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第1章 アタナシアの聖女と魔女

第5話 我慢の限界

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 懲りずに罵詈雑言を投げつけていたオルトだったが、始終笑顔のフィーネに躱されその怒りは頂点へと達した。
 そしてフィーネが唯一顔色を変える単語を口にするのだ。

「お前の姉は実にいい。あの身体といい声といいぐちゃぐちゃにして泣かせてやりたくなる」

 ピクリと反応するフィーネに気をよくしたオルトはさらに言葉を重ねる。

「アレは兄上にはもったいない女だ。お前が生意気なままならセレナに相手をしてもらおうか。王命ならばあいつも逆らえないだろう」

「……殿下」

「聖女と持て囃されていても所詮は女。しかも魔女の実の姉だ。身体の相性がいいかは気になるところだな」

「……黙りなさい」

 周りの女性たちは「いやぁだぁ、殿下ったら私たちで我慢できないのぉ?」なんて猫撫で声で囁き、耳障りな笑い声をあげる。

「何か言ったか、濡れ鼠」

「黙れと言っているのよ。あなたなんかにお姉様の名前を呼ぶ資格はないわ」

 思わぬ反撃に、瞬間その場を静寂が支配した。未だ留まり事のなりゆきを見学していたロザリンドがいやらしく口角をあげる。

 フィーネの失態がおかしくて仕方ないのだろう。王子に対して不敬罪に問われるような口の利き方をしたのだ。

 きっとこの後は魔女に鉄槌が下される。
 みなの思い描いていた展開はしかし、現実とは異なった。

「お前っ、この俺に逆らうのか!この責任はセレナにもとってもらうからな」

 我慢の限界だった。
 自分に対する言葉ならいくらでも堪えられる。でも、こんな男に姉を汚されたくなかった。例え言葉だけであったとしてもこんな男に「セレナ」と呼ばせるのさえ嫌だったのだ。

 それにこのバカは自分の失言に気づいていないがお姉様には絶対的な後ろ盾がついている。
 こともあろうにそんな彼女を手篭めにする発言をするとは、本当に愚かだ。

「黙れと言っているのよ、このクズ」

 地を蹴り上げそのままオルトへとお見舞いする。フィーネの足は綺麗な弧を描き、いわゆる回し蹴りを繰り出したのだ。

 オルトは数メートル飛ばされるとそのまま気を失った。それほどの威力の蹴りを平然と放ち、それからゆっくりと気絶する王子へと近づく。

 一瞬にしてこの場を恐怖支配したフィーネはつま先でオルトを仰向けにして、笑った。

「あんなに偉そうにしておきながら、無様ね殿下。ああ、クレームは優しい第一王子お義兄様までどうぞ」

 そう伝えてね、と控えていた王子の従者に託しお次は、とロザリンドを振り返る。
 身体は強張りあの饒舌な彼女がだんまりを決めたままなのは珍しい。
 それはそれほどまでにフィーネの行動が予想外だったという証拠だ。

「私は女性には手をあげない主義なのだけれど、これ以上私の周りを脅かすなら容赦はしないわ」

「な、にを……」

「ねぇ、魔女の呪いって本当にあると思う?」

 ロザリンドの耳元で囁けば、ヒッと彼女は悲鳴をあげて逃げ出した。
 こうなれば天下の王子様も公爵令嬢も形なしである。

 フィーネの魔力は封じられ、弱体化しているのは間違いない。だからと言って戦う術がまったくないわけでもなかった。
 ただあまり目立ちすぎると姉にも迷惑がかかるため自重していたのだ。

 今回のことで少しは懲りてくれるといいのだけれど。
 ロザリンドとその取り巻きたちの背中を見つめ小さくため息を吐いた。

 ちなみに、殿下にまとわりついていた女性たちは気を失った彼を見て興醒めしたようであっさりと帰ってしまった。

「フィーネ様、馬車の用意が出来ております」

 そっと背後からレイが現れ、そして濡れたままの肩に柔らかいタオルをかけてくれる。
 気配のなさに内心驚きながらも、いつから見られていたのか気になるところだ。

「レイ、その……」

「あまり危ない真似はしないでください」

 冷たく放たれる言葉。
 けれどこっそりとナイフを仕舞うレイの姿に、もしかしたら助けてくれようとしたのかもと少し嬉しくなった。

 ところが、馬車に乗り込むと「で?」と氷の瞳に睨まれ、頭の中はハテナで一杯になる。

「ええーっと……?」

「オルト殿下に回し蹴りはできて、なぜ花瓶は避けられないんです?」

 ああ、そこもバッチリ見られていたのね。
 俺があの場にいればーーと悔しそうな顔をするレイに仕事熱心だなと感心する。

「退屈だったし、ちょうど帰る口実が欲しかったの……くしゅっ」

 レイはフィーネの言葉に呆れ息を吐き、それから上着を脱いで優しく掛けた。

「本日は肌寒いですし、お風邪を召されても困ります」

「ありがとう」

 そのさり気ない思いやりに心が温かくなった。素でしてくるあたりがイケメン過ぎて心臓には悪いが。

「……ご気分でも悪いのですか?」

「え?」

「毒をお食べになった時の方がお元気そうでした」

「ちょっと!」

 うん。護衛としては毒を食べさせないで欲しいところだけど、元気づけようとしてくれてるのかな。
 相変わらずこんなところは不器用なんだね。

「まったく失礼ね。何でもないわ」

 ただ今日はちょっと頑張れない日なだけ。

 それから屋敷に着くまで互いに無言だった。フィーネは肩にある重みを噛み締めるようにぎゅっと握りしめた。
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