甘いSpice

恵蓮

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不安は意地悪に煽られる

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本当は、その日のうちに、やり場のない怒りを聞いて欲しかった。
でも、商品管理部所属の同期で親友の海原かいばら聡美さとみに、デートを理由に断られてしまい、結局話ができたのは水曜日の夜。
その頃には自分の中で消化していて、だいぶ毒も抜けていた。
だから、もはや愚痴でしかなかったのかもしれない。


「ふふ……。相変わらずだね、愛美と郡司さんって」


聡美は私の話を聞き終えても、なぜかとても微笑まし気だ。


「なによ、相変わらずって」


思い出すとムカムカするのに、ぞわぞわした感触まで蘇ってきて、私はカッと頬を赤らめた。
それを聡美に笑われて、唇を尖らせる。


「企画広報部の『迷』コンビ。相性最悪なのに、郡司さんは愛美のサポートでヒットを連発させる。もちろん、その業績は文句なし。だから愛美は、郡司さんのアシスタントから外されないのよね」


リングイネのパスタをフォークにくるくると巻きつけて口に運ぶ聡美に、私は肩を竦めた。


「アシスタントが私じゃなくても、郡司さんは業績トップでしょ。……って言うか、あれは絶対セクハラ以外のなんでもない!」


その『セクハラ』を思い描いて、私の顔は一層熱くなる。


「まあまあ。肘で胸ツンツンされたくらいなら、可愛いものよ。笑って許してあげなって」

「ちょっ……聡美、なに言ってんの。『くらい』じゃないでしょ!?」


あの時の恥ずかしさが湧き上がってきて、私はワインを飲み干した。


「じゃ、課長にそう言って配置転換でも願い出れば? さすがに、セクハラされてるって訴えれば、アシスタント外してもらえるでしょ」

「う……」


聡美のアドバイスは至極当たり前なのに、私は結局黙り込む。
その手があったか、とポンと手を打つというより、逆に怯んでしまった。
つまり、そこまでして、配置転換を望んではいないという証拠だ。
聡美は、そんな私の本音を見透かしている。


「愚痴りたかっただけ、よね?」


窘めるように言われて、私は仕方なく頷いた。


「仕事中の郡司さんはすごいと思うし、その点では尊敬できる先輩なんだけど」

「けど?」

「あの節操のなさは犯罪レベル」


切実な思いで言い切って、私は重い溜め息をついた。


「節操ないとは言ってもねえ。仕事とプライベートはちゃんと切り替えてるだろうし。愛美が気にしなければいいだけじゃない?」

「じゃ、聡美は平気なの? 万年発情期みたいなケダモノが、すぐ傍で仕事してる危険な環境で」


親友が親身になってくれないのが、とても虚しい。


「郡司さんほどモテる人だと、自分に興味ない子にわざわざ本気で手を出すほど、困ってないでしょ。危険もなにも、愛美が意識しすぎ」


シレッと言われて、私は思わず口ごもった。


「って言うか。私はむしろ、ほんのちょっとなら郡司さんと遊んでみたいなあ」

「!?」


頬杖をついて爆弾発言をかます聡美に、私は吹き出しそうになった。
なんとか堪えたけれど、その代わり激しくむせ込んでしまう。


「やだ、愛美大丈夫?」

「……っ! さ、聡美こそ正気? 『遊ぶ』を、言葉通り純粋な意味で言ってるわけじゃないよね!?」

「もちろん。純粋に、男として、郡司さんって魅力あるし」


平然とそんなことを口走る聡美に、私はあ然としてしまう。
なんだか、『純粋』の意味がよくわからなくなってきた。


「聡美、彼氏いるじゃない」

「それはそれ。あ、もちろん浮気願望じゃないよ? あれだけ女の噂が絶えないプレイボーイのプライベートな顔って、普通に興味あるなあってこと」

「……私は、全然ない」


呆れ顔で否定した私に、聡美はハアッと大きな息をついた。


「愛美は真面目で一途だからなあ。まあ、だから遠恋でも順調なんだろうけど。神尾さん以外の男に目移りしてもいられないか」


聡美の口から出る忍の名前に、私は一瞬返事に窮した。


「……順調、ってほどでもないけど」

「なに謙遜してるの。週末、来てたんでしょ?」


上目遣いで探られて、私は目線を逸らして曖昧に頷いた。
咄嗟に返事ができなかったことを誤魔化すように、くぴっとワイングラスを傾ける。
そんな私を、聡美はまだジッと見つめていた。


「でも……早いねえ。もう一年か。正直、こんなに続くなんて思ってなかったわ」

「え。別れるって思ってたの?」

「ううん。愛美が寂しさに負けて、会社辞めて追いかけるんじゃないかって思ってた」


親友に随分とはっきり言われて、私は言葉に詰まった。


確かにそう。
聡美が言うように、会いたくて寂しくて堪らなくなるといつも、一年前には選ばなかったその選択肢が胸を過る。
でも、どう思い描いても、現実としては考えられない。
『ついて行くべきだったかなあ』なんて弱音を漏らすことはあっても、真剣に仕事を辞めようと思ったことはなかった。
自分を振り返って考え込む私に、「ねえ、愛美」と聡美が呼びかけてくる。
私はハッと我に返り、グラスをテーブルに置きながら目線を上げた。


「本当に郡司さんにからかわれるのが迷惑なら、いっそ籍だけでも入れちゃえば? 愛美が人妻になっちゃえば、いくら郡司さんでも下手に構えなくなるだろうし」


聡美の軽い提案には、一瞬目を剥いてから、ぎこちなく笑って誤魔化す。


「入籍って、そんな簡単な話じゃないでしょ。忍の事情もあるし、私だってこんなことで結婚決めるわけには……」


際どい話題に落ち着かず、私は視線を手元に泳がせた。
聡美は私を観察するように、ジッと見据えている。


「愛美の一途さって、今時希少価値だよね。遠恋で一ヵ月に一度しか逢えない彼一筋。郡司さんみたいに恋多き人からしたら、ついついちょっかい出したくなるんだろうな。わかるわかる」


ほおっと息を吐く聡美に、私は笑顔を引き攣らせた。


「なにそれ」


それだけ返すのがやっとだった。
『一ヵ月に一度』会っていたのは、去年のこと。
ここ数回、彼の足が遠退いていて、先週末に会ったのも二ヵ月ぶりだった。
郡司さんに見抜かれたように、隔月一度。
次に会う予定は、忍のシフト勤務を理由に曖昧なまま。
忍の事情、なんて返し方をしたものの、入籍とか結婚とか、そんな話題は今になっても出やしない。
去年以上に、お互いの意識から遠のいているのが実情だ。


「神尾さんのこと信じてるんだ。ちゃんと絆ができてるってことなのね」


親友の聡美ですら、私と忍の繋がりを美化して捉えてる。
『絆』――。
それを信じて縋れたら、郡司さんことなんか気にせずに、悠然としていられるんだろうか。
聡美に郡司さんのことを話して、この胸の靄を晴らしたかったのに、なんだか複雑な気分になってしまう。
私は、そっと顔を俯かせた。
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