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疑惑が罪悪感を麻痺させる
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「……なに、言って」
どこか危険で物憂げな雰囲気にのまれそうになり、私はなにを言っていいかわからないまま、やっとの思いで一言反応を返した。
それでも、声は喉に引っかかってしまい、その先の言葉は続かない。
「デートも外食も、いくらでも好きなだけ連れ出してやる。そう言ったろ」
「っ……」
畳みかけるように言った郡司さんが、私の頭から頬に手を滑らせてくる。
指先に頬をなぞられて、私の身体がぴくりと震えた。
それなのに、手を振り払えない。
郡司さんが私に向ける瞳はとても真摯な光を放っていて、この間言われた時は茶化しているとしか思えなかった言葉が、私の胸に素直にすとんと降りてきたせいだ。
「俺なら、お前にそんな不満感じさせない。そんな悲しそうな顔させない」
早口な言葉。
それまでと違って、郡司さんの感情が滲むのが、私にもわかった。
郡司さんの手が私の後頭部に回り、グッと引き寄せられる。
彼の肩に額がぶつかりそうになって、私はハッとして彼の胸に両手を突いて拒んだ。
郡司さんが、私を抱きしめ損なった格好で、頭上から見下ろしているのが感じられる。
その視線を払うように、ただただ必死に首を横に振った。
声に出して拒むことはできないのに、私が無意識に抵抗を見せたのは、忍に対しての義務的な罪悪感からだった。
絶対的な疑惑は膨らむ一方でも、まだはっきり確信したわけじゃない。
忍は私の彼で、私は忍の彼女だ。
だから、どんなに郡司さんに揺さぶられても、心を揺らして落ちるわけにはいかない。
私の心は、そんな常識に、辛うじて引っかかっていた。
固く目を閉じ、郡司さんの姿を遮断するかのような私に、郡司さんが小さな溜め息をつくのが聞こえた。
「若槻さん」
辺りを憚るような低い声が耳をくすぐり、私はギクッと身体を強張らせてしまう。
「頭で考えて拒むのやめろよ。お前、彼氏に裏切られてるんだぞ」
「っ……」
冷酷とも言える無残な言葉が胸に突き刺さり、私は郡司さんの胸についた両手をギュッと握り締めた。
唇を噛んで俯く私に、もう一度「若槻さん」と呼びかけながら、郡司さんが私の耳元に唇を寄せるのがわかる。
肩に力を込めたのは、ほとんど反射的な反応だった。
「……お前の彼氏は、浮気してる。さっきの同僚と」
私の耳に、郡司さんの唇が微かに掠めるのがわかる。
まるで、刷り込むように告げられたその言葉に、私の胸がドクッとマグマが沸くような音を立てた。
「そんな男でも、さっさと見切りつけられないって言うなら……俺が麻痺させてやる。お前の罪悪感も理性も常識も」
「なっ……」
ぞくっとするほど危険で怖い言葉だったせいで、私はやっと短い言葉を発することができた。
そんな囁きを耳打ちする唇を探して、私は郡司さんに顔を向けてしまった。
もちろん、尋常じゃないくらい近くにいることはわかっていた。
ある意味、予想通り、鼻先が触れるくらいの至近距離から私を射貫く郡司さんを見て、私の胸がドキンと大きな音を立てて跳ね上がった。
一瞬にして、頬がカッと熱くなる。
胸は怖いくらいドキドキと打ち鳴り、まるで早鐘のような音を響かせている。
なのに私は、郡司さんから目を逸らせない。
瞳の奥まで見透かされたまま、ただ黙って視線を返すだけ。
私の激しい心臓の音が、誰もいない広い廊下に響き渡っているように感じる中――。
「愛美」
私の視界の下の方で、郡司さんの唇が私の名を呟き動くのが見えた。
あまりに心拍数が上がりすぎて、呼吸が間に合わず息苦しい。
私はわずかに唇を開くだけで、そこから声は出せなかった。
「……俺の前で心の綻びを見せたのが運の尽きだと思え。このまま、こじ開けるぞ」
暴力的とも思えるほど強い言葉が、私の胸を一気に貫く。
強く鋭い瞳に、確かな欲情と熱情が過るのを見つけた瞬間、私の中でなにかすごく固い物が弾け飛んだような気がした。
大きく目を見開くより先に、背中が廊下の壁に強く押さえつけられるのを感じる。
『郡司さん』と呼びかけようと動かした唇は、柔らかく温かい彼の唇に塞がれてしまった。
「ふっ……う」
無意識に漏れた小さな吐息も、すべて彼にのまれてしまう。
郡司さんは私に宣言した通り、わずかに開いた私の唇をこじ開け、獰猛なほど強引に熱い舌を挿し入れてきた。
まるで生き物のように口内で蠢く彼の舌に翻弄され、私は思わず郡司さんの両方の二の腕に両手をかけた。
ギュッと掴んだものの、それはなんの抵抗にもならない。
逃げられないまま舌を絡め取られ、無自覚のうちに固く目を閉じていた。
抗いようもない激しく熱いキスに、溺れていく自分がよくわかる。
何度も角度を変えて唇が触れ合う中、私は、自分からも郡司さんに舌を絡めていることに気付いた。
郡司さんが言った恐ろしい言葉の通り、今、この瞬間、私の中から理性は吹っ飛び、忍への罪悪感も倫理的な常識も全部全部麻痺していて、思考回路がまともに機能してくれない。
呼吸もままならないほどのキスを続けるうちに、すべての五感で郡司さんしか感じられなくなっていく。
――落ちる。堕ちる。
ガックリと身体から力が抜け落ちた時、溺れるってこういうことなんだなんて思いが過ったのが、正常な意識の最後だった。
どこか危険で物憂げな雰囲気にのまれそうになり、私はなにを言っていいかわからないまま、やっとの思いで一言反応を返した。
それでも、声は喉に引っかかってしまい、その先の言葉は続かない。
「デートも外食も、いくらでも好きなだけ連れ出してやる。そう言ったろ」
「っ……」
畳みかけるように言った郡司さんが、私の頭から頬に手を滑らせてくる。
指先に頬をなぞられて、私の身体がぴくりと震えた。
それなのに、手を振り払えない。
郡司さんが私に向ける瞳はとても真摯な光を放っていて、この間言われた時は茶化しているとしか思えなかった言葉が、私の胸に素直にすとんと降りてきたせいだ。
「俺なら、お前にそんな不満感じさせない。そんな悲しそうな顔させない」
早口な言葉。
それまでと違って、郡司さんの感情が滲むのが、私にもわかった。
郡司さんの手が私の後頭部に回り、グッと引き寄せられる。
彼の肩に額がぶつかりそうになって、私はハッとして彼の胸に両手を突いて拒んだ。
郡司さんが、私を抱きしめ損なった格好で、頭上から見下ろしているのが感じられる。
その視線を払うように、ただただ必死に首を横に振った。
声に出して拒むことはできないのに、私が無意識に抵抗を見せたのは、忍に対しての義務的な罪悪感からだった。
絶対的な疑惑は膨らむ一方でも、まだはっきり確信したわけじゃない。
忍は私の彼で、私は忍の彼女だ。
だから、どんなに郡司さんに揺さぶられても、心を揺らして落ちるわけにはいかない。
私の心は、そんな常識に、辛うじて引っかかっていた。
固く目を閉じ、郡司さんの姿を遮断するかのような私に、郡司さんが小さな溜め息をつくのが聞こえた。
「若槻さん」
辺りを憚るような低い声が耳をくすぐり、私はギクッと身体を強張らせてしまう。
「頭で考えて拒むのやめろよ。お前、彼氏に裏切られてるんだぞ」
「っ……」
冷酷とも言える無残な言葉が胸に突き刺さり、私は郡司さんの胸についた両手をギュッと握り締めた。
唇を噛んで俯く私に、もう一度「若槻さん」と呼びかけながら、郡司さんが私の耳元に唇を寄せるのがわかる。
肩に力を込めたのは、ほとんど反射的な反応だった。
「……お前の彼氏は、浮気してる。さっきの同僚と」
私の耳に、郡司さんの唇が微かに掠めるのがわかる。
まるで、刷り込むように告げられたその言葉に、私の胸がドクッとマグマが沸くような音を立てた。
「そんな男でも、さっさと見切りつけられないって言うなら……俺が麻痺させてやる。お前の罪悪感も理性も常識も」
「なっ……」
ぞくっとするほど危険で怖い言葉だったせいで、私はやっと短い言葉を発することができた。
そんな囁きを耳打ちする唇を探して、私は郡司さんに顔を向けてしまった。
もちろん、尋常じゃないくらい近くにいることはわかっていた。
ある意味、予想通り、鼻先が触れるくらいの至近距離から私を射貫く郡司さんを見て、私の胸がドキンと大きな音を立てて跳ね上がった。
一瞬にして、頬がカッと熱くなる。
胸は怖いくらいドキドキと打ち鳴り、まるで早鐘のような音を響かせている。
なのに私は、郡司さんから目を逸らせない。
瞳の奥まで見透かされたまま、ただ黙って視線を返すだけ。
私の激しい心臓の音が、誰もいない広い廊下に響き渡っているように感じる中――。
「愛美」
私の視界の下の方で、郡司さんの唇が私の名を呟き動くのが見えた。
あまりに心拍数が上がりすぎて、呼吸が間に合わず息苦しい。
私はわずかに唇を開くだけで、そこから声は出せなかった。
「……俺の前で心の綻びを見せたのが運の尽きだと思え。このまま、こじ開けるぞ」
暴力的とも思えるほど強い言葉が、私の胸を一気に貫く。
強く鋭い瞳に、確かな欲情と熱情が過るのを見つけた瞬間、私の中でなにかすごく固い物が弾け飛んだような気がした。
大きく目を見開くより先に、背中が廊下の壁に強く押さえつけられるのを感じる。
『郡司さん』と呼びかけようと動かした唇は、柔らかく温かい彼の唇に塞がれてしまった。
「ふっ……う」
無意識に漏れた小さな吐息も、すべて彼にのまれてしまう。
郡司さんは私に宣言した通り、わずかに開いた私の唇をこじ開け、獰猛なほど強引に熱い舌を挿し入れてきた。
まるで生き物のように口内で蠢く彼の舌に翻弄され、私は思わず郡司さんの両方の二の腕に両手をかけた。
ギュッと掴んだものの、それはなんの抵抗にもならない。
逃げられないまま舌を絡め取られ、無自覚のうちに固く目を閉じていた。
抗いようもない激しく熱いキスに、溺れていく自分がよくわかる。
何度も角度を変えて唇が触れ合う中、私は、自分からも郡司さんに舌を絡めていることに気付いた。
郡司さんが言った恐ろしい言葉の通り、今、この瞬間、私の中から理性は吹っ飛び、忍への罪悪感も倫理的な常識も全部全部麻痺していて、思考回路がまともに機能してくれない。
呼吸もままならないほどのキスを続けるうちに、すべての五感で郡司さんしか感じられなくなっていく。
――落ちる。堕ちる。
ガックリと身体から力が抜け落ちた時、溺れるってこういうことなんだなんて思いが過ったのが、正常な意識の最後だった。
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