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五章 秋色付く感情は別れを生む

41.冥界の王 (シャルシュリア視点)

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 空は遥か高く、虚空を掴む手に血が滲む。

 見果てぬ天を駆ける勇敢さは無く。
 荒れ狂う海を抱くほどの度胸は無く。

 ただ先の最悪の事態ばかりを考える臆病者。

 せめて、誰かに縋りつくほどの弱さがあれば、泣き叫ぶことが出来ただろう。

 母の手を引かれずとも歩き出したあの日。
 生まれ育った神殿から外に出ようと、兄弟3人で一歩前へと踏み出した。

 しかし、この身体は光を拒絶し、焼けるような痛みに声を発する事すらできなかった。

 布越しであっても光は身体を蝕む。
 光を背にする弟達が妬ましく、そんな自分に失望をする。

 旅立つ神々の背を見送りながら、神殿の影に縛られる様に過ごす事を余儀なくされ、何も出来ない苦しさと惨めな想いだけが積み重なる。
 柱の影から世界は、色鮮やかに変化し続ける。
 真実を見通す目は常に現実を嫌でも見せつけ、私の心は絶望の色だけが染みついていった。

 世界を、神を、恨めば楽に成れただろう。

 けれど私は弟達の駆け回る姿を見るのが好きだった。

 時折神殿へ訪れる大河の化身エーデから、世界の変化や生き物達の話を聞くのが好きだった。

 世界は、神は、生き物は、私に何か加害をしたわけではない。
 むしろ彼らは友好的に接してくれる。
 全ての原因はこの体にあり、妄想の海に浸かるなど愚かな行為だ。
 何もかもが凪いでいる。

 だから、孤独だ。

 世界には緑が溢れ、花は色を増やし、生物は枝分かれを繰り返しながら進化を続ける。
 輝かしき大地に私の居場所はなく、変わりゆく世界にただ一人取り残され、貴方は貴方のままで良いのだと肯定される。
 これを幸せと思える者もいるだろう。けれど私は、自分の体が腐ってくのを黙って見続けるかのように、苦痛でしかなかった。
 神殿の柱は檻さながらに綺麗に建ち並び、痛みの無い苦しみに耐える。

 そんなある日、転機が訪れる。

 月と夜の女神であるニネティスが冥界の管理に疲弊し、帳の時間に乱れが生じ始める。
 人口増加に伴い文明の急速な発展は、多くの資源を有し、新たな土地を求め戦争の頻度が高くなる。文明と共に発展する知識から犯罪は多様化し、巧妙となる。消費ばかりで清浄を疎かにした結果、不衛生な環境が生まれ病気を発生させた。

 世界を巡る力の渦は徐々に激しさを増し、星を回す軸はずれて歪み、太陽と月による均衡は崩れた。

 天を覆い尽くす光を一切通さない暗雲。荒れ狂う落雷。槍のような豪雨。海の荒波は治まる事を知らず、黒い竜巻が何本を出現し、冥界から逃げ出した亡霊達は人々を襲い、美しい世界は豹変した。
 神殿の影からでもその異変はつぶさに分かり、天変地異から何とか逃れた人間や生き物達を受け入れた。
 神殿に避難できても、ここは彼らにとって安住の地ではない。
 世界が元の状態へと回復しなければ、彼等の住む場所は何処にも無い。
 日に日に弱る彼らを見るのは忍びなく、一刻も早く夜の帳を安定させ、世界を回復させなければならない。
 数多の魂が毎日押し寄せる死者の王国を管理するのは、ニネティスだけでは不可能だ。

 力不足としてニネティスは王の座を降りた。次の冥王の座に、誰が着くのか。
 私は、この為に用意された神なのだろう。

 神殿の影に縛られる神1人が地上からいなくなったとしても、世界に支障はない。 
光の届かない地下で暮らせる適任者は、地上ではまともに生きられない私くらいだ。
 私にしか、出来ない事だ。

 嬉しいと思った。ようやく役に立てると思った。

 弟達にその旨を話せば、最初こそ止めようとしたが、最後は了承してくれた。
 そしてニネティスと対話し、地底へと潜った。

 混沌より生じた始原の神によって創造された魂の棺は、ただの空洞に等しいが異常な光景が広がっていた。
 その空洞に、青白い炎となった亡霊が一体化して見える程にひしめき合い、奇妙な明るい世界を形成している。
 行き場の無い炎達は時に共食いを始め、激しく燃えたかと思えば爆発を起こし、種火の様に小さな火は音も無く消えた。
 魂の現状は余りにも悲惨であり、一つ一つを確認するには当方もない時間が掛り、彼女だけでは不可能であると改めて理解させられた。
 冥界にある基盤を作り替え、新たな仕組みを導入しなければ、現状を変える事は出来ない。 
 だが、冥界には地上と違い、空の器そのものだ。魂を収容のみに特化し、地下世界を作り替える程の力を有してはいない。

 ならば、身体に満ちる力を冥界の空の器に注ぎ込み、世界そのものを再構築しよう。

 地上をいち早く回復させる為にも、私そのものを冥界へと染み込ませなくてはならない。
 まず、一時的に私の住居となり白の領域を作った。そこで疑似的な神の死を可能とする転生の剣を作り出し、次に儀式を行う為の広場を作った。

 冥界の特性を利用し、私は自分の首を切り落とした。

 一瞬の痛みと共に、世界は暗転し、再び一点の光と共に目覚める。
 神の血と肉体を地下世界へと染み込ませ、変化させる。赤い血が染みついた広場に青白い花々が咲き、私の力が確かに冥界に注がれたと認識する。
 かつて命の女神が海と大地の狭間の泥で人間を作り出したように、血と冥界の土を混ぜて魂達の番人達を生み出す。
 冥界にとって亡霊は地上の人間と同じく国力となるが、膨れ上がり過ぎてもいけない。命の女神と協議し、転生の法を生み出す。
 かつて炎であった亡霊に、自我消失を防ぎ、意思表示がしやすいよう形状を変える。
 冥界を4層の大きく分ける。死者の魂を選別し、命では償えきれない罪を背負う者を裁く監獄、情状酌量の余地がある者やある程度の善性を働いた者を転生させる為の中継地、英雄もしくは善行や偉業を成し遂げた者の安息の地へ振り分け、管理を行いやすいよう整える。

 ニネティスの夜の帳は安定し、彼女の娘達は運命の女神によって定められた死を与えるべく、地上へと赴くようになった。

 激変する冥界の中、かつて英雄へと昇り詰めかけた罪深き囚人達が、地上へ出ようと画策した。対策のために、冥界と地上を隔てる神殿に、かつて地上の天変地異の際に私の元へとやってきた3匹の獣を配置する。
 そして、より強固な冥界へと再度構築を行う。
 魂の安住の地。裁きの地。行きつく最果ての地。その在り方を作り上げ続ける。

 首を切り落とす度に痛みが消えた。妬みが消えた。惨めな想いが消え、地上を恋しがる気持ちは擦り切れた。

 何かが、徐々に砕け、零れ落ちた。

 臆病で空虚な私を満たすのは、冥界の王としての役割のみとなっていった。

 私しか出来ない。

 私がやらなければならない。

 私の居場所は、ここだけだ。

 私の存在意義はここにある。

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