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六章 霧に消える別れ結びの冬

61.きっかけのきっかけの、きっかけ

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「それにしても、災難だったなぁ」

 エーデの生み出した幻想の川の上は、周囲は霧に覆われている。
どこへ向かっているのか船に揺られるゼネスには分からない。しかし、時折鳥の羽ばたく音が聞こえてくる。ここが地上へと繋がっているのだと意識させられる。
 舟を漕ぐエーデの後ろ姿を見ていたゼネスだが、気になっていた事を問いかける。

「なぜ、貴方がシャルシュリア様を率先して救出しなかったのですか? もっと表立って動く事も出来たでしょうに」
「予言紙もあるが、俺は基本脇役。何をどうしても、暗躍する側だ」
「でも」

 貴方はシャルシュリアの為に、神々を巻き込む程の大事を発生させた。
 助けられた。
 脇役なんて立場は相応しくない。

「え? なに? あっ、もしかして俺が、シャルシュリアに気があるとでも思ったのか?」
「い、いや! そういう訳では……」

 顔を赤くして慌てるゼネスを見て、エーデは肩を揺らしながら大きく笑う。

「勘違いさせて悪かったな。俺は運命の女神の子供。アギス以上に機能の側面が色濃いんだわ」

「え……?」

「全てに残忍で、慈悲深くあることが要求される〈持つ者〉としてな」

 生まれつき全てを持っている神である。以前、シャルシュリアは言っていた。
 何をやるか知っている。力を持っている。それ相応の器量と才能を持っている。
 努力せずとも手の内にある。
 その代償は。

「それを隠すっつーか、なんか其れっぽく演じてる。正直、感情と心の面は手の平に少しある程度だ。んー……まぁ、そうだな。シャルシュリアは他の神と違ったから、かなり思考を繰り返したし、転生なんて異例尽くしで大変だった。そのお陰で、今がある。でも、心が貧相である事に変わりない。傷付けてばかりだ」

 ほんの一瞬、エーデの顔から表情が抜け落ち、再び戻って来た。
 その微笑みは優しく穏やかであるが、瞳はどこまでの感情の色を移さず、ただ宝石の様に澄んでいるだけだ。綺麗であるが無機質であり、どこか寂しい。

「器の中に備え付けられていた〈エーデとしての愛〉は、三人にあげた。だから、ゼネスは今の彼との関係に対し、負い目を感じる必要は無い」
「三人って……」

 今のシャルシュリアは4人目に該当する。
 友愛、家族愛、性愛、師弟愛、遊びの愛、一体何を相手へと渡したのだろうか。

「さてと。この辺りか岸に着いたから、降りても良いぞ」

 霧はまだ濃いが、地面と船底がこすれる音が聞こえた。
 ゼネスはエーデに促され、安全を確認しながら船から降りる。雪が体重に押し潰される音と、冷気を肌に感じた。

「なぁ、ゼネス。おまえは、今後……未来永劫、シャルシュリアだけを愛する覚悟はあるか?」
「俺は地上で生き、冥界へ帰ると決めました。彼を愛する覚悟は、とうにあります」

 揺るがぬ翡翠の瞳に、携えられた転生の剣に、エーデは安堵の表情を浮かべる。

「良かった。シャルシュリアが、ゼネスを選んでくれて嬉しいよ。あいつは心が優しくて傷付きやすいから、それを包み込めるような奴がいてくれたらって、ずっと思っていたんだ」

 それは、これまで貴方だったではないのか。
 言いかけたゼネスであるが、船は岸から離れ始める。

「待ってくれエーデ! シャルシュリアの記憶が欠けている理由って、まさか」

「あいつが、シャルシュリアが選んだ結果を、俺が修繕したいと奔走したに過ぎない。沢山嘘ついて悪かったな」

 この想いは、心は、自分だけのものだ。
 メネシアから記憶を消すと言われた時、ゼネスは強く思い、そして恐怖を乗り越え反発した。冥界の為に首を落とした王は、エーデへの想いを次の王へと渡さない為に、転生の剣の持つ法に抗ってまで魂を削り続けた。
 その想いを彼は知っている。だからこそ受け取らず、これ以上繰り返されないようシャルシュリアの幸せの為に選択をした。

「今のシャルシュリアを守ったのは、ゼネスだ。想いを受け取り、そして渡したのもおまえだ。過去に引きずられんなよ。現在から目を逸らす必要なんて、これっぽっちもないんだからさ」
「エーデ」

「ゼネス。ありがとうな」

 その慈愛の精神に、屈託のないその笑顔に、ゼネスは返す言葉が見つからない。

 霧はやがて濃く、白くなり、エーデの姿を包み隠していく。

「またどっかで会ったら、酒飲もうな。それじゃ」

 やがて霧が晴れる。
 そこに川もエーデの姿も存在せず、快晴の空の元に雪の残る大地が広がっている。
 停滞し、過ちを繰り返す冥界を変えるには、誰かが介入し、誰かが席から立つ必要があった。
 地上で死するシャルシュリアの姿を思い出し、ゼネスは彼の苦悩の片鱗を見た。
 エーデは見返りを一切求めず、シャルシュリアとゼネスを祝福した。
 運命の女神によって記された予言は覆せないが、選択する事が出来る。
 彼は、彼の思う最良を選択した。それに納得するかはエーデ自身が決める事であり、横槍を入れる資格など誰にもない。

「……」

 1人大地に立つゼネスは、深い感謝と祈りを込める。
 これから先、様々な困難と選択が目の前に待ち受けている。
 残酷に慈悲深く全てが巡り、そして邂逅する。
 壮絶な選択を迫られ、泣きたくなる程の苦しみを背負う事があるだろう。
 それでも、希望を手にする為には選択をし続けなければならない。
 背中を押してもらった。励ましを貰った。あとは、自分がそれに相応しくなれるように、前へ進み続けるのみだ。
 ゼネスは顔を上げ、世界を見通す。
 真っ直ぐに前を向き、大地を踏みしめる。
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