり闇夜であるが後光により、辺りは金粉が散りばめられたかのように煌きらしく、さながら極楽浄土もかくありや――という風景である。うって変わって足元の惨状は凄まじいものであった。それは、さながら大罪を犯した亡者が獄卒により痛め付けられ、血まみれで転がる阿鼻地獄、叫喚地獄のようである。
ただし転がるのは、阿鼻叫喚といった言葉通りに泣き叫ぶことが出来る状態の者ではない。既に事切れているのだから。
黙り込んでいた関白は、問うた。
「朧殿、どうなるのだ?刻が動き出しては、芳乃殿はもう……」
関白は、これから起こる事柄を思い、声を詰まらせる。響が出した条件は、地蔵の頭で六郎を殺めることだ。それを行えば、救うと。しかし、芳乃は断った。
これからどうなるのかは、ハッキリしている。刻が動き出し、目覚めた六郎は直ぐ様、芳乃の息の根を止めるはずだ。
「さぁなぁ……私も、芳乃の中に直接、言葉を掛けたが無理であった。並みの者ならば、仏の声に抗うことなく操られ動くのだが……」
「唆したが、無理であったということか?」
「まあ、石を気にすることなどないのにな」
朧は、もう他人事と思っているのか?はたまた大して興味がないのか?高坏にのる胡桃を摘まみ、ポリポリと食した。
「しかし、少々変ではないか?」
「何がだ、菅公」
「響殿は、地蔵菩薩の願いを受け芳乃が、死者でありながら、もう1度殺生をするように仕向けた。亡者となりての殺生だ、大罪であろう。それを願っているのは閻魔王だ。芳乃を側に留め置きたいという願いを響殿は、叶える為に唆したと私は思っていた。しかし響殿は、やれば浄土へ導くと約束したのだ。さすがに勢至菩薩が、嘘をつくとは思えぬのだが……もし、芳乃が六郎を殺めた場合、響殿は、地蔵菩薩の願いを無下にするということになるのではないか?」
「しかし、結果として断ったではないか、同じじゃ」
菅公の疑問は、至極真っ当だったが、芳乃は断った――という結果論で、解決とする関白の言葉が被せられた。
「ふふふ……」
「どうした?朧殿」
何が可笑しいのか、二人のやりとりを黙り聞いていた朧は、肩を揺らす。細水のように流れ落ちる黒髪は、さらさらと領巾にかかり、絹糸を思い起こさせた。
大袖と同色の内衣を襲る姿は、奈良の女官を思わせるのだが、髪だけは女官特有の宝髻と呼ばれる形に結い上げてはいない。何でも金銀珠玉の飾りが、煩わしいのだという。
そんな朧は、蝋燭の火先のような眼を、チロチロと揺らすと玉水のような唇を開いた。
「響殿は、芳乃の守り本尊である。閻魔の我儘をいちいち聞き入れることもない」
「なんと!? それでは響殿は、太郎地蔵の魂胆を初めから聞く気はなかったということか!?」
朧は、ふっと小首を傾げると「さぁ?」と呟くが、一拍の間を開けるとポッリと漏らした。
響殿は、勢至菩薩である――と。
勢至菩薩とは、智慧の光で一切を照らし、餓鬼・畜生・地獄へ落ちる亡者を救い、極楽に引導する菩薩とされている。
現し世に伝わる通りであれば、地獄へ落ちる芳乃を救い、極楽へ導くはずであるのだが、その条件としたことを当の芳乃が断ってしまったのだ。
果たして、亡者が勢至菩薩の救いを求めていない場合は、どうなるのだろう?と菅公と関白は、顔を見合わせた。
朧は、二人の言いたいことを察した。
一声、華やかな笑い声を上げると内衣の袖から人差し指を立ててみせる。それを空で、クルクルと回す。
円を描く指先は、まるで蜻蛉を捕まえようとする童のようだ。
そして、双眸を蜻蛉のようにクルクルと回すのは、菅公と関白。
その様子に、ニヤリと唇を引き上げた朧は言った。
「私なら、言うことを聞かない亡者など、縄で縛り上げて連れて行く」
これには、殺伐とする浄玻璃鏡の向こう側を忘れたように、二人は笑壺に入った。
不動明王は、白・黒・赤・青・黄色で作られた羂索という縄を持つ。これは魔物を縛り、人々を煩悩から救う物だ。現し世では、この縄で亡者を縛り上げてでも救うのが不動明王とされていた。
朧は、芳乃が断ろうが何であろうが、知ったことではないと縄で縛り上げて極楽へ導くと言っているのだ。
「何と無茶な……と思いはするが、迷いのある亡者からすれば、ありがたいことだ」
菅公が、しみじみと告げると関白が、それに倣い
「響殿にも、是が非でも救って欲しい……」
――と呟いた。
この一言には、おや?と云わんばかりに二人の眉が上がった。お互い同じ事を考えているのか?と同意を求めるように、チラリと火先を向けてみるのは朧であり、向けられた菅公は、檜扇を、口元に寄せると軽く首を振って見せる。わからないと。
この、わからないと云うのは、二人の考えが同一であるか?と云うものの答えではない。
答えならば、同一である。
それでは、何がわからないのか?
それは関白が、芳乃を気にすることがだ。
お互いが、この事を不思議に思い、目配せで会話をしたのだ。
何故ならば、関白は今まで常世へやって来た者達に、大して興味も示さなかった。
それが今回は、少々違っているのは感じていたのだが、やはり芳乃の件に関しては、心を砕いているように見える――と菅公は、気になって堪らぬと尋ねた。
「関白は、何故芳乃殿を気にかけるのだ」
――と。
金色に輝く勢至菩薩と向かい合うのは、朱色の御殿を作り出している芳乃であり、隅の方には黙り佇む、太郎地蔵の姿もあった。
辺りは、すっかり闇夜であるが後光により、辺りは金粉が散りばめられたかのように煌きらしく、さながら極楽浄土もかくありや――という風景である。うって変わって足元の惨状は凄まじいものであった。それは、さながら大罪を犯した亡者が獄卒により痛め付けられ、血まみれで転がる阿鼻地獄、叫喚地獄のようである。
ただし転がるのは、阿鼻叫喚といった言葉通りに泣き叫ぶことが出来る状態の者ではない。既に事切れているのだから。
黙り込んでいた関白は、問うた。
「朧殿、どうなるのだ?刻が動き出しては、芳乃殿はもう……」
関白は、これから起こる事柄を思い、声を詰まらせる。響が出した条件は、地蔵の頭で六郎を殺めることだ。それを行えば、救うと。しかし、芳乃は断った。
これからどうなるのかは、ハッキリしている。刻が動き出し、目覚めた六郎は直ぐ様、芳乃の息の根を止めるはずだ。
「さぁなぁ……私も、芳乃の中に直接、言葉を掛けたが無理であった。並みの者ならば、仏の声に抗うことなく操られ動くのだが……」
「唆したが、無理であったということか?」
「まあ、石を気にすることなどないのにな」
朧は、もう他人事と思っているのか?はたまた大して興味がないのか?高坏にのる胡桃を摘まみ、ポリポリと食した。
「しかし、少々変ではないか?」
「何がだ、菅公」
「響殿は、地蔵菩薩の願いを受け芳乃が、死者でありながら、もう1度殺生をするように仕向けた。亡者となりての殺生だ、大罪であろう。それを願っているのは閻魔王だ。芳乃を側に留め置きたいという願いを響殿は、叶える為に唆したと私は思っていた。しかし響殿は、やれば浄土へ導くと約束したのだ。さすがに勢至菩薩が、嘘をつくとは思えぬのだが……もし、芳乃が六郎を殺めた場合、響殿は、地蔵菩薩の願いを無下にするということになるのではないか?」
「しかし、結果として断ったではないか、同じじゃ」
菅公の疑問は、至極真っ当だったが、芳乃は断った――という結果論で、解決とする関白の言葉が被せられた。
「ふふふ……」
「どうした?朧殿」
何が可笑しいのか、二人のやりとりを黙り聞いていた朧は、肩を揺らす。細水のように流れ落ちる黒髪は、さらさらと領巾にかかり、絹糸を思い起こさせた。
大袖と同色の内衣を襲る姿は、奈良の女官を思わせるのだが、髪だけは女官特有の宝髻と呼ばれる形に結い上げてはいない。何でも金銀珠玉の飾りが、煩わしいのだという。
そんな朧は、蝋燭の火先のような眼を、チロチロと揺らすと玉水のような唇を開いた。
「響殿は、芳乃の守り本尊である。閻魔の我儘をいちいち聞き入れることもない」
「なんと!? それでは響殿は、太郎地蔵の魂胆を初めから聞く気はなかったということか!?」
朧は、ふっと小首を傾げると「さぁ?」と呟くが、一拍の間を開けるとポッリと漏らした。
響殿は、勢至菩薩である――と。
勢至菩薩とは、智慧の光で一切を照らし、餓鬼・畜生・地獄へ落ちる亡者を救い、極楽に引導する菩薩とされている。
現し世に伝わる通りであれば、地獄へ落ちる芳乃を救い、極楽へ導くはずであるのだが、その条件としたことを当の芳乃が断ってしまったのだ。
果たして、亡者が勢至菩薩の救いを求めていない場合は、どうなるのだろう?と菅公と関白は、顔を見合わせた。
朧は、二人の言いたいことを察した。
一声、華やかな笑い声を上げると内衣の袖から人差し指を立ててみせる。それを空で、クルクルと回す。
円を描く指先は、まるで蜻蛉を捕まえようとする童のようだ。
そして、双眸を蜻蛉のようにクルクルと回すのは、菅公と関白。
その様子に、ニヤリと唇を引き上げた朧は言った。
「私なら、言うことを聞かない亡者など、縄で縛り上げて連れて行く」
これには、殺伐とする浄玻璃鏡の向こう側を忘れたように、二人は笑壺に入った。
不動明王は、白・黒・赤・青・黄色で作られた羂索という縄を持つ。これは魔物を縛り、人々を煩悩から救う物だ。現し世では、この縄で亡者を縛り上げてでも救うのが不動明王とされていた。
朧は、芳乃が断ろうが何であろうが、知ったことではないと縄で縛り上げて極楽へ導くと言っているのだ。
「何と無茶な……と思いはするが、迷いのある亡者からすれば、ありがたいことだ」
菅公が、しみじみと告げると関白が、それに倣い
「響殿にも、是が非でも救って欲しい……」
――と呟いた。
この一言には、おや?と云わんばかりに二人の眉が上がった。お互い同じ事を考えているのか?と同意を求めるように、チラリと火先を向けてみるのは朧であり、向けられた菅公は、檜扇を、口元に寄せると軽く首を振って見せる。わからないと。
この、わからないと云うのは、二人の考えが同一であるか?と云うものの答えではない。
答えならば、同一である。
それでは、何がわからないのか?
それは関白が、芳乃を気にすることがだ。
お互いが、この事を不思議に思い、目配せで会話をしたのだ。
何故ならば、関白は今まで常世へやって来た者達に、大して興味も示さなかった。
それが今回は、少々違っているのは感じていたのだが、やはり芳乃の件に関しては、心を砕いているように見える――と菅公は、気になって堪らぬと尋ねた。
「関白は、何故芳乃殿を気にかけるのだ」
――と。
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