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心の綻びに攻め入る誘惑
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まっすぐ前を向いて、ゆったりした姿勢でハンドルを握る横顔に、私はそっと目を向けた。
「あの、郡司さん」
改めて今日一日のお礼を言おうとしたら、同じタイミングで「そう言えば」と呟いた郡司さんに遮られてしまう。
「え?」
先を譲る形で聞き返した私に、郡司さんは前を向いたまま、片手を口元に遣って思案する表情を見せた。
「さっきの映画……公開したの、二週間前だったよな」
わずかに眉尻が上がったから、横から見ていても彼が眉間に皺を刻んだのがわかる。
「はい……?」
彼がなにを確認しているのか読めず、私が返した声は尻上がりになった。
「先週じゃ、まだ混んでて席取れなかったとか?」
まっすぐ前を向きながら、郡司さんがサラリと訊ねてくる。
「……? どうでしょう。混雑具合は調べなかったので、わかりませんけど」
「なんで?」
私が目線を上げて考えながら首を傾げると、郡司さんは即座にそう被せてきた。
「え?」
「お前さっき、観たかったって言ったろ? せっかく先週彼氏が来てたのに、なんで一緒に行かなかったんだ?」
「っ」
どこか低めた声で質問を畳みかけられ、私は反射的に膝の上に置いた手をビクンと震わせた。
それが視界の端っこに映り込んだのか、赤信号で静かにブレーキを踏んだ郡司さんが、訝しげに私の方に顔を向けてくる。
私がなにか言わないと、車内には沈黙が続く。
私は額にかかった前髪を掻き上げ、「はは」と乾いた笑い声をあげた。
ぎこちなく笑顔を凍りつかせながら、前髪を生え際からギュッと握りしめる。
横顔に感じる視線がぶれないから、私も観念して口を開いた。
「もちろん……誘いましたよ。一緒に行こうって」
「断られたのか? 彼氏と映画の趣味が合わない?」
郡司さんがハンドルから離した手で、顎を摩って思案している。
「そうじゃないです。その……忍、『疲れるから出かけたくない』って。そう言われちゃったので」
視線を横に逃がしながら、私はちょっと躊躇いがちに返事をした。
郡司さんはなにか不審げな様子で黙っている。
「……でも仕方ないんです。私たちには当たり前の週末二連休も、ホテルマンの忍は、休暇取るために皺寄せ食ってるんだから」
「疲れるって、そんな理由で? だって金曜の夜から三日もいたんだろ?」
「そう……ですけど」
「映画の一つも付き合わないくせに、セックスだけはするのか。……その方がよっぽど疲れそうなもんだけど」
「っ……な、なにを言うんですか!」
険しい顔でさらっと言われて、私はギョッとして声をあげた。
途端に、頬にカッと血が上ってしまう。
「それとも、そっちの方もかなり淡白?」
「いい加減にしてください!」
「会えるの楽しみにしてる彼女に、『疲れる』なんて理由にならない。どういう付き合いしてんだ? お前ら」
郡司さんは鋭く目を細めて、呆れ果てた様子で溜め息をついた。
「ど、どういうって……」
「虚しくねえの?」
郡司さんの表情も声も、どんどん冷めていく。
私の心臓は、焦りでドキドキと激しく打ち鳴る。
息苦しさまで覚えて、私は言い返すこともできない。
そのタイミングで前方の信号が青に変わり、後方の車からクラクションを鳴らされた。
郡司さんは苛立ち紛れに舌打ちをする。
それでも目線をフロントガラスに戻し、グンとアクセルを踏んだ。
私も勢いよく身を捩って、郡司さんに背を向けた。
そうやって真っ赤な顔を隠し、轟音を立てて爆走する鼓動の音が聞こえないように、窓に張りついて車窓の景色に目を凝らした。
土曜日の夜、帰るには少し早い時間のせいか、東京でも指折りの観光地の道路もそれほど混雑はなく、車はスムーズに流れている。
私は視界を横切る風景を無心に見つめ、郡司さんの姿が端っこにも入らないようにするのに必死だった。
「……お前さ。そんな彼氏でいいのか?」
どれくらいの沈黙をやり過ごした後か、郡司さんがポツリと呟いた。
最後に聞いた時よりも、だいぶ静かで落ち着いた声に、私もピクリと肩を震わせる。
「どう考えても、適当な扱いじゃねえか。それでもお前、なにも言わないのか?」
遠慮も容赦もない、失礼な言い草。
なのに、その声にどこか私への憐みが滲んでるような気がしたから、私は郡司さんを肩越しに見遣った。
「適当……なんてことない。忍はちゃんと、私のこと好きだって言ってくれるし……」
「それなら俺だって言える。『好きだ。……愛美』」
郡司さんはまっすぐ前を見据えたまま、まるで呼吸するように、そんな言葉を口にする。
「っ……」
あまりに流暢な言い方だったから、私の反応も一瞬遅れた。
郡司さんは、言葉に詰まる私にちらりと横に視線を流し、視界の端で捉えている。
「……だから、そうやってからかうの、もうやめてください」
彼の瞳に引き込まれそうな危うい感覚に必死に抗い、私はギリギリのラインで踏み止まった。
再びしっかりと運転席に背を向け、窓に張りつく。
手に力が入りすぎて、無意識に腕も肩も震えてしまった。
私が激しく動揺していることに、郡司さんは気付いていたんだろうか。
それっきりマンションに着くまでなにも言わず、ただ黙ってハンドルを動かしていた。
「あの、郡司さん」
改めて今日一日のお礼を言おうとしたら、同じタイミングで「そう言えば」と呟いた郡司さんに遮られてしまう。
「え?」
先を譲る形で聞き返した私に、郡司さんは前を向いたまま、片手を口元に遣って思案する表情を見せた。
「さっきの映画……公開したの、二週間前だったよな」
わずかに眉尻が上がったから、横から見ていても彼が眉間に皺を刻んだのがわかる。
「はい……?」
彼がなにを確認しているのか読めず、私が返した声は尻上がりになった。
「先週じゃ、まだ混んでて席取れなかったとか?」
まっすぐ前を向きながら、郡司さんがサラリと訊ねてくる。
「……? どうでしょう。混雑具合は調べなかったので、わかりませんけど」
「なんで?」
私が目線を上げて考えながら首を傾げると、郡司さんは即座にそう被せてきた。
「え?」
「お前さっき、観たかったって言ったろ? せっかく先週彼氏が来てたのに、なんで一緒に行かなかったんだ?」
「っ」
どこか低めた声で質問を畳みかけられ、私は反射的に膝の上に置いた手をビクンと震わせた。
それが視界の端っこに映り込んだのか、赤信号で静かにブレーキを踏んだ郡司さんが、訝しげに私の方に顔を向けてくる。
私がなにか言わないと、車内には沈黙が続く。
私は額にかかった前髪を掻き上げ、「はは」と乾いた笑い声をあげた。
ぎこちなく笑顔を凍りつかせながら、前髪を生え際からギュッと握りしめる。
横顔に感じる視線がぶれないから、私も観念して口を開いた。
「もちろん……誘いましたよ。一緒に行こうって」
「断られたのか? 彼氏と映画の趣味が合わない?」
郡司さんがハンドルから離した手で、顎を摩って思案している。
「そうじゃないです。その……忍、『疲れるから出かけたくない』って。そう言われちゃったので」
視線を横に逃がしながら、私はちょっと躊躇いがちに返事をした。
郡司さんはなにか不審げな様子で黙っている。
「……でも仕方ないんです。私たちには当たり前の週末二連休も、ホテルマンの忍は、休暇取るために皺寄せ食ってるんだから」
「疲れるって、そんな理由で? だって金曜の夜から三日もいたんだろ?」
「そう……ですけど」
「映画の一つも付き合わないくせに、セックスだけはするのか。……その方がよっぽど疲れそうなもんだけど」
「っ……な、なにを言うんですか!」
険しい顔でさらっと言われて、私はギョッとして声をあげた。
途端に、頬にカッと血が上ってしまう。
「それとも、そっちの方もかなり淡白?」
「いい加減にしてください!」
「会えるの楽しみにしてる彼女に、『疲れる』なんて理由にならない。どういう付き合いしてんだ? お前ら」
郡司さんは鋭く目を細めて、呆れ果てた様子で溜め息をついた。
「ど、どういうって……」
「虚しくねえの?」
郡司さんの表情も声も、どんどん冷めていく。
私の心臓は、焦りでドキドキと激しく打ち鳴る。
息苦しさまで覚えて、私は言い返すこともできない。
そのタイミングで前方の信号が青に変わり、後方の車からクラクションを鳴らされた。
郡司さんは苛立ち紛れに舌打ちをする。
それでも目線をフロントガラスに戻し、グンとアクセルを踏んだ。
私も勢いよく身を捩って、郡司さんに背を向けた。
そうやって真っ赤な顔を隠し、轟音を立てて爆走する鼓動の音が聞こえないように、窓に張りついて車窓の景色に目を凝らした。
土曜日の夜、帰るには少し早い時間のせいか、東京でも指折りの観光地の道路もそれほど混雑はなく、車はスムーズに流れている。
私は視界を横切る風景を無心に見つめ、郡司さんの姿が端っこにも入らないようにするのに必死だった。
「……お前さ。そんな彼氏でいいのか?」
どれくらいの沈黙をやり過ごした後か、郡司さんがポツリと呟いた。
最後に聞いた時よりも、だいぶ静かで落ち着いた声に、私もピクリと肩を震わせる。
「どう考えても、適当な扱いじゃねえか。それでもお前、なにも言わないのか?」
遠慮も容赦もない、失礼な言い草。
なのに、その声にどこか私への憐みが滲んでるような気がしたから、私は郡司さんを肩越しに見遣った。
「適当……なんてことない。忍はちゃんと、私のこと好きだって言ってくれるし……」
「それなら俺だって言える。『好きだ。……愛美』」
郡司さんはまっすぐ前を見据えたまま、まるで呼吸するように、そんな言葉を口にする。
「っ……」
あまりに流暢な言い方だったから、私の反応も一瞬遅れた。
郡司さんは、言葉に詰まる私にちらりと横に視線を流し、視界の端で捉えている。
「……だから、そうやってからかうの、もうやめてください」
彼の瞳に引き込まれそうな危うい感覚に必死に抗い、私はギリギリのラインで踏み止まった。
再びしっかりと運転席に背を向け、窓に張りつく。
手に力が入りすぎて、無意識に腕も肩も震えてしまった。
私が激しく動揺していることに、郡司さんは気付いていたんだろうか。
それっきりマンションに着くまでなにも言わず、ただ黙ってハンドルを動かしていた。
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