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五章 秋色付く感情は別れを生む

43.冥界の王3

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 生まれ育った神殿の模造品。その中は、物で溢れていた。

 床に考え無しに並べられた花瓶だけでなく、角や剥製、抜き捨てたかのようなローブに装飾品、雑多が過ぎるとして、少しずつ片付け、配置する事にした。
 どこへ飾ろう。ここへ飾ろう。互いの色や形が邪魔し合わない様には、どうすれば良いか。
 一つ一つを確認する度に、様々な発見があった。

 レガーナは回数を重ねるうちに、絵も字も上達した。詩の内容は独特ではあるが、面白い。以前の私は気に入っていたのか、ページがよれてしまう程に何度も読み返していたようだ。

 イシリスは毛皮や角が多かったが、次第に剥製も持って来るようになった。自分で作っているのか出来が、徐々に良くなっている。以前の私は几帳面にも年月日と生息地を記した紙を添えていた。

 ニネティスからは、大量のローブ等の衣類や装飾品。転生によって姿形が変わる為、寸法が合わなくなってしまった。一部の衣類は引き裂き、破られている。地上の弟達が着ていそうな派手なものが多く、以前の私と今とでは好みも随分と違うようだ。装飾品の一部は寸法を合わせる為、今度鍛冶師に依頼してみようか。

 酒もかなり貯蔵されている。酒の空瓶は何百本とあり、エーデが飲んでいたと話していたのを思い出した。だが1人で飲めるとは思えない量だ。いつ飲んだのだろう。わざわざ空瓶を残すなんて、以前の私は物好きだったようだ。

 彼女達の想いの籠った贈られた品々の中、そこに垣間見えるのは首を落とした〈私〉の軌跡。
 私は、私自身を知らない。
 それを痛感させられる。

 何が好きで、何が嫌いで、何を愛し、冥界の日々の中で何を思っていたのか。
 どのような覚悟を持って首に転生の剣を当てたのか。

 幼いレガーナ達との出会いが思い出せない。謹慎で訪れていた戦神の顔も、発生させた被害の現場も思い出せない。誰も招待しないにも関わらず客間を作った理由を思い出せない。
 掌から零れ落ちた記憶の量に、愕然とする。
 自分が何者であるか分からなくなり、全身が震える。

 そんな最中、ふと、足元へと置いたパンジーを活けてある花瓶が目に留まった。

 現実へと引き摺り戻される。

 手に取れば、ガラス花瓶の中の水が揺れ、花からは柔らかな香りがする。

 私は、これまで近くにあるものを見ようともしていなかった。
 遠くばかり目を向けていた。

 冥界の王として、先を見通さなければならない。万が一に備えるのは、当然だ。
 それは正しい行いだ。けれど、贈られて来た品々を見る度に、其れで良いのかと疑問が湧く。

〈貴方は、とても美しいです〉

 悩む中で、ゼネスの言った言葉を思い出した。
 どこをどう見れば、そう思えるのだろうか。
 自分の顔を思い浮かべようとした時、私の寝室やこの神殿に鏡が一個もない事に気づいた。
 まるで、自分を見ないようにしている様だ。
 今の私だけではない。以前の私の顔すら覚えてはいない。

 嗚呼、そうか。

 私は私を蔑ろにしていたのか。

 当然として自己犠牲を選択していた。
 臆病で何もできないから、痛みだけでも我慢しようと思った。
 冥王の座に縋りついて、首を切り落として、結果〈シャルシュリア〉は完全に抜け落ち、知識のみで構成された〈私〉がいる。

 私は、誰だろう。

 自問自答しても、答えが見つかるはずもない。
 1人でいる時がこんなにも苦痛だなんて、思いもしなかった。
 次第に、ゼネスから贈られる花だけが、私の中で安らぎとなっていった。
 今の〈私〉を思って作り出された花達。
 今日はどんな花を持って来てくれるのだろう。
 選り好みはしない。彼が選んでくれるのであれば、どんな花も嬉しい。
 彼が来てくれるのが、待ち遠しい。

 そう思うからこそ、彼を縛ってはならない。

 いずれ地上へ帰らなければならない彼に留まって欲しいと思ってはいけない。
 誰と交流を深めようと、誰に心を許そうと、私が介入してはいけない。
 ゼネスはただ心配をして、ニネティスの頼みを承諾し、見舞いに来てくれているだけだ。
 傲慢になってはいけない。
 終わりが来ると分かっているからこそ、この時を大事にしよう。

 だが、そう思った矢先に、ゼネスの体調が芳しくない事に気づいた。

 会話中に視点が定まらなくなる時があり、疲労が溜まっている様に見える。
 地上と冥界の環境に差はあるが、神の体に支障が出る様な悪しきものは存在しない。なので、彼は純粋に疲れていると思われる。
 亡霊達の定期報告から客間で過ごす時間を考えるに、彼はきちんと休息を取っている。魔術の女神の薬もまだ残っている筈だ。
 どうしたのか訊いても、大丈夫と返って来るばかりだ。
 私には言えないのだろうか。
 いつも以上に距離があるようで、冷たい雪に指先が触れる様な寒さを感じる。
 私が駄目ならエーデに頼むとしよう。ゼネスの疲れを取り除けるように何か、助力ができるかもしれない。


 ゼネスが倒れたと報せが入った。


 エーデ曰く、力の使い過ぎによる過労だと言う。
 彼が力を使うとなれば、私へ贈る花くらいだ。
 それが原因ではないか。
 負担を掛けていたのではないか。
 しばらく安静にしていれば回復するとニネティスから報告が入り、安心をする。
 花が原因であれば、もういらないと伝えようか。
 しかし、それでは彼の頑張りを踏みにじってしまうのではないか。
 彼は何を思っているのだろう。
 いつ回復するのだろう。
 早く会いたい。
 話がしたい。
 春の太陽の様に温かな眼差しが見たい。
 夏の息吹を感じる生命力に溢れた声が聞きたい。
 秋の爽籟のように涼やかに駆ける足音は、今は無い。
 今は、ただ冬の夜の様に余りに静かで寂しい。
 こんな複雑な感情が私の中に残っているなんて、思いもしなかった。
 凪いでいた感情が、激しい波を生み続け、船酔いをしてしまいそうだ。
 時間の概念が、こんなにも長く感じるのはいつぶりだろう。

 息が詰まりそうだった。

 彼が倒れてから3日後のこと、白い空間は私だけが入れるはずが、千の顔を持つ獣の1匹が入って来た。単独では随分と珍しい。
 声をかけ、抱き上げると、後ろに誰がいると身をよじり教えてくれる。

「……ゼネス?」

 急いで来たのか頬はいつになく赤く染まり、翡翠の様に澄んだ瞳が、真っすぐにこちらを見つめる。小麦色の髪は、降り注ぐ光によって黄金の輝きを放っている。

 彼の姿を見て、満たされる心があると気づいた。

 幸福だと思う。だからこそ、彼の厚意に甘えて、胡坐をかくわけにはいかない。
 光が似合う彼の足かせにならないよう、この想いは全て閉じ込めるとしよう。
 
 私は、ゼネスに恋をしている。
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