5 / 73
幽冥竜宮
問う
しおりを挟む
芳乃は、意を決した。
何故ならば、ここを脱出する機会など訪れはしないのだ。
人ではない者達に囲まれ、例え、この場から逃げおおせたとしても漆喰の楼門を抜け出ることは出来ない。
池に掛かる朱色の橋が、消え去っていることも理由だが、池は川と呼べる程に広がり対岸まで泳ぐことは困難である。
そして芳乃は思う。
おそらく、池はさらに広がっているだろうと。
何故ならば、白砂の庭が今では、ゆらゆらと月明かりに揺れる水面と化し、黒いうねりを伴い波打っているのだ。外から見れば、海に浮かぶ様に見えるだろう。
「ここは、竜宮のようじゃと思ったが……何故、私を呼び寄せたのじゃ?」
芳乃は、問うた。
それに答えたのは、優しい顔立ちの響だった。
「呼び寄せてはいない、そちらから参ったのだ」
「まさか、私は太郎どんに教えられ歩いていただけだ」
「ほら、歩いて参ったではないか」
「そう言われれば、そうだが……私は太郎どんに言われて……」
「太郎は、何と教えたのだ?」
「それは……えぇっと、何やら思い出せると……私が悩んでいると……」
「何を思い出すと?芳乃は、何を悩んでいるのだ?」
気品ある見た目と違い、畳み掛け、問い詰めてくる様子は町方の井戸端で話し込む上さん連中のようだと、内心、舌を巻く。
ただ芳乃も、尋ねられたとあれば答えぬ訳にもいかぬと、考え込む。そうすると何故だか、ぼんやりと靄が掛かったように、思考が朧気になるのだ。口にする言葉は、しどろもどろになってしまう。
―― あぁ、何であったろうか?
畳み掛けられると、焦るのは当然である。そして自分のことを思い出せないのが、駄目な人間だと追い討ちをかけ、さらに焦る――。
芳乃は、気まずく視線を泳がせる、すると揺らめく火先のような朧の双眸とぶつかった。先程のようなチリチリとした熱は感じず、ホッとする芳乃に白い指先が向けられ、はきとした声が掛けられた。
「そなた、なかなか品の良い帯を身につけておるの?」
「帯……あ!!」
朧の赤い眼は、珍しい物でも見るように、丸々と見開かれ芳乃の腹を眺めている。
帯――、この一言で芳乃は、声を上げた。
「そういえば、太郎は帯を思い出せると申した」
これに、すかさず反応を示したのは響だ。
「帯?その卯の花色の?それがどうしたのだ?」
又もや、問いただすように継ぐ。
「い、いや……だから、それが思い出せぬと」
「何故?何故、思い出せぬのじゃ?」
言いよどむ芳乃が、面白いのか菅公は檜扇を口許に寄せると、これ、これ――と遮る。
その視線は響に向けられ、楽しげに細まっているのだが、それに合わせるように朧までもが強い眼差しを細めた。目尻に引かれた紅が美しい。
そんな二人が芳乃を振り返り、同時に口を開いた。
「「な?せっかち、であろう?」」
芳乃は、盛大に吹き出した。
この台詞は、先程の響と菅公が、朧に対して放った心の声だったからだ。そして芳乃も口にした、先程の心の声を――
「なるほど、せっかちだ」
――と。
板敷きの床には、繧繝縁の置畳が円を囲むように並べられ、四人は向かい合う。
先程まで、無性に焦りを感じていたのだが少しは気が紛れたと同時に、得たいの知れない幽鬼に少しの親近感を持つ。
そして、どうせ逃げることなど出来ないのである。諦めの境地ということから思うことを述べた。
「分からないことだらけである、私はただの村人であり太郎と申す者に、悩みがあれば山の御殿へ参れば晴れると言われた。言われた通りに畦道を進み、疲れ果て、石に腰を掛けていた所が、一瞬で畦道は大路に代わり木々に覆われていた場所は開け、朱色の御殿が現れた。さあ、ここまで……どうなっておるのじゃ?」
全てを語っても又、響が畳み掛けてきては堪らぬ、と話を区切った。それに答えたのは菅公だ。
檜扇を懐へ差し込むと、信じられぬと思うやも知れぬが――と、一言断り、口を開く。
「太郎の申したことは間違いない。ここは迷っている者が辿り着く、常世である……が少々違うとすれば、これは在るべき姿ではない、朱色の御殿が突然現れた……そうであろう?」
信じられぬと思うやも知れぬが――と断りはしたが、菅公の口振りは信じぬとしても、事実は変わらぬといった調子であり、淀みなく言葉を紡ぐ。
鷹揚な態度や、その口調から菅公は常世の主ではないか?と芳乃は思う。
何故ならば、ここを脱出する機会など訪れはしないのだ。
人ではない者達に囲まれ、例え、この場から逃げおおせたとしても漆喰の楼門を抜け出ることは出来ない。
池に掛かる朱色の橋が、消え去っていることも理由だが、池は川と呼べる程に広がり対岸まで泳ぐことは困難である。
そして芳乃は思う。
おそらく、池はさらに広がっているだろうと。
何故ならば、白砂の庭が今では、ゆらゆらと月明かりに揺れる水面と化し、黒いうねりを伴い波打っているのだ。外から見れば、海に浮かぶ様に見えるだろう。
「ここは、竜宮のようじゃと思ったが……何故、私を呼び寄せたのじゃ?」
芳乃は、問うた。
それに答えたのは、優しい顔立ちの響だった。
「呼び寄せてはいない、そちらから参ったのだ」
「まさか、私は太郎どんに教えられ歩いていただけだ」
「ほら、歩いて参ったではないか」
「そう言われれば、そうだが……私は太郎どんに言われて……」
「太郎は、何と教えたのだ?」
「それは……えぇっと、何やら思い出せると……私が悩んでいると……」
「何を思い出すと?芳乃は、何を悩んでいるのだ?」
気品ある見た目と違い、畳み掛け、問い詰めてくる様子は町方の井戸端で話し込む上さん連中のようだと、内心、舌を巻く。
ただ芳乃も、尋ねられたとあれば答えぬ訳にもいかぬと、考え込む。そうすると何故だか、ぼんやりと靄が掛かったように、思考が朧気になるのだ。口にする言葉は、しどろもどろになってしまう。
―― あぁ、何であったろうか?
畳み掛けられると、焦るのは当然である。そして自分のことを思い出せないのが、駄目な人間だと追い討ちをかけ、さらに焦る――。
芳乃は、気まずく視線を泳がせる、すると揺らめく火先のような朧の双眸とぶつかった。先程のようなチリチリとした熱は感じず、ホッとする芳乃に白い指先が向けられ、はきとした声が掛けられた。
「そなた、なかなか品の良い帯を身につけておるの?」
「帯……あ!!」
朧の赤い眼は、珍しい物でも見るように、丸々と見開かれ芳乃の腹を眺めている。
帯――、この一言で芳乃は、声を上げた。
「そういえば、太郎は帯を思い出せると申した」
これに、すかさず反応を示したのは響だ。
「帯?その卯の花色の?それがどうしたのだ?」
又もや、問いただすように継ぐ。
「い、いや……だから、それが思い出せぬと」
「何故?何故、思い出せぬのじゃ?」
言いよどむ芳乃が、面白いのか菅公は檜扇を口許に寄せると、これ、これ――と遮る。
その視線は響に向けられ、楽しげに細まっているのだが、それに合わせるように朧までもが強い眼差しを細めた。目尻に引かれた紅が美しい。
そんな二人が芳乃を振り返り、同時に口を開いた。
「「な?せっかち、であろう?」」
芳乃は、盛大に吹き出した。
この台詞は、先程の響と菅公が、朧に対して放った心の声だったからだ。そして芳乃も口にした、先程の心の声を――
「なるほど、せっかちだ」
――と。
板敷きの床には、繧繝縁の置畳が円を囲むように並べられ、四人は向かい合う。
先程まで、無性に焦りを感じていたのだが少しは気が紛れたと同時に、得たいの知れない幽鬼に少しの親近感を持つ。
そして、どうせ逃げることなど出来ないのである。諦めの境地ということから思うことを述べた。
「分からないことだらけである、私はただの村人であり太郎と申す者に、悩みがあれば山の御殿へ参れば晴れると言われた。言われた通りに畦道を進み、疲れ果て、石に腰を掛けていた所が、一瞬で畦道は大路に代わり木々に覆われていた場所は開け、朱色の御殿が現れた。さあ、ここまで……どうなっておるのじゃ?」
全てを語っても又、響が畳み掛けてきては堪らぬ、と話を区切った。それに答えたのは菅公だ。
檜扇を懐へ差し込むと、信じられぬと思うやも知れぬが――と、一言断り、口を開く。
「太郎の申したことは間違いない。ここは迷っている者が辿り着く、常世である……が少々違うとすれば、これは在るべき姿ではない、朱色の御殿が突然現れた……そうであろう?」
信じられぬと思うやも知れぬが――と断りはしたが、菅公の口振りは信じぬとしても、事実は変わらぬといった調子であり、淀みなく言葉を紡ぐ。
鷹揚な態度や、その口調から菅公は常世の主ではないか?と芳乃は思う。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
あやかし学園
盛平
キャラ文芸
十三歳になった亜子は親元を離れ、学園に通う事になった。その学園はあやかしと人間の子供が通うあやかし学園だった。亜子は天狗の父親と人間の母親との間に生まれた半妖だ。亜子の通うあやかし学園は、亜子と同じ半妖の子供たちがいた。猫またの半妖の美少女に人魚の半妖の美少女、狼になる獣人と、個性的なクラスメートばかり。学園に襲い来る陰陽師と戦ったりと、毎日忙しい。亜子は無事学園生活を送る事ができるだろうか。
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる