常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥竜宮

閻王の嫁

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 突如、吹き荒れた旋風つむじかぜに血溜まりまでもが、巻き上がる錯覚を覚える。らせん状の吹き抜けに、闇に溶け込む黒髪が激しく舞う様子までもが、恐ろしく気味が悪い。
 そして、明るい白月はくげつに浮かび上がる細面ほそおもて、怨念の情を露にする血に濡れた芳乃よしのは夜叉のようであり、又、この世ならざる妖艶さを醸し出していた。それは、おそらく普段ならば目にすることの出来ぬ、人の底深い醜悪しゅうあくの為せるわざ

「お前様、いいえ……六郎殿、ここの畦道を進むと何処に繋がるかご存じか?」
「ああ、何でもあの世と繋がるらしいな?」

「ええ、昔小野篁おのの たかむらは、この六道辻ろくどうつじの井戸を通じて地獄に出入していたとか……」
「それがどうした?まさか、地獄へ参ろうと申しておるのか」

 六郎は、ぷっ!と吹き出し芳乃よしのを指差すと「冗~談じょ~だん・で・は・な・い!」と、一言一句を強調する。
 万事休す――と、命の灯火が消えかけていた先程とは違う、六郎には余裕があった。黙る芳乃よしのに、唇は引き上がる。ザリッ……と土を擦る音を立て、間合いを詰めた六郎は、芳乃よしの腕首うでくびを握り、耳元で囁いた。

「あの世で吾子我が子に会ったら、詫びを」
「残念ながら、吾子わが子は極楽でございますゆえ」
「はは!そうか、そうだな」

 六郎の手が芳乃よしのの腕を這う。それは撫でるように下膊かはくから上膊じょうはくへ、そして細首へたどり着く。当然の如く回された指は、ゆっくりと絞められる。
 真っ直ぐに六郎を見つめる眼差しは、何の感情もない静かなものだった。これにはいささか面食らったのだろう、六郎は指を止めた――とその時、強い衝撃をおもてに受けた。人体で一番無防備な部分は、顔ではなかろうか?
 目をやられれば何も見えず、鼻をやられれば激痛極まりなく、両の手で押さえるだろう。口をやられれば歯が折れ、これまた痛みで堪らぬだろう。
 芳乃よしのは頭を振り付け、獰猛どうもうな獣のように猛然もうぜんと六郎の顔面に襲いかかった。勢いのまま激突するのだ、頭蓋骨で守られた頭部と柔かな皮膚で覆われた顔面のどちらが衝撃を受けるか分かりきったことである。
 声にならない声――とは、こういう音を言うのだろう。ただ、何らかの声音を当てはめるとしたら、ぐおぉぉぉと唸る獣じみた声だった。
 よろよろと芳乃よしのから、離れた六郎だが今度こそ、石で襲われたら逃れることは出来ないだろう。まともに頭突きを喰らったのだ、鼻からも口からも血を流す六郎のまなこは、憤怒ふんぬの炎が燃え盛るように血走っていた。
 これ以上の好機はないだろう、芳乃よしのは六郎に襲いかかるべきであるのだが、どうしたことか足を踏み出すことはなかった。代わりに動いたのは、顔面血まみれの六郎だった。

「これ以上、生かしておく訳にはいかぬ!! 」

 怒りは凄まじい、舞い散る葉が地面に届くような一瞬の刻でも永らえさせたくない、そんな思いが爆発したかのように、六郎は足を振り払った!それの向かった先は、地獄の入口に立つ地蔵菩薩――
 ゴドンッ!ガッ!!
 切石の重みが鈍く打ち付ける音は、夜の静寂しじまに響き渡った。

「太郎地蔵様!! 」

 芳乃よしのは、悲鳴のような声音で太郎の名を呼んだ。
 六郎の振り払った足は、あろうことか地蔵菩薩を蹴り倒したのだ、驚愕する芳乃よしのに向かい、高らかに笑う。それは嘲笑ちょうしょう露にする皮肉げな、また見下す笑い声であった。

「そなたは、いつもいつも太郎地蔵様じゃ。地蔵を殺すことは出来ぬゆえ、形ばかりでも横たわったむくろのようにしてやったわ!これで心置きなく地獄へ参れ!閻魔王えんまおうの嫁にでも、してもろうたらどうじゃ!?ははははっ!」

 芳乃よしのは、倒れるように膝をおり地面に転がる地蔵菩薩にすがり付いた。涙で霞む声音で何やら呟いているが、もはや何を言っているのかは聞き取れなかった。おそらく、謝罪の言葉であろう。
 芳乃よしのは、地蔵菩薩を抱き起こす。慈悲深い姿は、いつもと変わらない。ただ一つ違うのは、太郎地蔵の額には大きな傷が出来ていた。それは、つむじの辺りから右眉にかけて――。
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