上 下
5 / 55

5.俺とお屋敷のお別れ

しおりを挟む
 翌朝、俺は荷物を纏めて屋敷を出る準備を整えた。

 侯爵様には、本当にお世話になった。急な申し出にも関わらず退職させてくれた。感謝と同時に、申し訳無さも込み上げる。
 医者のゴードンさんにも『本当はもうしばらく安静にしてもらいたかったんだが……』と言われた。けれど、彼は俺の身体の状況をよく理解している。十日分の痛み止めの入った瓶を俺に手渡しながら、『まあ、とにかく達者でやれよ』と笑って言ってくれた。
 屋敷で働くメイドさんや料理人さん、庭師のおじさん達にも随分お世話になった。子供の頃から色々なことを教わった。読み書きを覚えたのだって、彼女達が交代で勉強に付き合ってくれたお陰だ。

 ……このエルファリア家の屋敷には、数え切れないほどの思い出でいっぱいだった。
 屋敷に来てすぐの頃、ラスティーナと一緒にかくれんぼをして遊んだ庭を歩く。
 庭園には、今は亡き奥様が大切に育てていた薔薇園がある。そこはちょっとした迷路のようになっていて、五歳と三歳だった俺達にとっては、入り組んだ自然の大迷宮のようだった。
 あの時はラスティーナが鬼をやると言って、俺は薔薇園に飛び込んだんだよな。
 薔薇園はエルファリア邸の東側の敷地にあって、一部だけ俺の腰ぐらいの高さのトンネル状になった薔薇のアーチがある。そこを潜っていくと薔薇園から出て、すぐ隣にある厩舎きゅうしゃの方に抜けるルートが隠されていた。
 俺はその隠しトンネルを使ってラスティーナからの追跡を巧みにかわし、その結果どこを探しても俺を見付けられなかった彼女にギャン泣きされたっけ。
 いやぁ、昔から理不尽なご主人様だったよあの子は。『ほんきでかくれなさいよ! ぜったいにあたしがレオンをみつけてやるんだから!』とか大口を叩いてたのに、実際に本気を出されたら泣き喚くとか……貴族のお嬢様としてどうなのか、品格を疑うよな。
 そんな思い出が蘇る庭を抜けて、少し胃がキュッとするのを堪えつつ、俺は屋敷の正門を目指す。

 そこには、庭師のルーピン爺さんが立っていた。
 そういえば、彼にはまだ別れの挨拶を済ませていなかったことを思い出す。

「ルーピンさん、わざわざ見送りに来て下さったんですか?」
「ああ、ワシらの可愛いレオン坊やの見送りじゃからな」
「坊やって……俺はもう二十歳ですよ?」
「ワシからしてみれば、お主もまだまだ可愛い子供じゃて」

 そう言って朗らかに笑う好々爺こうこうやのルーピン爺さんは、屋敷の皆から好かれる皆のお爺ちゃん的存在だ。
 時々部屋に来てクッキーを差し入れしてくれていたのだが、未だに孫扱いは健在らしい。ちなみにそのクッキーは、ルーピン爺さんの奥さんお手製のしっとりジャム入りクッキーである。めちゃくちゃ美味い。
 もしかしたら俺が喜んでクッキーを貰ってしまうのも孫扱いされてしまう原因の一つなのかもしれないけれど、俺はジャム入りクッキーが好きなんだから仕方が無い。爺さんの奥さんが料理上手なのがいけないんだ。うん、絶対。
 するとルーピン爺さんは、いつものように袋に詰められたクッキーを俺に差し出した。

「ほれ、うちのカメリアお手製のクッキーじゃ。持っておいき」
「ありがとうございます。……もう、カメリアさんのクッキーは滅多に食べられなくなっちゃいますね」
「そうじゃな……。ワシもカメリアも、働けるうちは死ぬまで働くつもりじゃが……またいつか会えると良いのぅ、レオン坊や」
「そう……ですね。はい、またいつか」

 ……とは言ったけれど。
 俺はもう、ラスティーナとは縁を切った身だ。
 きっとこの屋敷に戻って来る事は無い。だから、プライベートでこっそり会いに行かない限りは、もうルーピン爺さんとも今生の別れになるだろう。
 ここを出ると決めたのは、紛れもなく俺自身の判断だ。
 二度と会えなくなるであろう人達と今度こそ最後の挨拶を済ませた俺は、最後にエルファリア邸へと振り向いた。

「……結局、あれきり顔を出してこなかったな」

 俺にもう関わるな、と強くいったのだから当然ではある。
 白ウサギみたいに小柄で、気になるものがあればすぐに飛び込んでいくおてんば令嬢。
 その尻拭いは全部俺任せで、思い返すのも胃が痛くなるような命令ばかり与えてきた幼馴染、ラスティーナ。

「……お前は早く俺のことなんか忘れて、勝手に元気にやってればいいんだよ」

 ぼそりと呟いた言葉は、きっとルーピン爺さんの耳には届いていない。
 吐き気ではないものが込み上げてきたのをグッと堪えて、俺はエルファリア邸の門を出た。


 さようなら、俺のお嬢様。
 さようなら、俺の幼馴染。


 ──さようなら、俺の初恋だった人。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

転生幼女具現化スキルでハードな異世界生活

高梨
ファンタジー
ストレス社会、労働社会、希薄な社会、それに揉まれ石化した心で唯一の親友を守って私は死んだ……のだけれども、死後に閻魔に下されたのは願ってもない異世界転生の判決だった。 黒髪ロングのアメジストの眼をもつ美少女転生して、 接客業後遺症の無表情と接客業の武器営業スマイルと、勝手に進んで行く周りにゲンナリしながら彼女は異世界でくらします。考えてるのに最終的にめんどくさくなって突拍子もないことをしでかして周りに振り回されると同じくらい周りを振り回します。  中性パッツン氷帝と黒の『ナンでも?』できる少女の恋愛ファンタジー。平穏は遙か彼方の代物……この物語をどうぞ見届けてくださいませ。  無表情中性おかっぱ王子?、純粋培養王女、オカマ、下働き大好き系国王、考え過ぎて首を落としたまま過ごす医者、女装メイド男の娘。 猫耳獣人なんでもござれ……。  ほの暗い恋愛ありファンタジーの始まります。 R15タグのように15に収まる範囲の描写がありますご注意ください。 そして『ほの暗いです』

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ハズレスキル【分解】が超絶当たりだった件~仲間たちから捨てられたけど、拾ったゴミスキルを優良スキルに作り変えて何でも解決する~

名無し
ファンタジー
お前の代わりなんざいくらでもいる。パーティーリーダーからそう宣告され、あっさり捨てられた主人公フォード。彼のスキル【分解】は、所有物を瞬時にバラバラにして持ち運びやすくする程度の効果だと思われていたが、なんとスキルにも適用されるもので、【分解】したスキルなら幾らでも所有できるというチートスキルであった。捨てられているゴミスキルを【分解】することで有用なスキルに作り変えていくうち、彼はなんでも解決屋を開くことを思いつき、底辺冒険者から成り上がっていく。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】帝国から追放された最強のチーム、リミッター外して無双する

エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング2位獲得作品】  スペイゴール大陸最強の帝国、ユハ帝国。  帝国に仕え、最強の戦力を誇っていたチーム、『デイブレイク』は、突然議会から追放を言い渡される。  しかし帝国は気づいていなかった。彼らの力が帝国を拡大し、恐るべき戦力を誇示していたことに。  自由になった『デイブレイク』のメンバー、エルフのクリス、バランス型のアキラ、強大な魔力を宿すジャック、杖さばきの達人ランラン、絶世の美女シエナは、今まで抑えていた実力を完全開放し、ゼロからユハ帝国を超える国を建国していく。   ※この世界では、杖と魔法を使って戦闘を行います。しかし、あの稲妻型の傷を持つメガネの少年のように戦うわけではありません。どうやって戦うのかは、本文を読んでのお楽しみです。杖で戦う戦士のことを、本文では杖士(ブレイカー)と描写しています。 ※舞台の雰囲気は中世ヨーロッパ〜近世ヨーロッパに近いです。 〜『デイブレイク』のメンバー紹介〜 ・クリス(男・エルフ・570歳)   チームのリーダー。もともとはエルフの貴族の家系だったため、上品で高潔。白く透明感のある肌に、整った顔立ちである。エルフ特有のとがった耳も特徴的。メンバーからも信頼されているが…… ・アキラ(男・人間・29歳)  杖術、身体能力、頭脳、魔力など、あらゆる面のバランスが取れたチームの主力。独特なユーモアのセンスがあり、ムードメーカーでもある。唯一の弱点が…… ・ジャック(男・人間・34歳)  怪物級の魔力を持つ杖士。その魔力が強大すぎるがゆえに、普段はその魔力を抑え込んでいるため、感情をあまり出さない。チームで唯一の黒人で、ドレッドヘアが特徴的。戦闘で右腕を失って以来義手を装着しているが…… ・ランラン(女・人間・25歳)  優れた杖の腕前を持ち、チームを支える杖士。陽気でチャレンジャーな一面もあり、可愛さも武器である。性格の共通点から、アキラと親しく、親友である。しかし実は…… ・シエナ(女・人間・28歳)  絶世の美女。とはいっても杖士としての実力も高く、アキラと同じくバランス型である。誰もが羨む美貌をもっているが、本人はあまり自信がないらしく、相手の反応を確認しながら静かに話す。あるメンバーのことが……

処理中です...