42 / 206
第2部開戦
11:モンゴル進軍8 『モンゴルの后妃とチンギス直属軍―史料の落とし穴編』&『サイラームやっと到着。長かった~』
しおりを挟む
今話は前話で述べた『チンギス直属の軍』を扱います。
これは史料上には現れません。
といって隠密の軍というのでは、ありません。
あくまで史料上の制約から伝わっておらぬというに過ぎません。
確かにモンゴルは、秘史・ラシードの『集史』・聖武親征録と他の遊牧勢に比べれば、史料は格段に豊富です。
ただいずれも国史と言い得るものであり、ゆえに、その伝えるのも自ずと国の重要人物となります。
ノヤンでいえば、千人隊長以上がほとんどです。
例えば、日本の江戸幕府でいえば、これは大名に当たります。
そして上記の直属軍というのは、(江戸幕府の)旗本や御家人に当たります。
例えば現代であれ、もし枚数に限りがある条件で、江戸期の歴史をつづる場合、仮に旗本や御家人の名や動きがまったく伝えられなくとも、それをもってすぐに杜撰や拙劣とはならないと想います。
今回の話で少しややこしいのは、千人隊長や近衛隊の隊長も当然チンギズの旗下にあり、これらもまた直属の軍との表現を用いても誤りではないことです。
ここで扱う『直属軍』とはあくまで『千人隊長でないゆえに史料上には現れない直属軍』との意味です。
この直属軍の百人隊長には、どういった者たちがなったのでしょうか。
その候補を捜すのは、それほど難しくありません。
前話で述べた如く、チンギスには、5人の各々のオルドの主以外にも、多くの后妃がおったことが知られています。
当然この者たちにも子がおったはずです。
オルドの主の子には、チンギスは千人隊長の上に立つを許しました。
前話の後半で述べた如く3人が幼くして亡くなっておるので、ボルテの4子とクランの一子の五人のみです。
それでは、それ以外の子はどうなったか。
千人隊長として伝えられておる者は一人もおりません。
これらの者がチンギスに直属する百人隊長・十人隊長となったであろうことは、容易に想像がつくことです。
またこの(史料上に見えぬ)直属軍については、傍証というか、存在を推測させる事柄があります。
モンゴルが勝った際に、その捕虜とした軍兵を分配することは知られています。
この分配の権限はカンにあります。
参戦したノヤンたちに、その勲功に応じて恩賞として分け与えられるのですが、当然自らも取ったはずです。
これが直属軍の兵となったことは、疑い得ません。
また率先臣従した者たちも、そもそも百人程度の軍勢なら、そのまま百人隊長を授けられた可能性が高いと考えられます。
モンゴルの軍制では、各隊は並列にチンギスに直属し、相互に臣従の関係はありません。
万人隊長であれ、千人隊長であれ、チンギスに直属します。
これは百人隊長であれ、十人隊長であれ同じです。
無論、チンギスに臣従する前に、既に千人隊長の配下であった者は、そのままです。
第2部の第7話で見たウイグルの哈刺某の如く、特にチンギスの命がある場合を除いては、チンギスに直属することはありません。
ただ、この場合でさえ、哈刺某はウイグルのイディクートにも属しており、いわば両属します。
この者の息子が後にダルガチの任命と共に、都督(唐に由来するウイグルの官称)を授かることから、それは明らかです(元史の『哈刺亦哈赤北魯伝』に拠る)。
率先臣従するならば、それ以前の臣従関係は安堵され、尊重されるのです。
ですから、ここで議論しているのは、あくまで個別にチンギスに臣従した勢力についての取り扱いです。
例えば、十人で臣従すれば、その内の一人が十人隊長となり、チンギスに直属します。
そして軍征において、チンギスの軍令が出て、初めてそこに王子や万人隊長・千人隊長との臣従の関係が生じるのです。
第1部の第4章の第4話『この時のモンゴル3(カンとムカリ、そして耶律阿海)』で、ムカリに属する駙馬や千人隊長たちを述べましたが、これは対金国戦が継続されておる間だけのことです。
原則としては、戦が終われば、その各々は再び大カンに直属します。
(王族に授けた千人隊長(ジョチ家のクナンや下記に述べるグチュ)は別扱いであり、これは恒常的なものです。現代でいえば、相続財産の生前贈与に近いものです。)
更に傍証を求めるならば、チンギス家――母のホエルンや正妻のボルテにより、育て上げられた者たちがおります。
これらは、いずれも幼くして戦場で拾われた者や、臣下より預かった者です。
本作でも出て来たシギ・クトクやチャガン、あるいはグチュ、ボロウル、ココチュ、そして四狗のジェルメなどがそうです。
この者たち自身は、当然自前の軍というのを持っておりません。
その最初に率いたのが、このチンギス直属の軍であろうことは、疑いを得ないところです。
というより、むしろこの者たちは、このチンギスの直属の軍を率いるためにこそ、その家中にて育て上げられたと見るべきでしょう。
(もちろん、この者たちも、後に至っては、自ら挙げる勲功により、自兵を得たのもまた確実ですが。)
例えば、その内の一人のグチュが、母のホエルンと末弟オッチギンに授けられたのも、このあたりの事情をほのめかしておると想えます。
ホエルンは後半生、少なくともその晩年にはオッチギンと共におりました。
モンゴルでは末子が父母と共におるという慣習があり、それに従ったのです。
ホエルンがこのグチュを育て上げたとすれば、自らの将として欲しいと、主張する権利は有りましょう。
そしてその死に際し、オッチギンに譲られたと考えることはできるでしょう。
あるいはそもそもオッチギンの将として授けるように、ホエルンがチンギスに要求したのかもしれません。
我が育て上げた義子たちを、チンギスが独り占めするものではないとして。
これを伝える秘史10巻の243節では、二人のうちのどちらに与えたのか明記されておりません(注1)。
そもそも万人隊長・千人隊長自身が動員できる軍は、実数の万や千に劣るもの、場合によっては大きく劣るものと、私は考えています。
そして軍中に占める遊牧勢の割合が高く、また戦が引き続いたチンギスの時期は、特にその傾向が高かったろうと想います。
そして軍征に際しては、チンギスはこの(史料に見えぬ)直属軍を授けて、増員したものと考えています。
それが実数の千や万にどこまで近付いたかというのは、まさに、「その時の現実に動員できる兵の数」や「その軍征にどれだけの兵数が必要と考えたか」によって決まったとしか言い得ません。
これは後代の元朝の時の史料ですが、人口の多い農耕地を加えたこの時でさえ、実数に満ちておりません。
元史の百官7の諸路の万戸府の条の関係する部分のみ以下に訳します。
(路は元朝の地方の最大の行政単位です。現代の省に相当します)
『上万戸府は7千以上、中万戸府は5千以上、下千戸府は3千以上の軍をつかさどる。
上千戸所は7百以上、中千戸所は5百以上、下千戸所は3百以上の軍をつかさどる。』
元史の万戸府とは万人隊、千戸所とは千人隊のことです。
元朝は、これを兵員の数によって、上・中・下に分けたのです。
他方で、千人隊長というのは、このチンギス・カンの血を引く百人隊長たちを、軍征時に限るとはいえ、率いることを許されたのですから、特別な存在と言えましょう。
秘史を一度でも読んだことがある方ならば、この千人隊長の栄誉をたたえる詩情を感じられたのではないでしょうか。
またこの直属軍を授けるからこそ、軍征で得た捕虜や略奪品の分配権をチンギスが有するを得たと、私は考えています。
サイラームはオトラルに近い。
隊商でさえ四、五日、早馬なら一日で到達できる距離である。
しかもおあつらえ向きにこの二つの地をアリス川が結んでおる。(注2)
つまり進軍して下さいと言わんばかりの地であった。
チンギスはあえてそこで軍を止めた。
大軍による圧力をかけて相手の動きを誘うと共に、ホラズム軍に関する情報収集に余念がなかった。
それと共に敵の進軍に備えよと全軍に命じた。
敵の急襲を警戒して、
スベエテイには万人隊を授け前衛として先行展開させており、
その後方に第二軍としてジェベに万人隊を授け布陣させておった。
右翼にはイェスンゲ万人隊を付して、ジョチ率いる2万人隊と併せ、総計3万人隊が、
左翼にはチャアダイとオゴデイが率いる総計4万人隊が、
共に大きく広がって展開しておった。
また後軍として、駙馬のトクチャルに万人隊を授け、背後を固めさせた。
各隊は上記で述べたチンギス直属軍を付して、増強されておった。
そしてその中央にはチンギスの大中軍が布陣した。
当初の計画通り、この地での決戦を前提としたものであった。
注1 秘史の訳書の詳細は参考文献に記しています。
注2 サイラームはタシュケントの北にあるシムケント近郊、その約14キロ東南東(カザフスタン国内)にあります。
グーグルマップではsayramで検索できます。
オトラルは、かつてはアリス川とシルダリヤの合流地の高台にありました。
現在ではシルダリヤの北岸側に少し(約10キロほど)離れて、前記シムケントの西北西約120キロにあります。
グーグルマップではオトラルトベで検索できます(トベは高台の意味です)。
衛星写真で見えるいびつな台形が、オトラルの遺跡です。
グーグルマップを見ますと、この両者の近くを流れる川が見えますので、これがアリス川と想われます。
(途中で中間ほどにあるアルスという地の近くを通ります)
またオトラルをウィキペディアで検索すると、かなりネタバレしますので、控えられた方が本作をより楽しめるとは想います。
これは史料上には現れません。
といって隠密の軍というのでは、ありません。
あくまで史料上の制約から伝わっておらぬというに過ぎません。
確かにモンゴルは、秘史・ラシードの『集史』・聖武親征録と他の遊牧勢に比べれば、史料は格段に豊富です。
ただいずれも国史と言い得るものであり、ゆえに、その伝えるのも自ずと国の重要人物となります。
ノヤンでいえば、千人隊長以上がほとんどです。
例えば、日本の江戸幕府でいえば、これは大名に当たります。
そして上記の直属軍というのは、(江戸幕府の)旗本や御家人に当たります。
例えば現代であれ、もし枚数に限りがある条件で、江戸期の歴史をつづる場合、仮に旗本や御家人の名や動きがまったく伝えられなくとも、それをもってすぐに杜撰や拙劣とはならないと想います。
今回の話で少しややこしいのは、千人隊長や近衛隊の隊長も当然チンギズの旗下にあり、これらもまた直属の軍との表現を用いても誤りではないことです。
ここで扱う『直属軍』とはあくまで『千人隊長でないゆえに史料上には現れない直属軍』との意味です。
この直属軍の百人隊長には、どういった者たちがなったのでしょうか。
その候補を捜すのは、それほど難しくありません。
前話で述べた如く、チンギスには、5人の各々のオルドの主以外にも、多くの后妃がおったことが知られています。
当然この者たちにも子がおったはずです。
オルドの主の子には、チンギスは千人隊長の上に立つを許しました。
前話の後半で述べた如く3人が幼くして亡くなっておるので、ボルテの4子とクランの一子の五人のみです。
それでは、それ以外の子はどうなったか。
千人隊長として伝えられておる者は一人もおりません。
これらの者がチンギスに直属する百人隊長・十人隊長となったであろうことは、容易に想像がつくことです。
またこの(史料上に見えぬ)直属軍については、傍証というか、存在を推測させる事柄があります。
モンゴルが勝った際に、その捕虜とした軍兵を分配することは知られています。
この分配の権限はカンにあります。
参戦したノヤンたちに、その勲功に応じて恩賞として分け与えられるのですが、当然自らも取ったはずです。
これが直属軍の兵となったことは、疑い得ません。
また率先臣従した者たちも、そもそも百人程度の軍勢なら、そのまま百人隊長を授けられた可能性が高いと考えられます。
モンゴルの軍制では、各隊は並列にチンギスに直属し、相互に臣従の関係はありません。
万人隊長であれ、千人隊長であれ、チンギスに直属します。
これは百人隊長であれ、十人隊長であれ同じです。
無論、チンギスに臣従する前に、既に千人隊長の配下であった者は、そのままです。
第2部の第7話で見たウイグルの哈刺某の如く、特にチンギスの命がある場合を除いては、チンギスに直属することはありません。
ただ、この場合でさえ、哈刺某はウイグルのイディクートにも属しており、いわば両属します。
この者の息子が後にダルガチの任命と共に、都督(唐に由来するウイグルの官称)を授かることから、それは明らかです(元史の『哈刺亦哈赤北魯伝』に拠る)。
率先臣従するならば、それ以前の臣従関係は安堵され、尊重されるのです。
ですから、ここで議論しているのは、あくまで個別にチンギスに臣従した勢力についての取り扱いです。
例えば、十人で臣従すれば、その内の一人が十人隊長となり、チンギスに直属します。
そして軍征において、チンギスの軍令が出て、初めてそこに王子や万人隊長・千人隊長との臣従の関係が生じるのです。
第1部の第4章の第4話『この時のモンゴル3(カンとムカリ、そして耶律阿海)』で、ムカリに属する駙馬や千人隊長たちを述べましたが、これは対金国戦が継続されておる間だけのことです。
原則としては、戦が終われば、その各々は再び大カンに直属します。
(王族に授けた千人隊長(ジョチ家のクナンや下記に述べるグチュ)は別扱いであり、これは恒常的なものです。現代でいえば、相続財産の生前贈与に近いものです。)
更に傍証を求めるならば、チンギス家――母のホエルンや正妻のボルテにより、育て上げられた者たちがおります。
これらは、いずれも幼くして戦場で拾われた者や、臣下より預かった者です。
本作でも出て来たシギ・クトクやチャガン、あるいはグチュ、ボロウル、ココチュ、そして四狗のジェルメなどがそうです。
この者たち自身は、当然自前の軍というのを持っておりません。
その最初に率いたのが、このチンギス直属の軍であろうことは、疑いを得ないところです。
というより、むしろこの者たちは、このチンギスの直属の軍を率いるためにこそ、その家中にて育て上げられたと見るべきでしょう。
(もちろん、この者たちも、後に至っては、自ら挙げる勲功により、自兵を得たのもまた確実ですが。)
例えば、その内の一人のグチュが、母のホエルンと末弟オッチギンに授けられたのも、このあたりの事情をほのめかしておると想えます。
ホエルンは後半生、少なくともその晩年にはオッチギンと共におりました。
モンゴルでは末子が父母と共におるという慣習があり、それに従ったのです。
ホエルンがこのグチュを育て上げたとすれば、自らの将として欲しいと、主張する権利は有りましょう。
そしてその死に際し、オッチギンに譲られたと考えることはできるでしょう。
あるいはそもそもオッチギンの将として授けるように、ホエルンがチンギスに要求したのかもしれません。
我が育て上げた義子たちを、チンギスが独り占めするものではないとして。
これを伝える秘史10巻の243節では、二人のうちのどちらに与えたのか明記されておりません(注1)。
そもそも万人隊長・千人隊長自身が動員できる軍は、実数の万や千に劣るもの、場合によっては大きく劣るものと、私は考えています。
そして軍中に占める遊牧勢の割合が高く、また戦が引き続いたチンギスの時期は、特にその傾向が高かったろうと想います。
そして軍征に際しては、チンギスはこの(史料に見えぬ)直属軍を授けて、増員したものと考えています。
それが実数の千や万にどこまで近付いたかというのは、まさに、「その時の現実に動員できる兵の数」や「その軍征にどれだけの兵数が必要と考えたか」によって決まったとしか言い得ません。
これは後代の元朝の時の史料ですが、人口の多い農耕地を加えたこの時でさえ、実数に満ちておりません。
元史の百官7の諸路の万戸府の条の関係する部分のみ以下に訳します。
(路は元朝の地方の最大の行政単位です。現代の省に相当します)
『上万戸府は7千以上、中万戸府は5千以上、下千戸府は3千以上の軍をつかさどる。
上千戸所は7百以上、中千戸所は5百以上、下千戸所は3百以上の軍をつかさどる。』
元史の万戸府とは万人隊、千戸所とは千人隊のことです。
元朝は、これを兵員の数によって、上・中・下に分けたのです。
他方で、千人隊長というのは、このチンギス・カンの血を引く百人隊長たちを、軍征時に限るとはいえ、率いることを許されたのですから、特別な存在と言えましょう。
秘史を一度でも読んだことがある方ならば、この千人隊長の栄誉をたたえる詩情を感じられたのではないでしょうか。
またこの直属軍を授けるからこそ、軍征で得た捕虜や略奪品の分配権をチンギスが有するを得たと、私は考えています。
サイラームはオトラルに近い。
隊商でさえ四、五日、早馬なら一日で到達できる距離である。
しかもおあつらえ向きにこの二つの地をアリス川が結んでおる。(注2)
つまり進軍して下さいと言わんばかりの地であった。
チンギスはあえてそこで軍を止めた。
大軍による圧力をかけて相手の動きを誘うと共に、ホラズム軍に関する情報収集に余念がなかった。
それと共に敵の進軍に備えよと全軍に命じた。
敵の急襲を警戒して、
スベエテイには万人隊を授け前衛として先行展開させており、
その後方に第二軍としてジェベに万人隊を授け布陣させておった。
右翼にはイェスンゲ万人隊を付して、ジョチ率いる2万人隊と併せ、総計3万人隊が、
左翼にはチャアダイとオゴデイが率いる総計4万人隊が、
共に大きく広がって展開しておった。
また後軍として、駙馬のトクチャルに万人隊を授け、背後を固めさせた。
各隊は上記で述べたチンギス直属軍を付して、増強されておった。
そしてその中央にはチンギスの大中軍が布陣した。
当初の計画通り、この地での決戦を前提としたものであった。
注1 秘史の訳書の詳細は参考文献に記しています。
注2 サイラームはタシュケントの北にあるシムケント近郊、その約14キロ東南東(カザフスタン国内)にあります。
グーグルマップではsayramで検索できます。
オトラルは、かつてはアリス川とシルダリヤの合流地の高台にありました。
現在ではシルダリヤの北岸側に少し(約10キロほど)離れて、前記シムケントの西北西約120キロにあります。
グーグルマップではオトラルトベで検索できます(トベは高台の意味です)。
衛星写真で見えるいびつな台形が、オトラルの遺跡です。
グーグルマップを見ますと、この両者の近くを流れる川が見えますので、これがアリス川と想われます。
(途中で中間ほどにあるアルスという地の近くを通ります)
またオトラルをウィキペディアで検索すると、かなりネタバレしますので、控えられた方が本作をより楽しめるとは想います。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

空母鳳炎奮戦記
ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。
SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。
伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。
そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。
さて、この先の少年の運命やいかに?
剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます!
*この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから!
*この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

帝国夜襲艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。
今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

風を翔る
ypaaaaaaa
歴史・時代
彼の大戦争から80年近くが経ち、ミニオタであった高萩蒼(たかはぎ あおい)はある戦闘機について興味本位で調べることになる。二式艦上戦闘機、またの名を風翔。調べていく過程で、当時の凄惨な戦争についても知り高萩は現状を深く考えていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる