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19.俺とドラゴンと森の中

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 神父さんに教会の一室を貸してもらい、夕食の後に手紙をしたためた。宛先は勿論、俺の魔法の師匠だ。
 俺がエルファリア家の従者を辞めたこと。そして、追加の薬をいくつかルルゥカ村の教会に届けてほしい旨を書き並べる。
 最後に、身体はかなり悪いが元気にやっていけそうだと書いて締めくくった。
 現に師匠であるとは言っても、普段の俺は先生と呼んでいた。どうやら『師匠』と呼ばれるのが気に食わないらしいからである。
 その理由はよく知らないし、結局最後まで教えてもらえなかった。
 なので、俺の中では『師匠』だけど『先生』という、多少複雑な何かを抱えている存在として頼りにさせてもらっている。
 その手紙は、召喚魔法でび出した小鳥──の姿をした、風の小精霊の脚にくくり付けてある。
 魔法使いの間ではこうした連絡手段が一般的で、互いの魔力の特徴を知っていれば、相手がどこに居ても手紙が届けられるようになっているのだ。

「頼んだぞ、ヒュウ」
「チチッ!」

 ヒュウと名付けた俺の契約精霊は、窓から夜の空へと羽ばたいていく。
 一般的な精霊は、このヒュウのように動物の姿を象ったものが多く居るらしい。中には人型をした精霊も居るそうだが、俺はまだ会ったことがない。
 人の姿をした精霊は高位精霊であることが多く、警戒心が強いので、あまり人前に現れないんだとか。
 そしてヒュウの特徴は、風の精霊であるが故のスピードにある。風を読み、時に操ることの出来る風の精霊は、こうした遠方との連絡手段として重宝される。
 きっと夜明けには、遥か北の里に住む先生の元へ辿り着いてくれることだろう。



 *



 翌朝、胃がキリキリと痛むせいで目が覚めた。
 もう少し気持ち良く朝を迎えたいものだが、俺の胃が治るにはまだまだ時間が必要なのだろう。
 そして俺は今日の朝から、西の森で怪我を癒しているドラゴンの観察を始めることになっている。
 朝の森は、清々しい空気に満ち溢れていた。これだけでも都会では味わえない、極上のヒーリング体験だ。
 ピチチ、という小鳥達の愛らしいさえずりを聴きながら、昨日あのドラゴンが眠っていた場所を目指して歩いていく。
 周囲に魔物の気配を感じないのは、この森に潜む魔物達よりもドラゴンの方が強いからだろうか?
 とにかく、移動が楽なのは良いことだ。
 そのまましばらく歩いていって、足元でガサリと草むらが揺れる。その音に反応して、黄色い二つの目玉が俺を捉えた。

「グルル……」

 あの赤いドラゴンだ。
 俺を見つけたドラゴンは、尻尾でバタンと地面を叩きながら、こちらを睨み付けている。
 だが……昨日置いていった薬草の束が、無くなっている。

「おはようございます、レッドドラゴン。傷の具合は如何でしょうか?」

 至って平静に、にこやかに問いかける。
 俺の立つ位置からドラゴンまでの距離は、ざっと五メートルほど。ここから観察する限り、昨日よりは傷口が薄くなってきたような気がする。
 その証拠と言わんばかりに、俺の言葉にドラゴンがこんな反応を示したのだ。

「グ……グルゥ……!」

 べ、別にお前のくれた薬草がよく効いたワケじゃないんだからね! と言わんばかりに、プイッと視線を逸らすドラゴンさん。
 俺が昨日の人間だと分かったからか、先程までの刺々しい空気がすっかり丸くなったように感じる。まあ、単なる気のせいかもしれないのだが。

「昨日の薬草、お試しして頂けたようですね。安心致しました」
「ググゥ……」

 俺の言葉に、ドラゴンは小さく唸って反応する。
 彼なりに返事をしてくれているのが伝わってきて、やはりドラゴンというのは相当賢い生物なのだと改めて実感した。
 この調子なら、村長さんとの約束の五日間で怪我も治りきるかもしれない。そうしたらこのレッドドラゴンも、元の場所に戻れるようになるだろう。それに村の人達だって、安心して狩りが出来るようになるはずだ。
 そう思うと、自然と嬉しくなってくる。人でもドラゴンでも、誰かが苦しんでいるのを見るのは辛いからな。

「……また明日、様子を見に参ります。どうぞゆっくりと、お身体を休めて下さいませ」
「グルァッ……!」
「…………?」

 そろそろ村に戻ろうか、と思って別れの挨拶をすると、ドラゴンは背中を向けた俺を引き止めるような声を上げた。

「……如何なさいましたか?」

 俺の言葉に、けれどもドラゴンは反応を示さない。
 まるで、自分は声を上げるつもりなどなかったはずだ──といった、驚愕の表情を浮かべたままで。
 辺りは、しばらく沈黙に包まれる。
 だがその静寂を破ったのは、他でもないこの俺自身だった。

「……もう少し、ここで森の空気を吸ってから引き上げましょう。ここ、宜しいですか?」

 俺は近くの木の幹に手を触れて、滞在の許可を伺う。
 するとドラゴンは、ピクンと尻尾を揺らしたかと思うと、

「……グ、グルルゥ……」

 と、小さく鳴いてその場で丸まった。
 どうやらここに居ても大丈夫なようである。
 お言葉に甘えて、俺は幹に背中を預けてその場に座り込んだ。
 誰の邪魔も入らない、心地良く穏やかな森の中。
 木々のざわめきを聴きながら、俺達はひどくゆったりとした時間を共有するのだった。
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