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第3部 仇(あだ)

84:母と子1:ウルゲンチのテルケン・カトン1

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  人物紹介
 ホラズム側
テルケン・カトン:先代スルターン・テキッシュの正妻にして、現スルターン・ムハンマドの実母。カンクリの王女。

フマル・テギン:ウルゲンチの城主。テルケンの弟。カンクリの王族。この者は先のダーニシュマンドの訪問時、テルケンの謁見に同席した。(第3部第49話 テルケン・カトンへの使者3:ダーニシュマンドの野心6参照)

タガイ・カン:サマルカンド城代。テルケン・カトンの弟。カンクリの王族。

シャイフ・カン:サマルカンドの守将。カンクリ勢
  人物紹介終了


 時は少し戻り、サマルカンド陥落の日から十日余り経った頃。西暦でいえば1220年4月初めのこと。

 テルケン・カトンはウルゲンチ城の謁見の間にて玉座に腰掛けておった。かつてその隣には夫のスルターン・テキシュがおったが、一人となって久しい。

 ウルゲンチの都城はテキシュの死後、テルケンのものとなった。ここを中心とするホラズム地方、更にはホラーサーンやマーザンダラーンと共に。

 名目上は皇太子たるウーズラーグ・シャーに分封されておった。とはいえ、誰が真の支配者かを見誤る者はここウルゲンチにはもちろんおらぬ。テルケンもカトンも女王を意味する称号であり、まさにこの者にふさわしきと言えた。

 その二人がけの玉座の上部には、かつては二人の間にあり、今では中央に座すテルケンの長帽により半ば隠れてしまうが、一際大きな獅子が透かし彫りされておった。 

 フマル・テギンはそのテルケンの傍らに立って、シャイフ・カンと会っておった。この者は自兵と共にサマルカンドから逃走して来たのであった。そしてモンゴルとの戦の経過の報告を受けたところであった。

「兵を集めてサマルカンドに戻ると約束しておきながら、それをなさぬとは。それで、あれは何をしておるのだ」

 とテルケンは憤懣を明らかに示しつつ問うた。

「現在はバルフにおられると想われます」

「腰抜けが」

 テルケンはそう吐き捨てた。

「タガイ・カンはどうした」

「申し訳ありませぬ。共に脱出したのですが、タガイ・カンは残りの軍勢にアム・ダリヤ川を渡らせるとして、全軍の指揮をわたくしにお任せになり、川向こうの地マーワラーアンナフルに留まられました」

 そこで口ごもった。

「気にするな。いずれ戻ろう。あのしぶとい弟のことだ」

 テルケンはそこで一呼吸置き、

「シャイフ・カンよ。よくぞ生きて戻って来た。ゆるりと休め」

 とカンクリ勢をまとめる母后としてのいたわりを示した。年老いたとはいえ、威厳は失われてはおらぬ。少なくともこの時のフマルにはそう想えた。



 数日後のことであった。フマルがやはりテルケンと共に謁見した相手は、スルターンからの伝令であった。

「あれは我にまで逃げろと言って来たぞ。全く何たる腰抜けか」

 再びテルケンが吐き捨てたので、「下がって良いぞ」との言葉を聞くや、伝令はその憤懣が自らに向けられてはかなわぬとばかりにそそくさと退散した。

「フマルよ。あれの申し出。どう想うか」

「確かにマーザンダラーンは険阻な地として有名なところ。身の安全を図るには最善の地の一つとは想いますが。ただここウルゲンチには我らカンクリが集結を図っております。お逃げにならずとも、姉上の身は十分に守れると想いますが」

「しかも、あれは我に目立たぬよう最低限の供回りのみを連れて逃げよと。まったく我が子ながら狡猾な奴」

 その憤懣をフマルは聞き流した。不用意にこの親子の間に入っては、自らの身を滅ぼすことになりかねぬとの想いがフマルにはあった。

 本当に嫌いでしようがないなら、スルターンの廃位を試みよう。そうせぬばかりか、むしろスルターンの子のウーズラーグ・シャーを次のスルターンになそうとしておることからしても――その母もまたカンクリの血を引く者ゆえ、母后にとっても好都合という事情はあれ――この親子の間はそう単純なものとは想えぬ。

 亡くなった長子マリク・シャーにも遺児はおるのだ。その者を皇太子になさんとすれば、まさにスルターンはその煩悶のために死ぬかもしれぬというほどの怒りに包まれよう。もし母后が憎しみのみに支配されておるならば、どうして後者の道を選ばずにおれようか。

 フマルが何も言わぬので、息子への悪口は止めにしたようである。

「そうだな。確かにそなたの言う通り、我がカンクリが十重二十重とえはたえに守ってくれるなら、高き山や険阻な城に劣るところはなかろう。よろしく頼むぞ」

「お任せ下さい」

 フマルはひざまずいて拝命し、それから許しを得て、退出した。
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