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4.俺とお嬢様の絶縁

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 その後、ゴードン医師から痛み止めを処方された。
 誰が運んでくれたのかは知らないが、馬車で屋敷に戻った俺は自室のベッドに運ばれていたらしい。冷静になって辺りを見回せば、確かにここは俺の部屋だった。

「それにしても……屋敷を出ろ、か」

 正確には、俺に極度のストレスを与えているラスティーナから離れろ、という話だが。
 ……実のところ、それも悪くはないんじゃないかと思っている。
 今の俺ではラスティーナの要望に応えるだけの体力も無いし、いつかまた今日のように彼女に迷惑を掛けてしまうだろう。
 両親をいっぺんに失って孤立無援だった俺に、救いの手を差し伸べてくれたラスティーナ。
 けれど、今の俺を蝕んでいるのも、恩人である彼女に他ならなかった。
 まあ、従者を辞めたら彼女はわんわん泣き喚くだろう。長期療養としてどこか自然の多い田舎にでも移って、ゆっくりと身体を癒すだけでも充分すぎるほどだ。
 それに……俺自身、この十五年にも及ぶパワハラ紛いの無茶振りに耐え抜いてきたのには、ある理由があった。



 俺は、焼け落ちた村から逃げ出した孤児だった。
 そこを偶然、家族で旅行に出ていたエルファリア侯爵一家に発見されたのだ。
 全身火傷だらけで、当時五歳だった俺は生きているだけでも奇跡的な状態だった。馬車を無理矢理止めて駆け付けてきたラスティーナは、まだ三歳の女の子。目の前で倒れた俺を見て、居ても立っても居られなかったのだろうと侯爵様が言っていた。
 侯爵様も奥様も、そんな俺を見てもう長くはないと諦めていた。しかしラスティーナは、もうじき両親の元へ旅立とうとしていた俺を見捨てなかった。
 彼女の必死の説得により、俺は大急ぎで医者に連れていかれ、運良く生き永らえることが出来た。彼女と出会えたことも、幸運の一つだったのだろう。

 それから王都の治療院で入院していた俺は、順調に回復していった。普通なら簡単には治らないような大火傷だったそうだが、火傷によく効くポーションが手に入ったとかで、当時の跡も全く残らずに完治している。
 無事に退院出来ると決まったその日、何故かラスティーナが治療院にやって来た。『いのちのおんじんのために、れいをつくしなさい!』と、彼女はベッドに腰掛けた俺を指差して言った。
 俺はその時、この女の子が俺を助けに来てくれた子で、とても優しくて綺麗な心を持った人だと思った。だから俺は、彼女の屋敷で従者となる為の教育を受けると決意したのだ。



 今思えば、これが俺の初恋だったのだろう。
 そうでなければ、ワガママ放題で無茶振りオンパレードなお嬢様の為に身体を壊すはずもない。
 こんな状態になってようやく気付く二十歳というのもどうかと思うが、まあ多分、ちょっと悔しいけれど事実なのだ。
 侯爵様に休暇を申し出るのは良いとして、ラスティーナをどう説得するかが重要だが……。
 ひとまず貰った薬が効いてきたので、痛みが引いた今のうちに眠れるだけ眠っておこう。考えるのは後でいい。窓の外はもう暗い。今夜はゆっくり身体を休めることに集中して──

『────、────────!』

 目蓋を閉じようとした瞬間、部屋の外から誰かの叫ぶ声がした。
 しばらく廊下で誰かが言い争って、急にドアが勢い良く開いたかと思うと、

「レオン、生きてる⁉︎」

 腰まで伸びた真っ白な髪を揺らしながら、ネグリジェ姿のラスティーナが部屋に飛び込んで来た。
 ラスティーナはベッドに寝た俺の姿を視界に捉えると、最短距離で俺のすぐ側まで駆け付ける。まるで、初めて出会ったあの日のように、必死な形相で。

「ラスティーナ……お嬢様……」
「ゴードンに聞いたの。あなたが目を覚ましたって……だから、だからあたしっ……!」

 言葉に詰まるラスティーナ。
 何かを堪えるように視線を右往左往させると、彼女は意を決して口を開いた。

「……あなたに絶対文句を言わなきゃって思ってたのよ!」
「…………はい?」

 え? 今この子、俺に文句言うとか言ってましたよね?
 えっ……一応、目の前で吐血して倒れたはずなんですけど……えっ、マジで? この状況の従者兼幼馴染に何をするって?
 困惑する俺をよそに、ラスティーナは眉を吊り上げて怒りを露わにする。

「あなたが急に倒れたせいで、カタリタとのお茶会に行けなくなっちゃったでしょ⁉︎ おまけにあなたが派手に血を吐き出したせいで、せっかくのオーダーメイドドレスが台無しになったのよ! いったいどうしてくれるのよ、レオンったら‼︎」

 ……あの、病人に向ける発言がコレなんですか? お嬢様、本気でおっしゃってます?
 それもただの病人じゃなくて、小さい頃からずっと一緒に育ってきた幼馴染……なんですけど……。
 ……いやぁ、これ本気だな。でないとこんな剣幕で病人にキツい言葉浴びせないもの、普通なら。普通じゃないですからね、うちのお嬢様は。良くも悪くも普通じゃない。

「……俺のことなんて、どうでもいいんだな」
「…………え?」

 ぼそりと、本音が溢れ出た。
 その瞬間にラスティーナは大きく目を見開いて、俺はそのまま流れ出してくる言葉を吐き出していく。
 もう、止まらなかった。

「長年尽くしてきた従者の体調を心配して見舞いに来てくれたのかと思ったら、友達との約束をキャンセルせざるを得なかった責任を取れとか言ってくるんだな。こっちは文字通り寝る間も惜しんで疲労でボロボロの身体に鞭打ってお望み通りの品を買ってきたのにお礼の一つも無くて、それでも幼馴染だし俺をこの屋敷に置いてくれた恩人でもあるから多少の不満はあってもこれぐらいは年上として妥協するべきかなと反論もせずに飲み込んでたんだよ? それにドレスの件だって汚したのは悪いとは思ってるし、今日のお茶会を楽しみにしてたお前にだって悪いことしちゃったなと後悔してるんだ。それは勿論カタリナ様にも悪いとは思ってるよ? だから今度お詫びの品でも贈らないとなとか思ってたさ。でも俺がこんな身体になったのだって元を辿ればあり得ないレベルの無茶な要求をしてきたお前のせいなんだぞラスティーナ? その辺り理解した上での言動なのかそれは、本気で俺を家畜か何かだと思ってないか?」

 ……本当に、止まらなかった。
 というか、そもそもラスティーナが口を挟む隙すら無かったのかもしれない。でも本気で何か言いたいことがあるなら怒鳴ってでも割って入るぐらいのことはすると思うんだ。ほらやっぱり俺って人間扱いされてない。
 彼女のことを考えれば考えるほど、気分が落ち込んでくる。多分ゴードンさんから貰った薬が無ければ、俺はまた吐血していたのだろう。
 それほどまでに、ラスティーナは俺に対してストレスを与える才能に長けている。
 すると彼女は、わなわなと床にへたり込んで言う。

「あ、あたし……そんなつもりで言ったんじゃ……」
「じゃあどんなつもり? 俺のことなんて、何でも言うことを聞く都合の良い便利道具とでも思ってた? どうせそうなんでしょ、知ってる」
「ちっ、ちがっ……!」

 淡々と、多分無表情なままで言葉を浴びせかける俺。
 ああ……これってもしかして、『百年の恋も冷める』ってやつでは?
 うん、めちゃくちゃ冷めてる。キンッキンに冷えてる。『ラスティーナの為に頑張ろう!』とか思ってた昔の自分がバカみたいに思えて仕方がない。
 というかここまで必死に命を削って尽くしてきたんだから、そろそろお役御免で良いんじゃないだろうか?
 ここまでほんの数秒で結論を出した俺は、ゆらりとベッドから立ち上がってラスティーナを見下ろした。
 震えながら俺を見上げる青い瞳に、何の感情の色も無い男の顔が映り込む。

「俺、今日限りで退職します。今までお世話になりました。なので、もう二度と俺に関わらないで下さい」

 こうして俺は十五年間勤めた従者という職と、ラスティーナという幼馴染を失ったのである。
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