常世の狭間

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
30 / 101
幽冥竜宮

閻魔の魂胆 ②

しおりを挟む
 ガラガラ……ガシャ――ンッ!!

「ひぃぃぃ!!」

 情けない声を上げ、きょうの腰にしがみつくのは菅公かんこうの嫌う、いみなを口にした関白かんぱくであった。元々の青白い顔は、更に色を失った様にも見えたが運が良かったのか?それともクワバラのまじないのお陰なのか?菅公かんこうの落とした雷は、御殿とは逸れた所に落ちたらしい。

「……芳乃よしのの一大事だというから許すが……次はないぞよ、関白かんぱく」 

 低く呻く声音に、地獄の十王でも飛び上がるかもしれぬ――とおぼろは見つめ、恐ろしい言葉をかけられた関白かんぱくはというと、コクコクと何度も首を縦に振ってみせる。関白かんぱくは元来、素直なのだ。
 きょうは、温和な人間の怒りとは、かくも恐ろしいものなのか……と興味深く眺めはするが、いつまでも見ている訳にもいかぬと、腰に巻き付く関白かんぱくをポンポン!と軽快に叩き、浄玻璃鏡じょうはりのかがみに視線を移す。そこには黙り、こちらを見据える太郎こと、閻魔えんまが佇んでいた。
 おぼろは、ニヤリと玉水のような唇を引き上げてみせると、内衣ないいから伸ばした指先で太郎を指した。

「そなた、芳乃よしのを救って欲しいと初めに申したな?おそらく、それは本心であろう……が、その救いとは我々が考えているようなものではないのではないか?」

 無論、太郎の唇はピクリとも動かない。ただ黙り、細い双眸そうぼうを向けてくるのみ。それでも、構わぬとおぼろは語る。

「救うとは、地獄の沙汰に手を加え、何とか生前の信心に報い、地獄道ではなく別の道に進ませたい。願わくば、もう一度人間道での修行をさせてやりたい……私達は、そう地蔵が考えていると思っておったが、そなたは芳乃よしのを地獄へ連れていきたいのだろう?」

「連れて行ってなんとするのだ!? それは地獄道ではないのか?」

 関白かんぱくは、堪らず叫んだ。それはそうだ。地獄道へ落ちたら、閻魔卒えんまそつに金棒で殴られ、なたで手足を切り落とされるような目にあうとうつし世では語られているのだ。
 太郎は、芳乃よしのを幼い頃より可愛がっていたという、それを望んで地獄へ落とすとは、俄には信じられなかったのだ。

「いいや、亡者として地獄へ落とすのではない、そうであろう?地蔵」

 確固たる自信があるのか、おぼろの言葉はよどみなく、浄玻璃鏡じょうはりのかがみに落とされる。それでも引き結ばれた地蔵の唇に、こうもダンマリではらちがあかぬ――と皆が思い始めた時、ふふふふ……とくぐもる声音が漏れた。
 ゆるゆると引き上がる薄い唇から、打って変わって、とした言葉が紡がれた。

「その通りじゃ、明王みょうおう。わしは、芳乃よしのを地獄へ導こうと思うておる。亡者として落とすのではない、司命しみょうでも司録しろくでも良い。側に置いておこうと思うておる」

 その内容は、おぼろの語ったことを肯定するものであった。
 地蔵の言う司命しみょうとは、亡者の罪を読み上げる者で、罪を書き留めるのが司録しろくと呼ばれる。閻魔庁の書記官だ。

「面白い!芳乃よしのは鬼となり、閻魔庁に出仕するのだな?」
「そうじゃ。地獄道へ落とされたら、わしが閻魔庁で側に控えさせる」

「その為に、生前の殺生と亡者となりて行う殺生の罪を着せたいと」
「そうじゃ」

「そうじゃ――ということだが、どうするのか?きょう殿」
「どうする……とは……突然話を振られても、困るのだが……」

 突然、話に加えられたきょうは、明らかに困惑している。
 浄玻璃鏡じょうはりのかがみに映る、地蔵菩薩は可笑しな持論を語り、それを目の前の不動明王は「面白い」と口にしたのだ。
 柳眉を寄せ、腕を組んで懸命に考えてはみるが、良い方法も思い付かない……というより、思い付きたくもないというのが正直なところだ。十王が亡者の審議を曖昧にし、六道への転生の裁きをしない処か、閻魔庁へ留め置く算段をしているのだから。
 しかし、このようなことが過去に例がないのか?と問われれば、否である。そうきょうの脳裏に過ったのを察したのか、すかさずおぼろが笑いかけた。

「ダメではないだろう?きょう殿」
「まぁ、奪衣婆だつえばや、刀葉樹とうようじゅの女も、元は人であるからな。閻魔卒えんまそつも元々、地獄の亡者であろう?そう考えれば……まあ、しかし……」

 さすがに煮え切らない。
 うん、うん、と唸るように考え込むきょうを他所に、関白かんぱくは隣の菅公かんこうへ尋ねた。「婆や女がいるのか?」と。
 博識の菅公かんこうは、皆の邪魔をしてはいけぬ、と声を落とす。始めに「これはうつし世で言い伝えられていることだが」と前置きした上で、こう説明した。

 人が死ねば、七日かけて死出の山死天山を越える。すると十王の一番手、秦広王しんこうおうが現れる。「おぼろ殿だな」と口にした。
 次に、三途さんずの川が見えてくるのだが、そのほとりに衣領樹えりょうじゅという大樹があり、そこにいるのが奪衣婆だつえば懸衣翁けんえおうと名乗る鬼のような姥と翁だという。
 十王の配下におかれる立ち位置であり、冥界の役人――つまり冥官みょうかんである。
 亡者の衣服を奪い取り、衣領樹えりょうじゅに掛けると、当たり前だが枝がしなる。それが亡者の生前の罪の軽重によって異なるというのだ。
「それは聞いたことがある」と関白かんぱくは頷いた。
 刀葉樹とうようじゅの女とは、衆合地獄しゅごうじごくにある樹に由来するという。刀で出来た樹であり、その樹に登らせることを役目とする者が、刀葉樹とうようじゅの女と菅公かんこうは語った。そして、こうも告げた。

「菩薩も如来も、元は人であったのだ。閻魔卒えんまそつも、罪を犯し地獄で責苦せめくを負い、それで罪を少々免ぜられ責める側になったのか……はたまた、責められる辛さを知った上で、他の亡者を責めさせるという罰なのか……わからぬがな」

 ――と。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー 庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。 そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。 しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……

アリーチェ・オランジュ夫人の幸せな政略結婚

里見しおん
恋愛
「私のジーナにした仕打ち、許し難い! 婚約破棄だ!」  なーんて抜かしやがった婚約者様と、本日結婚しました。  アリーチェ・オランジュ夫人の結婚生活のお話。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

戦いに行ったはずの騎士様は、女騎士を連れて帰ってきました。

新野乃花(大舟)
恋愛
健気にカサルの帰りを待ち続けていた、彼の婚約者のルミア。しかし帰還の日にカサルの隣にいたのは、同じ騎士であるミーナだった。親し気な様子をアピールしてくるミーナに加え、カサルもまた満更でもないような様子を見せ、ついにカサルはルミアに婚約破棄を告げてしまう。これで騎士としての真実の愛を手にすることができたと豪語するカサルであったものの、彼はその後すぐにあるきっかけから今夜破棄を大きく後悔することとなり…。

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...