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第3部 仇(あだ)
93 母と子9:イーラール城のテルケン・カトン1
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人物紹介
ホラズム側
テルケン・カトン:先代スルターンたるテキッシュの正妻。カンクリの王女。
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。
人物紹介終了
テルケン・カトンが毒づいたのは、イーラールの城下に群がるモンゴル軍ではなく、息子に対してであった。そして嘆じた。
「ああ。あの臆病者の勧める策に乗ったのが、我が生涯最大の誤りであった。あの小心者のこざかしさに我が生を託そうとしたのがそもそもの間違いであった」
テルケンは女性ながらも、カンクリ勢を束ねる女帝であって軍略に通じておった。籠城というものが、援軍の存在あって初めて有用な策たりうることを良く知っておった。しかし今や頼みのカンクリ勢が集結するウルゲンチは、ここマーザンダラーンからは遠い。
(注:ウルゲンチはアラル海南岸側の地にあり、イーラール城はカスピ海南岸側の地にある。それゆえ、およそ、この両湖の距離だけ離れていると想ってもらえれば良い)
眼下にて城外を取り囲むはかなりの軍勢であったが、城内で我を守るはわずかであった。ここまで伴って来た近衛隊にこの城の守備隊を加えたものに過ぎない。大軍を連れて来なかったのも、それを率いればモンゴル軍の注意を引きますとの息子の進言に従ったゆえであった。
ただ、皮肉なことであるが、スルターン追討のために発された部隊がこれを囲んでおった。
チンギスはこの時、四狗たるジェベとスブエテイに駙馬のトクチャルを加え、各々に万人隊を授け、地の果てまでも追い行けと命じて発しておった。
にもかかわらず、ここまでスルターンを捕らえることも殺すこともできておらなかった。その尻尾を求めて情報をひたすらに求め、必死でかき集める中、テルケンがこの城に籠もっておるのを知ったのであった。
テルケンもそこまでは想い及ばぬ。我がこの城に逃げたことは、親族と高位の重臣のみが知るところのはず。このような大軍に、しかもこれほど早期に攻囲されるなど全く予想外のことであった。
モンゴル軍は恐るべき諜報網を持っており、ホラズム国の中枢にまでそれは及んでおるのだろう。その裏切り者を介して、我がここに籠もるを知るを得、この大軍を我の征討のために迅速に発したと思い込んでおった。
もし本当のところを知るを得たならば、息子に対する怒りは、その憎悪は果たしていかばかりとなったであろうか。
注 四狗:「四匹の犬」の意味。他の二将はクビライ、ジェルメである。「秘史」が詩魂を傾けて描き上げるは、凶暴にして執拗な追跡者、ようやく飼い慣らすを得た狼(にほど近き猟犬)といったところである。
遊牧勢となれば、その追跡は地の果てまでもとしても、あながち誇張とは言い切れぬ。それをなすに極めて秀でた将に授けられる称号である。
ホラズム側
テルケン・カトン:先代スルターンたるテキッシュの正妻。カンクリの王女。
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。
人物紹介終了
テルケン・カトンが毒づいたのは、イーラールの城下に群がるモンゴル軍ではなく、息子に対してであった。そして嘆じた。
「ああ。あの臆病者の勧める策に乗ったのが、我が生涯最大の誤りであった。あの小心者のこざかしさに我が生を託そうとしたのがそもそもの間違いであった」
テルケンは女性ながらも、カンクリ勢を束ねる女帝であって軍略に通じておった。籠城というものが、援軍の存在あって初めて有用な策たりうることを良く知っておった。しかし今や頼みのカンクリ勢が集結するウルゲンチは、ここマーザンダラーンからは遠い。
(注:ウルゲンチはアラル海南岸側の地にあり、イーラール城はカスピ海南岸側の地にある。それゆえ、およそ、この両湖の距離だけ離れていると想ってもらえれば良い)
眼下にて城外を取り囲むはかなりの軍勢であったが、城内で我を守るはわずかであった。ここまで伴って来た近衛隊にこの城の守備隊を加えたものに過ぎない。大軍を連れて来なかったのも、それを率いればモンゴル軍の注意を引きますとの息子の進言に従ったゆえであった。
ただ、皮肉なことであるが、スルターン追討のために発された部隊がこれを囲んでおった。
チンギスはこの時、四狗たるジェベとスブエテイに駙馬のトクチャルを加え、各々に万人隊を授け、地の果てまでも追い行けと命じて発しておった。
にもかかわらず、ここまでスルターンを捕らえることも殺すこともできておらなかった。その尻尾を求めて情報をひたすらに求め、必死でかき集める中、テルケンがこの城に籠もっておるのを知ったのであった。
テルケンもそこまでは想い及ばぬ。我がこの城に逃げたことは、親族と高位の重臣のみが知るところのはず。このような大軍に、しかもこれほど早期に攻囲されるなど全く予想外のことであった。
モンゴル軍は恐るべき諜報網を持っており、ホラズム国の中枢にまでそれは及んでおるのだろう。その裏切り者を介して、我がここに籠もるを知るを得、この大軍を我の征討のために迅速に発したと思い込んでおった。
もし本当のところを知るを得たならば、息子に対する怒りは、その憎悪は果たしていかばかりとなったであろうか。
注 四狗:「四匹の犬」の意味。他の二将はクビライ、ジェルメである。「秘史」が詩魂を傾けて描き上げるは、凶暴にして執拗な追跡者、ようやく飼い慣らすを得た狼(にほど近き猟犬)といったところである。
遊牧勢となれば、その追跡は地の果てまでもとしても、あながち誇張とは言い切れぬ。それをなすに極めて秀でた将に授けられる称号である。
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