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四章
49話
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「俺……シャングアに、謝らないといけない事があるんだ」
10分程したのち、涙が治まり始めたエンティーは話を始める。
「どうしたの?」
謝られるような行為をされた覚えが無く、シャングアは不思議に思う。エンティーは収集室の標本箱を落としし、みだりに剥製に触り壊すような人ではない。
まさかこちらの対応が悪く、エンティーが謝らないといけないと思わせる行為があったのか、とシャングアは過去を思い返す。
「今日はフェルエンデさんのところに行って、発情期が来ていないのはどうしてなのか診てもらおうと思ったんだ」
「うん」
「俺は、ちょっと前まで発情期になっていたみたい。抑制剤は飲んでいたけれど、俺から少量出ていたのは予兆じゃなくて発情期の媚香で、シャングアはそのせいで大変な思いをしていたんだ」
「そうだったんだね。僕も初めてだったから、分からなかったよ」
「あの時は、ごめん……」
「エンティーを驚かせてしまったのはこちらだから、お互い様だよ」
Ωの媚香が二種類あるとシャングアも本で読んで知っていたが、実体に嗅いだ経験が無かったので少し驚いた。性質に違いはあるが、媚香の香りは同じなのだろう。我を忘れるようにエンティーの腕に甘噛みをしてしまった時は、お互いにベッドへ寝そべっていた状態だった。普段よりも鼻に近い位置に彼の首筋があったからだ、とシャングアは納得しつつ、活性化状態にあった自分が巻き起こした騒動である事に変わりないと思う。
「発情期をちゃんと知ったのは今回が初めてで……今までの症状が、中毒によるものだったんだ」
長期に渡る禁止薬物混入の抑制剤が使用された結果、平民の間ではΩの発情期がそういうものだと認識され、ほとんどの者がエンティーの症状を心配しなかった。リュクの様に抑制剤がおかしいと気づく者も居たが、その発言は管理者達に揉み消されていた。
「今までも発情期には入っていたけれど、それよりも抑制剤の中毒の症状が強く出ていて、そっちが発情だと思っていたんだ」
「大変だったね。体は大丈夫?」
依存症は精神だけでなく、目つきや顔つきの変化、身体の健康被害も大きく見られる。
頻繁に禁止薬物を常用した場合の健康被害について、シャングアはいくつか調べていた。
血管の縮小により血管組織に大きな損傷を受けた結果、皮膚組織が弱まり炎症や傷ができやすくなり、栄養が体内に行き渡らず2年から3年程度で一気に老化。体内を虫が這いまわる様な幻覚の結果、身体を掻き毟り、顔には至る所に炎症やかさぶたが出来る。
薬物によっては、服用時は睡眠や食事の必要が無くなり、寝不足になり急激に痩せる。人によっては暴飲暴食になり、興奮状態から歯を磨く生活習慣が無くなり虫歯になる。また、唾液の分泌低下により酸の中和作用の低下から虫歯だけでなく、歯の欠損を招くうっ蝕が促進され、ボロボロになってしまう。
「うん。今のところは、大丈夫。前にやった精密検査でも、身体は問題無いってテンテネが言っていたよ」
エンティーは小さく頷いた。栄養状態が改善され肌艶が良くなり、体つきは細いが痩せている状態から脱している。表情は昔に比べて明るさがあり、声は張りが出てきた。
「悪影響が無くて良かった」
今回の禁止薬物が、どこまでエンティーの体を苦しめているか不明だが、シャングアは安定している様子の彼をみて安心をする。
歴代の平民の居住区管理者とその関係者の身柄を拘束し、事情聴取によって、徐々に明るみになり始めた事実は、非情なものばかりだ。抑制剤は月に一度の配給だが、薬物依存症になったΩはそれを求めて管理者達と関係を持っていた。あるΩには無理やり服用させ、放心状態になった所を襲った。過酷な生活をさせる事で、Ω達の薬物の症状を隠していた。外道の話ばかりだが、彼らは抑制剤の製造元やその管理者等の更に深い根の部分を口にしようとしない。
「……依存症については、フェル兄さんから聞いた?」
「うん。依存症については無いように見えるけれど、ふとした時に出てしまうかもしれないから、様子を見ようって話になった」
「そうだね。長い付き合いになるけれど僕も君を支えるから、一緒に頑張ろう」
白衣の医療団より、Ωの依存症患者と禁止薬物の報告書がシャングアの元に来ているが、約2か月では全貌が見えてはいない。禁止された初代聖皇の時代から医療技術が発展した今、絶滅した又は近縁種の竜の血液を使用した薬物を改めて分析し、研究しなければならない。その薬物の中毒、依存に関して簡素に書かれた資料しか残っておらず、未知と言っても差支えが無い程だ。白衣の医療団はこまめに記録を取り、試行錯誤をしつつ、Ω達に治療を施している。
他の違法薬物同様に、依存症の治療は長期戦を強いられる。
「迷惑じゃないの?」
エンティーは申し訳なさそうに、シャングアに問いかける。
「え? どうして?」
どこが迷惑なのか分からず、シャングアは思わず聞き返してしまう。
「だって、依存症を持ったΩだよ。何をするか分からないし、ふとした瞬間に薬を欲しがっておかしな行動をし始めるかもしれないんだ。そんな奴と一緒にいるのは嫌でしょう?」
「大変な事だとは思うけれど、僕は嫌じゃない」
不安そうに言うエンティーを安心させるようにシャングアは彼の手に自らの手を添える。
「エンティーが自分の病と闘おうとしているのに、見て見ぬふりは出来ないよ」
禁止薬物が判明し、数少ない資料と病棟にいるΩ達の症状から、エンティーにも依存症が残っているとシャングアは思っていた。知らないながらもずっと闘ってきた彼を見捨てるつもりは毛頭ない。
「本当に、良いの?」
エンティーは不安が拭いきれず、再度確認をする。
「もちろん。エンティーさえ良ければ、これからも君を支えさせて欲しいな」
安心させるようにシャングアが微笑むと、エンティーの表情が和らぐ。
「良かった……俺、君が好きだから、嫌われたらどうしようかと……」
安堵したエンティーは口を滑らせてしまい、すぐに気づいて顔を赤くした。
10分程したのち、涙が治まり始めたエンティーは話を始める。
「どうしたの?」
謝られるような行為をされた覚えが無く、シャングアは不思議に思う。エンティーは収集室の標本箱を落としし、みだりに剥製に触り壊すような人ではない。
まさかこちらの対応が悪く、エンティーが謝らないといけないと思わせる行為があったのか、とシャングアは過去を思い返す。
「今日はフェルエンデさんのところに行って、発情期が来ていないのはどうしてなのか診てもらおうと思ったんだ」
「うん」
「俺は、ちょっと前まで発情期になっていたみたい。抑制剤は飲んでいたけれど、俺から少量出ていたのは予兆じゃなくて発情期の媚香で、シャングアはそのせいで大変な思いをしていたんだ」
「そうだったんだね。僕も初めてだったから、分からなかったよ」
「あの時は、ごめん……」
「エンティーを驚かせてしまったのはこちらだから、お互い様だよ」
Ωの媚香が二種類あるとシャングアも本で読んで知っていたが、実体に嗅いだ経験が無かったので少し驚いた。性質に違いはあるが、媚香の香りは同じなのだろう。我を忘れるようにエンティーの腕に甘噛みをしてしまった時は、お互いにベッドへ寝そべっていた状態だった。普段よりも鼻に近い位置に彼の首筋があったからだ、とシャングアは納得しつつ、活性化状態にあった自分が巻き起こした騒動である事に変わりないと思う。
「発情期をちゃんと知ったのは今回が初めてで……今までの症状が、中毒によるものだったんだ」
長期に渡る禁止薬物混入の抑制剤が使用された結果、平民の間ではΩの発情期がそういうものだと認識され、ほとんどの者がエンティーの症状を心配しなかった。リュクの様に抑制剤がおかしいと気づく者も居たが、その発言は管理者達に揉み消されていた。
「今までも発情期には入っていたけれど、それよりも抑制剤の中毒の症状が強く出ていて、そっちが発情だと思っていたんだ」
「大変だったね。体は大丈夫?」
依存症は精神だけでなく、目つきや顔つきの変化、身体の健康被害も大きく見られる。
頻繁に禁止薬物を常用した場合の健康被害について、シャングアはいくつか調べていた。
血管の縮小により血管組織に大きな損傷を受けた結果、皮膚組織が弱まり炎症や傷ができやすくなり、栄養が体内に行き渡らず2年から3年程度で一気に老化。体内を虫が這いまわる様な幻覚の結果、身体を掻き毟り、顔には至る所に炎症やかさぶたが出来る。
薬物によっては、服用時は睡眠や食事の必要が無くなり、寝不足になり急激に痩せる。人によっては暴飲暴食になり、興奮状態から歯を磨く生活習慣が無くなり虫歯になる。また、唾液の分泌低下により酸の中和作用の低下から虫歯だけでなく、歯の欠損を招くうっ蝕が促進され、ボロボロになってしまう。
「うん。今のところは、大丈夫。前にやった精密検査でも、身体は問題無いってテンテネが言っていたよ」
エンティーは小さく頷いた。栄養状態が改善され肌艶が良くなり、体つきは細いが痩せている状態から脱している。表情は昔に比べて明るさがあり、声は張りが出てきた。
「悪影響が無くて良かった」
今回の禁止薬物が、どこまでエンティーの体を苦しめているか不明だが、シャングアは安定している様子の彼をみて安心をする。
歴代の平民の居住区管理者とその関係者の身柄を拘束し、事情聴取によって、徐々に明るみになり始めた事実は、非情なものばかりだ。抑制剤は月に一度の配給だが、薬物依存症になったΩはそれを求めて管理者達と関係を持っていた。あるΩには無理やり服用させ、放心状態になった所を襲った。過酷な生活をさせる事で、Ω達の薬物の症状を隠していた。外道の話ばかりだが、彼らは抑制剤の製造元やその管理者等の更に深い根の部分を口にしようとしない。
「……依存症については、フェル兄さんから聞いた?」
「うん。依存症については無いように見えるけれど、ふとした時に出てしまうかもしれないから、様子を見ようって話になった」
「そうだね。長い付き合いになるけれど僕も君を支えるから、一緒に頑張ろう」
白衣の医療団より、Ωの依存症患者と禁止薬物の報告書がシャングアの元に来ているが、約2か月では全貌が見えてはいない。禁止された初代聖皇の時代から医療技術が発展した今、絶滅した又は近縁種の竜の血液を使用した薬物を改めて分析し、研究しなければならない。その薬物の中毒、依存に関して簡素に書かれた資料しか残っておらず、未知と言っても差支えが無い程だ。白衣の医療団はこまめに記録を取り、試行錯誤をしつつ、Ω達に治療を施している。
他の違法薬物同様に、依存症の治療は長期戦を強いられる。
「迷惑じゃないの?」
エンティーは申し訳なさそうに、シャングアに問いかける。
「え? どうして?」
どこが迷惑なのか分からず、シャングアは思わず聞き返してしまう。
「だって、依存症を持ったΩだよ。何をするか分からないし、ふとした瞬間に薬を欲しがっておかしな行動をし始めるかもしれないんだ。そんな奴と一緒にいるのは嫌でしょう?」
「大変な事だとは思うけれど、僕は嫌じゃない」
不安そうに言うエンティーを安心させるようにシャングアは彼の手に自らの手を添える。
「エンティーが自分の病と闘おうとしているのに、見て見ぬふりは出来ないよ」
禁止薬物が判明し、数少ない資料と病棟にいるΩ達の症状から、エンティーにも依存症が残っているとシャングアは思っていた。知らないながらもずっと闘ってきた彼を見捨てるつもりは毛頭ない。
「本当に、良いの?」
エンティーは不安が拭いきれず、再度確認をする。
「もちろん。エンティーさえ良ければ、これからも君を支えさせて欲しいな」
安心させるようにシャングアが微笑むと、エンティーの表情が和らぐ。
「良かった……俺、君が好きだから、嫌われたらどうしようかと……」
安堵したエンティーは口を滑らせてしまい、すぐに気づいて顔を赤くした。
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