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5.俺とお屋敷のお別れ
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翌朝、俺は荷物を纏めて屋敷を出る準備を整えた。
侯爵様には、本当にお世話になった。急な申し出にも関わらず退職させてくれた。感謝と同時に、申し訳無さも込み上げる。
医者のゴードンさんにも『本当はもうしばらく安静にしてもらいたかったんだが……』と言われた。けれど、彼は俺の身体の状況をよく理解している。十日分の痛み止めの入った瓶を俺に手渡しながら、『まあ、とにかく達者でやれよ』と笑って言ってくれた。
屋敷で働くメイドさんや料理人さん、庭師のおじさん達にも随分お世話になった。子供の頃から色々なことを教わった。読み書きを覚えたのだって、彼女達が交代で勉強に付き合ってくれたお陰だ。
……このエルファリア家の屋敷には、数え切れないほどの思い出でいっぱいだった。
屋敷に来てすぐの頃、ラスティーナと一緒にかくれんぼをして遊んだ庭を歩く。
庭園には、今は亡き奥様が大切に育てていた薔薇園がある。そこはちょっとした迷路のようになっていて、五歳と三歳だった俺達にとっては、入り組んだ自然の大迷宮のようだった。
あの時はラスティーナが鬼をやると言って、俺は薔薇園に飛び込んだんだよな。
薔薇園はエルファリア邸の東側の敷地にあって、一部だけ俺の腰ぐらいの高さのトンネル状になった薔薇のアーチがある。そこを潜っていくと薔薇園から出て、すぐ隣にある厩舎の方に抜けるルートが隠されていた。
俺はその隠しトンネルを使ってラスティーナからの追跡を巧みにかわし、その結果どこを探しても俺を見付けられなかった彼女にギャン泣きされたっけ。
いやぁ、昔から理不尽なご主人様だったよあの子は。『ほんきでかくれなさいよ! ぜったいにあたしがレオンをみつけてやるんだから!』とか大口を叩いてたのに、実際に本気を出されたら泣き喚くとか……貴族のお嬢様としてどうなのか、品格を疑うよな。
そんな思い出が蘇る庭を抜けて、少し胃がキュッとするのを堪えつつ、俺は屋敷の正門を目指す。
そこには、庭師のルーピン爺さんが立っていた。
そういえば、彼にはまだ別れの挨拶を済ませていなかったことを思い出す。
「ルーピンさん、わざわざ見送りに来て下さったんですか?」
「ああ、ワシらの可愛いレオン坊やの見送りじゃからな」
「坊やって……俺はもう二十歳ですよ?」
「ワシからしてみれば、お主もまだまだ可愛い子供じゃて」
そう言って朗らかに笑う好々爺のルーピン爺さんは、屋敷の皆から好かれる皆のお爺ちゃん的存在だ。
時々部屋に来てクッキーを差し入れしてくれていたのだが、未だに孫扱いは健在らしい。ちなみにそのクッキーは、ルーピン爺さんの奥さんお手製のしっとりジャム入りクッキーである。めちゃくちゃ美味い。
もしかしたら俺が喜んでクッキーを貰ってしまうのも孫扱いされてしまう原因の一つなのかもしれないけれど、俺はジャム入りクッキーが好きなんだから仕方が無い。爺さんの奥さんが料理上手なのがいけないんだ。うん、絶対。
するとルーピン爺さんは、いつものように袋に詰められたクッキーを俺に差し出した。
「ほれ、うちのカメリアお手製のクッキーじゃ。持っておいき」
「ありがとうございます。……もう、カメリアさんのクッキーは滅多に食べられなくなっちゃいますね」
「そうじゃな……。ワシもカメリアも、働けるうちは死ぬまで働くつもりじゃが……またいつか会えると良いのぅ、レオン坊や」
「そう……ですね。はい、またいつか」
……とは言ったけれど。
俺はもう、ラスティーナとは縁を切った身だ。
きっとこの屋敷に戻って来る事は無い。だから、プライベートでこっそり会いに行かない限りは、もうルーピン爺さんとも今生の別れになるだろう。
ここを出ると決めたのは、紛れもなく俺自身の判断だ。
二度と会えなくなるであろう人達と今度こそ最後の挨拶を済ませた俺は、最後にエルファリア邸へと振り向いた。
「……結局、あれきり顔を出してこなかったな」
俺にもう関わるな、と強くいったのだから当然ではある。
白ウサギみたいに小柄で、気になるものがあればすぐに飛び込んでいくおてんば令嬢。
その尻拭いは全部俺任せで、思い返すのも胃が痛くなるような命令ばかり与えてきた幼馴染、ラスティーナ。
「……お前は早く俺のことなんか忘れて、勝手に元気にやってればいいんだよ」
ぼそりと呟いた言葉は、きっとルーピン爺さんの耳には届いていない。
吐き気ではないものが込み上げてきたのをグッと堪えて、俺はエルファリア邸の門を出た。
さようなら、俺のお嬢様。
さようなら、俺の幼馴染。
──さようなら、俺の初恋だった人。
侯爵様には、本当にお世話になった。急な申し出にも関わらず退職させてくれた。感謝と同時に、申し訳無さも込み上げる。
医者のゴードンさんにも『本当はもうしばらく安静にしてもらいたかったんだが……』と言われた。けれど、彼は俺の身体の状況をよく理解している。十日分の痛み止めの入った瓶を俺に手渡しながら、『まあ、とにかく達者でやれよ』と笑って言ってくれた。
屋敷で働くメイドさんや料理人さん、庭師のおじさん達にも随分お世話になった。子供の頃から色々なことを教わった。読み書きを覚えたのだって、彼女達が交代で勉強に付き合ってくれたお陰だ。
……このエルファリア家の屋敷には、数え切れないほどの思い出でいっぱいだった。
屋敷に来てすぐの頃、ラスティーナと一緒にかくれんぼをして遊んだ庭を歩く。
庭園には、今は亡き奥様が大切に育てていた薔薇園がある。そこはちょっとした迷路のようになっていて、五歳と三歳だった俺達にとっては、入り組んだ自然の大迷宮のようだった。
あの時はラスティーナが鬼をやると言って、俺は薔薇園に飛び込んだんだよな。
薔薇園はエルファリア邸の東側の敷地にあって、一部だけ俺の腰ぐらいの高さのトンネル状になった薔薇のアーチがある。そこを潜っていくと薔薇園から出て、すぐ隣にある厩舎の方に抜けるルートが隠されていた。
俺はその隠しトンネルを使ってラスティーナからの追跡を巧みにかわし、その結果どこを探しても俺を見付けられなかった彼女にギャン泣きされたっけ。
いやぁ、昔から理不尽なご主人様だったよあの子は。『ほんきでかくれなさいよ! ぜったいにあたしがレオンをみつけてやるんだから!』とか大口を叩いてたのに、実際に本気を出されたら泣き喚くとか……貴族のお嬢様としてどうなのか、品格を疑うよな。
そんな思い出が蘇る庭を抜けて、少し胃がキュッとするのを堪えつつ、俺は屋敷の正門を目指す。
そこには、庭師のルーピン爺さんが立っていた。
そういえば、彼にはまだ別れの挨拶を済ませていなかったことを思い出す。
「ルーピンさん、わざわざ見送りに来て下さったんですか?」
「ああ、ワシらの可愛いレオン坊やの見送りじゃからな」
「坊やって……俺はもう二十歳ですよ?」
「ワシからしてみれば、お主もまだまだ可愛い子供じゃて」
そう言って朗らかに笑う好々爺のルーピン爺さんは、屋敷の皆から好かれる皆のお爺ちゃん的存在だ。
時々部屋に来てクッキーを差し入れしてくれていたのだが、未だに孫扱いは健在らしい。ちなみにそのクッキーは、ルーピン爺さんの奥さんお手製のしっとりジャム入りクッキーである。めちゃくちゃ美味い。
もしかしたら俺が喜んでクッキーを貰ってしまうのも孫扱いされてしまう原因の一つなのかもしれないけれど、俺はジャム入りクッキーが好きなんだから仕方が無い。爺さんの奥さんが料理上手なのがいけないんだ。うん、絶対。
するとルーピン爺さんは、いつものように袋に詰められたクッキーを俺に差し出した。
「ほれ、うちのカメリアお手製のクッキーじゃ。持っておいき」
「ありがとうございます。……もう、カメリアさんのクッキーは滅多に食べられなくなっちゃいますね」
「そうじゃな……。ワシもカメリアも、働けるうちは死ぬまで働くつもりじゃが……またいつか会えると良いのぅ、レオン坊や」
「そう……ですね。はい、またいつか」
……とは言ったけれど。
俺はもう、ラスティーナとは縁を切った身だ。
きっとこの屋敷に戻って来る事は無い。だから、プライベートでこっそり会いに行かない限りは、もうルーピン爺さんとも今生の別れになるだろう。
ここを出ると決めたのは、紛れもなく俺自身の判断だ。
二度と会えなくなるであろう人達と今度こそ最後の挨拶を済ませた俺は、最後にエルファリア邸へと振り向いた。
「……結局、あれきり顔を出してこなかったな」
俺にもう関わるな、と強くいったのだから当然ではある。
白ウサギみたいに小柄で、気になるものがあればすぐに飛び込んでいくおてんば令嬢。
その尻拭いは全部俺任せで、思い返すのも胃が痛くなるような命令ばかり与えてきた幼馴染、ラスティーナ。
「……お前は早く俺のことなんか忘れて、勝手に元気にやってればいいんだよ」
ぼそりと呟いた言葉は、きっとルーピン爺さんの耳には届いていない。
吐き気ではないものが込み上げてきたのをグッと堪えて、俺はエルファリア邸の門を出た。
さようなら、俺のお嬢様。
さようなら、俺の幼馴染。
──さようなら、俺の初恋だった人。
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