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幽冥竜宮
常世
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名でも何でも良い。何か知りたいと思い、芳乃は口を開いた。
「私は芳乃と申します。あの……貴方様方は?」
だが、その問いが意に添わぬものだったのか?束帯の男は、檜扇を口許に当てると眉を寄せ「軽々と名を名乗るなど――」と言った。
不味いことを言ったのか――、
芳乃は身構えたが、その心配を濃き袴の男が笑い飛ばした。何が面白いのか、月を呑み込むように大きく口をあけ、天を仰ぎ大笑する。
それが気に入らなかったのだろう、束帯の男は口許に寄せた扇で直ぐ様、金糸羽織の肩を打ち据えた。
ピシャリ!と空気が響くと、打たれた男は肩をすくめ口をつぐむ――が、ゆっくりと芳乃に視線を向けた。月明かりと炎に揺らめく姿は、痩躯が際立ち、芳乃を見据える眼は空洞のようだ。
これは、死人のようじゃ――
そう思い、ハッと我に返った。まさしく、それではないか?と。何となく思い付いたことが状況と合致することに総毛立った。
ただの畦道を歩き、座って地面を眺めていた一瞬で広々とした大路、朱色の御殿、しかも月夜に変化していたのだ。
芳乃は確信した、ここは現し世ではない、常世であると――。
「芳乃殿、この者は古風な考えでな、呪詛などを気にしておる。よって名を軽々しく名乗ることも嫌うのじゃ」
金糸羽織の男が丁寧な説明をするが、それどころではない。しかし、そんな芳乃の考えなど知らぬ様子で男は続ける。
「で、あるから、こやつのことは菅公」
「かんこう?」
「そうじゃ、そして私のことは関白と」
「か、かんぱく!?」
関白とは、天皇を補佐して政務を司る者であり、公家の最高位だ。
幽鬼の癖に、大層な仮の名だ――と、呆れはしたが菅公と関白は何とも思っていないのだろう。
「いざ、いざ、芳乃殿、常世の御殿へ」
弾む声音に似つかわしく、童が戯れるように三歩程、跳びはね進む関白であったが、常世という言葉に、芳乃の足は関白とは逆に三歩後ずさった――途端、下げた右足が滑り落ちる。グラリと体勢が傾き、大きく仰け反る背に、これは尻餅をつく――と覚悟をしたのだが、束帯の袖から伸ばされた手が、しかと芳乃を引っ張りあげた。
「菅公……」
「危ないと初めに申したであろうが、危うく池に落ちる所であったぞ」
池――?そんなわけはない。朱色の橋を渡ったのだ、後ろに真っ直ぐ後ずされば橋に倒れるだけである。芳乃は菅公が向ける視線に己の視線を這わせた。
漆喰の楼門と、芳乃を別つ池は、もはや池というより川のように対岸が離れ、あったはずの朱の橋は消え去っていた。
「菅公、三途の川のようじゃな?」
芳乃は、覚悟を決め問うた。明らかに現し世ではないと思う。
菅公は眼を細め、川のような池を一瞥すると首を振る
「三途の川を渡れたら、良いのになぁ?」
少し寂しげにも聞こえた、菅公の言葉に芳乃はそれ以上、継ぐことはなかった。ここが常世であろうが、おそらく逃げることなど出来ないだろう。
暗い水面に飛び込むことは、無謀である上に、菅公と関白の周りを照らす炎には苦しげに歪む人の顔が浮かび上がる、人ではない者と対峙しても勝負は見えていた。
「それは人魂なのだな……」
芳乃は、静かに松明代わりの炎を眺め尋ねたのだが、菅公の笑みを浮かべる唇から返ってきた言葉は、静かに響く次の幽鬼の名だった。
「朧殿と響殿に会わせよう」
ケラケラと楽しげに笑う関白は、付け加えた。
「これも、まことの名ではないがな?」と。
菅公と関白は、朱色の御殿を背に機嫌良く笑う。
皓皓と照らす月と、鈍く輝く平家星、芳乃は諦め二人の後に続いた。
「私は芳乃と申します。あの……貴方様方は?」
だが、その問いが意に添わぬものだったのか?束帯の男は、檜扇を口許に当てると眉を寄せ「軽々と名を名乗るなど――」と言った。
不味いことを言ったのか――、
芳乃は身構えたが、その心配を濃き袴の男が笑い飛ばした。何が面白いのか、月を呑み込むように大きく口をあけ、天を仰ぎ大笑する。
それが気に入らなかったのだろう、束帯の男は口許に寄せた扇で直ぐ様、金糸羽織の肩を打ち据えた。
ピシャリ!と空気が響くと、打たれた男は肩をすくめ口をつぐむ――が、ゆっくりと芳乃に視線を向けた。月明かりと炎に揺らめく姿は、痩躯が際立ち、芳乃を見据える眼は空洞のようだ。
これは、死人のようじゃ――
そう思い、ハッと我に返った。まさしく、それではないか?と。何となく思い付いたことが状況と合致することに総毛立った。
ただの畦道を歩き、座って地面を眺めていた一瞬で広々とした大路、朱色の御殿、しかも月夜に変化していたのだ。
芳乃は確信した、ここは現し世ではない、常世であると――。
「芳乃殿、この者は古風な考えでな、呪詛などを気にしておる。よって名を軽々しく名乗ることも嫌うのじゃ」
金糸羽織の男が丁寧な説明をするが、それどころではない。しかし、そんな芳乃の考えなど知らぬ様子で男は続ける。
「で、あるから、こやつのことは菅公」
「かんこう?」
「そうじゃ、そして私のことは関白と」
「か、かんぱく!?」
関白とは、天皇を補佐して政務を司る者であり、公家の最高位だ。
幽鬼の癖に、大層な仮の名だ――と、呆れはしたが菅公と関白は何とも思っていないのだろう。
「いざ、いざ、芳乃殿、常世の御殿へ」
弾む声音に似つかわしく、童が戯れるように三歩程、跳びはね進む関白であったが、常世という言葉に、芳乃の足は関白とは逆に三歩後ずさった――途端、下げた右足が滑り落ちる。グラリと体勢が傾き、大きく仰け反る背に、これは尻餅をつく――と覚悟をしたのだが、束帯の袖から伸ばされた手が、しかと芳乃を引っ張りあげた。
「菅公……」
「危ないと初めに申したであろうが、危うく池に落ちる所であったぞ」
池――?そんなわけはない。朱色の橋を渡ったのだ、後ろに真っ直ぐ後ずされば橋に倒れるだけである。芳乃は菅公が向ける視線に己の視線を這わせた。
漆喰の楼門と、芳乃を別つ池は、もはや池というより川のように対岸が離れ、あったはずの朱の橋は消え去っていた。
「菅公、三途の川のようじゃな?」
芳乃は、覚悟を決め問うた。明らかに現し世ではないと思う。
菅公は眼を細め、川のような池を一瞥すると首を振る
「三途の川を渡れたら、良いのになぁ?」
少し寂しげにも聞こえた、菅公の言葉に芳乃はそれ以上、継ぐことはなかった。ここが常世であろうが、おそらく逃げることなど出来ないだろう。
暗い水面に飛び込むことは、無謀である上に、菅公と関白の周りを照らす炎には苦しげに歪む人の顔が浮かび上がる、人ではない者と対峙しても勝負は見えていた。
「それは人魂なのだな……」
芳乃は、静かに松明代わりの炎を眺め尋ねたのだが、菅公の笑みを浮かべる唇から返ってきた言葉は、静かに響く次の幽鬼の名だった。
「朧殿と響殿に会わせよう」
ケラケラと楽しげに笑う関白は、付け加えた。
「これも、まことの名ではないがな?」と。
菅公と関白は、朱色の御殿を背に機嫌良く笑う。
皓皓と照らす月と、鈍く輝く平家星、芳乃は諦め二人の後に続いた。
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