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幽冥竜宮
奸悪
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◆◆◆◆◆
「何と……!」
声を上げたのは菅公だったが、面一杯に驚きを表したのは、皆同じだった。ただし、太郎を除く。
「どういうことじゃ?人拐いとは……」
朧が問うと、意外な声が返事を返した。
「夫の通う女の仕業じゃ……」
「芳乃」
ヨロヨロと起き上がり、返答を返したのは今まで寝ていた芳乃だった。
「戻ってきたということは、思い出したということか?」
身体から魂が抜け、在りし日を眺めに行ったのは、未練を断つ為だ。その魂が身体に入ったということは、忘れていたことを思い出したということだ。響は知っていたが一応、尋ねた。
芳乃は、頷くと双眸から涙を溢す。語る声音は掠れるが懸命に絞り出した。
「私は、連れ拐われた。何処に連れ出されたのかは、その時は分からなかった……」
◆◆◆◆◆
転がされたのは、小さな小屋のようだった。もしかしたら何処ぞの家の馬屋だったのかもしれないが、どんなに叫んでも人が駆けつけて来なかったのは、家の者に言い含めているのか?はたまた、山奥の廃屋なのか?
今さら、場所を特定しても詮なきことと芳乃は泣いた。
拘束するものは解かれた、しかし必ず見張りが小屋に滞在する、逃げることなど出来なかった。
今宵も、誰だか分からない男が芳乃を抱きすくめる。何も分からないまま、どんなに流しても枯れ果てぬ涙に嗚咽を漏らし、格子戸から覗く、緋色の平家星を板間に這いつくばり見上げる、そんな日々が何日続いただろうか?
この日、やって来た男は饒舌だった。問うことも止めた芳乃に漏らしたのだ。おそらく恭順な様子が反抗する気力もないと思ったのだろう。
「そなたは、運がなかった。六郎、だったか?夫の名は。あれが今通っている女は、六郎の上役の姪御でなぁ。その上役というのが平経盛様の屋敷に仕える女房を後妻に貰ろうたとかで、色々と恩恵を受けておってな?六郎も、欲が出たのだろう。姪御と懇ろになった、これがまた醜女でな、そのうえ大層嫉妬深い」
男は、芳乃を腕に抱き、寝物語のように語る。それをぼんやりと聞く芳乃は、もはやどうでも良いといった心境だった。
「姪御は、六郎にそなたと別れるように散々言った……が、六郎はそなたと別れる決心がつかなかった。それに嫉妬深い姪御は腹をたてた、子が邪魔じゃと……」
男の言葉が進むにつれ芳乃の頬に赤みが差す――。眼には、みるみるうちに生気が宿った。
「……子、じゃと?」
「ああ。六郎は、そなたと別れ難かったのだと思うがな」
男は気休めか、本音か分からぬ言葉を囁くのだが、芳乃にとってはどうでも良い。
―― その様なことで?
怒りで震える唇を噛みしめ、男の胸に顔を寄せる。怒りが露になった面に気付かれては、また縛り上げられるやもしれぬ――と。男はそれを何と思ったのか、芳乃の髪に頬を擦り寄せ囁いた。
「そこで姪御は命じた、そなたと赤子を殺せと」
「……私は生きております」
「ああ、下見の段階でそなたの美しさに皆が夢を見たのじゃ。殺したことにし、連れ去ろうと。しかしな、いつまでもこうしている訳にもいかぬのじゃ、ここにそなたを囲っていても埒があかぬ。皆が話し合い、そなたを売り飛ばし金に変え、山分けしようと」
思わぬ告白、いや考えられぬことではなかった。直ぐ様、男の隙を見て逃げることを決意した――が、ここで男はある提案をする。
「芳乃、わしはそなたを連れて逃げたいと思う」
「え?」
「分けた金より、そなたが良いと思うのだ」
芳乃は、静かに見上げた。
眼前の男の眼差しは、昔、太郎地蔵の前で芳乃が見上げた、六郎の眼差しと良く似ていた。
―― 人を恋う眼差しじゃ。
芳乃は大きく頷くと、しかと男の背に腕を回す。引き上がる唇は、誰も目にしない。裂けるほどの唇を見るものがいるとしたら、男の肩越しに芳乃を眺める平家星。
この日、男と芳乃は闇に紛れ、小屋を飛び出した。
「何と……!」
声を上げたのは菅公だったが、面一杯に驚きを表したのは、皆同じだった。ただし、太郎を除く。
「どういうことじゃ?人拐いとは……」
朧が問うと、意外な声が返事を返した。
「夫の通う女の仕業じゃ……」
「芳乃」
ヨロヨロと起き上がり、返答を返したのは今まで寝ていた芳乃だった。
「戻ってきたということは、思い出したということか?」
身体から魂が抜け、在りし日を眺めに行ったのは、未練を断つ為だ。その魂が身体に入ったということは、忘れていたことを思い出したということだ。響は知っていたが一応、尋ねた。
芳乃は、頷くと双眸から涙を溢す。語る声音は掠れるが懸命に絞り出した。
「私は、連れ拐われた。何処に連れ出されたのかは、その時は分からなかった……」
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転がされたのは、小さな小屋のようだった。もしかしたら何処ぞの家の馬屋だったのかもしれないが、どんなに叫んでも人が駆けつけて来なかったのは、家の者に言い含めているのか?はたまた、山奥の廃屋なのか?
今さら、場所を特定しても詮なきことと芳乃は泣いた。
拘束するものは解かれた、しかし必ず見張りが小屋に滞在する、逃げることなど出来なかった。
今宵も、誰だか分からない男が芳乃を抱きすくめる。何も分からないまま、どんなに流しても枯れ果てぬ涙に嗚咽を漏らし、格子戸から覗く、緋色の平家星を板間に這いつくばり見上げる、そんな日々が何日続いただろうか?
この日、やって来た男は饒舌だった。問うことも止めた芳乃に漏らしたのだ。おそらく恭順な様子が反抗する気力もないと思ったのだろう。
「そなたは、運がなかった。六郎、だったか?夫の名は。あれが今通っている女は、六郎の上役の姪御でなぁ。その上役というのが平経盛様の屋敷に仕える女房を後妻に貰ろうたとかで、色々と恩恵を受けておってな?六郎も、欲が出たのだろう。姪御と懇ろになった、これがまた醜女でな、そのうえ大層嫉妬深い」
男は、芳乃を腕に抱き、寝物語のように語る。それをぼんやりと聞く芳乃は、もはやどうでも良いといった心境だった。
「姪御は、六郎にそなたと別れるように散々言った……が、六郎はそなたと別れる決心がつかなかった。それに嫉妬深い姪御は腹をたてた、子が邪魔じゃと……」
男の言葉が進むにつれ芳乃の頬に赤みが差す――。眼には、みるみるうちに生気が宿った。
「……子、じゃと?」
「ああ。六郎は、そなたと別れ難かったのだと思うがな」
男は気休めか、本音か分からぬ言葉を囁くのだが、芳乃にとってはどうでも良い。
―― その様なことで?
怒りで震える唇を噛みしめ、男の胸に顔を寄せる。怒りが露になった面に気付かれては、また縛り上げられるやもしれぬ――と。男はそれを何と思ったのか、芳乃の髪に頬を擦り寄せ囁いた。
「そこで姪御は命じた、そなたと赤子を殺せと」
「……私は生きております」
「ああ、下見の段階でそなたの美しさに皆が夢を見たのじゃ。殺したことにし、連れ去ろうと。しかしな、いつまでもこうしている訳にもいかぬのじゃ、ここにそなたを囲っていても埒があかぬ。皆が話し合い、そなたを売り飛ばし金に変え、山分けしようと」
思わぬ告白、いや考えられぬことではなかった。直ぐ様、男の隙を見て逃げることを決意した――が、ここで男はある提案をする。
「芳乃、わしはそなたを連れて逃げたいと思う」
「え?」
「分けた金より、そなたが良いと思うのだ」
芳乃は、静かに見上げた。
眼前の男の眼差しは、昔、太郎地蔵の前で芳乃が見上げた、六郎の眼差しと良く似ていた。
―― 人を恋う眼差しじゃ。
芳乃は大きく頷くと、しかと男の背に腕を回す。引き上がる唇は、誰も目にしない。裂けるほどの唇を見るものがいるとしたら、男の肩越しに芳乃を眺める平家星。
この日、男と芳乃は闇に紛れ、小屋を飛び出した。
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