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第三章 真意 後篇

第三章 真意 後篇 1

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◆琉球豆知識・参「古流空手の教授法」


 琉球王国時代、空手の教授法は個人もしくは少人数教授であることが多かった。一人の師が一度に教える弟子の数は一人から数人であり、入門志願者の高い身分や人脈、熱意などを理由として信用に足る者しか弟子にしない厳格な武術指導者も存在した。

 当時、指導者達は専用の道場を持っていなかったため、弟子が師の自宅や墓地などを訪れて教えを乞うことが多かった。例外として、首里手の大家・糸洲安恒が本部御殿に空手の家庭教師として招かれていたように、弟子が高い身分の出身である場合には師が弟子の自宅へ出向いて指導することもあった。

 人目につかない場所で空手を教授することが多かった背景には、薩摩藩から派遣されていた在番役人を警戒する理由があった他、門外漢からカキダミシや立ち会いを挑まれることを避ける意味合いもあった。秘密主義を徹底するため夜や早朝に指導する武術家もいた他、弟子も巻藁打ちの際に音を立てないよう注意したり、同じく防音対策で藁を巻いた棒を使って棒術の組手稽古をしていたという逸話も残されている。

 今日のように一人の師が一度に多数の弟子を同時に指導することは、二十世紀以降に一般的となった。一九〇一年以降、空手が沖縄の学校などで体育の種目として採用された他、糸洲安恒が学校指導用としてピンアン(平安)の型を創作し、号令に合わせて多数の弟子が同時に型や技を練習出来るようになった。


※参考文献
・日本空手道糸洲会『流祖:糸洲安恒』
https://www.karatedo.co.jp/itosu-kai/yurai/yurai-ind.html
・本部流公式ホームページ『本部朝基翁に実戦談を聴く』
https://www.motobu-ryu.org/本部拳法/本部朝基翁に実戦談を聴く/
・早稲田大学『船越義珍の空手道近代化における貢献と警鐘』(PDF)
http://www.waseda.jp/sports/supoken/research/2009_2/5007A016_abs.pdf
・早稲田大学空手部『日本空手道史概観』(PDF)
http://www.waseda-karatebu.org/toumon/wp-content/uploads/2018/04/ob_kikou_nihonkaratedoushi.pdf
・東海大学体育会空手部『空手とは?』
http://tokai-karate.com/karete
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