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第五章 強者
第五章 強者 1
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◆琉球豆知識・伍「古流空手の技法」
今日、空手は素手で戦う打撃系の武道として一般に知られているが、沖縄古来の空手は投げ技や関節技の他、武器術や兵法なども含む総合武術であった。流派や系統によって様々な技法が伝承されており、以下のように分類することができる。
・当身
手を用いる突き技や打ち技、足を用いる蹴り技、相手の攻撃を防御する受け技がある。頭突きや体当たりなど、手足を用いない当身も存在する。
・掛け手
相手の攻撃を引っ掛けるように防御する受け技である。掛け手によって相手の手足を捕らえ、引手や押手に変化させることで相手の攻撃を無力化する。また、掴み手に変化させることで、投げ技や絞め技、関節技などを繰り出すこともできる。
・取手
投げ技や絞め技、関節技などの総称である。空手の型には技の解釈として取手が含まれており、その極意は師から弟子へと口伝によって継承される。
・武器術
現代では「琉球古武術(琉球古武道)」や「沖縄古武道(沖縄古武術)」などと呼ばれることもある。
六尺棒や刀剣、杖、短棒、釵、トンファー、ヌンティ、薙刀、槍、鉄甲、ヌンチャク、三節棍、櫂、鎌、ティンベー、山刀、鍬、箒、鳥刺し、唐棹、スルチン、石打ち、手裏剣、ジーファー(簪)、鉄柱、鉄椎、双戈などを使用した各種の武器術がある。下駄や貨幣などの身近な物を咄嗟に武器として使うこともある。
・その他
琉球の王族や上級士族の間では、馬術の修業が盛んであった。特に、馬の脚運びや姿勢の美しさを競う琉球競馬は、現在も沖縄本島や与那国島で開催されている。日本と同じく和弓を用いた弓術も盛んに行われ、王朝時代の馬場では流鏑馬も開催されていた。
「琉球国由来記」には日本の相撲や中国のシュアイジャオに関する記述があり、沖縄の各地域でも「手組」や「ムートウ(無刀)」と呼ばれる独自の角力が古くから行われていた。手組やムートウは後に「シマ」や「ウチナージマ」と呼ばれる沖縄角力に発展し、現在まで伝承されている。
流派や系統によっては、気絶した者に対する蘇生術や外傷に対する治療法、砂浜や暗闇などの環境利用、手足が使えない状況下での唾吐きや噛みつき、気合や睨視によって敵を動揺させる心理戦術、障害物を飛び越えるための軽業、携帯可能な特別製の目潰し玉など、敵を撹乱させて危機を脱するための兵法が外物として伝承されている。
※参考文献
井上元勝『琉球古武道 上・中・下巻』績文堂出版 1974年
井上元勝『天の巻』、『地の巻』東京堂インターナショナル
岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ:復刻 私の唐手術・沖縄拳法唐手術(再版)』愛隆堂、2013年
上地完英監修『精説沖縄空手道』上地流空手道協会 1977年
儀間真謹 藤原稜三『対談 近代空手道の歴史を語る』ベースボール・マガジン社 1986年
平信賢『琉球古武道大鑑』榕樹書林 1964年
遠山寛賢『空手道大宝鑑』鶴書房 1966年
長嶺将真『史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝』新人物往来社 1986年
仲本政博『沖縄伝統古武道・改訂版』ゆい出版 2007年
長谷川明『相撲の誕生 定本』青弓社 2002年
外間哲弘編著『空手道歴史年表』沖縄図書センター 2001年
外間哲弘『沖縄空手道・古武道の真髄』那覇出版社、平成11年
本部直樹「『阿嘉直識遺言書』に見る18世紀の琉球の諸武術 ― 示現流、柔術、からむとう ―」『日本武道学会 第42回大会研究発表抄録』日本武道学会、2009年
宮城篤正『空手の歴史』おきなわ文庫、1987年
村上勝美『空手道と琉球古武道』成美堂出版、1973年
本部流公式ホームページ『本部朝基翁に実戦談を聴く』
https://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%8B%B3%E6%B3%95/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA%E7%BF%81%E3%84%AB%E5%AE%9F%E6%88%A6%E8%AB%87%E3%8二%9二%E8%81%B4%E3%81%8F/
本部流公式ホームページ『本部御殿手の武器術』
https://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E6%89%8B/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E6%89%8B%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%99%A8%E8%A1%93/
本部流のブログ『正しい技』
https://gamp.ameblo.jp/motoburyu/entry-12267417080.html
本部流のブログ『太刀の手』
https://gamp.ameblo.jp/motoburyu/entry-12365838323.html
本部流のブログ『昔の首里と棒高飛び』
https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12586398131.html
宮古島市役所『宮古島の牧と沖縄北部のマキ(続) -まきょ(マキ)と牧-』
https://www.city.miyakojima.lg.jp/soshiki/kyouiku/syougaigakusyu/hakubutsukan/files/2nagahama.pdf
琉球新報デジタル『僕「もこた」私は「ポポ」 羊に流鏑馬で命名』2015年1月17日 16:52
https://ryukyushimpo.jp/photo/prentry-237467.html
今日、空手は素手で戦う打撃系の武道として一般に知られているが、沖縄古来の空手は投げ技や関節技の他、武器術や兵法なども含む総合武術であった。流派や系統によって様々な技法が伝承されており、以下のように分類することができる。
・当身
手を用いる突き技や打ち技、足を用いる蹴り技、相手の攻撃を防御する受け技がある。頭突きや体当たりなど、手足を用いない当身も存在する。
・掛け手
相手の攻撃を引っ掛けるように防御する受け技である。掛け手によって相手の手足を捕らえ、引手や押手に変化させることで相手の攻撃を無力化する。また、掴み手に変化させることで、投げ技や絞め技、関節技などを繰り出すこともできる。
・取手
投げ技や絞め技、関節技などの総称である。空手の型には技の解釈として取手が含まれており、その極意は師から弟子へと口伝によって継承される。
・武器術
現代では「琉球古武術(琉球古武道)」や「沖縄古武道(沖縄古武術)」などと呼ばれることもある。
六尺棒や刀剣、杖、短棒、釵、トンファー、ヌンティ、薙刀、槍、鉄甲、ヌンチャク、三節棍、櫂、鎌、ティンベー、山刀、鍬、箒、鳥刺し、唐棹、スルチン、石打ち、手裏剣、ジーファー(簪)、鉄柱、鉄椎、双戈などを使用した各種の武器術がある。下駄や貨幣などの身近な物を咄嗟に武器として使うこともある。
・その他
琉球の王族や上級士族の間では、馬術の修業が盛んであった。特に、馬の脚運びや姿勢の美しさを競う琉球競馬は、現在も沖縄本島や与那国島で開催されている。日本と同じく和弓を用いた弓術も盛んに行われ、王朝時代の馬場では流鏑馬も開催されていた。
「琉球国由来記」には日本の相撲や中国のシュアイジャオに関する記述があり、沖縄の各地域でも「手組」や「ムートウ(無刀)」と呼ばれる独自の角力が古くから行われていた。手組やムートウは後に「シマ」や「ウチナージマ」と呼ばれる沖縄角力に発展し、現在まで伝承されている。
流派や系統によっては、気絶した者に対する蘇生術や外傷に対する治療法、砂浜や暗闇などの環境利用、手足が使えない状況下での唾吐きや噛みつき、気合や睨視によって敵を動揺させる心理戦術、障害物を飛び越えるための軽業、携帯可能な特別製の目潰し玉など、敵を撹乱させて危機を脱するための兵法が外物として伝承されている。
※参考文献
井上元勝『琉球古武道 上・中・下巻』績文堂出版 1974年
井上元勝『天の巻』、『地の巻』東京堂インターナショナル
岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ:復刻 私の唐手術・沖縄拳法唐手術(再版)』愛隆堂、2013年
上地完英監修『精説沖縄空手道』上地流空手道協会 1977年
儀間真謹 藤原稜三『対談 近代空手道の歴史を語る』ベースボール・マガジン社 1986年
平信賢『琉球古武道大鑑』榕樹書林 1964年
遠山寛賢『空手道大宝鑑』鶴書房 1966年
長嶺将真『史実と口伝による沖縄の空手・角力名人伝』新人物往来社 1986年
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外間哲弘編著『空手道歴史年表』沖縄図書センター 2001年
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宮城篤正『空手の歴史』おきなわ文庫、1987年
村上勝美『空手道と琉球古武道』成美堂出版、1973年
本部流公式ホームページ『本部朝基翁に実戦談を聴く』
https://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%8B%B3%E6%B3%95/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA%E7%BF%81%E3%84%AB%E5%AE%9F%E6%88%A6%E8%AB%87%E3%8二%9二%E8%81%B4%E3%81%8F/
本部流公式ホームページ『本部御殿手の武器術』
https://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E6%89%8B/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E6%89%8B%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%99%A8%E8%A1%93/
本部流のブログ『正しい技』
https://gamp.ameblo.jp/motoburyu/entry-12267417080.html
本部流のブログ『太刀の手』
https://gamp.ameblo.jp/motoburyu/entry-12365838323.html
本部流のブログ『昔の首里と棒高飛び』
https://ameblo.jp/motoburyu/entry-12586398131.html
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https://www.city.miyakojima.lg.jp/soshiki/kyouiku/syougaigakusyu/hakubutsukan/files/2nagahama.pdf
琉球新報デジタル『僕「もこた」私は「ポポ」 羊に流鏑馬で命名』2015年1月17日 16:52
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