常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥竜宮

地蔵菩薩

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 ◆◆◆◆◆

 芳乃よしのは、ぼんやりと眺めていた。今より少し若い自身の姿を。
 太郎に教えられ山の畦道を歩き、たどり着いた所は朱の御殿。この世ならざる常世とこよに行き着き、教えられたのは自分が既に死者であるということ。
 にわかには信じられなかったが、現状信じぬ訳にはいかぬ状況であった。何故なら、今の芳乃よしのは魂だけの存在のようで、若い自身はおろか、通りすぎる者達に話しかけても皆には芳乃よしのが見えていないようで答えもしなければ、視線が合うこともなかった。
 ここで何をすれば良いのか?途方にくれた、思い出すことが目的なのだろうから、見ていれば良いのだろうとも思うが――

【暇じゃ……】

 芳乃よしのは、畦道にむしろを敷き、花や山菜を並べる自分を見つめた。
 肩程の下げ髪に、小袖は洲浜文様すはまもんよう湯巻ゆまきを腰に巻いている。周りを歩く他の女達と変わらぬ姿だ。

【湯巻の下に、卯の花色の帯紐でも巻いているのか?】

 芳乃よしのは、思い出せる――と太郎が言った卯の花色の帯をそっと撫でると、むしろに座った若き芳乃よしのの横に腰を下ろした。


 ◆◆◆◆◆

【何日経ったのだろう?】

 この日も芳乃よしのは、若き自身の横に座る。やることといえば繰り返しなのだ、少しの花と隣に住む者から山菜を預かり、同じ畦道に座り込む。
 以前は、母と一緒だったが一人で出来る年頃になってからは、芳乃よしのが売りに出て母は、小さな畑をやる。
 早く売れれば、家に帰り畑を手伝うのだが大抵は売れ残るので、家に帰り着くのは陽が傾き掛ける頃だった。
 物の売り買いは、銅銭であったり米や布で交換する、芳乃よしのは帰りに隣の家に寄り売上を渡すと、一日の賃金として米や野菜を受け取るのだ。
 暮らしは貧しかった、雨風をしのげる家はあるが薄い夜着よぎは真冬ともなると役に立たない、母は病になった。長年の苦労が祟ったのだろう、苦しげに咳き込む日が二、三日続くと、起き上がるのも困難な状態に陥った。
 病になっても薬など手が出ない、芳乃よしのは、今まで以上に働いた。母が畑に出ない分、朝は暗いうちから精を出し、行商から帰れば又、畑へ行くこともあった。
 畦道では、暇さえあれば脇に鎮座する地蔵へ手を合わせることも忘れない。

「どうか、母が良くなりますように。早く春が来ますように……」

 この寒さが和らげば、病に臥せる母は良くなるだろう――そう願い、日に何度も拝むのだ。
 何度目だっただろうか、この日も地蔵に手を合わせる芳乃よしのの頭上から、男の声が掛かった。

「見るたびに拝んでおるのだなぁ、この地蔵はご利益があるのか?」

 驚く芳乃よしのの返事を待たず、声の主は横にしゃがみ、同じように手を合わせ継いだ。

「毎日、花を供え手を合わせるとは信心深いものじゃ」
「……」
「何を拝んでおったのだ?」
「太郎どんを……いえ、太郎地蔵さまを」

 男は、声高こわだかに笑う。

「そうではない!何を願っていたのだ?」

 問いながら、懐から包みを取り出すと地蔵の前に供えた。開かれた包みには一口で含める大きさの唐菓子とうがしが乗せられていた。

唐菓子とうがしとは……この男、裕福なのであろうか?】

 背後から二人を眺める芳乃よしのは、供えられた唐菓子とうがしと地蔵を見比べ、ああ――と小さく呟いた。
 常世とこよの御殿で、菅公かんこうが勧めてくれた物は、これであったと。
 刻が経っておる――と言ったのは、供えられた物と同一の物だったからだろう。
 そして――、は、太郎地蔵菩薩だったと思い至った。ただし、芳乃よしの常世とこよいざなった太郎のような傷は何処にも見当たらなかった。ただ同一の静かな双眸そうぼうは、魂である芳乃よしのをじっと見据えていた。
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