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二章

25話

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 理想とする布であっても、初めて扱う材質に苦戦しながらもクォギアは服の制作に取り掛かった。布を探している間に、北神門周りで出会った細工師と靴職人に依頼を行い、連絡を取りつつの作業の為、かなり忙しい日々が続いた。庭や建物の清掃の業者は、ディルギスがトトルゥと連絡する過程で見繕って貰ったらしく、日に日に工房の窓から見える景色が変わっていった。
 3ヵ月はあっという間に過ぎた。
そして、絢爛なる星神の城にディルギスは20年ぶりに入城をする。護衛の騎士はおらず、傍らにいるのは裁縫師のクォギアのみ。城の使用人や聖騎士達は遠巻きに驚いている様子だったが、ディルギスは特に気にする様子もなく大広間の大扉の前まで向かった。

「ディルギス様。私は裁縫工房にて、待機しております」

 クォギアが行けるのは、ここまでだ。何が起きるか分からない城の中で、クォギアが落ち着いて過ごせる場所は慣れ親しんだ工房しかない。

「わかった。後ほど、会いに行く」
「いえ、頃合いを見て、私がここに……」

 拒否する前に彼は一歩前に進み、待機していた聖騎士が扉を開ける。
 薄暗い廊下に、光が溢れ、クォギアは目を細める。
 神々が集まる華やかなパーティ。創世の時代には、国神が各地で役目を遂行する神々を集め、彼ら目線での現状報告を聞く〈集会〉であったため、名残でそう呼ばれ続けている。

「行ってくる」
「いってらっしゃいませ」

 昔もこんな風だった。そう思いながら、クォギアはディルギスを見送った。

「浄化の神ディルギス様のご入場です!!!」

 伝達の神による何処までも通る大きな声が、大広間に響き渡る。
 20年ぶりの出席であるディルギスに、神達の注目が集まる。
 存在を強調する為に少しだけヒールのある白い靴を履き、コンビネゾン調の身体のラインを強調する白い服は、光の加減によって真珠のように淡い虹色を抱き、腕周りや胸には金の花の刺繍が咲き誇る。ズボンの部分には、仙骨部から膝下へと回り込むようにドレスのスカートを思わせる白いひだがあしらわれている。
 頭から垂れ下がる真珠のベールは、視界を遮らないようかなり大きな升目で作られ、人と神は自然と彼の金色の目へと視線が向かう。
 時代の一歩先を行くデザインに、皆の視線が釘付けとなる。
 どこからか〈ようやく来たのか〉〈噂は噂でしかない〉〈もめ事が片付いたようだな〉〈あの生地、不思議な色ね。どこで生産されているのかしら〉〈初めて見るデザインだけれど、素敵ね〉〈腕の良い裁縫師を雇ったようだ〉と声がちらほら聞こえてくる。

「よぉ! ディル! 元気そうで何よりだ!」

 20年ぶりのディルギスにどう声を掛けようか、と神が迷っている中で、まるで町中で会ったかのように気軽に挨拶をする男神がディルギスに歩み寄る。
 男は、見た目は30代。波立つ深紫を伸ばし、黒と白のブドウを模した髪飾りで一まとめにしている。ある程度整った顔は、酔って赤くなり、緩んでいる。黒い瞳の視線が時折定まらないが、鍛えているからか足取りはそこまで悪くはない。手には赤ワインが満たされたグラスがあり、酔い覚ましに体を冷やすためか燕尾のコート、ベスト、シャツは全て開け、首元を飾っていたスカーフは何故か右腕に巻かれている。

「相変わらずだな、ベルーニャ。まだ集会が開かれて15分も経っていない筈だが?」
「いいだろぉ! 今日は、20年ぶりディルと会えた祝い酒なんだから!」

 何かと理由を付けて酒を飲んでいるだけだろう。そう思いながら、ディルギスは言わなかった。
彼が一番に声を掛ける事で、場の雰囲気は和やかになった。ディルギスに難癖をつけようとしていた一歩前に出た神がちらほらいたが、古参のベルーニャの登場で誤魔化すように移動をする。飲んで酔っても正気なのが酒の神ベルーニャの特異な性質だ。誰もそれには気付いていない様子で、中には〈相変わらず〉と笑っている神がいた。

「国神はどうした?」
「今回は欠席だ。あいつは隔月しか来ない。おまえが来るって知っても、それは曲げなかった。まぁ、おまえはちゃんと来たし、問題なしと見なして何も言っては来ないさ」

 ベルーニャはグラスを傾け、ワインを二口ほど飲む。

「面白いデザインの服だな。裁縫師の拘りっつーか、おまえの為だけに作った感じで、滅茶苦茶頑張ったんだな。ちゃんと給料に上乗せしとけよ?」
「言われなくとも」

 ディルギスの口元に薄く笑みが零れ、ベルーニャは彼の機嫌の良さに内心驚いた。
 集会に参加する時は、常に不機嫌であり、周りと会話を楽しむことも、酒や食事に手を付ける事なんて一切なかった。ただ、時間を潰すだけの為に居たようなものだった。

「それで、どういう風の吹き回しだ? お前の事だから、あと100年は眠っているものだと思っていたぞ」
「こちらには、こちらの事情がある。詮索をするな」
「いいじゃんかよ! 俺達の仲なんだし! なぁ、ちょっとで良いからさ、教えろよ。そっちの方が得だって!」

 気分よく残りのワインを飲み干すベルーニャは、ディルギスに肩を組みながら言う。

「おまえ……」

 既に酒臭いベルーニャに対してディルギスは目を細める。酔っていても正気であるベルーニャは元々絡んでくる性格であり、こうなってはちゃんと答えるまで離してはくれない。

「ビルジュの野郎がこっちを見てる。俺に合わせておけ」

 耳打ちされ、ディルギスはベルーニャの目線の先を見る。
 若い神達と会話する男神がいる。
 深緑の短い髪に、若葉色の瞳。整った顔立ちには柔らかな笑顔を浮かべ、すらりとした体形に紺の燕尾服がよく似合う。
 貴族の若者のような、しっかりと描かれているが絵画の隅にいる大勢の1人のように、どこか影の薄さを感じる。あれがビルジュであると認識しなければ、特に気にも留めずにいただろう。場に溶け込める能を持った者ほど、厄介なものは無い。
 目線が合いそうになった瞬間に、ディルギスは頭にかかる真珠のベールを直すふりをした。

「それ、邪魔じゃないか?」
「気に入っているんだ。黙れ」
「はいはい。それで、何があったんだ?」

 ベルーニャは、新しいワインの満たされたグラスを貰いながら、ディルギスに問う。
 2人の周りに酒の甘い香りが増し、周囲から聞こえる音が遠のいた。

「……私の裁縫師であるクォギアを知っているな?」
「もちろん。トトルゥからも、聞いている。おまえに気がある男の子だろ」
「そ……は?」

 ハトが豆鉄砲を食らったかのように、ディルギスは目を見張った。いつも通り流されると思ったが予想外の反応に、ベルーニャは面白そうに笑みを溢す。

「お? そんな顔するってことは、おまえも、いだだだッ!! 引っ張んな!!」

 ディルギスに思い切り左頬を引っ張られ、ベルーニャは余りの痛さに半泣きになる。

「からかって悪かった!!!!」
「二度とするな」

 小さい体の何処に力があるのか。何を言ってもしかめっ面だった奴が、実力行使するなんて。
 赤くなった左頬を撫でるとベルーニャは、痛みを和らげるためにワインを飲む。
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