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元カレの爆弾に激震走る
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その日――。
業務を残したまま途中で放り出し、終業時間を迎えると同時に、私はオフィスを飛び出した。
なかなか来ないエレベーターにジリジリして、何度も下向きのボタンをカチカチと押す。
ようやく開いたドアから押し入るように乗り込み、『閉』ボタンを連打して、壁に勢いよくドンと背を預けた。
スーッと降りていく箱の中で、思わず両手で顔を覆う。
指がさっきまでより強く震えているのを、初めて自覚した。
今日、私は一人でお昼休憩に入り、社食でランチをしながら、退屈しのぎにスマホを操作した。
そして、午前中のうちに届いていたメールを見て愕然とした。
その不穏なメールは忍からだった。
『仕事終わったら、隣のビルの一階のオープンカフェに来い』と、命令口調の本文。
それだけなら、私も眉をひそめるだけだったけど、添付されていた画像には、心臓をグッと押し潰されるような衝撃を受けた。
照明が抑えられていて、薄暗い広い廊下。
敷かれている絨毯の模様には見覚えがある。
ピントは中央の男女の姿に合わせられている。
しっかりスーツ姿の長身の男性が、女性を壁際に追い詰め、覆い被さるようにキスをしている写真――。
中央の人物を拡大せず、敢えて周りの風景がわかるようにしてあるのは、それが忍が勤務していたホテルの宴会場付近の廊下だと気付かせるためだろう。
でも、そんなことされなくても、そこに映っている当人が見れば自分だとすぐにわかる。
あのプレス発表会の後の私と郡司さんの姿を捉えた写真だ。
心臓が激しく揺さぶられるような拍動を始める中、私はそれ以上食事を進めることができなかった。
社食を出て廊下の隅っこに移動して、縋る思いでLINEメッセージを入力し、忍に送信した。
忍は、私のリアクションを待っていたのかもしれない。
メッセージはすぐに既読になり、『話は後で。今夜も無視するつもりなら、お前の会社の上層部に宛てて画像送る準備はしてる』という、脅しとしか取れない一文が返ってきた。
ゾッとして、足元まで血の気が下りていく感覚を味わった。
あの時からずっと、私の身体は震えているような気がする。
なにも考えられないまま、呆然とオフィスに戻った。
無意識にワンピースのポケットに手を突っ込むと、硬質な物が指に触れた。
郡司さんから預かった合鍵だと気付き、とにかくそれを返さなければ、とだけ思考が働いた。
周りの同僚が誰もいなくなった時、私は郡司さんに合鍵を返した。
『急用ができて』と、今夜、郡司さんの部屋に行けないと言った私に、彼はちょっと不審な様子だった。
『どうした? 愛美』
郡司さんが訝し気に眉を寄せたのは、彼の手の平に鍵を乗せた私の指が、カタカタと震えていたせいだと思う。
郡司さんが続けてなにか言いかけた時、外出していた同僚が戻ってきた。
怪訝な様子を隠しきれずにいる彼から目を逸らし、私は自分のデスクに戻った。
仕事に没頭するふりをして、ずっと顔を下に向けていたから、それ以上詮索されることはなかった。
私を乗せたエレベーターが降下を終え、地上に着いた。
ハッとして背を起こすと同時に、両側にドアが開く。
私は勢いよくエレベーターから転がり出た。
縺れそうになる足を、必死に回転させる。
自分のパンプスの踵がカツカツと打ち鳴る音が、エントランスに響き渡り、まるで追い詰められるような気分になった。
オフィスビルを出て、ビジネスマンの帰宅時間には早い大通りを走る。
何度か人にぶつかりそうになりながら、私は脇目も振らずに指定された隣のビルに急いだ。
隣と言っても、都会のオフィス街だ。
広い車道に隔てられていて、正面入り口までは結構な距離がある。
十一月を迎えた夕刻の空気は肌寒いくらいなのに、オフィスから全力で走り続けた私は、オープンカフェに辿り着いた時、額にうっすらと汗を掻いていた。
店内に入るまでもなく、通りに面したテラスの奥まった席に、トレンチコートを着込んだ忍を見つけた。
意識せずとも、ドクンと心臓が沸き立つような音を立てる。
忍の方は、既に私に気付いていたようだ。
店先で立ち尽くした私が顔を強張らせる様を、ジッと見据えていた。
「っ……忍」
私は直接テラスに踏み込み、他のテーブルを回り込んで、一番奥まで進んだ。
長い足を組み上げて、不遜に見上げてくる忍の前で、呼吸を整えながら足を止める。
「走ってきたのか。その必死な姿、昨夜見たかったな」
胸の前で腕組みをして、忍はふんと鼻で笑った。
「まあ……あんな写真を会社の上層部に晒されたりしたら、いくら社内一の敏腕広報マンでもマズい事態になるか。所詮、雇われサラリーマンだもんな」
「し、忍……っ」
身体の芯からせり上がってくる小刻みな震えに、呼びかけた声がつっかえてしまう。
「あれ……今朝俺の東京の同僚から『お前の彼女じゃないか?』って送られてきたんだけど。この間のプレス発表会の時、だよな。あの郡司って男も仕事だって言ってなかったっけ? 業務中にオフィスの後輩にこんなことしてるようじゃあ、いくらデキる男でもそれ相応の処分は……」
「ごめん。ごめんなさい、忍。ごめんなさい……」
冷たく素っ気なく言い捨てる忍を、私は謝罪で遮った。
思い切ってもう一歩踏み込み、彼が顎を仰け反らせて見上げる視線を浴びて、両手をギュッと握りしめる。
業務を残したまま途中で放り出し、終業時間を迎えると同時に、私はオフィスを飛び出した。
なかなか来ないエレベーターにジリジリして、何度も下向きのボタンをカチカチと押す。
ようやく開いたドアから押し入るように乗り込み、『閉』ボタンを連打して、壁に勢いよくドンと背を預けた。
スーッと降りていく箱の中で、思わず両手で顔を覆う。
指がさっきまでより強く震えているのを、初めて自覚した。
今日、私は一人でお昼休憩に入り、社食でランチをしながら、退屈しのぎにスマホを操作した。
そして、午前中のうちに届いていたメールを見て愕然とした。
その不穏なメールは忍からだった。
『仕事終わったら、隣のビルの一階のオープンカフェに来い』と、命令口調の本文。
それだけなら、私も眉をひそめるだけだったけど、添付されていた画像には、心臓をグッと押し潰されるような衝撃を受けた。
照明が抑えられていて、薄暗い広い廊下。
敷かれている絨毯の模様には見覚えがある。
ピントは中央の男女の姿に合わせられている。
しっかりスーツ姿の長身の男性が、女性を壁際に追い詰め、覆い被さるようにキスをしている写真――。
中央の人物を拡大せず、敢えて周りの風景がわかるようにしてあるのは、それが忍が勤務していたホテルの宴会場付近の廊下だと気付かせるためだろう。
でも、そんなことされなくても、そこに映っている当人が見れば自分だとすぐにわかる。
あのプレス発表会の後の私と郡司さんの姿を捉えた写真だ。
心臓が激しく揺さぶられるような拍動を始める中、私はそれ以上食事を進めることができなかった。
社食を出て廊下の隅っこに移動して、縋る思いでLINEメッセージを入力し、忍に送信した。
忍は、私のリアクションを待っていたのかもしれない。
メッセージはすぐに既読になり、『話は後で。今夜も無視するつもりなら、お前の会社の上層部に宛てて画像送る準備はしてる』という、脅しとしか取れない一文が返ってきた。
ゾッとして、足元まで血の気が下りていく感覚を味わった。
あの時からずっと、私の身体は震えているような気がする。
なにも考えられないまま、呆然とオフィスに戻った。
無意識にワンピースのポケットに手を突っ込むと、硬質な物が指に触れた。
郡司さんから預かった合鍵だと気付き、とにかくそれを返さなければ、とだけ思考が働いた。
周りの同僚が誰もいなくなった時、私は郡司さんに合鍵を返した。
『急用ができて』と、今夜、郡司さんの部屋に行けないと言った私に、彼はちょっと不審な様子だった。
『どうした? 愛美』
郡司さんが訝し気に眉を寄せたのは、彼の手の平に鍵を乗せた私の指が、カタカタと震えていたせいだと思う。
郡司さんが続けてなにか言いかけた時、外出していた同僚が戻ってきた。
怪訝な様子を隠しきれずにいる彼から目を逸らし、私は自分のデスクに戻った。
仕事に没頭するふりをして、ずっと顔を下に向けていたから、それ以上詮索されることはなかった。
私を乗せたエレベーターが降下を終え、地上に着いた。
ハッとして背を起こすと同時に、両側にドアが開く。
私は勢いよくエレベーターから転がり出た。
縺れそうになる足を、必死に回転させる。
自分のパンプスの踵がカツカツと打ち鳴る音が、エントランスに響き渡り、まるで追い詰められるような気分になった。
オフィスビルを出て、ビジネスマンの帰宅時間には早い大通りを走る。
何度か人にぶつかりそうになりながら、私は脇目も振らずに指定された隣のビルに急いだ。
隣と言っても、都会のオフィス街だ。
広い車道に隔てられていて、正面入り口までは結構な距離がある。
十一月を迎えた夕刻の空気は肌寒いくらいなのに、オフィスから全力で走り続けた私は、オープンカフェに辿り着いた時、額にうっすらと汗を掻いていた。
店内に入るまでもなく、通りに面したテラスの奥まった席に、トレンチコートを着込んだ忍を見つけた。
意識せずとも、ドクンと心臓が沸き立つような音を立てる。
忍の方は、既に私に気付いていたようだ。
店先で立ち尽くした私が顔を強張らせる様を、ジッと見据えていた。
「っ……忍」
私は直接テラスに踏み込み、他のテーブルを回り込んで、一番奥まで進んだ。
長い足を組み上げて、不遜に見上げてくる忍の前で、呼吸を整えながら足を止める。
「走ってきたのか。その必死な姿、昨夜見たかったな」
胸の前で腕組みをして、忍はふんと鼻で笑った。
「まあ……あんな写真を会社の上層部に晒されたりしたら、いくら社内一の敏腕広報マンでもマズい事態になるか。所詮、雇われサラリーマンだもんな」
「し、忍……っ」
身体の芯からせり上がってくる小刻みな震えに、呼びかけた声がつっかえてしまう。
「あれ……今朝俺の東京の同僚から『お前の彼女じゃないか?』って送られてきたんだけど。この間のプレス発表会の時、だよな。あの郡司って男も仕事だって言ってなかったっけ? 業務中にオフィスの後輩にこんなことしてるようじゃあ、いくらデキる男でもそれ相応の処分は……」
「ごめん。ごめんなさい、忍。ごめんなさい……」
冷たく素っ気なく言い捨てる忍を、私は謝罪で遮った。
思い切ってもう一歩踏み込み、彼が顎を仰け反らせて見上げる視線を浴びて、両手をギュッと握りしめる。
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