常世の狭間

涼寺みすゞ

文字の大きさ
上 下
3 / 114
幽冥竜宮

常世

しおりを挟む
 名でも何でも良い。何か知りたいと思い、芳乃は口を開いた。

「私は芳乃よしのと申します。あの……貴方様方は?」

 だが、その問いが意に添わぬものだったのか?束帯そくたいの男は、檜扇ひおうぎを口許に当てると眉を寄せ「軽々と名を名乗るなど――」と言った。
 不味いことを言ったのか――、
 芳乃よしのは身構えたが、その心配を濃き袴の男が笑い飛ばした。何が面白いのか、月を呑み込むように大きく口をあけ、天を仰ぎ大笑たいしょうする。
 それが気に入らなかったのだろう、束帯そくたいの男は口許に寄せた扇で直ぐ様、金糸羽織きんしばおりの肩を打ち据えた。
 ピシャリ!と空気が響くと、打たれた男は肩をすくめ口をつぐむ――が、ゆっくりと芳乃よしのに視線を向けた。月明かりと炎に揺らめく姿は、痩躯そうくが際立ち、芳乃よしのを見据えるまなこは空洞のようだ。
 これは、死人しびとのようじゃ――
 そう思い、ハッと我に返った。まさしく、それではないか?と。何となく思い付いたことが状況と合致することに総毛立った。
 ただの畦道を歩き、座って地面を眺めていた一瞬で広々とした大路、朱色の御殿、しかも月夜に変化していたのだ。
 芳乃よしのは確信した、ここはうつではない、常世とこよであると――。

芳乃よしの殿、この者は古風な考えでな、呪詛じゅそなどを気にしておる。よって名を軽々しく名乗ることも嫌うのじゃ」

 金糸羽織の男が丁寧な説明をするが、それどころではない。しかし、そんな芳乃よしのの考えなど知らぬ様子で男は続ける。

「で、あるから、こやつのことは菅公かんこう
「かんこう?」
「そうじゃ、そして私のことは関白かんぱくと」
「か、かんぱく!?」

 関白かんぱくとは、天皇を補佐して政務を司る者であり、公家の最高位だ。
 幽鬼ゆうきの癖に、大層な仮の名だ――と、呆れはしたが菅公かんこう関白かんぱくは何とも思っていないのだろう。

「いざ、いざ、芳乃よしの殿、常世とこよの御殿へ」

 弾む声音に似つかわしく、童が戯れるように三歩程、跳びはね進む関白であったが、という言葉に、芳乃よしのの足は関白とは逆に三歩後ずさった――途端、下げた右足が滑り落ちる。グラリと体勢が傾き、大きく仰け反る背に、これは尻餅をつく――と覚悟をしたのだが、束帯そくたいの袖から伸ばされた手が、しかと芳乃を引っ張りあげた。

菅公かんこう……」
「危ないと初めに申したであろうが、危うく池に落ちる所であったぞ」

 池――?そんなわけはない。朱色の橋を渡ったのだ、後ろに真っ直ぐ後ずされば橋に倒れるだけである。芳乃よしの菅公かんこうが向ける視線に己の視線を這わせた。
 漆喰の楼門ろうもんと、芳乃よしのわかつ池は、もはや池というより川のように対岸が離れ、あったはずの朱の橋は消え去っていた。
 
 「菅公かんこう、三途の川のようじゃな?」

 芳乃よしのは、覚悟を決め問うた。明らかにうつし世ではないと思う。
 菅公かんこうまなこを細め、川のような池を一瞥すると首を振る

「三途の川を渡れたら、良いのになぁ?」

 少し寂しげにも聞こえた、菅公かんこうの言葉に芳乃よしのはそれ以上、継ぐことはなかった。ここが常世とこよであろうが、おそらく逃げることなど出来ないだろう。
 暗い水面みなもに飛び込むことは、無謀である上に、菅公かんこう関白かんぱくの周りを照らす炎には苦しげに歪む人の顔が浮かび上がる、人ではない者と対峙しても勝負は見えていた。

「それは人魂なのだな……」

 芳乃は、静かに松明代わりの炎を眺め尋ねたのだが、菅公かんこうの笑みを浮かべる唇から返ってきた言葉は、静かに響く次の幽鬼の名だった。

おぼろ殿ときょう殿に会わせよう」

 ケラケラと楽しげに笑う関白かんぱくは、付け加えた。
「これも、まことの名ではないがな?」と。
 菅公かんこうと関白は、朱色の御殿を背に機嫌良く笑う。
 皓皓こうこうと照らす月と、鈍く輝く平家星へいけぼし芳乃よしのは諦め二人の後に続いた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

帰って来た勇者、現代の世界を引っ掻きまわす

黄昏人
ファンタジー
ハヤトは15歳、中学3年生の時に異世界に召喚され、7年の苦労の後、22歳にて魔族と魔王を滅ぼして日本に帰還した。帰還の際には、莫大な財宝を持たされ、さらに身につけた魔法を始めとする能力も保持できたが、マナの濃度の低い地球における能力は限定的なものであった。しかし、それでも圧倒的な体力と戦闘能力、限定的とは言え魔法能力は現代日本を、いや世界を大きく動かすのであった。 4年前に書いたものをリライトして載せてみます。

娘を返せ〜誘拐された娘を取り返すため、父は異世界に渡る

ほりとくち
ファンタジー
突然現れた魔法陣が、あの日娘を連れ去った。 異世界に誘拐されてしまったらしい娘を取り戻すため、父は自ら異世界へ渡ることを決意する。 一体誰が、何の目的で娘を連れ去ったのか。 娘とともに再び日本へ戻ることはできるのか。 そもそも父は、異世界へ足を運ぶことができるのか。 異世界召喚の秘密を知る謎多き少年。 娘を失ったショックで、精神が幼児化してしまった妻。 そして父にまったく懐かず、娘と母にだけ甘えるペットの黒猫。 3人と1匹の冒険が、今始まる。 ※小説家になろうでも投稿しています ※フォロー・感想・いいね等頂けると歓喜します!  よろしくお願いします!

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

処理中です...