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第3部 仇(あだ)
22:チンギスの大中軍の進軍&ブハラーの商人たち
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人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
ジェベ:チンギスの臣。四狗の一人。ベスト氏族。
スブエテイ・バートル:チンギスの臣。四狗の一人。ウリャンカイ氏族。
ダイル:オゴデイ家の臣。コンゴタン氏族
人物紹介終了
ここで少しばかりここの地勢の大略を。
ヒマラヤ山脈ができたのが、インド・プレートがユーラシア・プレートにぶつかり、押し上げるゆえというのは良く知られた話である。
その西北に位置するこの地の造りもその余波にあり、総じてヒマラヤ側の東南が高くアラル海側の西北が低い。
広さはだいぶ異なるとはいえ、(ヒマラヤ山脈を挟んで)東のチベット高原と対をなす形で西のアフガニスタンの高地がある。
また(やはりヒマラヤ山脈を挟んで)東の中国の川は全て東流すると言われるが、西(厳密に言えば西北)のこの地では多く西流する。
目印となりまた境界をなすのが北のシルダリヤ川と南のアムダリヤ川である。
ほぼ平行にそして共に西北西に流れアラル海に注ぎ込む。
2本の大河が流れ込むことより明らかな如く、アラル海周辺は総じて低地であり、少し離れて西に世界最大の湖カスピ海がある。
そのシルダリヤ川とアムダリヤ川の間は、かつてソグドが栄えた地であり、
――その2大都城たるサマルカンドとブハーラーもここにあり、
――共にザラフシャーン川にうるおされる。
この2大都城は肥沃さで有名ではあるが。
春に雨が多く、夏は日照り続き。
ゆえに春から夏にかけての時期は、徐々に降水量が減って行く。
そのような地で農耕が成立するのは、日本人には半ば信じがたきところである。
それが可能なのは、
――川と
――これより分流して張り巡らす水路
――そのゆえである。
実際ブハーラーより更に下流にあるパイカンドがモンゴル侵攻のこの時期に既に滅んでおるのは、ザラフシャーン川による水の恩恵が得られなくなったゆえと考えられている。
(これが、
――根本的にザラフシャーン川の水量が減ったゆえか、
――より上流のサマルカンドやブハ―ラーで取水量が増加したゆえかは、
――はっきりしない。)
この地出身で隋や唐に至ったソグド人(とその子孫)は畢姓を名乗ったことが知られる。
――ここもまたソグドの城市の1つであったのである。
オトラルを発したチンギスの大中軍は凍結したシルダリヤ川を渡河して、南へと、ソグドの地へと進軍する。
事前に入手した情報では、上述の2大都城、サマルカンドとブハーラー、いずれにも進軍可能ということであった。
チンギスはブハーラーを先に攻めることを選択した。
挟撃に対する配慮のゆえだった。
ブハーラーを攻めておる状況で、サマルカンドから大軍が来た方が、野戦が得意なモンゴル軍としては、対応が容易と考えたのである。
ブハーラーの周囲に兵を配して、そこからの出撃軍をはばみつつ、サマルカンドからの大軍には野戦で応じる。
他面、これはサマルカンドの軍勢
――ブハーラーより明らかに多いとの情報が得られておった。およそ倍するほどとさえ。
――を引きずり出す作戦でもあった。
大軍と聞くサマルカンドに対して攻城戦を仕掛けるよりは、野戦で決戦する方がチンギスにとっては、当然望ましかったのである。
また、なればこそ、それに備えて、かの遠き地よりこれだけの軍勢を率いて来たと言えよう。
チンギスは、これより前にスルターンの迎撃軍を誘い出そうとして、サイラームに大軍を留め、待った。
ブハーラー攻めの選択は、その作戦の延長上にあったのである。
チンギスは、オトラルへ向かった時と同様に、やはり
――コンゴタンのダイル千人隊に先鋒を委ね、
――次にスブエテイの万人隊を、
――その次にジェベの万人隊を発し、
――進軍途上にての敵との遭遇に備えつつ進んだ。
ところで、ブハーラーには、隊商虐殺をそそのかした商人たちがおった。
無論、彼らにもモンゴル軍のサイラーム進駐の噂は届いており、果たして、あの者たちはブハーラーに至るのかと、おびえおののいておった。
無論、チンギスは彼らの悪事は知らぬ。
ただ皮肉なのは、彼らがオトラルのイナルチュク・カンの下へ至らんとしたとき、さんざん邪魔した雨
――それが、その後、キジル・クム(赤い砂の意。半砂漠)の地にて、草を茂らせ、冬の今もなお大量の枯れ草となって残り、
――チンギスのブハーラーへの進軍を可能ならしめたことである。
冬ゆえに、ある程度、雪に水は頼ることができるとはいえ、
――例年のキジル・クムの枯れ草ならば、
――隊商や中程度の部隊なら、いざ知らず、
――チンギスの大中軍の通過は不可能であったろう。
更にいえば、この軍はまれにみる騎馬の大部隊というに留まらず、
――投石機部隊を含む輜重隊もおり、
――加えて、多くの羊や山羊群もともなったと想われ、
――これらの足は自ずと遅く、
――ゆえに足早にキジル・クムを通り過ぎるという方策も取り得ず、
――その踏破は一層困難であったと想われる。
実際のところ、ジュワイニーの歴史書が(ザルヌークからヌールに至る)キジル・クムの直行ルートの採用を伝えなければ、
――後世にては、チンギスはブハーラーへは、キジル・クムを迂回するルートを通って至ったとみなす考えが大勢を占めたであろう。
(補足 モンゴル侵攻時における、シルダリヤ川とアムダリヤ川の間の地の名は、一般的には、マーワラー・アンナフル(アラビア語)の語が用いられる。
(トランスオクシアナはその英訳語)
ここでソグドの名を用いているのは、その方が日本人になじみがあると考えるゆえである。
ソグド人(ゾロアスター教を信仰し、ソグド語を話す)は、この時には、とても少数となっておった。
といって、その子孫が死に絶えつつあったという訳ではなく、イスラームに改宗し、ペルシア語やトルコ語を話すようになったのである。)
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
ジェベ:チンギスの臣。四狗の一人。ベスト氏族。
スブエテイ・バートル:チンギスの臣。四狗の一人。ウリャンカイ氏族。
ダイル:オゴデイ家の臣。コンゴタン氏族
人物紹介終了
ここで少しばかりここの地勢の大略を。
ヒマラヤ山脈ができたのが、インド・プレートがユーラシア・プレートにぶつかり、押し上げるゆえというのは良く知られた話である。
その西北に位置するこの地の造りもその余波にあり、総じてヒマラヤ側の東南が高くアラル海側の西北が低い。
広さはだいぶ異なるとはいえ、(ヒマラヤ山脈を挟んで)東のチベット高原と対をなす形で西のアフガニスタンの高地がある。
また(やはりヒマラヤ山脈を挟んで)東の中国の川は全て東流すると言われるが、西(厳密に言えば西北)のこの地では多く西流する。
目印となりまた境界をなすのが北のシルダリヤ川と南のアムダリヤ川である。
ほぼ平行にそして共に西北西に流れアラル海に注ぎ込む。
2本の大河が流れ込むことより明らかな如く、アラル海周辺は総じて低地であり、少し離れて西に世界最大の湖カスピ海がある。
そのシルダリヤ川とアムダリヤ川の間は、かつてソグドが栄えた地であり、
――その2大都城たるサマルカンドとブハーラーもここにあり、
――共にザラフシャーン川にうるおされる。
この2大都城は肥沃さで有名ではあるが。
春に雨が多く、夏は日照り続き。
ゆえに春から夏にかけての時期は、徐々に降水量が減って行く。
そのような地で農耕が成立するのは、日本人には半ば信じがたきところである。
それが可能なのは、
――川と
――これより分流して張り巡らす水路
――そのゆえである。
実際ブハーラーより更に下流にあるパイカンドがモンゴル侵攻のこの時期に既に滅んでおるのは、ザラフシャーン川による水の恩恵が得られなくなったゆえと考えられている。
(これが、
――根本的にザラフシャーン川の水量が減ったゆえか、
――より上流のサマルカンドやブハ―ラーで取水量が増加したゆえかは、
――はっきりしない。)
この地出身で隋や唐に至ったソグド人(とその子孫)は畢姓を名乗ったことが知られる。
――ここもまたソグドの城市の1つであったのである。
オトラルを発したチンギスの大中軍は凍結したシルダリヤ川を渡河して、南へと、ソグドの地へと進軍する。
事前に入手した情報では、上述の2大都城、サマルカンドとブハーラー、いずれにも進軍可能ということであった。
チンギスはブハーラーを先に攻めることを選択した。
挟撃に対する配慮のゆえだった。
ブハーラーを攻めておる状況で、サマルカンドから大軍が来た方が、野戦が得意なモンゴル軍としては、対応が容易と考えたのである。
ブハーラーの周囲に兵を配して、そこからの出撃軍をはばみつつ、サマルカンドからの大軍には野戦で応じる。
他面、これはサマルカンドの軍勢
――ブハーラーより明らかに多いとの情報が得られておった。およそ倍するほどとさえ。
――を引きずり出す作戦でもあった。
大軍と聞くサマルカンドに対して攻城戦を仕掛けるよりは、野戦で決戦する方がチンギスにとっては、当然望ましかったのである。
また、なればこそ、それに備えて、かの遠き地よりこれだけの軍勢を率いて来たと言えよう。
チンギスは、これより前にスルターンの迎撃軍を誘い出そうとして、サイラームに大軍を留め、待った。
ブハーラー攻めの選択は、その作戦の延長上にあったのである。
チンギスは、オトラルへ向かった時と同様に、やはり
――コンゴタンのダイル千人隊に先鋒を委ね、
――次にスブエテイの万人隊を、
――その次にジェベの万人隊を発し、
――進軍途上にての敵との遭遇に備えつつ進んだ。
ところで、ブハーラーには、隊商虐殺をそそのかした商人たちがおった。
無論、彼らにもモンゴル軍のサイラーム進駐の噂は届いており、果たして、あの者たちはブハーラーに至るのかと、おびえおののいておった。
無論、チンギスは彼らの悪事は知らぬ。
ただ皮肉なのは、彼らがオトラルのイナルチュク・カンの下へ至らんとしたとき、さんざん邪魔した雨
――それが、その後、キジル・クム(赤い砂の意。半砂漠)の地にて、草を茂らせ、冬の今もなお大量の枯れ草となって残り、
――チンギスのブハーラーへの進軍を可能ならしめたことである。
冬ゆえに、ある程度、雪に水は頼ることができるとはいえ、
――例年のキジル・クムの枯れ草ならば、
――隊商や中程度の部隊なら、いざ知らず、
――チンギスの大中軍の通過は不可能であったろう。
更にいえば、この軍はまれにみる騎馬の大部隊というに留まらず、
――投石機部隊を含む輜重隊もおり、
――加えて、多くの羊や山羊群もともなったと想われ、
――これらの足は自ずと遅く、
――ゆえに足早にキジル・クムを通り過ぎるという方策も取り得ず、
――その踏破は一層困難であったと想われる。
実際のところ、ジュワイニーの歴史書が(ザルヌークからヌールに至る)キジル・クムの直行ルートの採用を伝えなければ、
――後世にては、チンギスはブハーラーへは、キジル・クムを迂回するルートを通って至ったとみなす考えが大勢を占めたであろう。
(補足 モンゴル侵攻時における、シルダリヤ川とアムダリヤ川の間の地の名は、一般的には、マーワラー・アンナフル(アラビア語)の語が用いられる。
(トランスオクシアナはその英訳語)
ここでソグドの名を用いているのは、その方が日本人になじみがあると考えるゆえである。
ソグド人(ゾロアスター教を信仰し、ソグド語を話す)は、この時には、とても少数となっておった。
といって、その子孫が死に絶えつつあったという訳ではなく、イスラームに改宗し、ペルシア語やトルコ語を話すようになったのである。)
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