187 / 206
番外編 ウルゲンチ戦ーーモンゴル崩し
第36話 最終章 死地のその先2
しおりを挟む
その翌日の朝。
「何だ。泥遊びにでも誘いに来たのか」
ここに至るときに、馬に乗って来ようとしたのだが、足が泥に取られ転んでしまい、馬上のこの者は泥中に投げ出され、泥まみれとなっておったのである。
ただ、たったその一言で怒髪天を突いたのは、そのようにからかわれたゆえではなかった。そもそも抱いておった憤り――それはここに来た理由でもあった――に油をそそがれたのだった。
言われたのはチャアダイであった。
言ったのはジョチである。その隊は、水につかっておらぬ高所を選んで、陣を張っておったのだが、そこに至るには、そこかしこに残る泥濘を何度も抜けねばならなかった。
そもそもここに至るを止める者が、チャアダイの陣営におらなかったのか。何せ、2人が犬猿の仲であることを知らぬ者はおらぬと言って良い。しかし、皆、虚を突かれた形となった。それもこれも、南城侵攻の失敗のゆえである。
少なからずの者はあるいは放心し、あるいは悲惨な結末の原因を究明せんとしておった。その元凶として主たるチャアダイを考えた者はおった。しかし、その心の内を推し量り、この挙を予見しえた者は皆無であったのである。
ところで、このチャアダイが何故こうなったかといえば。まずは昨日のことである。侵攻失敗が決定的となったあとのこと。
結局南城侵攻は三千近くの将兵を失う大失敗に終わり、各隊は城外に引き退き、戦略の見直しを迫られた。トルン隊とチャアダイの将の一隊のみが従前の如く北城内の拠点に留まるべく命じられた。
チャアダイは城外に撤退した後の軍議にても、一体どこの誰が破られたのだと、ボオルチュにもオゴデイにも噛み付いた。この時になってもまだ敗戦の責任を、大きな犠牲の責任を他の者になすりつけようとしており、カラチャル始め何とか生き延びるを得た諸将が絶望的な表情でその言動を見ておっても、改めるということはなかった。
そしていずれの門も破られておらぬと知り、どうやら敵は北城に面する城壁に設けた隠し門から出て、その間を隔てる運河に板橋をかけて渡ったようだと聞いてもまだ喚いておった。
救援に駆けつけたトルン隊の中にも、後続の敵がそうやって渡るのを目撃した者がおり、既に報告を受けておったトルンはそう証言したが、
「だから何なのだ。敵が渡るのを見ておきながら、何故それを許したのだ」となお矛を納めなかった。
遂にはボオルチュに次の如くに諭されることになった。
「チャアダイ大ノヤン。確かに作戦にて事前に決められておらなかったとはいえ、カラチャル隊が南城に入った後に、旗下の隊を率いて橋前に布陣すべきであったと想われます。そうしておれば、運河を渡る敵をもっと早くに発見できたでしょうし、またたとえ奇襲を受けたとしてもこれほどの大崩れとはならなかったでしょう。カラチャル隊に道を譲ってそのまま路地に留まったゆえ、万人隊という軍勢の多さも活かせず、犠牲を大きくしたと想われます。実際、大ノヤンの軍勢は敵が渡ったところの最も近くにおったのです。それが奇襲を受けるまで一人も気付かなかったのは何故なのかを、まずは考えるべきでしょう」
こう言われてはチャアダイもあきらめざるを得ぬようであった。
ただ、その夜、体は戦のために泥の如く疲れておったが、頭だけはさえておった。床についても、まったく眠れなかった。ただ、やがて敗戦の責任者を見つけ出した。ジョチがこちらの要求に従い、フマル・テギンを引き渡しておれば。それを拒んだゆえ、隠し門とやらをあらかじめ知ることができず、今回の事態を招いたのだ。全てはジョチのせい。ジョチが悪い。そうなった。いきり立ち、その後も眠られず、夜明けとともに近習のみを連れ、ここに至ったのであった。
人物紹介
モンゴル側
ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。
チャアダイ:同上の第2子
カラチャル:チャアダイ家の家臣。万人隊長。南城侵攻作戦においては、南城内への侵攻部隊の指揮官を委ねられた。
オゴデイ:同上の第3子
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。万人隊長。
トルン・チェルビ:チンギスの側近。千人隊長。コンゴタン氏族。ウルゲンチ攻めにては、ボオルチュの配下となっている。
人物紹介終わり
「何だ。泥遊びにでも誘いに来たのか」
ここに至るときに、馬に乗って来ようとしたのだが、足が泥に取られ転んでしまい、馬上のこの者は泥中に投げ出され、泥まみれとなっておったのである。
ただ、たったその一言で怒髪天を突いたのは、そのようにからかわれたゆえではなかった。そもそも抱いておった憤り――それはここに来た理由でもあった――に油をそそがれたのだった。
言われたのはチャアダイであった。
言ったのはジョチである。その隊は、水につかっておらぬ高所を選んで、陣を張っておったのだが、そこに至るには、そこかしこに残る泥濘を何度も抜けねばならなかった。
そもそもここに至るを止める者が、チャアダイの陣営におらなかったのか。何せ、2人が犬猿の仲であることを知らぬ者はおらぬと言って良い。しかし、皆、虚を突かれた形となった。それもこれも、南城侵攻の失敗のゆえである。
少なからずの者はあるいは放心し、あるいは悲惨な結末の原因を究明せんとしておった。その元凶として主たるチャアダイを考えた者はおった。しかし、その心の内を推し量り、この挙を予見しえた者は皆無であったのである。
ところで、このチャアダイが何故こうなったかといえば。まずは昨日のことである。侵攻失敗が決定的となったあとのこと。
結局南城侵攻は三千近くの将兵を失う大失敗に終わり、各隊は城外に引き退き、戦略の見直しを迫られた。トルン隊とチャアダイの将の一隊のみが従前の如く北城内の拠点に留まるべく命じられた。
チャアダイは城外に撤退した後の軍議にても、一体どこの誰が破られたのだと、ボオルチュにもオゴデイにも噛み付いた。この時になってもまだ敗戦の責任を、大きな犠牲の責任を他の者になすりつけようとしており、カラチャル始め何とか生き延びるを得た諸将が絶望的な表情でその言動を見ておっても、改めるということはなかった。
そしていずれの門も破られておらぬと知り、どうやら敵は北城に面する城壁に設けた隠し門から出て、その間を隔てる運河に板橋をかけて渡ったようだと聞いてもまだ喚いておった。
救援に駆けつけたトルン隊の中にも、後続の敵がそうやって渡るのを目撃した者がおり、既に報告を受けておったトルンはそう証言したが、
「だから何なのだ。敵が渡るのを見ておきながら、何故それを許したのだ」となお矛を納めなかった。
遂にはボオルチュに次の如くに諭されることになった。
「チャアダイ大ノヤン。確かに作戦にて事前に決められておらなかったとはいえ、カラチャル隊が南城に入った後に、旗下の隊を率いて橋前に布陣すべきであったと想われます。そうしておれば、運河を渡る敵をもっと早くに発見できたでしょうし、またたとえ奇襲を受けたとしてもこれほどの大崩れとはならなかったでしょう。カラチャル隊に道を譲ってそのまま路地に留まったゆえ、万人隊という軍勢の多さも活かせず、犠牲を大きくしたと想われます。実際、大ノヤンの軍勢は敵が渡ったところの最も近くにおったのです。それが奇襲を受けるまで一人も気付かなかったのは何故なのかを、まずは考えるべきでしょう」
こう言われてはチャアダイもあきらめざるを得ぬようであった。
ただ、その夜、体は戦のために泥の如く疲れておったが、頭だけはさえておった。床についても、まったく眠れなかった。ただ、やがて敗戦の責任者を見つけ出した。ジョチがこちらの要求に従い、フマル・テギンを引き渡しておれば。それを拒んだゆえ、隠し門とやらをあらかじめ知ることができず、今回の事態を招いたのだ。全てはジョチのせい。ジョチが悪い。そうなった。いきり立ち、その後も眠られず、夜明けとともに近習のみを連れ、ここに至ったのであった。
人物紹介
モンゴル側
ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。
チャアダイ:同上の第2子
カラチャル:チャアダイ家の家臣。万人隊長。南城侵攻作戦においては、南城内への侵攻部隊の指揮官を委ねられた。
オゴデイ:同上の第3子
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。万人隊長。
トルン・チェルビ:チンギスの側近。千人隊長。コンゴタン氏族。ウルゲンチ攻めにては、ボオルチュの配下となっている。
人物紹介終わり
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

空母鳳炎奮戦記
ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)

帝国夜襲艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。
今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

連合艦隊司令長官、井上成美
ypaaaaaaa
歴史・時代
2・26事件に端を発する国内の動乱や、日中両国の緊張状態の最中にある1937年1月16日、内々に海軍大臣就任が決定していた米内光政中将が高血圧で倒れた。命には別状がなかったものの、少しの間の病養が必要となった。これを受け、米内は信頼のおける部下として山本五十六を自分の代替として海軍大臣に推薦。そして空席になった連合艦隊司令長官には…。
毎度毎度こんなことがあったらいいな読んで、楽しんで頂いたら幸いです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる