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一章

8話

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 空が暗くなり始めた頃、クォギアは北区の町へとやって来た。ディルギスに夕食はいらないと言われ、神殿と別館の調理場は掃除をして、道具を揃えないと使えない状況だ。住民の話を聞く良い機会だと思い、クォギアは道具屋や手芸店を物色した後、露天通りを歩く。
 中心都市の華やかさとは違い、北区は庶民的な雰囲気を醸し出している。街灯が灯り、昼間は生活雑貨や食材を主に扱っていた露天商は、夕方から料理全般へと一転する。香ばしく焼き上げた肉の串焼きやパン、東洋から伝わった香辛料の効いた麺や米の料理、味の濃いモノに合わせる様にさっぱりとしたピクルス類や切り分けた果物、飴や揚げ菓子等、目移りする程の品々が並んでいる。
 値段も手ごろであり、今晩の献立や仕事のご褒美にと買っていく住民や観光客、冒険者や旅人でひしめき合っている。

「よぉ! 兄ちゃん! どうだい一本!」

 串焼きの露店の店主が、道具屋で買ったリュックを背負うクォギアに声を掛ける。
 炭火焼の網の上には、一口サイズに切り分けた豚や鳥、食用に向いた魔獣の肉が食べごろに焼き上がっている。甘辛いソースを塗っているおかげで更に香ばしい香りが立ちこめ、食欲をそそる。
 自然と足がそちらへと向く。

「3種類を一本ずつお願いします」

 屋台の前には3つ椅子が置いてあり、クォギアはそこへ座った。

「まいど! 随分と良い身なりだが、どこかの家の使用人かい?」

 串焼きを皿に乗せながら店主は、質の良い生地の服だと一目で判断するとクォギアに訊く。

「えぇ、ディルギス様の神殿に」
「し、神殿だって……?」

 クォギアはあえて正直に話し、店主は目を丸くする。

「何か問題でも?」
「ないない! むしろ、ようやくと言うか……ちょっと前に、ここらで騒ぎになっただろ? あれから、町の連中は神殿の話となると敏感なんだ……あ、い、いや、なんです!」

 店主は、大げさに手と首を振って否定する。

「よ、他に比べ北区の防壁の外では、魔獣が近くを闊歩しているん、です。ディルギス様のお力が無いと、いつ被害を受けるか分からない状況でして」

 噂について話すかと思えば、全く別の内容だ。
 四方の区画の中でも、北区は魔獣からの防衛の要だ。北区の防壁の周囲には平原が広がり、その先には魔境と呼ばれる広大な森と山脈が聳え立っている。数年に一度、特定の種の大繁殖や、若い個体の群れによる大移動が発生する。彼らにとって国は餌場であり、道に置かれた障害物に過ぎない。国は厳戒態勢に入り、迫りくる魔獣達を討伐する。
 危険ではあるが、魔獣から獲れる鱗や毛皮、肉等には高い需要があり、国の大切な産業の一つとなっている。

「言い訳になって申し訳ありませんが、実は……騒ぎになるまで、北区の区長がディルギス様の神殿に近付くなってお触れを出していたんですよ。たしか、17年位前です。隣国の戦争で、あっちの神が沢山亡くなったから、浄化を肩代わりしているって。俺らが礼拝に行っては、負担になるとか何とか……」

 店主は、クォギアに串焼きの乗った皿を渡す。

「区長が代表して礼拝に行っていると言っていたし、時々俺らもそれを見かけていたので信じてしまいました。俺らも生活があるから、忙しさのあまり神殿に行かないのが当たり前になってしまい……嘘臭い噂まで流れて、若い奴らはディルギス様への関心まで薄れる始末。仲間の子供に知らされて、何も行動を起こさなかった俺達は、ようやく過ちに気づきました。不甲斐ない話です」

 クォギアから代金を貰う店主は、心底申し訳なさそうに言う。
 魔獣への警戒から北区は、他の3つの区に比べて住民達の団結力が強い様だ。それが仇となり、信頼しきった相手に裏切られていた事に気づけなかった。
17年もの間どうしてと言いたいが、それだけ長ければ人の中には世代交代が発生し、赤子は青年へ成長し、価値観に変化が生じる。店主の言うように生活があり、その為に稼がなくてはならない。目まぐるしい日々に神殿に行かないのが当たり前になり、代表者以外は関係が無いと考える者も現れる。
 参拝や礼拝に強制力は無いとしても、神を蔑ろにしてはその恩恵を授かれない。役目を放棄しなくとも、ディルギスには人への浄化を最低限に留める選択が出来るからだ。
 神々が火消しを強行し、人に対して力を示した。

「毎月みんなで神殿へ送る謝礼を出し合い、区長に渡していたもんで、騒ぎの時はもうそれはそれは大変で……なんというか俺達も悪いですが、犯罪は別方向で悪いんで、それで余計にこじれてしまいました」

「あー……盗まれたのが相当な金額なんですね」
「大体、二階建ての家が2件建つ位の金を盗まれたので……詳しくは分かりませんが、どこぞの女に金を貢いでいたとか、豪遊したとも聞いています」

 店主は大きくため息をつき、これにはクォギアも同情した。
 遊ぶ金欲しさに、とありがちな噂で覆い隠しているが、女の職業や特徴など示唆できる情報は流れていない様だ。17年前からとなれば、レイシャンの可能性が極めて高い。裁縫師同様に、唆されていた。神殿内部では他の神の配下から勘付かれると思い、最初はこちらから手を出したのだろう。調査結果を読まなければ実体は分からないが、そうであれば人を欺き贅を尽くしたレイシャンによって神の威信が問われる。
 ディルギスが沈黙を貫き役目を遂行し続け、神々が火消しに走った理由もその点では納得できた。
 ただ、ディルギスの周囲を標的にした理由が分からず、クォギアは内心首を傾げる。同じ浄化の神であるが、四方を担う為に頻繁に会えない。集会や建国記念祭等の行事ごとでしか対面する機会がないはずだ。

「その区長は今どうしていらっしゃるのですか?」
「去年、落馬事故で腰をやって辞職しましたが、今は財産を差し押さえられて牢屋の中です」
「それなら良かった」

 クォギアは少し冷めた豚の串焼きを口にする。甘辛いたれと豚肉の旨味が調和し、硬すぎず食べやすい。

「それで……謝礼に関して、改めて用意すると、ディルギス様に伝えてくれませんか? 流石に、あの野郎の財産から返金されて来たやつは渡せないので、ちゃんとしたお金を包ませていただけたらと……」

 自分で働いた金をディルギスへ渡したい。
 礼拝に向かう機会を失っていたが、住民は崇拝と敬意の念は忘れていない。
 今後、ディルギスが表に立っても、噂を信じず、彼等なら手放しで喜び、歓迎してくれる。それが分かっただけでも、クォギアにとって収穫だ。

「わかりました。事情が事情ですし、ディルギス様も分かってくださいますよ」
「あ、ありがとうございます!! 他の仲間にも伝えておきます!」

 店主は感謝し、皿へと串焼きをどんどんと乗せて行った。
 山のように積まれていく串焼きを目の前に、クォギアは顔を引きつらせる。
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