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番外編 ウルゲンチ戦ーーモンゴル崩し
第22話 モンゴル軍の動き8
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人物紹介
モンゴル側
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。万人隊長。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。
トルン・チェルビ:チンギスの側近。千人隊長。コンゴタン氏族。現在、北城内の西側拠点の指揮官。
人物紹介終了
(注)近衛隊とは、万人長・千人長の子弟および若い最精鋭からなる。一方では明らかに人質であり、他方でカンに身近に接する場を与える。ゆえに、カンにとっては直接教え導くことのできる場であり、子弟にとっては親交を得る場となる。モンゴルにとって、最も重要な制度の一つである。
建物の前の広場が見渡せた。そこにトルンは隊の軍馬をつなぎ留めさせておった。それが可能であったゆえに、ここを拠点に選んだのであったが。いななきは止まぬ。馬どもは興奮しておるようだ。水の流れて来ない高所に移そうかと想うが、果たして良いところが見つかるかどうか。それに何より夜襲を警戒せねばならぬ。下手に動けぬ。どうするか。
迷いつつトルンは階下におり、供回りに「ブカはまだ寝ておるのか。起こして来い」と命じて、近くの建物に宿泊しておるはずのその者を呼びにやらせた。
ブカはしばらくして姿を現した。それにもかかわらず、軍装を身につける余裕もなかったらしい。見え隠れする白い下衣の上から、直接毛皮の外套をはおり、剣のみを携えての参上となった。
「あの水は何です。何が起きたのです」
そう問うて来たブカをトルンはぎょろりと睨みつけ、
「それを調べて報告するのが、百人隊長たるお前の務めであろう」
そう言われても、寝ぼけ眼のブカは憮然とした顔である。そのまま何も言わずまた動こうとせぬのに業を煮やして、
「お前はそこで見ておれ」
とブカに告げてから、
「他の寝ておる百人隊長も呼んでこい」
とトルンは供回りに命じた。
そしてブカを除いた百人隊長たちに、すぐに全兵士を起こすことをまず言い渡し、更には拠点のぐるりを囲む如くに各百人隊長に持ち場を割り当て、そこにて敵兵の接近を厳重に警戒すること、そして何かあればすぐに報告することを命じた。そして夜の間は決して持ち場から離れぬよう念を押し、最後に我はこの屋上におると付け加えた。
動くとしてもそれは夜が明けてからであるというのが、トルンの判断であった。それまではまだ時があるようであった。東の空が白み始める様子は全くなかった。
「ブカよ。お前はもうよい。寝ていろ」
さすがにそこまで言われては、目が覚めたのか、
「己の百人隊を率い、城外との連絡を試みたく想いますが、許して頂けましょうか」
と急に申し出る。
「許さぬ」
そう言われブカは涙目になる始末であった。その余りのしょぼくれ振りに、更には他の百人隊長は去ったというのに、いつまでも帰ろうとせぬので、仕方なくトルンは命じた。
「よかろう。夜明けと共に城外におるボオルチュ・ノヤンの下に赴き、現状を報告せよ。それまでに出発の準備を済ませておけ。忘れるな。夜明けと共にだ」
ブカはそれで喜色満面たる顔となり、感謝の意を述べ、急ぎ立ち去った。
全く憎めぬ奴よとトルンは凍える夜気にこぼした。
ブカの父は我らコンゴタン一族に仕える一家の出であった。トルンとはそれほど変わらぬ年ということもあり、二人の間には主従の間に留まらぬ篤き友誼というものが確かにあった。しかし先の金国との戦にて亡くなったので、トルンがブカを百人隊長に抜擢して西征に連れて来て鍛え上げようとしておるのだが。まったくあの者の寝起きの悪さと来たら。
そして想いは自ずと近衛隊にてカンに仕える自分の息子のことに及ぶ。死ぬなよと。それはまたブカや自隊の将兵を死なす訳には行かぬとの想いに連なった。
屋上にて夜明けを迎え周囲の状況が見えるようになると、トルンは更に驚いた、というより呆れ、想わずつぶやいた。
「水びたしではないか」
屋上からその様をともに見た供回りや夜警の者たちからも同様の声が次々に起こった。
モンゴル側
ボオルチュ:チンギス筆頭の家臣。万人隊長。アルラト氏族。四駿(馬)の一人。
トルン・チェルビ:チンギスの側近。千人隊長。コンゴタン氏族。現在、北城内の西側拠点の指揮官。
人物紹介終了
(注)近衛隊とは、万人長・千人長の子弟および若い最精鋭からなる。一方では明らかに人質であり、他方でカンに身近に接する場を与える。ゆえに、カンにとっては直接教え導くことのできる場であり、子弟にとっては親交を得る場となる。モンゴルにとって、最も重要な制度の一つである。
建物の前の広場が見渡せた。そこにトルンは隊の軍馬をつなぎ留めさせておった。それが可能であったゆえに、ここを拠点に選んだのであったが。いななきは止まぬ。馬どもは興奮しておるようだ。水の流れて来ない高所に移そうかと想うが、果たして良いところが見つかるかどうか。それに何より夜襲を警戒せねばならぬ。下手に動けぬ。どうするか。
迷いつつトルンは階下におり、供回りに「ブカはまだ寝ておるのか。起こして来い」と命じて、近くの建物に宿泊しておるはずのその者を呼びにやらせた。
ブカはしばらくして姿を現した。それにもかかわらず、軍装を身につける余裕もなかったらしい。見え隠れする白い下衣の上から、直接毛皮の外套をはおり、剣のみを携えての参上となった。
「あの水は何です。何が起きたのです」
そう問うて来たブカをトルンはぎょろりと睨みつけ、
「それを調べて報告するのが、百人隊長たるお前の務めであろう」
そう言われても、寝ぼけ眼のブカは憮然とした顔である。そのまま何も言わずまた動こうとせぬのに業を煮やして、
「お前はそこで見ておれ」
とブカに告げてから、
「他の寝ておる百人隊長も呼んでこい」
とトルンは供回りに命じた。
そしてブカを除いた百人隊長たちに、すぐに全兵士を起こすことをまず言い渡し、更には拠点のぐるりを囲む如くに各百人隊長に持ち場を割り当て、そこにて敵兵の接近を厳重に警戒すること、そして何かあればすぐに報告することを命じた。そして夜の間は決して持ち場から離れぬよう念を押し、最後に我はこの屋上におると付け加えた。
動くとしてもそれは夜が明けてからであるというのが、トルンの判断であった。それまではまだ時があるようであった。東の空が白み始める様子は全くなかった。
「ブカよ。お前はもうよい。寝ていろ」
さすがにそこまで言われては、目が覚めたのか、
「己の百人隊を率い、城外との連絡を試みたく想いますが、許して頂けましょうか」
と急に申し出る。
「許さぬ」
そう言われブカは涙目になる始末であった。その余りのしょぼくれ振りに、更には他の百人隊長は去ったというのに、いつまでも帰ろうとせぬので、仕方なくトルンは命じた。
「よかろう。夜明けと共に城外におるボオルチュ・ノヤンの下に赴き、現状を報告せよ。それまでに出発の準備を済ませておけ。忘れるな。夜明けと共にだ」
ブカはそれで喜色満面たる顔となり、感謝の意を述べ、急ぎ立ち去った。
全く憎めぬ奴よとトルンは凍える夜気にこぼした。
ブカの父は我らコンゴタン一族に仕える一家の出であった。トルンとはそれほど変わらぬ年ということもあり、二人の間には主従の間に留まらぬ篤き友誼というものが確かにあった。しかし先の金国との戦にて亡くなったので、トルンがブカを百人隊長に抜擢して西征に連れて来て鍛え上げようとしておるのだが。まったくあの者の寝起きの悪さと来たら。
そして想いは自ずと近衛隊にてカンに仕える自分の息子のことに及ぶ。死ぬなよと。それはまたブカや自隊の将兵を死なす訳には行かぬとの想いに連なった。
屋上にて夜明けを迎え周囲の状況が見えるようになると、トルンは更に驚いた、というより呆れ、想わずつぶやいた。
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屋上からその様をともに見た供回りや夜警の者たちからも同様の声が次々に起こった。
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