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第五章 強者

第五章 強者 8

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 エンフィは、ルドメテの言葉を最後に、気がつけば屋敷よりも20キロほど離れた小さな宿屋の一室で座っていた。涙でぬれた顔はぐちゃぐちゃで、髪もぼさぼさ。つい数時間前まで、この領地の女主人だなど、知らない人が見れば信じられないだろう。

 あのまま、彼らに着の身着のまま追い出されたのも、あまりのショックのために記憶にない。

 ルドメテによって、ぐいぐい屋敷の外に追い出されようとしていた彼女を見て、びっくりしたセバスたちが、ルドメテに詰め寄った。

「エンフィは、もう離婚されたただの女だ。これ以上は、新しい女主人であるロイエに逆恨みで危害を加える可能性がある女を、ここに置いておくわけにはいかない。不服があるのなら、お前たちも今すぐに出ていけ」

 ルドメテに、反論するのなら暴力を振るわれそうなほどの荒々しい言葉遣いを威圧的に言われ、状況もあまりわからぬまま、エンフィをひとりにするわけにはいかないと、彼らもまた仕事着のまま何かを持参することも許されずに追い出された。そして、魂の抜け殻状態の彼女を、ここまで保護してきたのである。

「うう、奥様。なんという、なんという無体な……」
「奥様、しっかりなさってください。奥様」

 分厚い幕が耳にかけられているかのように、彼らの声がくぐもっていて聞きづらい。ぼんやりとした虚ろな瞳には、ずっと一緒にいたセバスとマイヤがいたが、その存在を認知できないほど、エンフィは意識が朦朧としていたのである。

「あの人の皮をかぶった悪魔どもめ。一アルミすら持たせず、か弱い女性を放り出すなんて。しかも、仮にも元妻だぞ? ありえない」
「奥様が持参した宝石も、あの女にとられてしまって。なんとかして取り返さないと」

 セバスとマイヤは、彼女の面倒を見ながら難しい顔で言い合っている。

「きっと、旦那様はずっとあの女と……。あまりにも、彼らにとって都合がよすぎる。せめて、奥様が数日あのまま邸にいれば、対抗策を練れたのに、その隙もあたえず追い出すとは。数か月前からというより、数年前から今日のことを計画していたのでは?」

(いや、そんなこと。イヤルにかぎって。わたしという妻がいるのに、他の女性と前から? そんなのウソよ)

 セバスの言葉に、エンフィの心が叫ぶ。だが、それは硬い殻に囲まれてほんの少しも外にはでなかった。
 思い返せば、イヤルはロイエのことを両手離しに褒めていた。それは、彼女の名前が出始めてからずっとで、セバスの言う通り、2年以上前からそういう関係だったのかもしれない。頭を斧で叩き割られたかのような衝撃が彼女を襲う。

「まさか、まさかとは思うが、思い起こせば、ルドメテ様は奥様の幼馴染ではあるけれど、もともとは旦那様やあの女の紹介だったというし、はじめからこのつもりで?」

(ルドまで? だって、彼は小さなころからわたしを慕っていたって言っていたのに……だから、わたしの気持ちがおいつくまで待ってくれていたのに。それに、彼の熱い視線。あれは本物だったと思っていたのに。それすらウソだったなんて。最後に、ルドはわたしのことをエンフィと呼んでいたわ。それに、ロイエの横で、やっとわたしと離れられるとほっと呟いていたわね)

 イヤルのことだけでも受け入れがたいのに、ルドメテがロイエの隣に行き、呟いた言葉を思い出すと、マイヤの言う通りなのかもしれないと思い知らされる。
 ルドメテの優しさの何もかもが作られたものだったのだろうかと、悲しみで泥沼のように流動しなかった心の底の泉が、どろりと気持ちの悪いなにかでかき混ぜられていく。

「セバス、マイヤ……」

 やっと自分を取り戻し始めたエンフィが、ぽつりと小さく口から出したのは、夫たちの名ではなかった。

「奥様! 気が付かれましたか?」
「奥様ー! ああ、ここに来るまで、ぼうっとされていたんですよ。安心してください。私達がいますから」

「わたし……夢、じゃない、のね?」

 セバスとマイヤが、エンフィをそっと包み込む。その温かさに触れるやいなや、エンフィの止まっていた時間が動き出した。

「うう、う、うう……せばしゅ、まいやあー」
「はい、奥様。老いぼれはここにいますよ」
「奥様、奥様ぁ。マイヤもここにいますから」

 彼らとは、実家にいる頃からの付き合いだ。小さなころから、忙しい両親の代わりにエンフィの世話をやいてくれていたのである。

「わ、わたし、し、しぃ……いえっ、か、かえっ、かえ、りっ、た、うう、う~~……」

 しかし、無一文のまま王都にある実家に帰るなど不可能だ。だが、今はもうここにいたくない。ここには、自分を傷つける彼らがいる。

 イヤルたちの言うがまま、家に逃げ帰ることしか考えられない自分が情けないとも思う。だがセバスとマイヤは、心配するなと彼女の頭と背をぽんぽん叩く。それが、まるで子供をあやすみたいに思えて、張り詰めていた力が少し抜けた。

「ええ、ええ。帰りましょう。なあに、カフスボタンを売れば、旅費くらいにはなります」
「ええ、それに、これまで奥様に良くしていただいた方々が、ここまで私達を連れてきてくださったのですよ。この宿も、昨年奥様が支援なさった女性が手配してくれたのです」
「みんな、が?」

 たったひとりぼっちになったかのように思えたエンフィには、まだセバスたちがいるのだと、真っ暗だった心の闇に、小さな点のような火がともる。そして、領地の人々も。それは、今のエンフィにとって強い力を与えてくれた気がした。

「ええ、ええ。奥様が、いかにこの領地で頑張っていたか、それを領民たちは知っています。知らぬはぼんくらなあの者たちだけですから」
「各地域の長たちが、領主である彼らに逆らうのは難しいでしょう。こうなった以上、奥様に手を貸すのも、本来なら戸惑われる人も多いはずです。だけど、こうしてこっそりとではあるものの手を差し伸べるのは、常に皆を思いやり働き続けた奥様のことを好きだからですよ」

 ふたりと長たちの言葉と思いを知り、エンフィの悲しみしかなかった涙に、暖かな想いが宿ったのであった。






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