甘いSpice

恵蓮

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元カレの爆弾に激震走る

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濃密で幸せな夜を越えて迎えた朝――。
郡司さんの顔を真っすぐ見るのが気恥ずかしい。
先に出勤支度を終えた私は、リビングのソファに身を沈め、郡司さんを正視できずにそっぽを向いていた。
それでも、支度をする彼を、こっそり横目で追ってしまう。


起き抜けではところどころ寝癖がついていて、ピョンピョン跳ねてるのがちょっと可愛いかった。
その髪も今はちゃんといつものスタイルにセットされていて、普段オフィスで見る郡司さんだ。
シャツを羽織る姿も、ボタンを留める仕草も、いちいち絵になってカッコいい。
軽く顎を引いてネクタイを結ぶ指先を見つめていたら、ふと顔を上げた彼とバチッと目が合ってしまった。


「そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど」


からかうように目を細めて言われ、私は慌てて顔を背けた。


「す、すみません、不躾に」


私の謝罪を聞いた郡司さんの、小さな笑い声が耳に届く。
いつもオフィスでしていたやり取りとそれほど変わらないのに、こんな朝を迎えてしまった今、私の心臓は大きく跳ね上がり、ドキドキしてしまう。
郡司さんが気になって、すぐに視線が向いてしまいそうになる。
でも、また目が合ったら、からかわれそうだ。
つーっと目が横に流れてしまいそうになるのを必死に堪え、私は無意識に膝の上でバッグを抱え込んだ。
その途端、忍の顔が脳裏を過り、思わずゴクッと喉を鳴らした。


真夜中の電話。
最後は郡司さんが切ってしまったから、忍がなにを言ったかわからない。
あの後、どうしたんだろう。
まさかあのまま公園で夜を明かしたりはしてないよね……?
その後の忍の動向が読めず、私はバッグからスマホを取り出した。
画面を見る限り、あれから電話やLINEの着信はない。
そこはかとない不安が、胸にじんわりと広がるのを感じたその時。


「お待たせ、愛美。出ようか」


後ろから声をかけられ、私はバッグの上にスマホを裏返しに押しつけた。
勢いよく振り返ると、支度を終えた郡司さんが、スーツの上着に袖を通しながら私を見遣っている。


「あ、は、はい」


返事と同時にバッグの中にスマホを戻し、立ち上がった。
小走りで郡司さんの隣に並んだ私を、しっかりとスーツを着こなした彼が、顎を摩ってしげしげと見下ろしてくる。


「? あの?」


なにか変?と、私も自分の姿を足元まで見下ろしてみた。
郡司さんは小さく吹き出して「いや」と笑う。


「お前、昨日と同じ服だけど。同僚にツッコまれたら、なんて言い訳するのかな、って」


口元に手を当て、くっくっと小気味よい声を漏らすのを聞いて、私は郡司さんが言わんとするところに気付いた。


「オフィスにカーディガン置いてあるので。上に着てボタン全部留めちゃえば、だいぶ誤魔化せます」


そう答えると、郡司さんはわかりやすくガッカリした表情を浮かべた。


「なんだ」

「え?」

「愛美が真っ赤な顔でワタワタするの、見たかった」

「! な、なに言ってるんですか」


悪趣味!と詰るつもりで軽く睨みつけると、郡司さんはすぐにニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。


「もし愛美が本気で困るようなら、俺が助けてやらなきゃいけないかなってね」


その笑顔で言われると、彼がなにをもって『助ける』つもりでいるか、嫌な予感しかしない。


「……そんなことになっても、郡司さんの助けは丁重に遠慮させていただきます」


一度大きく息を吸って、胸を張って言いのける。
私の返事に、郡司さんは不服そうに眉を寄せた。


「なんでだよ」

「なんでもです!」


短い応酬をして、私は先に立って廊下に出る。
玄関までズンズン歩きながら、自分に『断固拒否!』と言い聞かせた。
だって、『俺のとこに泊まったんだよ』なあんて、ケロッとした顔で言いそうだ。
今日からは、社内きっての広報マンとメインアシスタントというだけでなく、恋人という関係。
同僚にバレないよう、郡司さんを見習ってオンオフの切替を徹底しないと……。


「まーなーみ」


靴を履く私を、郡司さんが後ろから間延びした声で呼びかけてくる。
玄関先にしっかりと両足をついてから、私は郡司さんを振り返った。
彼は片手をスラックスのポケットに突っ込んだ格好で私に追いつき、ひょいと小首を傾げた。


「週末、買い物に行こう」

「買い物ですか?」

「そう。俺の家に愛美の着替え置いておこう。そうすれば、平日の夜も思う存分一緒に過ごせる。泊まれる備えがあった方がいいだろ?」

「……!!」


郡司さんはニヤニヤ笑いながら、細めた目で私の反応を探っている。
彼の説明で、昨日の甘くちょっと激しい夜を思い出してしまい、私は不覚にも頬を染めてしまった。
それを見て、郡司さんはブブッと吹き出す。


「愛美、考えてること顔に出るよな。『これから毎晩、昨夜みたいに蕩けちゃうのかしら~』とか、期待してる?」


わざと芝居がかった言い方。
意地悪に覗き込まれ、私は慌てて顔を背けた。


「あ、朝っぱらから思い出させないでください」


上擦った声で言い返すと、郡司さんは愉快そうに肩を揺すって、黒い革靴に足の爪先を滑り込ませた。


「勝手に思い出したのは愛美だろ」

「郡司さんが変な言い方するから!」

「あ、それ」


ムキになって頬を膨らませた私を、郡司さんはさらりと遮った。
一瞬虚を衝かれて口を噤む。
郡司さんは軽くトントンと爪先を地面に打ちつけ、しっかりと背筋を伸ばして私と向かい合う。


「呼び方。昨夜も言っただろ? 二人でいる時は『脩平』って呼べ」

「え」


そう言われて、私は小さく口を開けた。
確かに郡司さんの言う通り。
昨夜……彼に『恋人になったんだから名前で呼んで』と言われた。
私は既に夢見心地になっていて、昨夜は乞われるがまま何度も『脩平』と呼んだ、けれど……。


「っ!」


またしても、昨夜のことがまざまざと脳裏に蘇ってきて、私の顔はまるで火を噴くようにボッと熱くなった。
それを見て、郡司さんは一瞬目を丸くしてからニヤリと口角を上げる。


「や~らし~、愛美チャン。俺の目の前で、俺に抱かれたこと、そんなに何度も思い返すなよ」

「っ……!」


軽い口調で揶揄されて、私は郡司さんに思いっ切り背を向けた。
身体が火照っているのを自覚して、逃げるようにドアレバーに手をかける。
そんな私を、


「愛美」


郡司さんが短く呼び、後ろからハグして止めた。
思わず息をのむ私の耳元に、彼が「ごめん」と告げる。


「俺なんか、思い出すまでもなく、昨夜のお前が網膜に焼きついて離れないよ」


甘く囁く声と吐息に耳をくすぐられ、背筋がゾクゾクする。
反射的にビクンと身を震わせる私の頬に、郡司さんが肩越しのキスをした。


「……恥ずかしいので、網膜からは消してください……」


そう言って郡司さんとは逆の方向に顔を背ける。
彼はクスッと笑って「なにを今更」と呟いた。


「え?」

「いや、こっちの話」


郡司さんはそう誤魔化して、私の手に手を重ねて玄関のドアを押し開く。
ドキッと胸を弾ませて振り仰ぐ私に、バチンと片目を閉じてウィンクをした。


「ほら、出て」


私の肩を抱え込むようにして通路に出ると、郡司さんがドアの鍵を閉める。
彼は一度手の中でチャリッと鍵を鳴らし、林檎みたいに真っ赤に頬を染めて見つめる私の手に握らせた。


「合鍵作っておくから。とりあえず今日はそれで中に入ってて」

「っ、えっ……」


今までは、次にいつ会えるかわからないまま、忍の背中を見送るばかりだった。
すぐ今夜の約束をしてもらえるのが、嬉しくて堪らない。
先にエレベーターホールに向かって歩き出す郡司さんのスーツの裾を、思わずきゅっと掴んでしまった。
後ろに引っ張られる形で、彼が私を肩越しに振り返る。

「……キッチン、借りてもいいですか」


私は自分の靴の爪先に視線を落とし、ドキドキと拍動する胸を押さえながら訊ねた。
彼が「え?」と聞き返してくる。


「い、一度、着替えを取りに家に戻ってからなので、ちょっと遅くなっちゃいますけど……夕食、用意して待ってます。……脩平」


照れ臭くてちょっと早口になったけれど、最後まで言い切って上目遣いの視線を向ける。
郡司さんは大きく目を見開き、何度も瞬きを繰り返した。
けれどすぐに、はにかんだ笑みを浮かべる。


「俺、朝からこんなに幸せでいいんだろうか」


口元を大きな手で覆い隠してそう呟く。
その手を真っすぐ私に差し伸べてくれた。


「この辺なら大丈夫だから。手、繋いで行こう」

「……はい」


『彼』と手を繋いで外を歩くなんて、久しぶり。
いい大人が朝から手を繋いで出勤なんて、ちょっとくすぐったい。
だけど私は、郡司さんの手を取った。
彼はすぐに指を絡めてギュッと握り締めてくれた。


郡司さんが言う通り。
朝から幸せな一日。
知らず知らずのうちに浮かれていた私は、昨夜忍がどうしたか、気にする余裕も失くなってしまった。
だから、バッグの中のスマホに意識を向けることもなく……。


忍から、画像が添付されたメールが届いたことに気付いたのは、お昼になってからのことだった。
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