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六章 霧に消える別れ結びの冬

56.地上の別れ

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 腕の中にいる最愛の神が、上手く呼吸が出来ず、肩を大きく上下させている。

「シャルシュリア」
「何回も身を削った罰だろう。前より随分と早い……」

 口元を押さえた指先の間からは、大量の血がぼたぼたと零れ落ちる。痛覚が機能しないのか他人事のように赤く染まった手を見ながら、シャルシュリアは苦笑する。
鮮血の匂いが嫌でも鼻に伝わり、ゼネスは悲痛の表情を浮かべながらも、急いで泉から上がる。
 シャルシュリアの体は、体制を維持する力は残ってはいない。ゼネスは膝と右腕を使い彼の背を支えながら、仰向けの姿勢を安定させる。

「はやく冥界へ」
「いいや。間に合わない。私はここで一度死ぬ」

 地面へと力なく落とされた転生の剣が、微かに金属音を奏でる。

「そんな表情をするな。この死は、単なる通過点だ」
「通過、点?」

 ゼネスは左手の指の腹でシャルシュリアの口から溢れる血を拭き取ると、彼は嬉しそうに、眩しそうに目を細める。

「私の力は、冥界に注がれている。私と言う存在は、冥界で再生される」
「でも、それは、今のシャルシュリアでは……」
「何を言っているんだ。今の私の死に、転生の剣は関与していない」

 新たな肉体も、魂も、心も、今あるシャルシュリアとして復活をする。
 どうしてシャルシュリアが、危険を冒してまで地上へとやって来たのか。愛する神を助けたい一心であっても、ゼネスは喜べなかった。

「だからって……だからって、痛みを伴うような事、する必要は無かったじゃないか」

 不完全で、無力で、走る位しか出来なくて。
 結局自分では何も成せなかった。

「俺は……!」

 助けられてばかりだ。

「ゼネス」

 悲哀無く、穏やかな声でシャルシュリアは愛する神の名を呼ぶ。

「顔が見たい」

 金の瞳は殆ど光を通さなくなっている。
 黒く変色した足は崩れ始め、腕にひびが入る。
 それでも言わなければと、声を振り絞る彼に応え、ゼネスは額を合わせた。
 日の光を透かした青葉の様に、美しい緑がシャルシュリアには見える。

「ゼネス。地上で生きるんだ」
「貴方がいないのは嫌だ」
「青く果て無き空が、ゼネスに良く似合う」

 シャルシュリアはゼネスが無力でない事を知っている。
 真っすぐに、自分の出来る限りを尽くし、真摯に向き合い、進み続けるその姿は、何よりも美しい。ただ、何も知らず、経験を積む機会が無かっただけだ。これから先、多くの試練を乗り越えて、ゼネスの力はより大きく開花する。
 だから、その為にもゼネスは地上に居なければならない。
 多くの出会いと別れを繰り返し、その輝きをより強くするために。

「……疲れたら、貴方の元へ帰っても良いだろうか」

 黒く変色した頬に涙が落ちる。
 生と死に執着を持たなかったシャルシュリアは、幸福を噛み締める。

「あぁ、待っている」

 愛する者の腕の中、酷い苦しみと孤独に苛まれる事なく、シャルシュリアは眠る様に穏やかな最期を迎えた。



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