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その7 蘇りし夏の思ひ出
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ミーンミーンミーンミーン
うっとおしい程にセミが鳴いていた。
避暑地で有名な長野県といっても、太陽が照りつける日中は普通に暑い。
Tシャツに半ズボン。頭には麦わら帽子といった恰好で、8歳の吾郎は舗装もされていない道を歩いていた。
「あ~あ、退屈だな」
そうぼやく。
父方の実家があるこの村には、昨晩到着した。
一晩が経った今日、吾郎はこの村の友達を尋ねることにした。毎年来る度に遊んでいる連中だった。
だけど、誰一人として捕まらなかった。
一人は海外旅行、一人は母親の実家に帰省、一人は引っ越しておらず、最後の一人は夏風邪だった。わりと風邪を長引かせる質らしく、一週間は外に出られないとのことだった。
吾郎の滞在予定は5日間だ。このままでは一人で過ごすことになってしまいそうだ。
太陽がこんなに輝いていて、雲一つない青空で、暑さだって気持ちがいい。
最高に楽しいバカンスの始まりだとうかれていたのに、それは実現しそうもなかった。
「じーちゃん家に帰ってゲームでもしよっかな」
吾郎がそんなことを呟いた直後だった。その声は耳に飛び込んでくる。
キャンキャンという甲高い動物の鳴き声。まるで助けを求めているように聞こえた。
「何だ!?」
吾郎は急ぎ声の聞こえた方向へと向かった。茂みをかき分け進む。
そこには川が流れていた。一匹の犬が溺れている。
いや、正確に言えばまだ溺れてはいなかった。必死に前足で岸にしがみ付いている。だけど岸はもろい土だ、
吾郎の目の前で岸が崩れた。犬はそのまま川の流れへと吸い込まれる。
(大変だ!)
無我夢中で吾郎は川に足を踏み入れる。膝ぐらいまでの深さの川だが、なかなか水流は強い。押し流されそうになる。
歩くよりは早いと、吾郎は思いきって泳ぐことにした。水泳は得意な方だった。学校のプールとはわけが違うが、どうにか犬に追いつく。小脇に抱え岸部に戻ることに成功する。
麦わら帽子が流されてしまったが、この際仕方ないだろう。
「良かった」
ふうと安堵の息を吐き出してから、吾郎は改めて犬を観察する。
顔が丸くまだ子犬のようだ。だけど子犬にしては大きかった。柴犬の成犬ぐらいはある。手足だって太い。
(何て種類の犬なんだろ?)
そんな疑問を抱くも、
(ま、何だっていいか)
気にしないことにした。
犬は全身をブルルッと震わせて水気を飛ばすと、吾郎を見上げた。人懐っこい瞳をしている。
吾郎は犬の頭をぐりぐりっと撫でた。
犬は嬉しそうに尻尾をパタパタと振る。
「お前、どこの犬だ? 首輪着けてないけど、ノラなのか?」
『ガウガウ』
そうじゃないと訴えるかのように、犬は首を横に振った。
「面白い奴だな」
吾郎はこの犬を気に入った。
退屈で沈んでいた気持ちも、いつの間にか弾んでいた。
「なあ、オレ、今日暇なんだ。一緒に遊ばないか?」
『ガウッ!』
犬が嬉しそうに吠える。
「よしよしよしよし」
吾郎は犬の頭をさらにぐりぐりと撫でた。
「オレは吾郎。お前にも名前を付けなくちゃな。犬って呼ばれるのも嫌だろ?」
少し考えてから、吾郎は言った。
「決めた! ガウガウ言うから、お前の名前は、ガウだ!」
★
その日から、吾郎のガウと過ごす日々が始まった。
夕暮れ時になると、ガウは何処へと去っていく。だが次の日の朝には吾郎の祖父母の家の前までやって来るのだ。
毎日、朝から夕方まで吾郎はガウと遊んだ。
おかげで、最高に楽しいバカンスを過ごすことができたのだった。
★
夕暮れ時の空を吾郎は見上げる。
昨日までなら、『また明日な~』とガウと別れられるのだが今日は違っていた。
明日の朝、吾郎は東京に戻るのだ。
「なあ、ガウ」
吾郎はガウに語りかける。
「お前って、ノラなんだよな? だったらオレと一緒に東京に来ないか? オレ、父さんと母さんにお前を飼えないかって頼む。絶対に説得するから!」
『ガウ~』
ガウは嬉しいような、それでいて困ったような声で鳴いた。
と、声がする。
「やれやれ、最近よく里を抜け出すと思ったら。そういうことだったのか」
現れたのは大人の男だ。がっちりとした体格で精悍な顔をしている。
「すまないね。その子はうちの犬なんだよ」
男は言った。
「さあ、帰るぞ」
『ガウ~』
ガウが悲しそうな声を上げる。少なくとも男を警戒している様子はない。どうやら飼い主なのは本当のようだ。
「嫌だ! 嫌だよ!」
吾郎はガウを抱きしめた。
「ガウはオレの家で飼うんだ! そう決めたんだ!」
子供心に、無茶苦茶言っているのはよく分かっていた。だけど、せっかくできた新しい友達を手放したくはなかった。
「やれやれ、困ったな」
男が苦笑する。と、不意に真面目な顔になる。スンスンと鼻を鳴らした。
「ひょっとして君は犬囲家の子かい?」
自分の名字を言い当てられたことに、吾郎は驚く。
「やっぱりそうか。驚いたな。こんな偶然があるなんて」
少し考えてから、男は口を開いた。
「君がそんなにもうちの子を気に入ってくれているなら、君の家で預かってもらえないか?」
「えっ!?」
期待の目を向ける吾郎に男は言う。
「今じゃないよ。もう少し後のことだ。いろいろと条件が整わなければ駄目だからね。でも、きっとこの子もそうしたいと思うはずだ。私としても、この子には外の世界を体験させたいし。どうだろうか?」
男は真剣に吾郎に尋ねる。
単なるその場しのぎの誤魔化しをしているようには思えなかった。
今日はガウと別れなければならないのは寂しいし悲しい。でも、余所の飼い犬なのだから仕方がないと理解もしている。
それを考えたら、いずれ自分の家に来ることが奇跡に思えた。
「うん、いいよ! いいに決まってる!」
吾郎は力強く答える。それから、ガウの顔を両手で挟むようにして掴む。
顔を顔を突き合わせ、吾郎はこう告げた。
「ガウ! いつか必ず、オレん家に来るんだぞ。その時はオレがお前の面倒を見て、思いっきり遊んでやるからな。約束だぞ!」
ガウは最高に嬉しそうに吠えた。
『ガウッ!』
★
「あれだったのか!!!」
暴れ回る羽美の背中で吾郎は叫ぶ。
吾郎はずっと『女の子』で記憶に検索をかけていた。
思い出せなくて当然だ。吾郎には女の子と会った記憶なんてなかったのだ。
『犬』で検索していれば一発だったのだ。
こがねの森公園の森中で、羽美と交わした会話を吾郎は思い返す。
『なあ、その時のお前って、耳と尻尾生えてたか?』
『生えてたゾ』
羽美は嘘はついていない。確かに耳と尻尾は生えていた。だけどそれ以前に、人の姿でなかったのだ。
肝心なことを言い忘れている羽美に、吾郎は呆れる。
『ガウウウウウウ!』
吾郎を振り落とそうと、羽美は狂ったように走る。
もう吾郎の腕の力は限界だった。
「オレ、全部思い出したぞ。お前のことも、お前と交わした約束のこともな!」
吾郎が声を張り上げる。
「お前、ずっとあの時の約束を覚えてたんだろ!? ずっと楽しみにしてたんだろ!? 誰かを傷つけたりしたら、お前もうここにはいられなくなるんだぞ!」
さらに言葉を続ける。
「改めて言うぞ! オレは約束を守る! お前の面倒を見て、思いっきり遊んでやる! だから、だから元のお前に戻れ! 戻るんだあ!!!」
吾郎は全力でその名を叫んだ。
「ガウ!!!」(超倍角)
吾郎が全力でその名前を口にした直後だった。
羽美が突然太い前足を地面に叩き付け急ブレーキをかけた。
「うわっと!」
吾郎は軽く吹っ飛ばされる。
幸いそこは街中から少し離れた河川の土手だった。草の生えた坂がコンクリートやアスファルトよりは優しく吾郎を受け止める。
「うわあああああああ~~~」
吾郎はゴロゴロと坂を転げ落ち、ようやく止まった。
全身が痛かった。疲労も限界を突破している。ずっとしがみ付いていた腕はもう感覚がなかった。
そんな吾郎の目の前に、巨大な狼の頭があった。羽美だった。吾郎を振り落とした後、土手を下りてきたのだった。
今後の自分の運命を吾郎は察した。狼の大きな顎で噛み砕かれるに決まっている。
もはや逃げる気力もなかった。
「分かったよ、ガウ。お前の好きにしろよ」
吾郎は呟く。
「だけど、オレ一人で腹いっぱいになれよ。他の誰も……襲うなよ」
瞳を閉じ牙の到来を待つ吾郎。
だけど、齧られる痛みは訪れなかった。
変わりに訪れたのは、暖かくて湿った柔らかい何かの感触だった。
(えっ?)
瞳を開けた吾郎が見たものは、吾郎の顔を嘗める狼の顔だった。
味わっているのとは違う。まるで吾郎のことを心配しているような雰囲気だ。
「ガウ……お前……」
『ガウッ! ガウッ! ガウウウ!』
羽美が何かを訴えようとするが、ガウガウでは通じない。それでも明らかに先程までとは様子が違う。
凶悪な野生を感じさせていた瞳は、穏やかで愛くるしいものになっていた。
「お前、ひょっとして元に戻ったのか?」
『ガウッ♪』
羽美は嬉しそうに吠えると大きく頷いた。
やはりそうだ。暴走モードは終わったのだ。
満月はまだ出ている。むしろさらに輝きを増している。にもかかわらず羽美は平然としている。
「お前、偉いぞ! 偉いぞ! ガウ!!!」
吾郎は何度もその名前を呼ぶ。大きな頭を抱えるようにして撫でた。
羽美が気持ち良さそうな声を漏らす。
「さてと、いつまでもこんなとこにいてもしょーがない。早いとこ帰んなくちゃな」
問題はどうやって帰るかだった。いくら普段の心を取り戻したとはいえ、姿はいまだ巨大な狼のまま。こんなものを連れて家には帰れない。誰にも会うことなく自宅までたどり着くなんて絶対に無理な話だ。
吾郎はポケットから携帯を取り出しと自宅にかける。
すぐに出た勇次に、吾郎はこう告げた。
「もしもし、親父? 大至急レンタカーを借りてきてくれない? 大きな狼が乗せられるような車を頼む」
うっとおしい程にセミが鳴いていた。
避暑地で有名な長野県といっても、太陽が照りつける日中は普通に暑い。
Tシャツに半ズボン。頭には麦わら帽子といった恰好で、8歳の吾郎は舗装もされていない道を歩いていた。
「あ~あ、退屈だな」
そうぼやく。
父方の実家があるこの村には、昨晩到着した。
一晩が経った今日、吾郎はこの村の友達を尋ねることにした。毎年来る度に遊んでいる連中だった。
だけど、誰一人として捕まらなかった。
一人は海外旅行、一人は母親の実家に帰省、一人は引っ越しておらず、最後の一人は夏風邪だった。わりと風邪を長引かせる質らしく、一週間は外に出られないとのことだった。
吾郎の滞在予定は5日間だ。このままでは一人で過ごすことになってしまいそうだ。
太陽がこんなに輝いていて、雲一つない青空で、暑さだって気持ちがいい。
最高に楽しいバカンスの始まりだとうかれていたのに、それは実現しそうもなかった。
「じーちゃん家に帰ってゲームでもしよっかな」
吾郎がそんなことを呟いた直後だった。その声は耳に飛び込んでくる。
キャンキャンという甲高い動物の鳴き声。まるで助けを求めているように聞こえた。
「何だ!?」
吾郎は急ぎ声の聞こえた方向へと向かった。茂みをかき分け進む。
そこには川が流れていた。一匹の犬が溺れている。
いや、正確に言えばまだ溺れてはいなかった。必死に前足で岸にしがみ付いている。だけど岸はもろい土だ、
吾郎の目の前で岸が崩れた。犬はそのまま川の流れへと吸い込まれる。
(大変だ!)
無我夢中で吾郎は川に足を踏み入れる。膝ぐらいまでの深さの川だが、なかなか水流は強い。押し流されそうになる。
歩くよりは早いと、吾郎は思いきって泳ぐことにした。水泳は得意な方だった。学校のプールとはわけが違うが、どうにか犬に追いつく。小脇に抱え岸部に戻ることに成功する。
麦わら帽子が流されてしまったが、この際仕方ないだろう。
「良かった」
ふうと安堵の息を吐き出してから、吾郎は改めて犬を観察する。
顔が丸くまだ子犬のようだ。だけど子犬にしては大きかった。柴犬の成犬ぐらいはある。手足だって太い。
(何て種類の犬なんだろ?)
そんな疑問を抱くも、
(ま、何だっていいか)
気にしないことにした。
犬は全身をブルルッと震わせて水気を飛ばすと、吾郎を見上げた。人懐っこい瞳をしている。
吾郎は犬の頭をぐりぐりっと撫でた。
犬は嬉しそうに尻尾をパタパタと振る。
「お前、どこの犬だ? 首輪着けてないけど、ノラなのか?」
『ガウガウ』
そうじゃないと訴えるかのように、犬は首を横に振った。
「面白い奴だな」
吾郎はこの犬を気に入った。
退屈で沈んでいた気持ちも、いつの間にか弾んでいた。
「なあ、オレ、今日暇なんだ。一緒に遊ばないか?」
『ガウッ!』
犬が嬉しそうに吠える。
「よしよしよしよし」
吾郎は犬の頭をさらにぐりぐりと撫でた。
「オレは吾郎。お前にも名前を付けなくちゃな。犬って呼ばれるのも嫌だろ?」
少し考えてから、吾郎は言った。
「決めた! ガウガウ言うから、お前の名前は、ガウだ!」
★
その日から、吾郎のガウと過ごす日々が始まった。
夕暮れ時になると、ガウは何処へと去っていく。だが次の日の朝には吾郎の祖父母の家の前までやって来るのだ。
毎日、朝から夕方まで吾郎はガウと遊んだ。
おかげで、最高に楽しいバカンスを過ごすことができたのだった。
★
夕暮れ時の空を吾郎は見上げる。
昨日までなら、『また明日な~』とガウと別れられるのだが今日は違っていた。
明日の朝、吾郎は東京に戻るのだ。
「なあ、ガウ」
吾郎はガウに語りかける。
「お前って、ノラなんだよな? だったらオレと一緒に東京に来ないか? オレ、父さんと母さんにお前を飼えないかって頼む。絶対に説得するから!」
『ガウ~』
ガウは嬉しいような、それでいて困ったような声で鳴いた。
と、声がする。
「やれやれ、最近よく里を抜け出すと思ったら。そういうことだったのか」
現れたのは大人の男だ。がっちりとした体格で精悍な顔をしている。
「すまないね。その子はうちの犬なんだよ」
男は言った。
「さあ、帰るぞ」
『ガウ~』
ガウが悲しそうな声を上げる。少なくとも男を警戒している様子はない。どうやら飼い主なのは本当のようだ。
「嫌だ! 嫌だよ!」
吾郎はガウを抱きしめた。
「ガウはオレの家で飼うんだ! そう決めたんだ!」
子供心に、無茶苦茶言っているのはよく分かっていた。だけど、せっかくできた新しい友達を手放したくはなかった。
「やれやれ、困ったな」
男が苦笑する。と、不意に真面目な顔になる。スンスンと鼻を鳴らした。
「ひょっとして君は犬囲家の子かい?」
自分の名字を言い当てられたことに、吾郎は驚く。
「やっぱりそうか。驚いたな。こんな偶然があるなんて」
少し考えてから、男は口を開いた。
「君がそんなにもうちの子を気に入ってくれているなら、君の家で預かってもらえないか?」
「えっ!?」
期待の目を向ける吾郎に男は言う。
「今じゃないよ。もう少し後のことだ。いろいろと条件が整わなければ駄目だからね。でも、きっとこの子もそうしたいと思うはずだ。私としても、この子には外の世界を体験させたいし。どうだろうか?」
男は真剣に吾郎に尋ねる。
単なるその場しのぎの誤魔化しをしているようには思えなかった。
今日はガウと別れなければならないのは寂しいし悲しい。でも、余所の飼い犬なのだから仕方がないと理解もしている。
それを考えたら、いずれ自分の家に来ることが奇跡に思えた。
「うん、いいよ! いいに決まってる!」
吾郎は力強く答える。それから、ガウの顔を両手で挟むようにして掴む。
顔を顔を突き合わせ、吾郎はこう告げた。
「ガウ! いつか必ず、オレん家に来るんだぞ。その時はオレがお前の面倒を見て、思いっきり遊んでやるからな。約束だぞ!」
ガウは最高に嬉しそうに吠えた。
『ガウッ!』
★
「あれだったのか!!!」
暴れ回る羽美の背中で吾郎は叫ぶ。
吾郎はずっと『女の子』で記憶に検索をかけていた。
思い出せなくて当然だ。吾郎には女の子と会った記憶なんてなかったのだ。
『犬』で検索していれば一発だったのだ。
こがねの森公園の森中で、羽美と交わした会話を吾郎は思い返す。
『なあ、その時のお前って、耳と尻尾生えてたか?』
『生えてたゾ』
羽美は嘘はついていない。確かに耳と尻尾は生えていた。だけどそれ以前に、人の姿でなかったのだ。
肝心なことを言い忘れている羽美に、吾郎は呆れる。
『ガウウウウウウ!』
吾郎を振り落とそうと、羽美は狂ったように走る。
もう吾郎の腕の力は限界だった。
「オレ、全部思い出したぞ。お前のことも、お前と交わした約束のこともな!」
吾郎が声を張り上げる。
「お前、ずっとあの時の約束を覚えてたんだろ!? ずっと楽しみにしてたんだろ!? 誰かを傷つけたりしたら、お前もうここにはいられなくなるんだぞ!」
さらに言葉を続ける。
「改めて言うぞ! オレは約束を守る! お前の面倒を見て、思いっきり遊んでやる! だから、だから元のお前に戻れ! 戻るんだあ!!!」
吾郎は全力でその名を叫んだ。
「ガウ!!!」(超倍角)
吾郎が全力でその名前を口にした直後だった。
羽美が突然太い前足を地面に叩き付け急ブレーキをかけた。
「うわっと!」
吾郎は軽く吹っ飛ばされる。
幸いそこは街中から少し離れた河川の土手だった。草の生えた坂がコンクリートやアスファルトよりは優しく吾郎を受け止める。
「うわあああああああ~~~」
吾郎はゴロゴロと坂を転げ落ち、ようやく止まった。
全身が痛かった。疲労も限界を突破している。ずっとしがみ付いていた腕はもう感覚がなかった。
そんな吾郎の目の前に、巨大な狼の頭があった。羽美だった。吾郎を振り落とした後、土手を下りてきたのだった。
今後の自分の運命を吾郎は察した。狼の大きな顎で噛み砕かれるに決まっている。
もはや逃げる気力もなかった。
「分かったよ、ガウ。お前の好きにしろよ」
吾郎は呟く。
「だけど、オレ一人で腹いっぱいになれよ。他の誰も……襲うなよ」
瞳を閉じ牙の到来を待つ吾郎。
だけど、齧られる痛みは訪れなかった。
変わりに訪れたのは、暖かくて湿った柔らかい何かの感触だった。
(えっ?)
瞳を開けた吾郎が見たものは、吾郎の顔を嘗める狼の顔だった。
味わっているのとは違う。まるで吾郎のことを心配しているような雰囲気だ。
「ガウ……お前……」
『ガウッ! ガウッ! ガウウウ!』
羽美が何かを訴えようとするが、ガウガウでは通じない。それでも明らかに先程までとは様子が違う。
凶悪な野生を感じさせていた瞳は、穏やかで愛くるしいものになっていた。
「お前、ひょっとして元に戻ったのか?」
『ガウッ♪』
羽美は嬉しそうに吠えると大きく頷いた。
やはりそうだ。暴走モードは終わったのだ。
満月はまだ出ている。むしろさらに輝きを増している。にもかかわらず羽美は平然としている。
「お前、偉いぞ! 偉いぞ! ガウ!!!」
吾郎は何度もその名前を呼ぶ。大きな頭を抱えるようにして撫でた。
羽美が気持ち良さそうな声を漏らす。
「さてと、いつまでもこんなとこにいてもしょーがない。早いとこ帰んなくちゃな」
問題はどうやって帰るかだった。いくら普段の心を取り戻したとはいえ、姿はいまだ巨大な狼のまま。こんなものを連れて家には帰れない。誰にも会うことなく自宅までたどり着くなんて絶対に無理な話だ。
吾郎はポケットから携帯を取り出しと自宅にかける。
すぐに出た勇次に、吾郎はこう告げた。
「もしもし、親父? 大至急レンタカーを借りてきてくれない? 大きな狼が乗せられるような車を頼む」
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