常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥竜宮

閻魔の魂胆

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 閻魔えんま王の嫁――。
 六郎が、嘲笑い口にした言葉におぼろきょうは、眉をひそめた。
 勿論、軽口であろう。本気であろう筈もないのだが、何故か二人のおもては険しく、重い空気が漂う。
 しかし、そのようなことは関係ないとばかりに、芳乃よしのが夢見た竜宮の如き御殿には、水面みなもが寄せる。
 じゃぶり、じゃぶり――と。
 辛うじて建物内には侵入しないが、床下は闇にうねるように波打っているだろう。先程よりも水かさが増した気がする――と関白かんぱくは呟くと、ハッとおもてを上げた。

「まさか……芳乃よしの殿は、ここを竜宮にするつもりか!?私は、泳ぎは得意ではないのだが……」

 関白かんぱくは、青白いおもてを更に青くした。
 おぼろは、きゅっと唇を引き上げ、厳しい面差しを和らげた。蝋燭の火先ほさきを揺らめかせるようなまなこは、楽しそうにたなびくのだが、浄玻璃鏡じょうはりのかがみを静かに見つめていたきょうは、低く漏らした。

「可笑しいとは思っておったが……今の六郎の言葉で確信した」
「何をだ?」
「地蔵の考えがよめた……ということだ」

 狩衣かりぎぬから伸びる指先は、麗しいかんばせに寄せられ、落ちる袖口からは腕釧わんせんが後光を放つように光輝やく。きょうの姿形は、型にはまったように出来すぎて、ついつい拝みたくなる程だ。
 うつし世の者なら、生神いきがみと信じ拝みたくなるだろうが、神にしては少々、人間が出来ていない部分もある。この世ならざる常世とこよの者に、が出来ていないというのは、語弊があるかもしれぬが……。
 そんなきょうだが、生前の人の行いなど、鏡を見ずとも把握出来るであろう。おそらく、芳乃よしのが現れた段階でどのような人生を歩んだのかはずだ。
 ただ、地獄の閻魔えんまの考えともなると簡単に察することなど出来ぬのだろうと関白かんぱくは思う。それがとは、如何なることだろう?

「何が可笑しいのだ?そして、何が分かったのだ?」

 関白かんぱくは、間違い探しをするように浄玻璃鏡じょうはりのかがみの隅々まで目を配る、六郎に蹴り倒された太郎地蔵菩薩を抱き起こし、土で汚れた顔を指先で払う芳乃よしのの顔は、涙で濡れていた。

「ああ!そんな場合ではない!何故芳乃よしの殿は、反撃しないのじゃ!? 先程など好機ではなかったか!? 」

 ザリッと踏み出す六郎に、見ているだけの関白かんぱくが慌てふためく。両手をわたわたと振り、オロオロとした様子が面白い。

「足を痛めておる。先程、六郎に払われたであろう?あやつは放免ほうべんであったゆえ、人を取り押さえるのに長けておる。足を蹴りあげた力も、加減などせぬからな」
「それでは……まさか、芳乃よしの殿はこのまま殺されてしまうのか!?」

 今まで常世とこよへ、やって来た者達には興味も示さなかった関白かんぱくが、取り乱したようにきょうの腕を掴む、空洞のまなこには、感情を宿すような色は出ていないのだが、心底心配する様子は身からほとばしっていた。
 これは面白い――と、唇を引き上げたのはおぼろだ。高坏たかつきから胡桃くるみをつまみ上げると、犬にエサでも与えるように、鏡の中央へ投げ入れた。鏡に波紋を広げ、水面みなもにゆらゆらと漂うと胡桃くるみは静かに吸い込まれる。その様子を見つめるのは、常世とこよの3人と浄玻璃鏡じょうはりのかがみの中にいる太郎地蔵。
 笑みを浮かべるおぼろと違い、太郎地蔵のおもては不機嫌を露にしていた。六郎と芳乃よしのに至っては、刻が止まっているのか微動だにしない。

「のぅ?閻魔えんま。その方、芳乃よしのを地獄へ落とす気であろう?」

 おぼろは、瑞々しい唇を楽しそうに引き上げると身を乗りだし、鏡に顔を近付けた。火先ほさきのようなまなこは、ひたと太郎地蔵こと、閻魔えんまにあてられ返事を待つのだが、返答を返す気がないのか太郎の唇は、固く引き結ばれたままだ。

「え?どういうことだ?地蔵菩薩は、そもそも芳乃よしの殿を救って欲しいと現れたではないか!?」

 何が何やら……と関白かんぱくは、瞬きを繰り返すばかりであるが、ハッと我に返り泡を吹いて倒れる菅公かんこうを揺さぶり起こすことを試みた。

菅公かんこう!起きよ!芳乃よしの殿の一大事じゃ!」

 これから大きく進むであろう展開に、一人では理解もはかどらない。ここは仲間が欲しいと力一杯揺さぶるが、先程の血肉飛び散る様に衝撃を受けた風流人は、固く目を閉じ「悪いがこのまま寝させてくれ」と呟いた。

「起きておるのか!?」 
「寝ておる」

 しっかりと返答を返す菅公かんこうだが、頑なにまなこは綴じられていた。早くせぬと、いつ芳乃よしの達が動き出すか分からぬと、細い両腕で菅公かんこうの腰に巻かれた石帯せきたいを掴み、ゆさゆさと揺らすのだが、それでも殺生など目にしたくないのだろう。狸寝入りを決め込む。
 そんな菅公かんこうまなこを意地でもこじ開けたいと、関白かんぱくは大きく胸を反らし肺に空気を吸い込む――と、直ぐ様吐く息と共に「道真みちざね!!」と叫んだ!

 カッ!!
 関白かんぱく声高こわだかな叫びに、返事と言わんばかりに雷鳴が轟いた。稲光は、激しく昼間かと見紛みまごうばかりだ。
 バリバリと鳴るつんざくものは、打ち付ける檜扇ひおうぎから鳴る音とは、比べ物にならない程に激しく、今にも御殿を直撃しほむらをあげそうな勢いであった。
 それに合わせるように、ゆらりと起き上がる菅公かんこうは、怨霊のように不気味におもてを伏せている。
 ―― 道真みちざね
 これは、菅公かんこうが嫌ういみなである。み名と云うように、――つまり、口にするのを憚るということだ。
 何かを察知したおぼろきょうは、ゴニョゴニョとまじないを唱える。それは関白かんぱくも同じで、すかさず「聞き間違いじゃ!菅公かんこう!」と叫ぶと、三人の唇の動きがピタリと重なり、同時に言葉ことのはも意味あるものを叫んだ。
 クワバラ!クワバラ!――と。
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