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婚約無効の手続きが終わり、外に出ると辺りは真っ暗になっていた。
身守り石をくれた男は馬車で私を屋敷の近くまで送ってくれた。
最後まで、彼は名乗ることはなく、私も聞くことはしなかった。
さて、と屋敷を見上げる。
婚約は魔法契約ではない。
ドーラン法による婚約無効は、明日使者が伝えに来るまでは気づかれないはずだ。
荷物を取りに戻ったけれど、予定通りに行くだろうか。
裏口が施錠されていないことにホッとして、そっと邸内に入る。
自室を目指す途中、不意に自分の名が聞こえて、ビクッと肩を揺らしてしまった。
「ロゼッタはまだ見つからないのか!」
この時間に父が帰宅しているとは珍しい。
随分怒っているようだが、まぁそうだろう。
これまで、ロゼッタがあの父親に反抗したことなど、一度もなかった。
「くそっ!魔力無しのせいで魔力を辿れん!」
怒鳴り散らす父の声は、夜中になっても帰らない年頃の娘を案じる声では決してない。
ロゼッタに魔力があれば、魔力を感知することで行方も探せたろうが、それが出来ずに相当苛立っているようだ。
(いい気味・・)
喜色に満ちたハンナの声がする。
「いいじゃない、お父様。ロゼッタが婚約破棄すると言ったんでしょう?それなら私がジェイド様と婚約したいわ!」
ロゼッタが婚約破棄を申し出たことは伝わっているらしい。
(最低同士、お似合いね)
ロゼッタは冷ややかな笑みを浮かべた。
ハンナを溺愛する父のことだ。
すぐに気持ちを切り替えるだろう。
そう検討をつけていたロゼッタだったが、「馬鹿者!」という父の怒鳴り声に続き、パンッ!と頬を張る音に思わず足を止めた。
その後のハンナの泣き声に、邸内がシンとする。
(まさかお父様が・・ハンナを、ぶった?)
「ジェイドはダメだとあれほど言ったのに、まだわからんか!」
激昂する父の声とハンナのすすり泣く声。
父を宥めハンナを慰める母の声を背に、ロゼッタは自室に向けて歩を進めた。
何か、違和感がある。
今更ながら、父は何故、ジェイド様と私を婚約させたのだろう。
前世を思い出す前のロゼッタは、「娘の自分を案じて良い結婚相手を据えてくれたのだ」とおめでたく考えていた。
実際は、父のポストを奪いかねないジェイド様と縁続きになるための婚約だったのだと、今ではそう理解している。
でも、先ほどの父の言葉。
そこに滲む、必死さ。
大体、ロゼッタを嫁に出して縁続きにするなんて回りくどい方法を取るくらいなら、ジェイドを婿として引き入れた方が、バウムハイム家にとっては有益なのだ。
魔力量の高いジェイドとハンナが結婚すれば、バウムハイム家は強大な魔力を手にし、更なる繁栄が約束されるはずだ。
ジェイドが不貞を繰り返すような男だから、ハンナの伴侶には相応しくない、ということだろうか。
いくら父がハンナを溺愛しているからと言って、高い魔力の前には、不貞など些末なこと、と父は切り捨てそうなのに・・。
(・・そんなこと今更考えたって、仕方ないわ)
そう、もうこの家の何もかも、自分には関係ないのだ。
自室に着き、暗い室内に足を踏み入れる。
明かりは付けずに、ベッドの下に括り付けて隠しておいた荷物を引き出して、その中からローブを取り出した。
隠れ妖精セルティンクの巣糸で作ったこのローブは、身に纏うとその姿をすっぽり隠し、いくら目を凝らしても、姿が認識できなくなる。
これもレンタルだ。
解魔の角石を借りた同じ相手が持っていて、3日間の約束で借りている。
これを借りられたから、朝まではここで過ごして、早朝にこの家を出る、というプランを立てられた。
どうやら父は邸内の騎士を街にやって、自分を探させているようだし、今は下手に街に出ないほうがいい。
クローゼットの隅に蹲ると、疲労がどっと押し寄せる。
(・・・少し、休もう)
目の前にあるクローゼットの鏡を見ながら、ローブを整える。
ローブの網目から目を凝らして、完全に自分の姿が消えたのを鏡で確認した。
そこには、何も映っていない。
不意に可笑しくなって、ロゼッタは口元を緩ませた。
以前のロゼッタが、この家で、ずっと「透明になりたい」と願っていたのを思い出したのだ。
役立たずで、家族からも厭われる自分を、誰の目にも映したくなくて、「透明になれたら楽になれるのに」と何度涙を流しただろう。
(やっと、透明になれたのね・・)
ロゼッタは暫し鏡を見つめて感慨に耽ると、明日に備えて目を瞑った。
身守り石をくれた男は馬車で私を屋敷の近くまで送ってくれた。
最後まで、彼は名乗ることはなく、私も聞くことはしなかった。
さて、と屋敷を見上げる。
婚約は魔法契約ではない。
ドーラン法による婚約無効は、明日使者が伝えに来るまでは気づかれないはずだ。
荷物を取りに戻ったけれど、予定通りに行くだろうか。
裏口が施錠されていないことにホッとして、そっと邸内に入る。
自室を目指す途中、不意に自分の名が聞こえて、ビクッと肩を揺らしてしまった。
「ロゼッタはまだ見つからないのか!」
この時間に父が帰宅しているとは珍しい。
随分怒っているようだが、まぁそうだろう。
これまで、ロゼッタがあの父親に反抗したことなど、一度もなかった。
「くそっ!魔力無しのせいで魔力を辿れん!」
怒鳴り散らす父の声は、夜中になっても帰らない年頃の娘を案じる声では決してない。
ロゼッタに魔力があれば、魔力を感知することで行方も探せたろうが、それが出来ずに相当苛立っているようだ。
(いい気味・・)
喜色に満ちたハンナの声がする。
「いいじゃない、お父様。ロゼッタが婚約破棄すると言ったんでしょう?それなら私がジェイド様と婚約したいわ!」
ロゼッタが婚約破棄を申し出たことは伝わっているらしい。
(最低同士、お似合いね)
ロゼッタは冷ややかな笑みを浮かべた。
ハンナを溺愛する父のことだ。
すぐに気持ちを切り替えるだろう。
そう検討をつけていたロゼッタだったが、「馬鹿者!」という父の怒鳴り声に続き、パンッ!と頬を張る音に思わず足を止めた。
その後のハンナの泣き声に、邸内がシンとする。
(まさかお父様が・・ハンナを、ぶった?)
「ジェイドはダメだとあれほど言ったのに、まだわからんか!」
激昂する父の声とハンナのすすり泣く声。
父を宥めハンナを慰める母の声を背に、ロゼッタは自室に向けて歩を進めた。
何か、違和感がある。
今更ながら、父は何故、ジェイド様と私を婚約させたのだろう。
前世を思い出す前のロゼッタは、「娘の自分を案じて良い結婚相手を据えてくれたのだ」とおめでたく考えていた。
実際は、父のポストを奪いかねないジェイド様と縁続きになるための婚約だったのだと、今ではそう理解している。
でも、先ほどの父の言葉。
そこに滲む、必死さ。
大体、ロゼッタを嫁に出して縁続きにするなんて回りくどい方法を取るくらいなら、ジェイドを婿として引き入れた方が、バウムハイム家にとっては有益なのだ。
魔力量の高いジェイドとハンナが結婚すれば、バウムハイム家は強大な魔力を手にし、更なる繁栄が約束されるはずだ。
ジェイドが不貞を繰り返すような男だから、ハンナの伴侶には相応しくない、ということだろうか。
いくら父がハンナを溺愛しているからと言って、高い魔力の前には、不貞など些末なこと、と父は切り捨てそうなのに・・。
(・・そんなこと今更考えたって、仕方ないわ)
そう、もうこの家の何もかも、自分には関係ないのだ。
自室に着き、暗い室内に足を踏み入れる。
明かりは付けずに、ベッドの下に括り付けて隠しておいた荷物を引き出して、その中からローブを取り出した。
隠れ妖精セルティンクの巣糸で作ったこのローブは、身に纏うとその姿をすっぽり隠し、いくら目を凝らしても、姿が認識できなくなる。
これもレンタルだ。
解魔の角石を借りた同じ相手が持っていて、3日間の約束で借りている。
これを借りられたから、朝まではここで過ごして、早朝にこの家を出る、というプランを立てられた。
どうやら父は邸内の騎士を街にやって、自分を探させているようだし、今は下手に街に出ないほうがいい。
クローゼットの隅に蹲ると、疲労がどっと押し寄せる。
(・・・少し、休もう)
目の前にあるクローゼットの鏡を見ながら、ローブを整える。
ローブの網目から目を凝らして、完全に自分の姿が消えたのを鏡で確認した。
そこには、何も映っていない。
不意に可笑しくなって、ロゼッタは口元を緩ませた。
以前のロゼッタが、この家で、ずっと「透明になりたい」と願っていたのを思い出したのだ。
役立たずで、家族からも厭われる自分を、誰の目にも映したくなくて、「透明になれたら楽になれるのに」と何度涙を流しただろう。
(やっと、透明になれたのね・・)
ロゼッタは暫し鏡を見つめて感慨に耽ると、明日に備えて目を瞑った。
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