常世の狭間

涼寺みすゞ

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幽冥竜宮

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 芳乃よしのは、意を決した。
 何故ならば、ここを脱出する機会など訪れはしないのだ。
 人ではない者達に囲まれ、例え、この場から逃げおおせたとしても漆喰しっくい楼門ろうもんを抜け出ることは出来ない。
 池に掛かる朱色の橋が、消え去っていることも理由だが、池は川と呼べる程に広がり対岸まで泳ぐことは困難である。
 そして芳乃よしのは思う。
 おそらく、池はさらに広がっているだろうと。
 何故ならば、白砂しらすなの庭が今では、ゆらゆらと月明かりに揺れる水面みなもと化し、黒いうねりを伴い波打っているのだ。外から見れば、海に浮かぶ様に見えるだろう。

「ここは、竜宮のようじゃと思ったが……何故、私を呼び寄せたのじゃ?」

 芳乃よしのは、問うた。
 それに答えたのは、優しい顔立ちのきょうだった。

「呼び寄せてはいない、そちらから参ったのだ」
「まさか、私は太郎どんに教えられ歩いていただけだ」
「ほら、歩いて参ったではないか」
「そう言われれば、そうだが……私は太郎どんに言われて……」
「太郎は、何と教えたのだ?」
「それは……えぇっと、何やら思い出せると……私が悩んでいると……」
「何を思い出すと?芳乃よしのは、何を悩んでいるのだ?」

 気品ある見た目と違い、畳み掛け、問い詰めてくる様子は町方の井戸端で話し込むかみさん連中のようだと、内心、舌を巻く。
 ただ芳乃よしのも、尋ねられたとあれば答えぬ訳にもいかぬと、考え込む。そうすると何故だか、ぼんやりともやが掛かったように、思考が朧気おぼろげになるのだ。口にする言葉は、しどろもどろになってしまう。

 ―― あぁ、何であったろうか?

 畳み掛けられると、焦るのは当然である。そして自分のことを思い出せないのが、駄目な人間だと追い討ちをかけ、さらに焦る――。
 芳乃よしのは、気まずく視線を泳がせる、すると揺らめく火先のようなおぼろ双眸そうぼうとぶつかった。先程のようなチリチリとした熱は感じず、ホッとする芳乃よしのに白い指先が向けられ、はきとした声が掛けられた。

「そなた、なかなか品の良い帯を身につけておるの?」
「帯……あ!!」

 おぼろの赤いまなこは、珍しい物でも見るように、丸々と見開かれ芳乃よしのの腹を眺めている。
 帯――、この一言で芳乃よしのは、声を上げた。
 
「そういえば、太郎は帯を思い出せると申した」
 
 これに、すかさず反応を示したのはきょうだ。

「帯?その卯の花色の?それがどうしたのだ?」

 又もや、問いただすように継ぐ。

「い、いや……だから、それが思い出せぬと」
「何故?何故、思い出せぬのじゃ?」

 言いよどむ芳乃よしのが、面白いのか菅公かんこう檜扇ひおうぎを口許に寄せると、これ、これ――と遮る。
 その視線はきょうに向けられ、楽しげに細まっているのだが、それに合わせるようにおぼろまでもが強い眼差しを細めた。目尻に引かれた紅が美しい。
 そんな二人が芳乃よしのを振り返り、同時に口を開いた。

「「な?せっかち、であろう?」」

 芳乃よしのは、盛大に吹き出した。
 この台詞は、先程のきょう菅公かんこうが、おぼろに対して放った心の声だったからだ。そして芳乃よしのも口にした、先程の心の声を――

「なるほど、せっかちだ」

 ――と。
 板敷きの床には、繧繝縁うんげんべりの置畳が円を囲むように並べられ、四人は向かい合う。
 先程まで、無性に焦りを感じていたのだが少しは気が紛れたと同時に、得たいの知れない幽鬼に少しの親近感を持つ。
 そして、どうせ逃げることなど出来ないのである。諦めの境地ということから思うことを述べた。

「分からないことだらけである、私はただの村人であり太郎と申す者に、悩みがあれば山の御殿へ参れば晴れると言われた。言われた通りに畦道を進み、疲れ果て、石に腰を掛けていた所が、一瞬で畦道は大路に代わり木々に覆われていた場所は開け、朱色の御殿が現れた。さあ、ここまで……どうなっておるのじゃ?」

 全てを語っても又、きょうが畳み掛けてきては堪らぬ、と話を区切った。それに答えたのは菅公かんこうだ。
 檜扇ひおうぎを懐へ差し込むと、信じられぬと思うやも知れぬが――と、一言断り、口を開く。

「太郎の申したことは間違いない。ここは迷っている者が辿り着く、常世とこよである……が少々違うとすれば、これは在るべき姿ではない、朱色の御殿が突然現れた……そうであろう?」

 信じられぬと思うやも知れぬが――と断りはしたが、菅公かんこうの口振りは信じぬとしても、事実は変わらぬといった調子であり、淀みなく言葉を紡ぐ。
 鷹揚おうような態度や、その口調から菅公かんこう常世とこよの主ではないか?と芳乃よしのは思う。
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