29 / 114
幽冥竜宮
閻魔の魂胆
しおりを挟む
閻魔王の嫁――。
六郎が、嘲笑い口にした言葉に朧と響は、眉をひそめた。
勿論、軽口であろう。本気であろう筈もないのだが、何故か二人の面は険しく、重い空気が漂う。
しかし、そのようなことは関係ないとばかりに、芳乃が夢見た竜宮の如き御殿には、水面が寄せる。
じゃぶり、じゃぶり――と。
辛うじて建物内には侵入しないが、床下は闇にうねるように波打っているだろう。先程よりも水かさが増した気がする――と関白は呟くと、ハッと面を上げた。
「まさか……芳乃殿は、ここを竜宮にするつもりか!?私は、泳ぎは得意ではないのだが……」
関白は、青白い面を更に青くした。
朧は、きゅっと唇を引き上げ、厳しい面差しを和らげた。蝋燭の火先を揺らめかせるような眼は、楽しそうにたなびくのだが、浄玻璃鏡を静かに見つめていた響は、低く漏らした。
「可笑しいとは思っておったが……今の六郎の言葉で確信した」
「何をだ?」
「地蔵の考えがよめた……ということだ」
狩衣から伸びる指先は、麗しい顔に寄せられ、落ちる袖口からは腕釧が後光を放つように光輝やく。響の姿形は、型にはまったように出来すぎて、ついつい拝みたくなる程だ。
現し世の者なら、生神と信じ拝みたくなるだろうが、神にしては少々、人間が出来ていない部分もある。この世ならざる常世の者に、人間が出来ていないというのは、語弊があるかもしれぬが……。
そんな響だが、生前の人の行いなど、鏡を見ずとも把握出来るであろう。おそらく、芳乃が現れた段階でどのような人生を歩んだのか視たはずだ。
ただ、地獄の閻魔の考えともなると簡単に察することなど出来ぬのだろうと関白は思う。それがよめたとは、如何なることだろう?
「何が可笑しいのだ?そして、何が分かったのだ?」
関白は、間違い探しをするように浄玻璃鏡の隅々まで目を配る、六郎に蹴り倒された太郎地蔵菩薩を抱き起こし、土で汚れた顔を指先で払う芳乃の顔は、涙で濡れていた。
「ああ!そんな場合ではない!何故芳乃殿は、反撃しないのじゃ!? 先程など好機ではなかったか!? 」
ザリッと踏み出す六郎に、見ているだけの関白が慌てふためく。両手をわたわたと振り、オロオロとした様子が面白い。
「足を痛めておる。先程、六郎に払われたであろう?あやつは放免であったゆえ、人を取り押さえるのに長けておる。足を蹴りあげた力も、加減などせぬからな」
「それでは……まさか、芳乃殿はこのまま殺されてしまうのか!?」
今まで常世へ、やって来た者達には興味も示さなかった関白が、取り乱したように響の腕を掴む、空洞の眼には、感情を宿すような色は出ていないのだが、心底心配する様子は身から迸っていた。
これは面白い――と、唇を引き上げたのは朧だ。高坏から胡桃をつまみ上げると、犬にエサでも与えるように、鏡の中央へ投げ入れた。鏡に波紋を広げ、水面にゆらゆらと漂うと胡桃は静かに吸い込まれる。その様子を見つめるのは、常世の3人と浄玻璃鏡の中にいる太郎地蔵。
笑みを浮かべる朧と違い、太郎地蔵の面は不機嫌を露にしていた。六郎と芳乃に至っては、刻が止まっているのか微動だにしない。
「のぅ?閻魔。その方、芳乃を地獄へ落とす気であろう?」
朧は、瑞々しい唇を楽しそうに引き上げると身を乗りだし、鏡に顔を近付けた。火先のような眼は、ひたと太郎地蔵こと、閻魔にあてられ返事を待つのだが、返答を返す気がないのか太郎の唇は、固く引き結ばれたままだ。
「え?どういうことだ?地蔵菩薩は、そもそも芳乃殿を救って欲しいと現れたではないか!?」
何が何やら……と関白は、瞬きを繰り返すばかりであるが、ハッと我に返り泡を吹いて倒れる菅公を揺さぶり起こすことを試みた。
「菅公!起きよ!芳乃殿の一大事じゃ!」
これから大きく進むであろう展開に、一人では理解もはかどらない。ここは仲間が欲しいと力一杯揺さぶるが、先程の血肉飛び散る様に衝撃を受けた風流人は、固く目を閉じ「悪いがこのまま寝させてくれ」と呟いた。
「起きておるのか!?」
「寝ておる」
しっかりと返答を返す菅公だが、頑なに眼は綴じられていた。早くせぬと、いつ芳乃達が動き出すか分からぬと、細い両腕で菅公の腰に巻かれた石帯を掴み、ゆさゆさと揺らすのだが、それでも殺生など目にしたくないのだろう。狸寝入りを決め込む。
そんな菅公の眼を意地でもこじ開けたいと、関白は大きく胸を反らし肺に空気を吸い込む――と、直ぐ様吐く息と共に「道真!!」と叫んだ!
カッ!!
関白の声高な叫びに、返事と言わんばかりに雷鳴が轟いた。稲光は、激しく昼間かと見紛うばかりだ。
バリバリと鳴る擘くものは、打ち付ける檜扇から鳴る音とは、比べ物にならない程に激しく、今にも御殿を直撃し炎をあげそうな勢いであった。
それに合わせるように、ゆらりと起き上がる菅公は、怨霊のように不気味に面を伏せている。
―― 道真
これは、菅公が嫌う諱である。忌み名と云うように、いむ――つまり、口にするのを憚るということだ。
何かを察知した朧と響は、ゴニョゴニョと呪いを唱える。それは関白も同じで、すかさず「聞き間違いじゃ!菅公!」と叫ぶと、三人の唇の動きがピタリと重なり、同時に言葉も意味あるものを叫んだ。
クワバラ!クワバラ!――と。
六郎が、嘲笑い口にした言葉に朧と響は、眉をひそめた。
勿論、軽口であろう。本気であろう筈もないのだが、何故か二人の面は険しく、重い空気が漂う。
しかし、そのようなことは関係ないとばかりに、芳乃が夢見た竜宮の如き御殿には、水面が寄せる。
じゃぶり、じゃぶり――と。
辛うじて建物内には侵入しないが、床下は闇にうねるように波打っているだろう。先程よりも水かさが増した気がする――と関白は呟くと、ハッと面を上げた。
「まさか……芳乃殿は、ここを竜宮にするつもりか!?私は、泳ぎは得意ではないのだが……」
関白は、青白い面を更に青くした。
朧は、きゅっと唇を引き上げ、厳しい面差しを和らげた。蝋燭の火先を揺らめかせるような眼は、楽しそうにたなびくのだが、浄玻璃鏡を静かに見つめていた響は、低く漏らした。
「可笑しいとは思っておったが……今の六郎の言葉で確信した」
「何をだ?」
「地蔵の考えがよめた……ということだ」
狩衣から伸びる指先は、麗しい顔に寄せられ、落ちる袖口からは腕釧が後光を放つように光輝やく。響の姿形は、型にはまったように出来すぎて、ついつい拝みたくなる程だ。
現し世の者なら、生神と信じ拝みたくなるだろうが、神にしては少々、人間が出来ていない部分もある。この世ならざる常世の者に、人間が出来ていないというのは、語弊があるかもしれぬが……。
そんな響だが、生前の人の行いなど、鏡を見ずとも把握出来るであろう。おそらく、芳乃が現れた段階でどのような人生を歩んだのか視たはずだ。
ただ、地獄の閻魔の考えともなると簡単に察することなど出来ぬのだろうと関白は思う。それがよめたとは、如何なることだろう?
「何が可笑しいのだ?そして、何が分かったのだ?」
関白は、間違い探しをするように浄玻璃鏡の隅々まで目を配る、六郎に蹴り倒された太郎地蔵菩薩を抱き起こし、土で汚れた顔を指先で払う芳乃の顔は、涙で濡れていた。
「ああ!そんな場合ではない!何故芳乃殿は、反撃しないのじゃ!? 先程など好機ではなかったか!? 」
ザリッと踏み出す六郎に、見ているだけの関白が慌てふためく。両手をわたわたと振り、オロオロとした様子が面白い。
「足を痛めておる。先程、六郎に払われたであろう?あやつは放免であったゆえ、人を取り押さえるのに長けておる。足を蹴りあげた力も、加減などせぬからな」
「それでは……まさか、芳乃殿はこのまま殺されてしまうのか!?」
今まで常世へ、やって来た者達には興味も示さなかった関白が、取り乱したように響の腕を掴む、空洞の眼には、感情を宿すような色は出ていないのだが、心底心配する様子は身から迸っていた。
これは面白い――と、唇を引き上げたのは朧だ。高坏から胡桃をつまみ上げると、犬にエサでも与えるように、鏡の中央へ投げ入れた。鏡に波紋を広げ、水面にゆらゆらと漂うと胡桃は静かに吸い込まれる。その様子を見つめるのは、常世の3人と浄玻璃鏡の中にいる太郎地蔵。
笑みを浮かべる朧と違い、太郎地蔵の面は不機嫌を露にしていた。六郎と芳乃に至っては、刻が止まっているのか微動だにしない。
「のぅ?閻魔。その方、芳乃を地獄へ落とす気であろう?」
朧は、瑞々しい唇を楽しそうに引き上げると身を乗りだし、鏡に顔を近付けた。火先のような眼は、ひたと太郎地蔵こと、閻魔にあてられ返事を待つのだが、返答を返す気がないのか太郎の唇は、固く引き結ばれたままだ。
「え?どういうことだ?地蔵菩薩は、そもそも芳乃殿を救って欲しいと現れたではないか!?」
何が何やら……と関白は、瞬きを繰り返すばかりであるが、ハッと我に返り泡を吹いて倒れる菅公を揺さぶり起こすことを試みた。
「菅公!起きよ!芳乃殿の一大事じゃ!」
これから大きく進むであろう展開に、一人では理解もはかどらない。ここは仲間が欲しいと力一杯揺さぶるが、先程の血肉飛び散る様に衝撃を受けた風流人は、固く目を閉じ「悪いがこのまま寝させてくれ」と呟いた。
「起きておるのか!?」
「寝ておる」
しっかりと返答を返す菅公だが、頑なに眼は綴じられていた。早くせぬと、いつ芳乃達が動き出すか分からぬと、細い両腕で菅公の腰に巻かれた石帯を掴み、ゆさゆさと揺らすのだが、それでも殺生など目にしたくないのだろう。狸寝入りを決め込む。
そんな菅公の眼を意地でもこじ開けたいと、関白は大きく胸を反らし肺に空気を吸い込む――と、直ぐ様吐く息と共に「道真!!」と叫んだ!
カッ!!
関白の声高な叫びに、返事と言わんばかりに雷鳴が轟いた。稲光は、激しく昼間かと見紛うばかりだ。
バリバリと鳴る擘くものは、打ち付ける檜扇から鳴る音とは、比べ物にならない程に激しく、今にも御殿を直撃し炎をあげそうな勢いであった。
それに合わせるように、ゆらりと起き上がる菅公は、怨霊のように不気味に面を伏せている。
―― 道真
これは、菅公が嫌う諱である。忌み名と云うように、いむ――つまり、口にするのを憚るということだ。
何かを察知した朧と響は、ゴニョゴニョと呪いを唱える。それは関白も同じで、すかさず「聞き間違いじゃ!菅公!」と叫ぶと、三人の唇の動きがピタリと重なり、同時に言葉も意味あるものを叫んだ。
クワバラ!クワバラ!――と。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
公主の嫁入り
マチバリ
キャラ文芸
宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。
17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。
中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
【書籍化進行中、完結】私だけが知らない
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる