暗き冥界の底で貴方の帰りを待つ

片海 鏡

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六章 霧に消える別れ結びの冬

55.囮

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 水飛沫が上がる。
 首飾りは粉々に砕け散り、ゼネスは急いでシャルシュリアが息をし易いよう抱え直した。
 その場所にゼネスは見覚えがあった。
 かつて、夜に訪れた睡蓮の泉だ。

「シャルシュリア」
「あぁ……なんとか無事だ」

 顔の半分は黒く変色し、転生の剣を持つ手は既に限界を迎えている。
 ゼネスは一刻も早くエーデに会う為に、泉から上がろうとした。

「待っていたわよ。ゼネス」

 その声に、ゼネスは苦虫を嚙み潰したように険しい顔をする。

「遅いじゃない。あの死の女神は口が軽いわね」

 頬の傷の癒えないメネシアの背後には、血の様に赤い巨大なバラと茨が待機している。リュインと千の顔を持つ獣達が戦う魔獣や獣は囮に過ぎず、彼女はずっと2人を追っていた。

「追いかけっこは、もう終わり。いい加減、帰りましょう」

 茨は2人に照準が合わされる。
 ゼネスはシャルシュリアを庇おうとした。
 刹那。一線が迸る。
 天より白き閃光が茨を焼き切り、全てを炎へ還した。
 瞬きする間もなくメネシアの背後は炎の海となり、その場は一気に気温が上昇する。結晶は水となり、積み上がる雪の壁が崩れ始める。

「くっ……!」

 メネシアは木々を即座に生み出し雪崩をなんとか阻止するが、新たに茨を生み出せない事に気づく。

「どうして……!?」

 身体を巡る力を繋ぐ管が、切られてしまっている。驚きのあまり冷静を取り戻したメネシアは、自分の左頬が痛み出し、自己治癒力が機能していない事に気づいた。
 シャルシュリアの転生の剣によって、彼女は力を一時的に失った。
 ならば、と利用している下位の神々の気配を探るが、一切感じ取ることが出来ない。
 メネシアは、そこでようやく理解する。シャルシュリアはゼネスを救出の為に動いただけでなく、大きな標的となっていた事を。
 彼に意識が向いている間に、冥界の神々によってメネシアの勢力を削ぎ落していた。

「許さない!! シャルシュリア! おまえだけは……!」
「被害者面すんなよ、クソ女」

 天へ昇ろうとする水蒸気を冷たい空気が絡め捕り、霧を発生させる。
 聞き覚えのある声に、ゼネスは緊張の糸が切れかける。
 立ちこめる霧の中からエーデが現れ、ゼネス達を庇うように前へ立った。

「どうしてここに、貴方が」

 あの光が何であったか考える間を与ないエーデを、メネシアは睨みつける。

「愚問だな。わかっているだろ。おまえを霊峰の頂上まで連行させてもらう」

 エーデの影より、彼によく似た服装に、一枚の布で顔を隠した男と女が現れる。彼の弟妹だ。

「俺がその役割で良かったな。他の上位の神なら、おまえの両足折ってただろうさ」

 鋭い目つきでエーデは言った。
 拘束を拒絶しようと僅かな力を絞り出すメネシアだが、地面から生えようとした若葉は即座に枯れ果てる。

「水のある場所は、全て俺の領域だ。おまえの恵みは、水なしでは生み出せない」

 彼の背後に控えていた弟妹は、メネシアに音も無く近づく。
 霧が徐々に濃くなっていく中で、離しなさいと彼女は叫ぶ。しかし抵抗は虚しく、徐々にその声は遠のき、やがて霧が晴れる頃には姿を消していた。

「やれやれ。ほんっとクソだな」

 吐き捨てる様に言うとエーデは、シャルシュリアとゼネスに手を振る。

「そんじゃ、ゼネス。あの女の裁判あるから、霊峰の神殿に来いよ」
「はい。後ほど、向かいます」

 しっかりと頷いたゼネスを見て、エーデは口元に笑みを浮かべる。

「シャルシュリアは、ちょっと休め。あとはやっておく」
「……あぁ、頼んだぞ」

 再び白い霧が現れ、エーデを包み込み、そして消えて行った。
 晴れた頃には、最初から何も無かったかのように静まり返っている。
 ゼネスは安堵のあまり、大きく息を吐こうとした。
 次の瞬間、シャルシュリアは激しく咳き込み、ゼネスの緊張の糸が張り詰める。
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