甘いSpice

恵蓮

文字の大きさ
上 下
13 / 45
心の綻びに攻め入る誘惑

3

しおりを挟む
本編の上映が始まる前に、仕事スイッチの入った郡司さんを目の当たりにしたせいか、無駄に荒れ狂っていた鼓動は治まり、私も映画に集中することができた。
さすがに、前評判が高かっただけある。
人気どころの俳優の魅力だけではなく、ストーリー展開もCGを多用した映像も臨場感に溢れていて、スピーディーな冒頭からスカッとするラストまで、ハラハラドキドキ。
まったく息をつく間もなく、夢中になれた。


周りのお客さんも、ほとんどの人がエンドロールを最後まで鑑賞して、場内の照明が点くと同時に席を立った。
私と郡司さんも、他のたくさんのカップルの波にのまれるようにして、出入口に向かった。
隣に並ぶ郡司さんが、ひょいっと私を見下ろして、「面白かったな」と感想を告げる。


「最初のカーチェイスから、度胆抜かれた。こんなに集中して最後まで観た映画、久しぶりだ」


私も大興奮してしまった後だから、素直に大きく頷いてみせた。


「ほんと、すごかったです! 実は、公開前からずっと観たくて……。一人で来ようって思ってたんですけど、一緒に観る人がいてよかったです! 観てすぐ感想話せるって、いいですね」


返事をする私の声もずいぶんとテンション高く、自分でもわかるくらい弾んでいる。
郡司さんは、オフィスとは全然違う私の興奮ぶりに、ふっと目を細めて笑った。


「若槻さんって、映画くらいでこんなにはしゃげるんだ」


皮肉って、揶揄してるのかと思った。
でも、探るつもりで見上げた郡司さんは意地悪なドヤ顔ではなかったから、私は少し気持ちを鎮め、肩を竦めて見せた。


「映画、本当に面白かったから。たとえ一緒に観たのが郡司さんでも、映画に罪はないんです」

「お前、マジ可愛くねえ……」


郡司さんはチッと小さな舌打ちをして、お腹の底から深い溜め息をついた。
そして、ガシガシと割と乱暴に髪を掻き毟る。


「まあ、彼氏と一緒だったら、何十倍も楽しめたんだろうな。悪かったな、相手が俺で」


ふて腐れたような呟きに、私も一瞬黙り込んだ。
一度胸に手を当て、自分を鼓舞するようにギュッと握りしめる。
そして。


「……そんなことないです。ありがとうございました」


はっきりとお礼を言って、小さくペコリと頭を下げた。


「え?」


劇場の両開きのドアからシネコンのロビーに出たところで、郡司さんが短く聞き返しながら立ち止まった。
後から続く人たちが、みんな一様に興奮した様子で顔を紅潮させながら、私と郡司さんを追い抜いていく。


「……意外」


郡司さんは言葉通りの表情で目を丸くして、まるで冷やかすように『ひゅ~』と口笛を吹いた。


「まさか、若槻さんに礼を言ってもらえるとはね」

「ちょっと気持ちが塞いでたのは本当だから。気分転換にもなりました」


それを聞いて、郡司さんは肩を揺らしてクッと笑った。
そのまま、ふと、自分の左手首に視線を落とす。
長袖のニットの袖口から覗くのは、オフィスで見るのとは違う、オメガのスピードマスター。
ごつごつしたデザインに、クロノグラフのブラックフェイスが、男っぽくてセンスがいい。


「だったら、もうちょっといいだろ。夕食には早いけど、せっかくだし食べて行こう」

「え……」


郡司さんにつられて、私も自分の腕時計に目を遣る。
特になんの変哲もない国産ブランドの私の時計では、午後五時半を過ぎたところだ。
確かに夕食には早いけど、この時間なら、食べて帰ってもそれほど遅くはならない。
それに、せっかく面白い映画観賞後で気分が高揚しているところだ。


食事しながら、映画の感想を話すのも楽しいかも……。
そんな気持ちに傾いた。


「はい。じゃあ、もうちょっと」


私は、郡司さんに素直に返事をしていた。


ショッピングモールの中にあったパスタ屋さんで食事をしながら、映画を話題に会話に花を咲かせた。
ひとしきり感想を伝え合っても、オフィスの仲間や上司の話で盛り上がり、気付いたら二時間、あっという間に過ぎていた。
ここでもお会計を持ってくれた郡司さんに、「御馳走様です」とお礼を言うと、彼は軽い調子で親指を立て、バチッとウィンクをしてきた。
いつもならそのチャラさに、呆れ半分の苦笑しか漏れないけど、私はふふっと笑い声を漏らしてしまう。
そのくらい、郡司さんといて楽しかったと思っていたからだ。


「マンションまで送るよ。いいだろう?」


ショッピングモールの出口に向かって歩きながら、郡司さんがそう言ってくれた。
それにはありがたくお礼を告げ、私たちは駐車場に戻った。
車を停めたエリアに真っすぐ向かう郡司さんの横顔を、私はそっと窺い見た。
社内でも指折りの『プレイボーイ』。
本人は『誇張して噂されてるだけ』と言うけれど、少なからず女慣れしてるのは間違いない。
こうして二人で休日を過ごせば、女性の扱いはお手の物だというのもわかる。
振り返ってみても、今日のデートコースは普通すぎる気がして、ちょっと意外だった。
先入観と言われたらそれまでだけど、郡司さんが『デート』と言うからには、もっとお洒落なところで大人っぽい感じをイメージしていたせい。


だけど、終わってみたらわかる。
これもきっと郡司さんの計算だ。
ただでさえ、郡司さんとの『デート』を、私は否定し続けていた。
今時、高校生でも普通にする超健全なデートコースじゃなかったら、私はきっと、一日中肩肘張ったまま。
お互いに楽しむどころじゃなかっただろう。
郡司さんが言った『至極のひと時』は、プレミアムでゴージャスなデートでは得られない。
郡司さんは、そこまで計算ずくだったんだろう。
やっぱりスマートでソツがない。


悔しいけれど、週末に家で曇った顔をしているよりは、郡司さんと出かけてよかったと思う。
笑って、ムッとして、膨れっ面をして、また笑って。
コロコロと表情を変えて過ごせて、間違いなく楽しかった。


地下駐車場を奥に進み、郡司さんがリモートキーを操作した。
黒いアルファードのフロントライトが、『お帰り』とでも言うようにピカッと光る。
車の前まで来て双方に分かれ、郡司さんが運転席に乗るのを横目に、私も助手席に乗り込んだ。
私がシートベルトを締めるのを確認して、郡司さんが車を発進させる。
地面の標示に従って徐行し、やがて車は地上に出て広い片側二車線の道路にスムーズに合流した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私はあなたに恋をしたの?

原口源太郎
恋愛
高校生の雪美はまだ本当の恋などしたことがなかったし、するつもりもなかった。人気者の俊輔から交際を申し込まれても断り、友達の夏香や優樹菜から非難される始末。そんなある日、ある事件に巻き込まれて・・・・

【完】秋の夜長に見る恋の夢

Bu-cha
恋愛
製薬会社の社長の一人娘、小町には婚約者がいる。11月8日の立冬の日に入籍をする。 好きではない人と結婚なんてしない。 秋は夜長というくらいだから、恋の夢を見よう・・・。 花が戦場で戦う。この時代の会社という戦場、そして婚約者との恋の戦場を。利き手でもない左手1本になっても。 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高17位 他サイトにて溺愛彼氏特集で掲載 関連物語 『この夏、人生で初めて海にいく』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高32位 『女神達が愛した弟』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高66位 『女社長紅葉(32)の雷は稲妻を光らせる』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 44位 『初めてのベッドの上で珈琲を』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 12位 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位 『拳に愛を込めて』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高29位 『死神にウェディングドレスを』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高11位 『お兄ちゃんは私を甘く戴く』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高40位

【完結】末っ子王子は、他国の亡命王女を一途に恋う

空原海
恋愛
「僕は一体いつになったら、アーニャとの再会が叶うんだ……?」  第三王子バルドゥールの恋のお相手は、他国の亡命王女アンナ。  二年前まで亡命滞在していたアンナは、自国の内乱が落ち着き、呼び戻されてしまう。  と同時に、アンナは女王即位のため、建国の逸話をなぞって旅に出ることに。  それは初代女王を描いた絵本、『海を渡ったアーニャ』が関わっているようで……。 ※ 北欧神話とスラヴ神話の神々の名称が出てきますが、実際の神話とは異なります。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

アリア

桜庭かなめ
恋愛
 10年前、中学生だった氷室智也は遊園地で迷子になっていた朝比奈美来のことを助ける。自分を助けてくれた智也のことが好きになった美来は智也にプロポーズをする。しかし、智也は美来が結婚できる年齢になったらまた考えようと答えた。  それ以来、2人は会っていなかったが、10年経ったある春の日、結婚できる年齢である16歳となった美来が突然現れ、智也は再びプロポーズをされる。そのことをきっかけに智也は週末を中心に美来と一緒の時間を過ごしていく。しかし、会社の1年先輩である月村有紗も智也のことが好きであると告白する。  様々なことが降りかかる中、智也、美来、有紗の三角関係はどうなっていくのか。2度のプロポーズから始まるラブストーリーシリーズ。  ※完結しました!(2020.9.24)

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

強引な初彼と10年ぶりの再会

矢簑芽衣
恋愛
葛城ほのかは、高校生の時に初めて付き合った彼氏・高坂玲からキスをされて逃げ出した過去がある。高坂とはそれっきりになってしまい、以来誰とも付き合うことなくほのかは26歳になっていた。そんなある日、ほのかの職場に高坂がやって来る。10年ぶりに再会する2人。高坂はほのかを翻弄していく……。

処理中です...