16 / 74
幽冥竜宮
妻女
しおりを挟む
トントン拍子に事が運ぶかに思われたが、屋敷が手薄になったからといって、妻子の住む母屋に立ち入ることは困難であった。
芳乃は、気が急く思いで、今日も母屋付近の廊下を懸命に磨く、念入りに刻をかけて。その時、女の金切り声が芳乃の耳朶を擘いた。何に腹を立てているのか、居室から扇が空を舞う。縁側に落ちると同時に、怒鳴り声が響き渡る。
「あの人は、何処の女に通っているのです!?」
―― 成る程。
一言で察知した。
―― さて、どういたそうか?
芳乃は、ふと考え込んだ。六郎の跡をつけ、囲った女の場所を特定すれば襲いやすいのではないか?
しかし勤めを放り出し、付け回すことなど困難極まりない……、芳乃は降って湧いた好機を、どう活かそうか夢中で考えた――その時、
「そなた、何をしているのです!」
金切り声が頭上で響く、しかも自分に向けられた言葉であった為、内心飛び上がったのは云うまでもない。当然ながら芳乃の面からは血の気が引いた。
考え事をしている間に、六郎の妻が廊下に出てきてしまったのだ。鉢合わせは流石に不味かった――とは思うものの、後の祭り。過ぎ去るのを待つしかないと身を固くした芳乃に、思いがけない言葉が掛けられた。
この者を家から出しなさい――と。
驚き、思わず顔を上げた、そこには真っ赤になり、怒りに震える妻の顔があったのだが突然、暇を言い渡されたのでは堪らないと、芳乃は平伏して願い出た――
「申し訳ございません、私はただ廊下の掃除を……」
「そのようなことは、どうでもよい!」
妻は、一言答えると後方に控える侍女に叫ぶ
「見目良い女子を母屋……いえ、この屋敷におくでない!!」
芳乃は思い出した。手を取り共に逃げ、そして殺めた男が言っていた、六郎の妻は嫉妬深い――という言葉を。
そんな考えなど知る由もない妻は、言い捨てると芳乃の横を過ぎ去る、
―― 逃がしてなるものか……。
芳乃の眼は、妻の背にあてられ、唇は大きく引き上がる――
「私は……旦那様の想い人を存じております」
静かな声音が、恐ろしく響いた気がした。妻は勢い良く振り返り、芳乃の元へ駆け戻ると「それは実か」と問うた。その声は、火のように熱く怒りに震えているのだが、見上げた顔は色を失ったように青ざめていた。
◆◆◆◆◆
煌々たる朱色の御殿で膝を付き合わせるのは、現し世ならぬ常世の住人。
蝋燭の火先のように揺らめく眼と、額にかかれた花鈿が印象深い朧は、横に座る響を見やる。
「やはり、美しい者が側におると気に入らぬということか?私は響殿が横に居ても気にならぬが……」
「人とは、妬む者であるからな。それに朧殿は、十分美しいゆえ」
二人して顔を見合わせると、満足げに頷き合う。一体、何を言っているのだろう?とも思ったが芳乃は、真ん中の鏡を見つめながら先を継いだ。
「控える侍女の手前、話すことが憚られる……と目配せをすれば、六郎の妻は頷き立ち去った……が、すぐに私は侍女頭から呼び出された。この時ばかりは歓喜の声をあげるのを必死で我慢したわ」
鏡には、いそいそと廊下を進む芳乃の姿が映っていた。
◆◆◆◆◆
人目を避ける為か?呼び出されたのは、妻の居室ではなく納戸だった。じめじめと薄暗い空間に殺されたはずの元妻と、手を下した妻が同じ空気を吸っているのが妙な気分であったが、芳乃は懐へ差し込んできた物を取り出し、妻へ差し出した。
「これは……でんでん太鼓?何じゃ?」
「私は、畦道の地蔵菩薩様の前をよく通るのですが、そこで旦那様が女と会っているのを何度か目にしました」
「何と!?」
「あれは……元の妻ではないか?と皆が噂しております」
「皆が!? 噂になる程、見かけるのか!?しかし、元妻は焼け死んだはず……!」
目をむく妻に芳乃は、首を振ると小声で囁く――。
「元妻は、地蔵様を信心しておったと評判でございます。あの辺りには物乞いも居りますゆえ、元妻の顔も見知っておるようで……」
そっと視線を逸らし、暗に匂わす。そなたの夫は元妻が焼け死んだと偽り、隠すばかりか今も寵愛していると。
妻の指先が小刻みに震え、でんでん太鼓がカタカタと鳴る。芳乃は、嘲笑に緩む頬を引き締め、更に継いだ。
「しかし、旦那様も用心なされておるようで、少しでも周りに人が居たら元妻の家には寄られないようだ……と」
「何故じゃ!!」
「さぁ、それは私には……あ、でも……」
何かを、思い出した素振りをしてみせる。案の定、申せ!と怒鳴られた。芳乃は、妻の耳元で囁いた――
「実は、元妻は身重だとか……何を警戒されているのかは存じませんが、何かしら理由があるのでは……と噂でございます」
何かしら理由―― この一言に、妻がギクリと肩をすくめたのを芳乃は見逃さなかった。
―― やはり、お前が命じて吾子を殺したのか……。
「そのでんでん太鼓は、旦那様が地蔵菩薩にお供えされた物らしいのです」
「何故そのような……」
「物乞いの話では、元妻の家へ行くことを断念した場合、合図なのか旦那様は地蔵様の足元に石を置かれるとか……、おそらく元妻と二人だけの秘密の何かなのでしょう。」
わざと六郎の寵愛が、未だに元妻である芳乃にあると匂わせ、続ける。
「でんでん太鼓は、腹の子への土産だったのか、石の代わりに置かれたようで物乞いが盗んでしまったようです」
「それを何故、そなたが持っておるのじゃ」
「ふふふ、旦那様にこれを渡して金品をせびろうと思うたのです」
「何!?」
「しかし、旦那様より奥方様へ」
「何故、私にしたのじゃ?」
「泡銭を少々手に入れても、暇を出されては先々困りますので」
「……ほう、これで手を打とうということか」
「なりませんか?」
でんでん太鼓は、亡き吾子の形見とも云うべきものであったが、背に腹は代えられぬと差し出した。
「いや、取引があった方が信用できる……ところで、そなた元妻の家を探しだしてくれぬか?」
「畏まりましてございます」
芳乃の引き上がる唇は、恭しく答えた――。
芳乃は、気が急く思いで、今日も母屋付近の廊下を懸命に磨く、念入りに刻をかけて。その時、女の金切り声が芳乃の耳朶を擘いた。何に腹を立てているのか、居室から扇が空を舞う。縁側に落ちると同時に、怒鳴り声が響き渡る。
「あの人は、何処の女に通っているのです!?」
―― 成る程。
一言で察知した。
―― さて、どういたそうか?
芳乃は、ふと考え込んだ。六郎の跡をつけ、囲った女の場所を特定すれば襲いやすいのではないか?
しかし勤めを放り出し、付け回すことなど困難極まりない……、芳乃は降って湧いた好機を、どう活かそうか夢中で考えた――その時、
「そなた、何をしているのです!」
金切り声が頭上で響く、しかも自分に向けられた言葉であった為、内心飛び上がったのは云うまでもない。当然ながら芳乃の面からは血の気が引いた。
考え事をしている間に、六郎の妻が廊下に出てきてしまったのだ。鉢合わせは流石に不味かった――とは思うものの、後の祭り。過ぎ去るのを待つしかないと身を固くした芳乃に、思いがけない言葉が掛けられた。
この者を家から出しなさい――と。
驚き、思わず顔を上げた、そこには真っ赤になり、怒りに震える妻の顔があったのだが突然、暇を言い渡されたのでは堪らないと、芳乃は平伏して願い出た――
「申し訳ございません、私はただ廊下の掃除を……」
「そのようなことは、どうでもよい!」
妻は、一言答えると後方に控える侍女に叫ぶ
「見目良い女子を母屋……いえ、この屋敷におくでない!!」
芳乃は思い出した。手を取り共に逃げ、そして殺めた男が言っていた、六郎の妻は嫉妬深い――という言葉を。
そんな考えなど知る由もない妻は、言い捨てると芳乃の横を過ぎ去る、
―― 逃がしてなるものか……。
芳乃の眼は、妻の背にあてられ、唇は大きく引き上がる――
「私は……旦那様の想い人を存じております」
静かな声音が、恐ろしく響いた気がした。妻は勢い良く振り返り、芳乃の元へ駆け戻ると「それは実か」と問うた。その声は、火のように熱く怒りに震えているのだが、見上げた顔は色を失ったように青ざめていた。
◆◆◆◆◆
煌々たる朱色の御殿で膝を付き合わせるのは、現し世ならぬ常世の住人。
蝋燭の火先のように揺らめく眼と、額にかかれた花鈿が印象深い朧は、横に座る響を見やる。
「やはり、美しい者が側におると気に入らぬということか?私は響殿が横に居ても気にならぬが……」
「人とは、妬む者であるからな。それに朧殿は、十分美しいゆえ」
二人して顔を見合わせると、満足げに頷き合う。一体、何を言っているのだろう?とも思ったが芳乃は、真ん中の鏡を見つめながら先を継いだ。
「控える侍女の手前、話すことが憚られる……と目配せをすれば、六郎の妻は頷き立ち去った……が、すぐに私は侍女頭から呼び出された。この時ばかりは歓喜の声をあげるのを必死で我慢したわ」
鏡には、いそいそと廊下を進む芳乃の姿が映っていた。
◆◆◆◆◆
人目を避ける為か?呼び出されたのは、妻の居室ではなく納戸だった。じめじめと薄暗い空間に殺されたはずの元妻と、手を下した妻が同じ空気を吸っているのが妙な気分であったが、芳乃は懐へ差し込んできた物を取り出し、妻へ差し出した。
「これは……でんでん太鼓?何じゃ?」
「私は、畦道の地蔵菩薩様の前をよく通るのですが、そこで旦那様が女と会っているのを何度か目にしました」
「何と!?」
「あれは……元の妻ではないか?と皆が噂しております」
「皆が!? 噂になる程、見かけるのか!?しかし、元妻は焼け死んだはず……!」
目をむく妻に芳乃は、首を振ると小声で囁く――。
「元妻は、地蔵様を信心しておったと評判でございます。あの辺りには物乞いも居りますゆえ、元妻の顔も見知っておるようで……」
そっと視線を逸らし、暗に匂わす。そなたの夫は元妻が焼け死んだと偽り、隠すばかりか今も寵愛していると。
妻の指先が小刻みに震え、でんでん太鼓がカタカタと鳴る。芳乃は、嘲笑に緩む頬を引き締め、更に継いだ。
「しかし、旦那様も用心なされておるようで、少しでも周りに人が居たら元妻の家には寄られないようだ……と」
「何故じゃ!!」
「さぁ、それは私には……あ、でも……」
何かを、思い出した素振りをしてみせる。案の定、申せ!と怒鳴られた。芳乃は、妻の耳元で囁いた――
「実は、元妻は身重だとか……何を警戒されているのかは存じませんが、何かしら理由があるのでは……と噂でございます」
何かしら理由―― この一言に、妻がギクリと肩をすくめたのを芳乃は見逃さなかった。
―― やはり、お前が命じて吾子を殺したのか……。
「そのでんでん太鼓は、旦那様が地蔵菩薩にお供えされた物らしいのです」
「何故そのような……」
「物乞いの話では、元妻の家へ行くことを断念した場合、合図なのか旦那様は地蔵様の足元に石を置かれるとか……、おそらく元妻と二人だけの秘密の何かなのでしょう。」
わざと六郎の寵愛が、未だに元妻である芳乃にあると匂わせ、続ける。
「でんでん太鼓は、腹の子への土産だったのか、石の代わりに置かれたようで物乞いが盗んでしまったようです」
「それを何故、そなたが持っておるのじゃ」
「ふふふ、旦那様にこれを渡して金品をせびろうと思うたのです」
「何!?」
「しかし、旦那様より奥方様へ」
「何故、私にしたのじゃ?」
「泡銭を少々手に入れても、暇を出されては先々困りますので」
「……ほう、これで手を打とうということか」
「なりませんか?」
でんでん太鼓は、亡き吾子の形見とも云うべきものであったが、背に腹は代えられぬと差し出した。
「いや、取引があった方が信用できる……ところで、そなた元妻の家を探しだしてくれぬか?」
「畏まりましてございます」
芳乃の引き上がる唇は、恭しく答えた――。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
AV研は今日もハレンチ
楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo?
AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて――
薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!
八天閣奇談〜大正時代の異能デスゲーム
Tempp
キャラ文芸
大正8年秋の夜長。
常磐青嵐は気がつけば、高層展望塔八天閣の屋上にいた。突然声が響く。
ここには自らを『唯一人』と認識する者たちが集められ、これから新月のたびに相互に戦い、最後に残った1人が神へと至る。そのための力がそれぞれに与えられる。
翌朝目がさめ、夢かと思ったが、手の甲に奇妙な紋様が刻みつけられていた。
今6章の30話くらいまでできてるんだけど、修正しながらぽちぽちする。
そういえば表紙まだ書いてないな。去年の年賀状がこの話の浜比嘉アルネというキャラだったので、仮においておきます。プロローグに出てくるから丁度いい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる