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幽冥竜宮
閻魔の魂胆 ②
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ガラガラ……ガシャ――ンッ!!
「ひぃぃぃ!!」
情けない声を上げ、響の腰にしがみつくのは菅公の嫌う、諱を口にした関白であった。元々の青白い顔は、更に色を失った様にも見えたが運が良かったのか?それともクワバラの呪いのお陰なのか?菅公の落とした雷は、御殿とは逸れた所に落ちたらしい。
「……芳乃の一大事だというから許すが……次はないぞよ、関白」
低く呻く声音に、地獄の十王でも飛び上がるかもしれぬ――と朧は見つめ、恐ろしい言葉をかけられた関白はというと、コクコクと何度も首を縦に振ってみせる。関白は元来、素直なのだ。
響は、温和な人間の怒りとは、かくも恐ろしいものなのか……と興味深く眺めはするが、いつまでも見ている訳にもいかぬと、腰に巻き付く関白をポンポン!と軽快に叩き、浄玻璃鏡に視線を移す。そこには黙り、こちらを見据える太郎こと、閻魔が佇んでいた。
朧は、ニヤリと玉水のような唇を引き上げてみせると、内衣から伸ばした指先で太郎を指した。
「そなた、芳乃を救って欲しいと初めに申したな?おそらく、それは本心であろう……が、その救いとは我々が考えているようなものではないのではないか?」
無論、太郎の唇はピクリとも動かない。ただ黙り、細い双眸を向けてくるのみ。それでも、構わぬと朧は語る。
「救うとは、地獄の沙汰に手を加え、何とか生前の信心に報い、地獄道ではなく別の道に進ませたい。願わくば、もう一度人間道での修行をさせてやりたい……私達は、そう地蔵が考えていると思っておったが、そなたは芳乃を地獄へ連れていきたいのだろう?」
「連れて行ってなんとするのだ!? それは地獄道ではないのか?」
関白は、堪らず叫んだ。それはそうだ。地獄道へ落ちたら、閻魔卒に金棒で殴られ、鉈で手足を切り落とされるような目にあうと現し世では語られているのだ。
太郎は、芳乃を幼い頃より可愛がっていたという、それを望んで地獄へ落とすとは、俄には信じられなかったのだ。
「いいや、亡者として地獄へ落とすのではない、そうであろう?地蔵」
確固たる自信があるのか、朧の言葉はよどみなく、浄玻璃鏡に落とされる。それでも引き結ばれた地蔵の唇に、こうもダンマリでは埒があかぬ――と皆が思い始めた時、ふふふふ……とくぐもる声音が漏れた。
ゆるゆると引き上がる薄い唇から、打って変わって、はきとした言葉が紡がれた。
「その通りじゃ、明王。わしは、芳乃を地獄へ導こうと思うておる。亡者として落とすのではない、司命でも司録でも良い。側に置いておこうと思うておる」
その内容は、朧の語ったことを肯定するものであった。
地蔵の言う司命とは、亡者の罪を読み上げる者で、罪を書き留めるのが司録と呼ばれる。閻魔庁の書記官だ。
「面白い!芳乃は鬼となり、閻魔庁に出仕するのだな?」
「そうじゃ。地獄道へ落とされたら、わしが閻魔庁で側に控えさせる」
「その為に、生前の殺生と亡者となりて行う殺生の罪を着せたいと」
「そうじゃ」
「そうじゃ――ということだが、どうするのか?響殿」
「どうする……とは……突然話を振られても、困るのだが……」
突然、話に加えられた響は、明らかに困惑している。
浄玻璃鏡に映る、地蔵菩薩は可笑しな持論を語り、それを目の前の不動明王は「面白い」と口にしたのだ。
柳眉を寄せ、腕を組んで懸命に考えてはみるが、良い方法も思い付かない……というより、思い付きたくもないというのが正直なところだ。十王が亡者の審議を曖昧にし、六道への転生の裁きをしない処か、閻魔庁へ留め置く算段をしているのだから。
しかし、このようなことが過去に例がないのか?と問われれば、否である。そう響の脳裏に過ったのを察したのか、すかさず朧が笑いかけた。
「ダメではないだろう?響殿」
「まぁ、奪衣婆や、刀葉樹の女も、元は人であるからな。閻魔卒も元々、地獄の亡者であろう?そう考えれば……まあ、しかし……」
さすがに煮え切らない。
うん、うん、と唸るように考え込む響を他所に、関白は隣の菅公へ尋ねた。「婆や女がいるのか?」と。
博識の菅公は、皆の邪魔をしてはいけぬ、と声を落とす。始めに「これは現し世で言い伝えられていることだが」と前置きした上で、こう説明した。
人が死ねば、七日かけて死出の山を越える。すると十王の一番手、秦広王が現れる。「朧殿だな」と口にした。
次に、三途の川が見えてくるのだが、そのほとりに衣領樹という大樹があり、そこにいるのが奪衣婆と懸衣翁と名乗る鬼のような姥と翁だという。
十王の配下におかれる立ち位置であり、冥界の役人――つまり冥官である。
亡者の衣服を奪い取り、衣領樹に掛けると、当たり前だが枝がしなる。それが亡者の生前の罪の軽重によって異なるというのだ。
「それは聞いたことがある」と関白は頷いた。
刀葉樹の女とは、衆合地獄にある樹に由来するという。刀で出来た樹であり、その樹に登らせることを役目とする者が、刀葉樹の女と菅公は語った。そして、こうも告げた。
「菩薩も如来も、元は人であったのだ。閻魔卒も、罪を犯し地獄で責苦を負い、それで罪を少々免ぜられ責める側になったのか……はたまた、責められる辛さを知った上で、他の亡者を責めさせるという罰なのか……わからぬがな」
――と。
「ひぃぃぃ!!」
情けない声を上げ、響の腰にしがみつくのは菅公の嫌う、諱を口にした関白であった。元々の青白い顔は、更に色を失った様にも見えたが運が良かったのか?それともクワバラの呪いのお陰なのか?菅公の落とした雷は、御殿とは逸れた所に落ちたらしい。
「……芳乃の一大事だというから許すが……次はないぞよ、関白」
低く呻く声音に、地獄の十王でも飛び上がるかもしれぬ――と朧は見つめ、恐ろしい言葉をかけられた関白はというと、コクコクと何度も首を縦に振ってみせる。関白は元来、素直なのだ。
響は、温和な人間の怒りとは、かくも恐ろしいものなのか……と興味深く眺めはするが、いつまでも見ている訳にもいかぬと、腰に巻き付く関白をポンポン!と軽快に叩き、浄玻璃鏡に視線を移す。そこには黙り、こちらを見据える太郎こと、閻魔が佇んでいた。
朧は、ニヤリと玉水のような唇を引き上げてみせると、内衣から伸ばした指先で太郎を指した。
「そなた、芳乃を救って欲しいと初めに申したな?おそらく、それは本心であろう……が、その救いとは我々が考えているようなものではないのではないか?」
無論、太郎の唇はピクリとも動かない。ただ黙り、細い双眸を向けてくるのみ。それでも、構わぬと朧は語る。
「救うとは、地獄の沙汰に手を加え、何とか生前の信心に報い、地獄道ではなく別の道に進ませたい。願わくば、もう一度人間道での修行をさせてやりたい……私達は、そう地蔵が考えていると思っておったが、そなたは芳乃を地獄へ連れていきたいのだろう?」
「連れて行ってなんとするのだ!? それは地獄道ではないのか?」
関白は、堪らず叫んだ。それはそうだ。地獄道へ落ちたら、閻魔卒に金棒で殴られ、鉈で手足を切り落とされるような目にあうと現し世では語られているのだ。
太郎は、芳乃を幼い頃より可愛がっていたという、それを望んで地獄へ落とすとは、俄には信じられなかったのだ。
「いいや、亡者として地獄へ落とすのではない、そうであろう?地蔵」
確固たる自信があるのか、朧の言葉はよどみなく、浄玻璃鏡に落とされる。それでも引き結ばれた地蔵の唇に、こうもダンマリでは埒があかぬ――と皆が思い始めた時、ふふふふ……とくぐもる声音が漏れた。
ゆるゆると引き上がる薄い唇から、打って変わって、はきとした言葉が紡がれた。
「その通りじゃ、明王。わしは、芳乃を地獄へ導こうと思うておる。亡者として落とすのではない、司命でも司録でも良い。側に置いておこうと思うておる」
その内容は、朧の語ったことを肯定するものであった。
地蔵の言う司命とは、亡者の罪を読み上げる者で、罪を書き留めるのが司録と呼ばれる。閻魔庁の書記官だ。
「面白い!芳乃は鬼となり、閻魔庁に出仕するのだな?」
「そうじゃ。地獄道へ落とされたら、わしが閻魔庁で側に控えさせる」
「その為に、生前の殺生と亡者となりて行う殺生の罪を着せたいと」
「そうじゃ」
「そうじゃ――ということだが、どうするのか?響殿」
「どうする……とは……突然話を振られても、困るのだが……」
突然、話に加えられた響は、明らかに困惑している。
浄玻璃鏡に映る、地蔵菩薩は可笑しな持論を語り、それを目の前の不動明王は「面白い」と口にしたのだ。
柳眉を寄せ、腕を組んで懸命に考えてはみるが、良い方法も思い付かない……というより、思い付きたくもないというのが正直なところだ。十王が亡者の審議を曖昧にし、六道への転生の裁きをしない処か、閻魔庁へ留め置く算段をしているのだから。
しかし、このようなことが過去に例がないのか?と問われれば、否である。そう響の脳裏に過ったのを察したのか、すかさず朧が笑いかけた。
「ダメではないだろう?響殿」
「まぁ、奪衣婆や、刀葉樹の女も、元は人であるからな。閻魔卒も元々、地獄の亡者であろう?そう考えれば……まあ、しかし……」
さすがに煮え切らない。
うん、うん、と唸るように考え込む響を他所に、関白は隣の菅公へ尋ねた。「婆や女がいるのか?」と。
博識の菅公は、皆の邪魔をしてはいけぬ、と声を落とす。始めに「これは現し世で言い伝えられていることだが」と前置きした上で、こう説明した。
人が死ねば、七日かけて死出の山を越える。すると十王の一番手、秦広王が現れる。「朧殿だな」と口にした。
次に、三途の川が見えてくるのだが、そのほとりに衣領樹という大樹があり、そこにいるのが奪衣婆と懸衣翁と名乗る鬼のような姥と翁だという。
十王の配下におかれる立ち位置であり、冥界の役人――つまり冥官である。
亡者の衣服を奪い取り、衣領樹に掛けると、当たり前だが枝がしなる。それが亡者の生前の罪の軽重によって異なるというのだ。
「それは聞いたことがある」と関白は頷いた。
刀葉樹の女とは、衆合地獄にある樹に由来するという。刀で出来た樹であり、その樹に登らせることを役目とする者が、刀葉樹の女と菅公は語った。そして、こうも告げた。
「菩薩も如来も、元は人であったのだ。閻魔卒も、罪を犯し地獄で責苦を負い、それで罪を少々免ぜられ責める側になったのか……はたまた、責められる辛さを知った上で、他の亡者を責めさせるという罰なのか……わからぬがな」
――と。
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