173 / 206
番外編 ウルゲンチ戦ーーモンゴル崩し
第22話 モンゴル軍の動き8
しおりを挟む
人物紹介
モンゴル側
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。万人隊長。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。
トルン・チェルビ:チンギスの側近。千人隊長。コンゴタン氏族。現在、北城内の西側拠点の指揮官。
人物紹介終了
(注)近衛隊とは、万人長・千人長の子弟および若い最精鋭からなる。一方では明らかに人質であり、他方でカンに身近に接する場を与える。ゆえに、カンにとっては直接教え導くことのできる場であり、子弟にとっては親交を得る場となる。モンゴルにとって、最も重要な制度の一つである。
建物の前の広場が見渡せた。そこにトルンは隊の軍馬をつなぎ留めさせておった。それが可能であったゆえに、ここを拠点に選んだのであったが。いななきは止まぬ。馬どもは興奮しておるようだ。水の流れて来ない高所に移そうかと想うが、果たして良いところが見つかるかどうか。それに何より夜襲を警戒せねばならぬ。下手に動けぬ。どうするか。
迷いつつトルンは階下におり、供回りに「ブカはまだ寝ておるのか。起こして来い」と命じて、近くの建物に宿泊しておるはずのその者を呼びにやらせた。
ブカはしばらくして姿を現した。それにもかかわらず、軍装を身につける余裕もなかったらしい。見え隠れする白い下衣の上から、直接毛皮の外套をはおり、剣のみを携えての参上となった。
「あの水は何です。何が起きたのです」
そう問うて来たブカをトルンはぎょろりと睨みつけ、
「それを調べて報告するのが、百人隊長たるお前の務めであろう」
そう言われても、寝ぼけ眼のブカは憮然とした顔である。そのまま何も言わずまた動こうとせぬのに業を煮やして、
「お前はそこで見ておれ」
とブカに告げてから、
「他の寝ておる百人隊長も呼んでこい」
とトルンは供回りに命じた。
そしてブカを除いた百人隊長たちに、すぐに全兵士を起こすことをまず言い渡し、更には拠点のぐるりを囲む如くに各百人隊長に持ち場を割り当て、そこにて敵兵の接近を厳重に警戒すること、そして何かあればすぐに報告することを命じた。そして夜の間は決して持ち場から離れぬよう念を押し、最後に我はこの屋上におると付け加えた。
動くとしてもそれは夜が明けてからであるというのが、トルンの判断であった。それまではまだ時があるようであった。東の空が白み始める様子は全くなかった。
「ブカよ。お前はもうよい。寝ていろ」
さすがにそこまで言われては、目が覚めたのか、
「己の百人隊を率い、城外との連絡を試みたく想いますが、許して頂けましょうか」
と急に申し出る。
「許さぬ」
そう言われブカは涙目になる始末であった。その余りのしょぼくれ振りに、更には他の百人隊長は去ったというのに、いつまでも帰ろうとせぬので、仕方なくトルンは命じた。
「よかろう。夜明けと共に城外におるボオルチュ・ノヤンの下に赴き、現状を報告せよ。それまでに出発の準備を済ませておけ。忘れるな。夜明けと共にだ」
ブカはそれで喜色満面たる顔となり、感謝の意を述べ、急ぎ立ち去った。
全く憎めぬ奴よとトルンは凍える夜気にこぼした。
ブカの父は我らコンゴタン一族に仕える一家の出であった。トルンとはそれほど変わらぬ年ということもあり、二人の間には主従の間に留まらぬ篤き友誼というものが確かにあった。しかし先の金国との戦にて亡くなったので、トルンがブカを百人隊長に抜擢して西征に連れて来て鍛え上げようとしておるのだが。まったくあの者の寝起きの悪さと来たら。
そして想いは自ずと近衛隊にてカンに仕える自分の息子のことに及ぶ。死ぬなよと。それはまたブカや自隊の将兵を死なす訳には行かぬとの想いに連なった。
屋上にて夜明けを迎え周囲の状況が見えるようになると、トルンは更に驚いた、というより呆れ、想わずつぶやいた。
「水びたしではないか」
屋上からその様をともに見た供回りや夜警の者たちからも同様の声が次々に起こった。
モンゴル側
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。万人隊長。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。
トルン・チェルビ:チンギスの側近。千人隊長。コンゴタン氏族。現在、北城内の西側拠点の指揮官。
人物紹介終了
(注)近衛隊とは、万人長・千人長の子弟および若い最精鋭からなる。一方では明らかに人質であり、他方でカンに身近に接する場を与える。ゆえに、カンにとっては直接教え導くことのできる場であり、子弟にとっては親交を得る場となる。モンゴルにとって、最も重要な制度の一つである。
建物の前の広場が見渡せた。そこにトルンは隊の軍馬をつなぎ留めさせておった。それが可能であったゆえに、ここを拠点に選んだのであったが。いななきは止まぬ。馬どもは興奮しておるようだ。水の流れて来ない高所に移そうかと想うが、果たして良いところが見つかるかどうか。それに何より夜襲を警戒せねばならぬ。下手に動けぬ。どうするか。
迷いつつトルンは階下におり、供回りに「ブカはまだ寝ておるのか。起こして来い」と命じて、近くの建物に宿泊しておるはずのその者を呼びにやらせた。
ブカはしばらくして姿を現した。それにもかかわらず、軍装を身につける余裕もなかったらしい。見え隠れする白い下衣の上から、直接毛皮の外套をはおり、剣のみを携えての参上となった。
「あの水は何です。何が起きたのです」
そう問うて来たブカをトルンはぎょろりと睨みつけ、
「それを調べて報告するのが、百人隊長たるお前の務めであろう」
そう言われても、寝ぼけ眼のブカは憮然とした顔である。そのまま何も言わずまた動こうとせぬのに業を煮やして、
「お前はそこで見ておれ」
とブカに告げてから、
「他の寝ておる百人隊長も呼んでこい」
とトルンは供回りに命じた。
そしてブカを除いた百人隊長たちに、すぐに全兵士を起こすことをまず言い渡し、更には拠点のぐるりを囲む如くに各百人隊長に持ち場を割り当て、そこにて敵兵の接近を厳重に警戒すること、そして何かあればすぐに報告することを命じた。そして夜の間は決して持ち場から離れぬよう念を押し、最後に我はこの屋上におると付け加えた。
動くとしてもそれは夜が明けてからであるというのが、トルンの判断であった。それまではまだ時があるようであった。東の空が白み始める様子は全くなかった。
「ブカよ。お前はもうよい。寝ていろ」
さすがにそこまで言われては、目が覚めたのか、
「己の百人隊を率い、城外との連絡を試みたく想いますが、許して頂けましょうか」
と急に申し出る。
「許さぬ」
そう言われブカは涙目になる始末であった。その余りのしょぼくれ振りに、更には他の百人隊長は去ったというのに、いつまでも帰ろうとせぬので、仕方なくトルンは命じた。
「よかろう。夜明けと共に城外におるボオルチュ・ノヤンの下に赴き、現状を報告せよ。それまでに出発の準備を済ませておけ。忘れるな。夜明けと共にだ」
ブカはそれで喜色満面たる顔となり、感謝の意を述べ、急ぎ立ち去った。
全く憎めぬ奴よとトルンは凍える夜気にこぼした。
ブカの父は我らコンゴタン一族に仕える一家の出であった。トルンとはそれほど変わらぬ年ということもあり、二人の間には主従の間に留まらぬ篤き友誼というものが確かにあった。しかし先の金国との戦にて亡くなったので、トルンがブカを百人隊長に抜擢して西征に連れて来て鍛え上げようとしておるのだが。まったくあの者の寝起きの悪さと来たら。
そして想いは自ずと近衛隊にてカンに仕える自分の息子のことに及ぶ。死ぬなよと。それはまたブカや自隊の将兵を死なす訳には行かぬとの想いに連なった。
屋上にて夜明けを迎え周囲の状況が見えるようになると、トルンは更に驚いた、というより呆れ、想わずつぶやいた。
「水びたしではないか」
屋上からその様をともに見た供回りや夜警の者たちからも同様の声が次々に起こった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

あやかし娘とはぐれ龍
五月雨輝
歴史・時代
天明八年の江戸。神田松永町の両替商「秋野屋」が盗賊に襲われた上に火をつけられて全焼した。一人娘のゆみは運良く生き残ったのだが、その時にはゆみの小さな身体には不思議な能力が備わって、いた。
一方、婿入り先から追い出され実家からも勘当されている旗本の末子、本庄龍之介は、やくざ者から追われている途中にゆみと出会う。二人は一騒動の末に仮の親子として共に過ごしながら、ゆみの家を襲った凶悪犯を追って江戸を走ることになる。
浪人男と家無し娘、二人の刃は神田、本所界隈の悪を裂き、それはやがて二人の家族へと繋がる戦いになるのだった。

空母鳳炎奮戦記
ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。
SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。
伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。
そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。
さて、この先の少年の運命やいかに?
剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます!
*この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから!
*この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

帝国夜襲艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。
今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる