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第3部 仇(あだ)
68:バルフのスルターン1
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(前注 ホラーサーンはアムダリヤ川南岸の肥沃な地を指し、広大である。その4大都城は、バルフ、ヘラート、ニーシャプール、メルブである。
グールの地は現在のアフガニスタンの高地と想っていただければ良い。また、グール朝及びグール勢については第1部「始まり6」の注3にて説明しております。
バルフはグーグルマップでは、「バルフ」と検索欄に入れれば良い。珍しい円形城であり、その様は、衛星写真モードでの「Ancient Balkh Archeological Site(古代バルフ遺跡)」にて確認できる。
バルフは、旅人や隊商がティルミズの渡しにてアムダリヤ川を渡ると至る南岸側の最初の都城であり、またホラーサーンの4大都城のうち、最も東側にあるものでもある。ここから、南はインド――仏教伝来の道でもあり、玄奘はこの道をさかのぼってインドに至った、東はラピスラズリを産するバダフシャーンの山岳地帯、西はメルブやヘラートへと至る交通の要衡である。
また、バルフとの名は、グレコ・バクトリア王国(アレキサンダー大王によるこの地の征服後における、その後継政権の一つ)の首都バクトラに由来する。この地が、トハラ(トカラとも)、月氏、クシャン朝と結びつくことも併せて、濃厚に歴史のロマンを伝える地でもある)
アムダリヤ川を渡り南岸のバルフに赴いた、というより率直に言えば、逃亡して来たスルターン・ムハンマドの御前に集うは、ホラーサーンとグールの諸将。
あらかじめ集結を命じておったのであった。バルフへの落ちのびを決めたスルターンが、その命を携える早馬を発したのは、用意周到にも自らがサマルカンドを発つ前のことであった。しかも、城代のタガイ・カンを初めとするサマルカンドの諸将には秘密裏にであった。
その命は、一見したところでは、モンゴルとの決戦のためにと想えたが。ただ『旗下の全将兵を率いて』との明言はなかった。それでもすわ決戦ぞと勢い込んで来た者も中にはおった。
しかしほとんどは何より情報を欲して集ったのだった。その恐ろしさを伝える風聞は溢れかえっておったとはいえ―その多くは引きも切らずにアムダリヤ川を渡って逃げ込んで来る者たちがもたらしたものであったが―アムダリヤ川南岸にてはモンゴル軍は未見の存在に留まっておったゆえ。
しかしスルターンは中中謁見をなそうとはしなかった。まだ遠方の者たちが集まっておらぬゆえとの布告のあれば、待つしかなかったが。
ようやくそれが開かれたのは、スルターンがバルフに来て一月近くも経った後であり、日中の寒さは日に日に緩み、普段なら人々が春への期待に胸躍らせる頃のことであった。
ここ、本丸の内にある謁見の間にてスルターンは玉座に座し、盛装して集った諸将は数段低きところにスルターンと対面して立っておった。
その想うところは様々であったろう。口にこそ出さなかったが、率直にモンゴルの侵攻の原因を作っておいて、なぜおめおめと逃げて来たのかと想う者もおったはずである。
そんな中、当然という如く最初に一歩前に進み出たのはヘラートのアミーン・アル・ムルクであった。カンクリ勢の有力武将であり、母后の兄弟である。
何より我らグール勢に対するホラズム帝国の侵略・併合は、この者を中心として行われて来た。後ろ盾となってグール朝最後の君主の擁立をなさしめたのもこの者であるし、また讒言をなしてその子を処刑させ、実質的に滅ぼしたのもこの者であった。我らグールの仇敵であると同時に、ホラーサーン及びグール地方にて筆頭の武将と言って良い。
ひざまずき、スルターンの足下の床に接吻してから、その口を開いた。
「スルターン・アラー・ウッディーン。モンゴル軍のことを、さぞや憂慮されておることと想います。また平原のただ中にある平城と言って良いサマルカンドで防衛を図るは、スルターンの御身の大事を考えれば、危険この上ないこと。そこを武将に託して、ここバルフへ来られたことは、御英断かと考えます。
ここはまずアムダリヤ川をモンゴルに対する天然の濠となし、スルターンには是非ヘラートへと身を寄せて頂き、そこからホラズム帝国の統治をなさるのが最善かと考えます。ここホラーサーンは肥沃な地ゆえ兵糧も十分であり、また帝国の新たな中心ともなりえる地です。
またもしモンゴル軍がアムダリヤ川を渡るというようなことがあれば、グールの山岳地帯にまで退き、そこの堅城に拠って御身を守りつつ、帝国の存続を図るという道も残されております」
アミーンはそう説いたが、スルターンの反応はかんばしいものではなかった。どこか心ここにあらずにさえ見える。皆のおる前でこれ以上説いても逆効果か、後は二人きりでとでも思いなしたのか、アミーンは退いた。
次に我クトゥブ・ウッディーンともう一人が進み出て、同様にひざまずき、スルターンの足下の床に口づけした。共にグール勢を預かる武将であり、かつてそれを支配したサンサバーン王家の生まれである。
まずはサンガの地を統べるフサーム・ウッディーンが口を開いた。
「わたくしもアミーン・アル・ムルクの言われた策が順当かと考えます。そしてもしもの時は、わたくしがおる城に来て頂ければ、命に代えてもお守り致します」
まさかフサームのみに、アミーンから事前に話があった訳ではあるまいとは想いつつ、最早話がこう進んでは、次の如く言うしかなかった。
「わたくしも同様に考えます。是非ヘラートにお越しになり、グールをお導き下さい。また御身の安全を憂慮されるならば、グールの力をこそお頼り下さい」
人物紹介
ホラズム側
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。アラー・ウッディーンとはこの者の称号である。父テキッシュもこの称号を帯び、その死後、引き継いだものである。
アミーン・アル・ムルク:ヘラートの城主。テルケン・カトンの弟。スルターンにとっては叔父。カンクリの王族。
クトゥブ・ウッディーン:グール勢の将。滅んだグール帝国の帝系の末裔。この話の視点はこの者である。
フサーム・ウッディーン:グール勢の将。やはり滅んだグール帝国の帝系の末裔。
人物紹介終了
グールの地は現在のアフガニスタンの高地と想っていただければ良い。また、グール朝及びグール勢については第1部「始まり6」の注3にて説明しております。
バルフはグーグルマップでは、「バルフ」と検索欄に入れれば良い。珍しい円形城であり、その様は、衛星写真モードでの「Ancient Balkh Archeological Site(古代バルフ遺跡)」にて確認できる。
バルフは、旅人や隊商がティルミズの渡しにてアムダリヤ川を渡ると至る南岸側の最初の都城であり、またホラーサーンの4大都城のうち、最も東側にあるものでもある。ここから、南はインド――仏教伝来の道でもあり、玄奘はこの道をさかのぼってインドに至った、東はラピスラズリを産するバダフシャーンの山岳地帯、西はメルブやヘラートへと至る交通の要衡である。
また、バルフとの名は、グレコ・バクトリア王国(アレキサンダー大王によるこの地の征服後における、その後継政権の一つ)の首都バクトラに由来する。この地が、トハラ(トカラとも)、月氏、クシャン朝と結びつくことも併せて、濃厚に歴史のロマンを伝える地でもある)
アムダリヤ川を渡り南岸のバルフに赴いた、というより率直に言えば、逃亡して来たスルターン・ムハンマドの御前に集うは、ホラーサーンとグールの諸将。
あらかじめ集結を命じておったのであった。バルフへの落ちのびを決めたスルターンが、その命を携える早馬を発したのは、用意周到にも自らがサマルカンドを発つ前のことであった。しかも、城代のタガイ・カンを初めとするサマルカンドの諸将には秘密裏にであった。
その命は、一見したところでは、モンゴルとの決戦のためにと想えたが。ただ『旗下の全将兵を率いて』との明言はなかった。それでもすわ決戦ぞと勢い込んで来た者も中にはおった。
しかしほとんどは何より情報を欲して集ったのだった。その恐ろしさを伝える風聞は溢れかえっておったとはいえ―その多くは引きも切らずにアムダリヤ川を渡って逃げ込んで来る者たちがもたらしたものであったが―アムダリヤ川南岸にてはモンゴル軍は未見の存在に留まっておったゆえ。
しかしスルターンは中中謁見をなそうとはしなかった。まだ遠方の者たちが集まっておらぬゆえとの布告のあれば、待つしかなかったが。
ようやくそれが開かれたのは、スルターンがバルフに来て一月近くも経った後であり、日中の寒さは日に日に緩み、普段なら人々が春への期待に胸躍らせる頃のことであった。
ここ、本丸の内にある謁見の間にてスルターンは玉座に座し、盛装して集った諸将は数段低きところにスルターンと対面して立っておった。
その想うところは様々であったろう。口にこそ出さなかったが、率直にモンゴルの侵攻の原因を作っておいて、なぜおめおめと逃げて来たのかと想う者もおったはずである。
そんな中、当然という如く最初に一歩前に進み出たのはヘラートのアミーン・アル・ムルクであった。カンクリ勢の有力武将であり、母后の兄弟である。
何より我らグール勢に対するホラズム帝国の侵略・併合は、この者を中心として行われて来た。後ろ盾となってグール朝最後の君主の擁立をなさしめたのもこの者であるし、また讒言をなしてその子を処刑させ、実質的に滅ぼしたのもこの者であった。我らグールの仇敵であると同時に、ホラーサーン及びグール地方にて筆頭の武将と言って良い。
ひざまずき、スルターンの足下の床に接吻してから、その口を開いた。
「スルターン・アラー・ウッディーン。モンゴル軍のことを、さぞや憂慮されておることと想います。また平原のただ中にある平城と言って良いサマルカンドで防衛を図るは、スルターンの御身の大事を考えれば、危険この上ないこと。そこを武将に託して、ここバルフへ来られたことは、御英断かと考えます。
ここはまずアムダリヤ川をモンゴルに対する天然の濠となし、スルターンには是非ヘラートへと身を寄せて頂き、そこからホラズム帝国の統治をなさるのが最善かと考えます。ここホラーサーンは肥沃な地ゆえ兵糧も十分であり、また帝国の新たな中心ともなりえる地です。
またもしモンゴル軍がアムダリヤ川を渡るというようなことがあれば、グールの山岳地帯にまで退き、そこの堅城に拠って御身を守りつつ、帝国の存続を図るという道も残されております」
アミーンはそう説いたが、スルターンの反応はかんばしいものではなかった。どこか心ここにあらずにさえ見える。皆のおる前でこれ以上説いても逆効果か、後は二人きりでとでも思いなしたのか、アミーンは退いた。
次に我クトゥブ・ウッディーンともう一人が進み出て、同様にひざまずき、スルターンの足下の床に口づけした。共にグール勢を預かる武将であり、かつてそれを支配したサンサバーン王家の生まれである。
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「わたくしもアミーン・アル・ムルクの言われた策が順当かと考えます。そしてもしもの時は、わたくしがおる城に来て頂ければ、命に代えてもお守り致します」
まさかフサームのみに、アミーンから事前に話があった訳ではあるまいとは想いつつ、最早話がこう進んでは、次の如く言うしかなかった。
「わたくしも同様に考えます。是非ヘラートにお越しになり、グールをお導き下さい。また御身の安全を憂慮されるならば、グールの力をこそお頼り下さい」
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スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。アラー・ウッディーンとはこの者の称号である。父テキッシュもこの称号を帯び、その死後、引き継いだものである。
アミーン・アル・ムルク:ヘラートの城主。テルケン・カトンの弟。スルターンにとっては叔父。カンクリの王族。
クトゥブ・ウッディーン:グール勢の将。滅んだグール帝国の帝系の末裔。この話の視点はこの者である。
フサーム・ウッディーン:グール勢の将。やはり滅んだグール帝国の帝系の末裔。
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