常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥竜宮

風貌

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 菅公かんこうの問いかけに、芳乃よしのは迷いなく答えた。その通りじゃ――と。すると菅公かんこうは、右手をひらひらと振ってみせ、それが違うのだ――と言う。何が違うのだ?芳乃よしのは眉根を寄せた。

「ここは訪れ人……つまり今宵は、芳乃よしの――その方じゃが、芳乃よしのが思い描く物が現れるのだ」
「つまり私が朱色の御殿を思ったから、御殿が現れたのか?それならば私が、村長むらおさの屋敷を思ったら村長の屋敷にそなたらがいるのか?」

「そうじゃ、正確に言えば村長の屋敷と同じ物がここに現れるということだが」
「はは!そなたらには似合わぬの!」
「似合わぬと言われても、以前は可笑しな修験者が訪れ、山の洞窟で膝を付き合わせたこともあったし、先日などは雨漏りのする小屋であった」
「そのような物を思い描くとは、妙な奴もいる者よな?」
「訪れ人が願う物だ、思い入れがあったのであろう……ということで、芳乃よしの、そなたは朱色の御殿を何故夢見たのであろうか?」

 菅公かんこうが問うた。

「知らぬ、私はただの村人であり御殿など目にしたこともない。話で聞くだけじゃ、思い描く程の思い入れもない。逆に聞くが私は何故、常世へ迷い込んだのであろうか?」
「それは、そなたに未練があるからだ」

 こう答えたのは、おぼろだった。芳乃よしのの返事を聞くまでもなく、継ぐ。

「何か思い出さねばならぬことがある、しかし思い出せぬ以前に、そなたは思い出すことを忘れておる」
「どういう意味じゃ?」
「そなたは、思い出すことなどないと思っているのではないか?」
「確かに、特にない」
「それが間違いであると、太郎はそなたを此処へ寄越した、ところで太郎とは何者だ?そなたの何だ?」
「そう言われてみれば……太郎どんは何者であろうか?おぼろ殿は、太郎どんをご存知か?」
「ああ、お節介な男であろう。それにしても芳乃よしの、そなたの頭は記憶を呼び起こすまいと強いもやがかかっているみたいだ。道理でに来るまでに刻がかかった筈だ。まずはひとつ、ひとつ思い出して参ろうか、そなた太郎について語ってみよ」

 今、太郎が何者であろうか?と、口にしたばかりなのに、太郎について語れとは可笑しなことと、戸惑いの眼差しを向けた。
 案の定、蝋燭の火先ほさきを思い起こさせるまなことぶつかるのだが、その刹那、閃光が走った!
 赤か?
 いや、黄色のようにも見えた。
 おぼろの全身から放たれた様にも見えた光は、光というより火の玉だ。二尺約60センチ程の核部分から、四方しほうに散らばるように弾けた――!

 ―― ……ッ!!

 芳乃よしのは、咄嗟に顔を両手で覆い、横倒しに身を伏せた。襲いかかるような熱を身に浴び、ぐっ――と喉を鳴らす。
 妖かしの術でも放ったのだろう。それならば、うかうかと顔を上げ、火の玉に襲われでもしては堪ったものではないと、微動だにせず様子を窺うが、この場にいる筈の他の三人の動く気配がしないのは何としたことか?芳乃よしのは、伏せたおもてを、ちらりと上げ、一番近い菅公かんこうを盗み見る――、
 その時、視界にチラリと入った菅公かんこうが、ぐるりと反転した!それは瞬きをする間のほんの僅かな瞬間だ。
 当然、驚きの声を上げかけるのだが喉から音が発せられる前に耳朶じだは、けたたまし響きを捉えた。それは板間に打ち付けられる、次いで腕への衝撃、
 ―― ……ッ!
 反転したのは菅公かんこうではなく、芳乃よしののだった。
 勢いよく後方に引っ張り上げられたかと思うと、仰向けに引き倒されたのだ。
 何が起こったのかわらない――だが、おそらく光に伏せた芳乃よしのは、首根っこを引っ張り上げられ、引き倒された。
 誰に――?おそらく……
 芳乃よしのは苛立ちを露に、上から見下ろす男を睨み付けた。

きょう殿、何の真似じゃ?」
おぼろ殿から、荒療治をされたろう?」
「荒療治?先程の光のことか?」
「ああ、あれは人によっては二、三日気を失うからな」
「何故、荒療治をされたのだ?」
芳乃よしのの記憶を呼び覚ます為の……おぼろ殿は、せっかちだから、もたもたと思い出すのを待つのは好きではないのだ」
「……それで、私は何故引き倒され、背中を強打させられたのだ?」
「二、三日気を失われては、時間の無駄ではないか」

 事も無げにきょうは語る。
 美しく微笑むかんばせは、観音菩薩のようであるのに、片手で引き上げた力と手荒さは鬼のようだ。そして、やはり二人はせっかちだと思う。
 芳乃よしのは引き倒されたまま、瞼を閉じ耳を澄ます。池の水が寝殿しんでんに寄せているのだろう。水と水がぶつかる音が、衣を洗うようで心地よい。

「ああ、太郎どんは……」

 おぼろから放たれた光のせいか?先程までは、もやの向こうにある風景のようだった記憶が、少しずつ見えるような気がした。
『太郎から勧められ、畦道を歩き、やって来た』
 確かに太郎の姿を見たのだが、その姿形でさえ思い出せなかったのが、今、瞼の中に太郎の姿が鮮明に浮かんだ。

「太郎どんは、あの時初めて会った……そうじゃ!! 畦道に立っていた所に太郎どんが現れたのじゃ!! 」

 糸口を掴んだ!と、飛び起き嬉々として放つ声音に、静かな声音が重なった。

「初めてあった太郎は、何故、そなたの悩みを知っていたのだ?」

 ――と。
 当然の問いに芳乃よしのは、ぐっと喉を鳴らしモゴモゴと言い淀む……そして答えた。

「確かに……」
「分からぬくせに大層な……」

 ―― 喜びようだ、と言いたいのだろう。
 耳に小指を差し込み、ほじると息を吹き掛ける「ふっ」と、薄く品の良い唇を尖らせ、小馬鹿にしたような態度を見せるのは、観音菩薩のように麗しいきょうだ。
 人は見た目によらぬ――、芳乃よしのは眉根を寄せ、不機嫌さをわざと態度に出すが、そこではた、と気付いた。太郎の風貌についてだ。

「そういえば、太郎どんは顔に大きな傷があった」
「傷?どんな?」
「こう、つむじから右眉に向かって」

 芳乃よしのは人差し指で、自身のつむじ辺りを指し示すと、指を眉に向かって下ろしてみせた。太郎の傷は、一度見たら忘れない程、記憶に残る物だったのだ。忘れていたのだが……。
 きょうは、芳乃よしのの動作を真似てみせる。自身の指で、つむじから眉に線を引くと何を満足したのか、うん、うん――と、二度程頷くと踵を返し、元の位置に座した。

「……それ以外は?」
 おぼろが問う。

「特には……」
「そうか、あの光でまだ晴れぬか……。強力なもやだ、きょう殿これは今一度……」

「止めておけ。おぼろ殿は、浴びたことがないから知らぬだろうが、そなたの光は眩し過ぎる、見ているだけで目眩がする。のう、菅公かんこう
「眩しいだけではない、やられた方は熱くて敵わぬのじゃ。芳乃よしのは運が良い、もやが熱を防いだとみゆる……」

 菅公かんこうは、あの双眸そうぼうから放たれる光を喰らったことがあるのか、小刻みに首を左右に振る。
 芳乃よしのが光を浴びた時、皆が一言も発しなかったのは、きょう菅公かんこうも目眩を起こしていたのだ、芳乃よしのは当然、顔色を失った。
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