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第3部 仇(あだ)
78:サマルカンド戦8:アルプ・エル・カン
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あえてしんがりを選んだという訳ではなかった。おのずとそうなっただけであった。脱出ルートから最も遠い門――東城壁には2門あり、その北側の門から出撃したゆえであった。
これを率いるはアルプ・エル・カン。先のスルターンのイラク方面への遠征――バグダードにおるアッバース朝カリフに頭を垂れさせるを欲したゆえになされたところの遠征――そこにおいて、勲功を挙げ、抜擢された人物であった。
その部隊は千人隊に過ぎぬ。留まって迎え撃つは不可能。呑み込まれたらそれまでである。
そしてそれを知るゆえにこそ、各騎はできるだけ、馬速を上げる。まさに蒙塵を上げて疾駆する。その結果として、どうしても遅れる者――このような逃げ方をしては、自ずと足を痛める馬も多かった――が出ては、追い迫るモンゴル軍に呑まれ行く。そのような逃走と追跡が、太陽がだいぶ傾いても続いておった。
ところで追いすがるはチャガンの隊であった。西夏出身であり、次のシギ・クトクとなりうると見込まれ、チンギス自ら育て上げた者であった。今回のサマルカンド攻囲戦にては、東城壁攻めを委ねられたバラの下に配されておったのだ。
無論のこと、追うチャガンも追われるアルプも、互いが誰とは知らぬ。
しばしば、己のそばを矢が過ぎ行くが、それゆえといって、後方に向け矢を放とうとはアルプはせぬ。
仮に一騎倒したとしても、呑み込まれたらそれまで。とはいえ、敵も狙い放題とは行かぬ。一矢を放つには、どうしても馬速を落とさねばならず、再び、追いすがって来るには、苦労しようゆえに。
ただホラズム軍側にも一つ不運があった。無論のこと、それが存在しないと知らぬ訳ではない。ゆえに備えもしておった。その大河アム・ダリヤを渡るために船橋を急造し、ずらり並べてはおった。
浮き橋と言った方が分かりやすいかもしれぬ。船を連結し、その上に板を連ねて橋としたものであった。当然たくさん造っておった。それでも、十分ではなかった。
河岸に逃げて来た軍勢が膨大であったのである。何せ5万を越える大軍である。ゆえに、ここで出口が急に狭まっているに等しく、ホラズム軍はまさに渋滞することとなった。
先に進めねば、どうしようもない。迷うことさえ許されておらぬと言って良かった。アルプは叫ぶ。
「右へ逃げるぞ」
右へ。右へ。下知が後方へとつながれて行く。
無論、当てがある訳では無い。船橋は直進方向にあるのだ。右に向かうことは、それより外れることに他ならない。とはいえ、そのまま留まっておっては、やがて好き放題矢にて狙い撃たれることになる。
副官に部隊を率いて逃げ続けよと命じた後、アルプは馬速を落とし、後方へと下がった。かつてイラクにても敵側に与したクルド勢に追われ、やはり同じ戦法を採った。
あの時はうまく行った。ただ、こたびは随分と状況は異なる。あの時は河で前方がふさがれておるなどということはなかった。
とはいえ、何もせずにあきらめるなど、できようはずもなかった。自身も含め、隊の者の命がかかっておるのだから。狙いは一つ。追って来る隊の長の首。それで敵が混乱すれば・・・・・・まだ望みはあろう。
アルプは隊の最後尾にまで落ちると、後方へ1本、矢を放つ。大して狙い定めた訳では無い。己へと注意を引きつけられれば良かった。
それと同時に目立つ鎧装束の者を捜したのであった。一人、目に入った。あの者にした。無論のこと、余裕をもって見定める時も余裕もアルプには無かった。
己の周りに数本矢が飛んで来る。アルプは再び馬速を上げると、矢を放つ間に離れた自隊、その最後尾に追いつく。次には、あの鎧装束の者を狙う。この挑発を数度繰り返した。まさに命駆けであった。ただ敵将が血気盛んなら、何としても自ら我を討たんと想い定めるはずである。そこは賭けであった。
次にアルプは己のみ部隊よりそれて左――河岸の方――に向かう。この先に渡れる船橋があるかは知らぬ。右に転じては、河岸より遠ざかる方向ゆえ、敵にすれば、こちらが誘い込まんとしておるは丸分かりであり、追うのを止める可能性があった。河岸に向かう以上、敵はこちらが誘い込まんとしておるのか、ただ逃げ続けておるのか、判断に苦しまざるを得ない。
後方を振り返る。数騎、追って来る。他は己の千人隊を追ったのであろう。一騎はあの派手派手しい鎧装束の者。ここまでは狙い通りであった。しかし予期せぬものが左から視界に入る。他のホラズムの部隊であった。このまま互いが進めば、前方にてぶつかることになる。やはり河を渡れぬことに業を煮やして横へ逃げた部隊であろう。
アルプは再び自らの後ろを振り返る。追いすがっては来ておった。恐らく、ここはいずれ乱戦に陥ろう。イラクの時とは、状況が大いに異なることは認めざるを得なかった。あの時は、敵の将の首を取り、その結果として、追撃は随分と弱まった。ゆえに己は元の部隊に合流するを得、更には自隊の人命を少なからず救うを得た。
しかし、この状況では、敵将一人の首を取っても、大きく戦況を変えられぬ。といって河を渡れそうにもない。残念ながら、死は近いようだ。モンゴル軍は続々と到来しよう。そうなれば、衆寡敵せずの状況に追い込まれよう。サマルカンドを攻囲しておった全軍が追跡に回らずとも、その半分としてさえ、我らより多いのだ。
それでも、というか、それゆえにこそ、敵将の首を一つ取っておくはやはり悪くあるまい。死なば、もろともであった。そしてスルターンに対する最後の恩返しであり孝行であった。
軍人奴隷は、多く子供の時に買われ、買い主が親代わりとなる。イスラームの教えに帰依させ、また立派な戦士へと育て上げる。この者もまた然りであった。
アルプは馬首を転じる。前方の自軍と同一の方向に進むと一端、見せかけ――それは追って来る者たちには、まさに合流しようとしておる如くに見えるはずである。
敵は、安易にこちらに近付こうとはせず、距離を保ち平行に走っておった。この局所に限れば、ホラズム軍の方が圧倒的に多いゆえである。ただそれはまさに今のところはであった。ゆえにこそ、また、ここで動く必要があった。
アルプは再び急きょ転じた。しかも今回は大きくであった。そのまま馬を疾駆させる。
敵の動きに乱れが生じた。無論のこと、アルプが向かって来るなど予期しておらなかったゆえに他ならぬ。戸惑いのままに、馬を一端止める者、更には逃げ出す者までおった。
我が狙うあの者は。むしろこちらに馳せて来ておった。
まだ遠いが。
矢をつがえる。
放った。
当たらぬ。
敵も矢を放つのが見えた。
目で追えなかったが、幸い、当たらなかった。
己は二の矢をつがえる。
放つ。
やはり当たらぬ。
敵将は弓を肩にかけ、剣を抜く。
己もまた。
迫る。
すれ違いざま、刹那に斬り合った。
敵に当てることはできなかった。
我も斬られておらぬ。
虚しく手がしびれておるのみであった。
もう一度と想う頃には、あまたのモンゴル勢が視界に入る。これまでか。仕方ない。アルプは先の部隊を追い始めた。今度こそ本当に合流するために。
他方、そのモンゴルの将は、追いながらも、逃げ行くアルプへと矢を放たんとして、剣を鞘にしまい、肩にかけた弓を取らんとしたところで、やはりまだ手に痺れが残っており、想わず弓を取り落としてしまった。
急ぎ反転し戻ると、馬から下りるときも惜しみ、片側に大きく体をずらし、弓を拾い上げるも、件の者の姿は既に遠い。ゆえに、この将は、そのあどけなさの残る顔に悔しさをあらわにする。
チャガンであった。
その見つめる先にては、橙色に全てが染め上げられており、かの者の姿はみるみる小さくなる。夕日と重なったゆえに、最後にはまるでその中に消え入る如くに想えた。ただそれを見届ける前に、自軍の騎馬兵が眼前の荒野を満たした。
これを率いるはアルプ・エル・カン。先のスルターンのイラク方面への遠征――バグダードにおるアッバース朝カリフに頭を垂れさせるを欲したゆえになされたところの遠征――そこにおいて、勲功を挙げ、抜擢された人物であった。
その部隊は千人隊に過ぎぬ。留まって迎え撃つは不可能。呑み込まれたらそれまでである。
そしてそれを知るゆえにこそ、各騎はできるだけ、馬速を上げる。まさに蒙塵を上げて疾駆する。その結果として、どうしても遅れる者――このような逃げ方をしては、自ずと足を痛める馬も多かった――が出ては、追い迫るモンゴル軍に呑まれ行く。そのような逃走と追跡が、太陽がだいぶ傾いても続いておった。
ところで追いすがるはチャガンの隊であった。西夏出身であり、次のシギ・クトクとなりうると見込まれ、チンギス自ら育て上げた者であった。今回のサマルカンド攻囲戦にては、東城壁攻めを委ねられたバラの下に配されておったのだ。
無論のこと、追うチャガンも追われるアルプも、互いが誰とは知らぬ。
しばしば、己のそばを矢が過ぎ行くが、それゆえといって、後方に向け矢を放とうとはアルプはせぬ。
仮に一騎倒したとしても、呑み込まれたらそれまで。とはいえ、敵も狙い放題とは行かぬ。一矢を放つには、どうしても馬速を落とさねばならず、再び、追いすがって来るには、苦労しようゆえに。
ただホラズム軍側にも一つ不運があった。無論のこと、それが存在しないと知らぬ訳ではない。ゆえに備えもしておった。その大河アム・ダリヤを渡るために船橋を急造し、ずらり並べてはおった。
浮き橋と言った方が分かりやすいかもしれぬ。船を連結し、その上に板を連ねて橋としたものであった。当然たくさん造っておった。それでも、十分ではなかった。
河岸に逃げて来た軍勢が膨大であったのである。何せ5万を越える大軍である。ゆえに、ここで出口が急に狭まっているに等しく、ホラズム軍はまさに渋滞することとなった。
先に進めねば、どうしようもない。迷うことさえ許されておらぬと言って良かった。アルプは叫ぶ。
「右へ逃げるぞ」
右へ。右へ。下知が後方へとつながれて行く。
無論、当てがある訳では無い。船橋は直進方向にあるのだ。右に向かうことは、それより外れることに他ならない。とはいえ、そのまま留まっておっては、やがて好き放題矢にて狙い撃たれることになる。
副官に部隊を率いて逃げ続けよと命じた後、アルプは馬速を落とし、後方へと下がった。かつてイラクにても敵側に与したクルド勢に追われ、やはり同じ戦法を採った。
あの時はうまく行った。ただ、こたびは随分と状況は異なる。あの時は河で前方がふさがれておるなどということはなかった。
とはいえ、何もせずにあきらめるなど、できようはずもなかった。自身も含め、隊の者の命がかかっておるのだから。狙いは一つ。追って来る隊の長の首。それで敵が混乱すれば・・・・・・まだ望みはあろう。
アルプは隊の最後尾にまで落ちると、後方へ1本、矢を放つ。大して狙い定めた訳では無い。己へと注意を引きつけられれば良かった。
それと同時に目立つ鎧装束の者を捜したのであった。一人、目に入った。あの者にした。無論のこと、余裕をもって見定める時も余裕もアルプには無かった。
己の周りに数本矢が飛んで来る。アルプは再び馬速を上げると、矢を放つ間に離れた自隊、その最後尾に追いつく。次には、あの鎧装束の者を狙う。この挑発を数度繰り返した。まさに命駆けであった。ただ敵将が血気盛んなら、何としても自ら我を討たんと想い定めるはずである。そこは賭けであった。
次にアルプは己のみ部隊よりそれて左――河岸の方――に向かう。この先に渡れる船橋があるかは知らぬ。右に転じては、河岸より遠ざかる方向ゆえ、敵にすれば、こちらが誘い込まんとしておるは丸分かりであり、追うのを止める可能性があった。河岸に向かう以上、敵はこちらが誘い込まんとしておるのか、ただ逃げ続けておるのか、判断に苦しまざるを得ない。
後方を振り返る。数騎、追って来る。他は己の千人隊を追ったのであろう。一騎はあの派手派手しい鎧装束の者。ここまでは狙い通りであった。しかし予期せぬものが左から視界に入る。他のホラズムの部隊であった。このまま互いが進めば、前方にてぶつかることになる。やはり河を渡れぬことに業を煮やして横へ逃げた部隊であろう。
アルプは再び自らの後ろを振り返る。追いすがっては来ておった。恐らく、ここはいずれ乱戦に陥ろう。イラクの時とは、状況が大いに異なることは認めざるを得なかった。あの時は、敵の将の首を取り、その結果として、追撃は随分と弱まった。ゆえに己は元の部隊に合流するを得、更には自隊の人命を少なからず救うを得た。
しかし、この状況では、敵将一人の首を取っても、大きく戦況を変えられぬ。といって河を渡れそうにもない。残念ながら、死は近いようだ。モンゴル軍は続々と到来しよう。そうなれば、衆寡敵せずの状況に追い込まれよう。サマルカンドを攻囲しておった全軍が追跡に回らずとも、その半分としてさえ、我らより多いのだ。
それでも、というか、それゆえにこそ、敵将の首を一つ取っておくはやはり悪くあるまい。死なば、もろともであった。そしてスルターンに対する最後の恩返しであり孝行であった。
軍人奴隷は、多く子供の時に買われ、買い主が親代わりとなる。イスラームの教えに帰依させ、また立派な戦士へと育て上げる。この者もまた然りであった。
アルプは馬首を転じる。前方の自軍と同一の方向に進むと一端、見せかけ――それは追って来る者たちには、まさに合流しようとしておる如くに見えるはずである。
敵は、安易にこちらに近付こうとはせず、距離を保ち平行に走っておった。この局所に限れば、ホラズム軍の方が圧倒的に多いゆえである。ただそれはまさに今のところはであった。ゆえにこそ、また、ここで動く必要があった。
アルプは再び急きょ転じた。しかも今回は大きくであった。そのまま馬を疾駆させる。
敵の動きに乱れが生じた。無論のこと、アルプが向かって来るなど予期しておらなかったゆえに他ならぬ。戸惑いのままに、馬を一端止める者、更には逃げ出す者までおった。
我が狙うあの者は。むしろこちらに馳せて来ておった。
まだ遠いが。
矢をつがえる。
放った。
当たらぬ。
敵も矢を放つのが見えた。
目で追えなかったが、幸い、当たらなかった。
己は二の矢をつがえる。
放つ。
やはり当たらぬ。
敵将は弓を肩にかけ、剣を抜く。
己もまた。
迫る。
すれ違いざま、刹那に斬り合った。
敵に当てることはできなかった。
我も斬られておらぬ。
虚しく手がしびれておるのみであった。
もう一度と想う頃には、あまたのモンゴル勢が視界に入る。これまでか。仕方ない。アルプは先の部隊を追い始めた。今度こそ本当に合流するために。
他方、そのモンゴルの将は、追いながらも、逃げ行くアルプへと矢を放たんとして、剣を鞘にしまい、肩にかけた弓を取らんとしたところで、やはりまだ手に痺れが残っており、想わず弓を取り落としてしまった。
急ぎ反転し戻ると、馬から下りるときも惜しみ、片側に大きく体をずらし、弓を拾い上げるも、件の者の姿は既に遠い。ゆえに、この将は、そのあどけなさの残る顔に悔しさをあらわにする。
チャガンであった。
その見つめる先にては、橙色に全てが染め上げられており、かの者の姿はみるみる小さくなる。夕日と重なったゆえに、最後にはまるでその中に消え入る如くに想えた。ただそれを見届ける前に、自軍の騎馬兵が眼前の荒野を満たした。
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