常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥竜宮

十王

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 きょうの言葉を黙り聞くのは、太郎という名の地蔵菩薩。細いまなこは鋭利に研ぎ澄まされたやいばの如く、眼前のきょうを睨み付けていた。

「おい、石。目付きが悪い」
「悪いが文句は彫物師にでも言ってくれい」
「チッ……!」

 きょうは、舌打ちすると狩衣かりぎぬの袖を大きく広げ、悠々と腕を組む。細く、しなやかな指先は苛立ちを露にし、腕を小刻みに打ち付けるのだが、口を利きたくないのか?薄く形の良い唇は、引き結ばれたままだ。

「地蔵……正直、お前が何をしたいのか分からぬ」

 ここで口を挟んだのは、おぼろだった。分からぬと言いつつも、知りたくもないのだろう。玉唇ぎょくしんから漏れた声音は、興味もなさそうであった。おそらく不機嫌なきょうの代わりに仕方なく言葉を継いだと思われる。

「地蔵は、現れた時に芳乃よしのを救って欲しいと申したが、生前失敗した殺生を行わせようとしておる。これは罪を更に重くする行為じゃ」

 おぼろは、指折り数える――

秦広王しんこうおう初江王しょこうおう宋帝王そうていおう五官王ごかんおう閻魔王えんまおう変成王へんじょうおう泰山王たいざんおう平等王びょうどうおう都市王としおう五道転輪王ごどうてんりんおう。これらの地獄の十王じゅうおうに、芳乃よしのは罪を裁かれる」

 菅公かんこう関白かんぱくは、顔を見合わせた。おぼろの話は、うつし世では皆が信じていることだった。それは、人が死んだ後のことである。
 人が死ねば、七日後に初七日しょなのかが行われる。そして、その後も法要は七日置きに行われるのだ。
 それは、あの世で死んだ者の罪が裁かれる為であり、少しでも罪が免ぜられるように――云わば、裁く地獄の王に祈りを捧げているのだ。
 泰山王たいざんおうで、七七日なななぬか。つまり初七日から七回目。俗にいう四十九日にあたる。
 裁かれる罪は、それぞれだが殺生やら盗み、不貞や悪口といった人ならば多少引っ掛かるようなものだ。
 菅公かんこうは、口を挟んだ。

「見た限り、芳乃よしのの大罪は殺生だけと見ゆるが?」
「殺生を起こしたのを見たであろう?石で男を執拗に殴り付けた。事切れておるのに執拗であった。それは関白かんぱくわんで殴り付けた時も言える」

「「確かに……」」

 菅公かんこう関白かんぱくの声が揃う。確かに、あの時の芳乃よしのは頭に血がのぼり、自分でも振り下ろす腕を止めることが出来なかった程だ。
 おぼろは、静かに漏らした。

芳乃よしのの大きな罪は、殺生せっしょう瞋恚しんに。つまり殺しと怒り狂うこと……ほら、見てみろ」

 水晶の如き鏡を指差すと、そこには妻を従え、太郎地蔵の前に立つ芳乃よしのの姿が映し出されていた。陽は落ちかけ、辺りは鬱蒼うっそうと茂る木々もあいまって、薄暗い。

「奥方様、このお地蔵様は大変ご利益がございます」
「ほう?そのような話、初めて聞くが?」

「ふふ、畦道のお地蔵様ですので町方の者にしか噂も広まらないのでしょう……ささ、旦那様の訪れ先を見つけられるようにと、祈りましょう」
「そうじゃな、それが良い」

 機嫌よく、妻は太郎地蔵の前に膝をおった。両のてのひらを合わせ、瞼を閉じ念入りに拝む姿は、信心深い者のようにも見える。余程、六郎の不貞を取り押さえたいのであろう、なかなか瞼を上げない妻の背後には、畦道の脇に隠していた赤子の頭程の石を振り上げ、喜色満面のおもてさらす、芳乃よしの
 外面似菩薩内心如夜叉げめんじぼさつ ないしんにょやしゃの言葉の如く、美しい芳乃よしのの内側には間違いなく、夜叉やしゃが潜んでいるのだろう――否。
 潜むという表現は、誤りであるかもしれない。何故なら、妻の背後で笑みを浮かべるおもては、唇が裂けんばかりに引き上がり、しなやかな体躯からは殺気がほとばしる。
 落陽らくように染まる芳乃よしのは、まるで妄執に囚われた阿修羅あしゅらだ。
 その時、長い願掛けが終わったのだろう。妻は合わせたてのひらを下ろした――と、同時に、芳乃よしのの両腕は振り下ろされ、妻の頭上に叩きつけられた――。
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