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幽冥竜宮
空木
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舌先三寸で連れ出した六郎の妻を背後に従わせ、畦道の地蔵菩薩の元へ向かう芳乃の腹には、卯の花色の帯が絞められていた。
それは豪華な錦織で、模様の上に更に鮮やかな色糸で浮織した二陪織物と呼ばれる物であったが、当然芳乃が身につけるような代物ではなかった。
芳乃は、六郎の部屋から帯を盗み出し、自分の腰に巻いた。別に物盗りの為に部屋へ入ったのではない。
妻を連れ出し、その場で殺す――。
芳乃は、そう決心していたのだが妻を屋敷から連れ出すとしても、誰にも見られずに出ることなど無理な話である。
連れ出したら最後、殺すしかない。さもなければ、妻を殺す好機など訪れないのだ。百歩譲って屋敷内で妻を殺害したとしても、芳乃が生きて屋敷を出ることはないだろう。妻の心の臓が止まったことを確認する暇もなく、押さえつけられ板間に這いつくばるのは目に見えていた。
しかし、それでは仇を討ったかも分からぬまま死ぬことになる、それだけは我慢ならぬ。
だが、外で妻を殺めたとしても、何食わぬ顔で芳乃が屋敷へ戻ることもあり得ない。つまり、どちらにせよ屋敷に再び足を踏み入れることはない。
それならば、屋敷から持ち出さなければならない物があった。吾子のでんでん太鼓だ。
先日そう思い、妻の部屋を訪れたのだが、隅に転がっていたはずの太鼓は無くなっていた。まさか捨てられたか?と、妻へ渡したことを後悔し、尋ねた。
そんな芳乃に妻は、皮肉げに口許を歪ませると、夫が持ち去ったと吐き捨てた。でんでん太鼓を目にした六郎がどんな顔をするのか見たかったのだという。
でんでん太鼓は、六郎が囲っている女に渡す為に用意した物だという芳乃のデマカセを信じているのなら、当然の行動だと頷けた。
案の定、六郎は、これを何処で手に入れた!と、掴みかかってきたらしい。妻が言うには相当、慌てふためいた様子であったという。
そんな六郎に、出所を簡単に教えるわけがない、妻は言葉で応酬したらしい。結果、聞き出すのを諦めたのか?太鼓は持ち去られたという。
その様子を、憎々しげに吐き捨てる唇から覗く歯は、親指の爪をしかと噛み、ギリギリと音を鳴らさんばかりだ。
芳乃に、一抹の不安が過った。何故なら、太鼓は六郎の物ではないのだ。慌てふためき、これをどうしたと尋ねたとしたら太鼓が死んだ吾子の物だと気づいたのではないか?と。
又、深読みすれば妻に打ち明け、二人して芝居を打ち、芳乃を謀ろうとしているのではないか――と。
芳乃は慎重に妻の様子を窺うが、怪しい言動もなく芳乃を罠にかけるような素振りもなかった。
ただ、ひたすら六郎の不貞に腹を立てている様子に胸を撫で下ろし、芳乃は六郎の部屋へ向かった。
目的は、無論吾子の形見である。
妻には、何か女に関わる物があるやもしれぬ――と理由を付け又、侍女らには北の方様のお言いつけだと言い、人払いの上、六郎の部屋へ侵入した。
壁に寄せられた文机には箱が1つ。硯と筆が収められていた。部屋の奥には唐櫃が1つ。主の部屋にしては、何とも質素なものだった。誰も使っていない部屋だと言われれば、然もありなんと頷くだろう。
芳乃は、足を進め几帳の裏を覗く。
そこには、衣架が置かれ無造作に衣と腰紐が掛けられていた。早い話、脱ぎ散らかした状態である。芳乃は、急ぎ視線を巡らせた。妻のように太鼓を転がしてはいない――と、すると隠し持っているに違いない。乱れる裾を指で押さえることもせず、唐櫃に駆け寄った。
仕舞うような棚もないことから、ここしか考えられないと徐に腕を突っ込み、引っ掻き回す。しかし指に触れるのは柔らかい上質な衣であり、どんなに腕を動かしても太鼓の腹も、結びつけられた小さな玉にも触れることはなかった。焦りだけが募る。
諦められない芳乃は、唐櫃をひっくり返す、上等の衣を振り仰ぎ1枚、1枚確認するがコロンコロンと鳴り、転がり出てくる太鼓を目にすることは、終ぞなかった。
へなへな――と、腰が抜けたように座り込む芳乃の眼前には、取っ散らかされた無数の小袖が広げられ板間を埋め尽くす、太鼓は見つからなかったというのに、これを今から片付けなければならないと思うと、無性に腹が立つ。
やり場のない怒りを、ぶつけるとしたら目の前にある衣くらいしかない。おもむろに目についた物を引っ掴み、腹立ち紛れに左右に引いた――、すると引き破るつもりの衣が他の物より若干重いことに気がついた。
眉根を寄せ、念入りに手で探ると袖口に何かが縫い付けられている、慎重に糸をとき、布を開いた――出てきたのは、1尺程で、折り畳まれた卯の花色の帯。
上等の錦織が姿を見せたことに、芳乃は息を呑む。このように美しく品のある錦織を見たことがなかったからだ。
昔、六郎は言った。
佐伯山、卯の花持ちし、愛しきが、手をし取りてば、花は散るとも。
「佐伯山とは、安芸国にある山でな。朱色の御殿と同じじゃ、まぁ……万葉の頃は御殿などはないのじゃが空木、咲き誇る美しい所と聞く。そなたは卯の花が実に良く似合う」
芳乃の指先が震えた、品のある錦織は卯の花色。それはまさしく、六郎が芳乃に求愛した畦道に咲き誇った空木の色であった。
それは豪華な錦織で、模様の上に更に鮮やかな色糸で浮織した二陪織物と呼ばれる物であったが、当然芳乃が身につけるような代物ではなかった。
芳乃は、六郎の部屋から帯を盗み出し、自分の腰に巻いた。別に物盗りの為に部屋へ入ったのではない。
妻を連れ出し、その場で殺す――。
芳乃は、そう決心していたのだが妻を屋敷から連れ出すとしても、誰にも見られずに出ることなど無理な話である。
連れ出したら最後、殺すしかない。さもなければ、妻を殺す好機など訪れないのだ。百歩譲って屋敷内で妻を殺害したとしても、芳乃が生きて屋敷を出ることはないだろう。妻の心の臓が止まったことを確認する暇もなく、押さえつけられ板間に這いつくばるのは目に見えていた。
しかし、それでは仇を討ったかも分からぬまま死ぬことになる、それだけは我慢ならぬ。
だが、外で妻を殺めたとしても、何食わぬ顔で芳乃が屋敷へ戻ることもあり得ない。つまり、どちらにせよ屋敷に再び足を踏み入れることはない。
それならば、屋敷から持ち出さなければならない物があった。吾子のでんでん太鼓だ。
先日そう思い、妻の部屋を訪れたのだが、隅に転がっていたはずの太鼓は無くなっていた。まさか捨てられたか?と、妻へ渡したことを後悔し、尋ねた。
そんな芳乃に妻は、皮肉げに口許を歪ませると、夫が持ち去ったと吐き捨てた。でんでん太鼓を目にした六郎がどんな顔をするのか見たかったのだという。
でんでん太鼓は、六郎が囲っている女に渡す為に用意した物だという芳乃のデマカセを信じているのなら、当然の行動だと頷けた。
案の定、六郎は、これを何処で手に入れた!と、掴みかかってきたらしい。妻が言うには相当、慌てふためいた様子であったという。
そんな六郎に、出所を簡単に教えるわけがない、妻は言葉で応酬したらしい。結果、聞き出すのを諦めたのか?太鼓は持ち去られたという。
その様子を、憎々しげに吐き捨てる唇から覗く歯は、親指の爪をしかと噛み、ギリギリと音を鳴らさんばかりだ。
芳乃に、一抹の不安が過った。何故なら、太鼓は六郎の物ではないのだ。慌てふためき、これをどうしたと尋ねたとしたら太鼓が死んだ吾子の物だと気づいたのではないか?と。
又、深読みすれば妻に打ち明け、二人して芝居を打ち、芳乃を謀ろうとしているのではないか――と。
芳乃は慎重に妻の様子を窺うが、怪しい言動もなく芳乃を罠にかけるような素振りもなかった。
ただ、ひたすら六郎の不貞に腹を立てている様子に胸を撫で下ろし、芳乃は六郎の部屋へ向かった。
目的は、無論吾子の形見である。
妻には、何か女に関わる物があるやもしれぬ――と理由を付け又、侍女らには北の方様のお言いつけだと言い、人払いの上、六郎の部屋へ侵入した。
壁に寄せられた文机には箱が1つ。硯と筆が収められていた。部屋の奥には唐櫃が1つ。主の部屋にしては、何とも質素なものだった。誰も使っていない部屋だと言われれば、然もありなんと頷くだろう。
芳乃は、足を進め几帳の裏を覗く。
そこには、衣架が置かれ無造作に衣と腰紐が掛けられていた。早い話、脱ぎ散らかした状態である。芳乃は、急ぎ視線を巡らせた。妻のように太鼓を転がしてはいない――と、すると隠し持っているに違いない。乱れる裾を指で押さえることもせず、唐櫃に駆け寄った。
仕舞うような棚もないことから、ここしか考えられないと徐に腕を突っ込み、引っ掻き回す。しかし指に触れるのは柔らかい上質な衣であり、どんなに腕を動かしても太鼓の腹も、結びつけられた小さな玉にも触れることはなかった。焦りだけが募る。
諦められない芳乃は、唐櫃をひっくり返す、上等の衣を振り仰ぎ1枚、1枚確認するがコロンコロンと鳴り、転がり出てくる太鼓を目にすることは、終ぞなかった。
へなへな――と、腰が抜けたように座り込む芳乃の眼前には、取っ散らかされた無数の小袖が広げられ板間を埋め尽くす、太鼓は見つからなかったというのに、これを今から片付けなければならないと思うと、無性に腹が立つ。
やり場のない怒りを、ぶつけるとしたら目の前にある衣くらいしかない。おもむろに目についた物を引っ掴み、腹立ち紛れに左右に引いた――、すると引き破るつもりの衣が他の物より若干重いことに気がついた。
眉根を寄せ、念入りに手で探ると袖口に何かが縫い付けられている、慎重に糸をとき、布を開いた――出てきたのは、1尺程で、折り畳まれた卯の花色の帯。
上等の錦織が姿を見せたことに、芳乃は息を呑む。このように美しく品のある錦織を見たことがなかったからだ。
昔、六郎は言った。
佐伯山、卯の花持ちし、愛しきが、手をし取りてば、花は散るとも。
「佐伯山とは、安芸国にある山でな。朱色の御殿と同じじゃ、まぁ……万葉の頃は御殿などはないのじゃが空木、咲き誇る美しい所と聞く。そなたは卯の花が実に良く似合う」
芳乃の指先が震えた、品のある錦織は卯の花色。それはまさしく、六郎が芳乃に求愛した畦道に咲き誇った空木の色であった。
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