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懐妊編

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昼からの会議は陽も高くなった頃に終わった。

会議室から退室しようとして、ふと、リリアナは傍の文官に声をかけた。

「この後の予定は何だったかしら?」

今日は午後、会議だと聞いていたが、この会議のことだったのだろうか?

お茶の時間にもならずに終わってしまった。

てっきり夕方までかかるのかと思っていたのだが。

文官は「え…はい、あの…」と言って目を彷徨わせている。

?と思って口を開きかけたその時、会議室にセイラムが入ってきた。

「リリアナ、行商が来てるぞ。見に行かないか?」

「行商が?」

先ほどの文官が、ンンッ!と咳払いして声を張る。

「なんと!今ちょうど会議が終わった所でございます!執務も本日分は粗方終わっておりますので、どうぞ妃殿下、いってらっしゃいませ!」

若干棒読み感の強い文官の反応を疑問に思いつつ、手を引かれてセイラムと歩いていく。

「あの、セイ様。どこへ・・」

前を行くセイラムは振り返ると、ふわっと微笑んだ。

「新宮だ。歩くのが辛いなら、抱いていくが」

「いえ!大丈夫です!歩きます!」

それでなくても手をつないで歩いているだけで、通りすがりの文官や侍従に「行ってらっしゃいませ」と微笑まれて恥ずかしい。

そうか、と残念そうに言って、またセイラムは前を向いた。

妊娠がわかってからというもの、もう産休に入れとか、王宮の外に出る公務は全て自分が出るとか、セイラムは過保護気味である。

通常であれば、「リリアナに風邪をうつされたら困る!」とか言って、行商も追い返しそうなのに。



「ほら、この部屋だ」

新宮のどこに行くのかと思ったら、白の間だった。

100人程度の晩餐会も、余裕で開ける広さのこのホールを使うとなると、かなり大規模の行商なのだろうか。

「リリアナ、ドアの前に立って」

セイラムに促され、ドアの正面に立つと、近衛が開扉する。

両開きの真っ白なドアが、ギッと音を立てて開いた。

その先に見えたのはーーー




室内とは思えない陽光に、リリアナは目を瞬かせた。

白の間は、ホール中央が大きな天窓になっていて、そこからまっすぐと日が射している。

その光のベールのちょうど真下、ホールの中に建物がある。

ホールの中に、建物?

「あれは・・何でしょう?」

建物から目を離さずにリリアナがこぼすと、近づいて見てごらん、とセイラムに背中を押され、リリアナは、カツ、カツ、とホールの中に入っていった。


建物は路面に建つ店のような風体だ。

薄いレモンイエローの壁。

軒先の屋根部分のパステルピンクとラベンダーの縞模様が映える。

アーチ型の入り口の横には白い格子窓。

そして入り口のもう一方の側にはおおきなショーウィンドー。


リリアナの鼓動が早くなる。

まさかあれは・・あれは・・

カツ、カツ、カツと、鼓動と同じく速まる靴音。

リリアナはとうとう建物の前に着き、ショーウィンドウを見上げた。



ショーウインドーには、白地に、大きなレモンイエローの水玉柄のルームウェアが飾られている。

壁に小さく店名が書いてあった。

リリアナが大好きな、あの店の名前が。



じんわりと潤む目で眺めていると、セイラムがいつの間にか隣に立っていた。

「王宮に支店を作ってもらったんだ。ここだけの為の店を。店員にも来てもらった。品物も、今本店で出しているものと同じものだ。新作も揃ってる」

試着室もあるんだ、とリリアナの肩を抱く。

「…いつかは絶対にジェラード国の本店にも連れて行く。今はこれで許してくれるか?」

しばらくは行けないだろう、と諦めていた夢。

この方はいつだって、私自身が大切にできなかった気持ちや思いを拾い上げて、私の分まで大切に扱ってくれるのだ。

「セイ様…」

「ん?」

「大好きです…」

リリアナの目からポロっと流れた涙を指で拭って、セイラムは破顔した。

「ほら、お店に入ろう。特別に作ってもらったものもあるんだ。」

リリアナは咄嗟に足を踏み締めセイラムを引き留めた。

「セイ様!」

「ん?」

「私、お願いがあるのです」

「言ってごらん」

「王太子妃や王妃は、子を産んだ後は乳母に預けて、3ヶ月ほどで執務に戻る、と聞いています」

セイラムは黙って聴いている。

「ですが…私、民と同じように、自分で育ててみたいのです。王太子妃として、セイ様の補佐という大切なお務めを担うべきだとわかってはいるのです。ですが、世の母親達と同じように、子育てのことも、子の成長の様子も、知りたいのです!」

ひと息に言い切った。

言えば、それで済む話なのに、なぜこんなに躊躇してしまっていたのか。

あぁ、そうか。

唐突にリリアナは理解した。

休ませて欲しい、というこの気持ちが、殿下の期待を裏切っているようで怖かった。

王太子妃としての責務を蔑ろにして子育てのために休むなど、とセイラムに失望されるのが怖かったのだ。

「3ヶ月よりも長く・・半年でもいいのです。執務をお休みして、子を育てることに専念させていただけないでしょうか」

ずっと頭の中でぐるぐる考えていたことを言い切ったら、セイラムの反応が怖くて顔が見れなかった。

「リリアナ、すまないが・・」

労わるようなセイラムの声。

リリアナの心中に、やはり、という落胆の気持ちが静かに広がる。

だが、同時に心にずっと占めていた鉛のようなものが、軽くなったのも感じた。

思い切って聞いてみて、それでダメだったのなら諦めるしかない。

「リリアナには産後1年半は休んでもらうことがもう決まってしまっている」

「いえ、いいのです。我儘を申しました・・」

そうか、1年半か・・・1年半?

え?と顔を上げると、申し訳なさそうなセイラムの顔が目に入った。

「リリアナには相談もせずにすまないとは思っているが、相談したら絶対早く復帰すると言うと思って…産休にだってまだ入ってくれないし…」

セイラムが罰が悪そうに目を逸らす。

「で、でも、妃は大体3ヶ月で復帰なのでは?」

「だからリリアナには内緒で、産休と育休制度の見直しをしていたのだ。新しい制度では産後休暇は8週間、育児休暇は申請すれば、子が3歳になるまで取れるようにするつもりだ。リリアナにはこの新制度を最初に使う模範となってもらうつもりだった。そうすることで民が申請しやすくなるからな。」

それに、リリアナもそう言えば休んでくれると思って…とセイラムは頭をかいた。

「そんな思惑もあって、敢えて子が産まれてからのことは口にしてこなかったのだ。リリアナがそんな風に考えていたとは知らなかった…1人で悩ませてしまって、すまなかったな」

思いもしない返答に、リリアナは狼狽える。

「いえ…あの…でも、ほ、ほんとに1年半も?いいのですか?」

セイラムがキョトンとしている。

「リリアナは俺の子を産んでくれるのだぞ?当然だろう。1年半はひとまずの設定だから、子が3歳になるまで延長してもいい」

「ですが、1年半も執務を蔑ろに…」

「リリアナ、執務を蔑ろにしているのではない。子を育てることは尊い。執務を休むのに十分立派な理由だ。」

そう言われ、リリアナの胸に安堵と喜びが込み上げる。

セイ様はわかってくださっている…

たまらずセイラムに抱きついた。

「さっきリリアナは1人で子育てするようなことを言っていたが、聞き捨てならないな。ここに育児をしたい父親もいることを忘れないでほしい」

「はい…」

「リリアナ、私からもひとついいか?」

リリアナは顔を上げる。

「ミリアのことだ」

「はい」

「ミリアは賢いし、私たちの子に害をなすとは髪の先ほども思っていない。だが、ミリアには爪も牙もある。戯れてるつもりで何かあったら、と考えると、俺は怖い。専門家の話では、猫の爪で傷ができたら、膿んで必ず傷跡が残るのだと言う。もし、そんなことが起きれば、誰もが悲しい思いをする。ミリアを信じるのは容易いが、万が一にもそんな事態が起きないように考えるのが、親としての務めだと思う。」

セイラムの声音は、少し緊張しているように思えた。

「子が産まれたら、夜中は他の者にミリアを預けたいと思っている。もちろん、ミリアに寂しい思いはさせないように、子とは別の部屋で、日中俺やリリアナの手が空いている時にはミリアと遊ぶようにして…どうだろうか」

眉尻を下げてこちらを伺うセイラムを見て、リリアナは思った。

殿下も、同じだったのではないか、と。

殿下も、私の反応が怖くて、なかなか言い出せなかったのかも…

私たちは、いまだに遠回りしてしまう。

「セイ様、私も、実はそう思っておりました」

途端にセイラムの顔が晴れる。

「そうか!」

「ですが、預け先をどうすればいいのか、なかなかいい案がなくて…」

「大丈夫だリリアナ。当てはある」

セイラムがやけに自信ありげに微笑んだ。

「リリアナも賛成してくれたなら、今度頼んでみることにしよう。よし、では解決だ!さぁ、今度こそ、店に入ろう!」


店内もカワイイの宝庫だった。

おなじみのフワモコの部屋着から、特別仕様のマタニティライン・ベビーライン・雑貨に至るまで・・

二人は夕餉の時間になるまで、仲睦まじく買い物を楽しんだのだった。









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