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第2部開戦
7(モンゴル進軍4 どこでアルタイを越えたか?後編):モンゴル進出前のアルタイ西方の情勢
しおりを挟む前話で、『往時の軍征路は、ウルングゥ川の源流に出るものに限られた』と仮定しました。
今話では、この仮定に基づき、モンゴルが至る前のアルタイ西方の情勢を考えてみたいと想います。
その時に、ウイグルやカルルクが、カラ・キタイ(西遼)に臣従しておったというのは定説となっています。
もちろん私自身もそうではないと主張する気はありません。
ただ問題はナイマンとの関係です。
ナイマンはモンゴル高原の西半とウルングゥ川・イルティッシュ川流域を支配していました。
当然この両者を結ぶ軍征路(峠道)もまたその支配下にあることになります。
ウイグルという軍事的にさして強勢とは言い難い勢力が、ナイマンに抗し得るとは想えないのです。
(実際クビライとカイドゥとの争いにおいて、このビシュバリク一帯が最前線となった時のこと。ウイグルは軍事的に弱小であるとして、移住を強いられています。)
カラ・キタイに臣従しておるとはいえ、その中心たるフス・オルダからはかなり遠い。
またウイグルを助けるために、どこまでカラ・キタイが本腰を入れるか、そして軍勢を出すかとなれば、首をかしげざるを得ないのです。
そこでナイマンにも臣従しておったのではないかと。
実際、ウイグルはカラ・キタイの監督官を殺して、チンギスに庇護を求めたとは史料の伝えるところですが、その時期はまさにナイマンがイルティッシュ川流域の決戦にて壊滅的な敗北をした後です。
ナイマンとは目と鼻の先というほどに近くにおるウイグルです。(あくまで大陸的な距離感、更に騎馬の軍勢を前提とした距離感ですが)
その間に自然の障害がある訳でもありません。
そのウイグルにすれば、以下の如くとならざるを得ないと想えます。
ナイマンがモンゴルにくつがえされた時点で、近くにうろうろするのはモンゴル軍ばかりとなります、
遠くにおるカラ・キタイが頼りになるはずもありません、
ゆえに、モンゴルに率先臣従するしか道のなかったのではないかと。
そしてほどなくしてカルルクもまたモンゴルに臣従するは、史料の伝えるところです。
実はモンゴルとカラ・キタイの戦というのは伝えられておりません。
他方ナイマンが敗れた後、これらが雪崩をうってカラ・キタイからモンゴルに鞍替えする状況を説明するには、アルタイ以西におけるある程度のナイマンの支配力というのを想定せざるを得ません。
実際私自身、疑問に想っておりました。
何故、カラ・キタイとモンゴルの間で戦がなされておらぬのに、このアルタイ西方の諸勢力がまさに雪崩をうってモンゴルの旗下に入ったのかと。
そして最後にナイマンとカラ・キタイの間柄です。
同盟というほどに堅固なものであったかは明らかではありませんが、少なくとも協力関係にはあったのでしょう。
実際この両国間に協力関係が求められる状況は、あったのです。
ナイマンの主戦場は(アルタイ東方の)モンゴル高原であり、相手は当然チンギスやオン・カンとなり、西方に軍事力を回す余裕などありません。
カラ・キタイはカラ・キタイで積極的にセルジューク以後の西域(ホラズム朝、カラ・ハン朝、グール朝)に介入しておれば、東にての戦ごとなど望むはずもない。
そしてナイマンのグチュルクがカラ・キタイに婿入りするのは、いわば、その当然の帰結と言えましょう。
ウイグルやカルルクのナイマンへの臣従が伝えられておらぬとしても、不思議ではありません。
これらがモンゴルと接するを得るのは、まさにモンゴルがナイマンを(グチュルクを除いて)滅ぼした後ですから。
ところで元史の『哈刺亦哈赤北魯伝』によれば、チンギスは天山北麓のビシュバリクの近く、その東方にて、無人となっておる古城を見出しました。
その際、哈刺某に命じて、天山南麓の唆里迷からそこへ配下の六十戸を率いての移住耕作を命じております。
唆里迷は焉耆のことで、カラシャールとも呼ばれます。
(末尾にまた下手な地図を付けております。)
グーグルマップでは「カラシャール」もしくは「焉耆回族自治県」で検索でき、その中心部です。中心部は、ボステン湖(博斯腾湖)に流れ込む開都河(开都河)沿いにあります。
(前話で論じた玄奘さんは、高昌国の後、この焉耆を通っています。モンゴル軍は通っていない。)
そもそもチンギスが進軍に先立ち、ウイグル王イディクートに対しその領土内の街道の整備を命じておったであろうことは疑い得ないことです。
しかし自ら至ってみて、これからますます伝令の往来、更には補給や増援の部隊の通過もあろうに、このままでは十分な糧食の提供が難しいと考えてのこの命でしょう。
ところで、ここは耕作地としては放棄されておったとしても、ビシュバリクがウイグル王の夏営地である以上、その牧地であった可能性は高いと想います。
ウイグル王にすれば、牧地を失い、といって収穫物の割り当てもないとなります。
しかしこれから西征が始まる状況では、ウイグル王にしろ拒むことはできなかったでしょう。
何せ己自身も配下を率いて参戦するのです。
その勝利は自らもまた強く願うところであったはずです。
またこの伝は他にも面白い記事を伝えております。
まず、これ以前に、この哈刺某は、西遼のグル・カンに召され、その諸子の師となったと。
そしてウイグルがカラ・キタイに鞍替えした時のこと。
哈刺某を一目見て、チンギスは大悦し、その諸皇子に、この者から学を受けさせたと。
伝ゆえ誇張はありましょう。
しかし恐らくこの者は仏僧であり、そのゆえに上記の高待遇を受けるを得たと想われます。
そのことは、この伝にて、
1.この者の子孫の一人が「僧人を領す」と、
2.また他の一人が元の明宗により「朕の師」と呼ばれたと、
記されておることにより傍証されましょう。
血統でも官位でも劣るこの者とその子孫が師と呼ばれるのは、宗教的権威ゆえとしか想えません。
特にグル・カンに召されたとの記録は興味深いものです。
両国間に仏教国同士としてのつながりがあったということです。
イスラームが徐々に東進する中で、両国間に仏教に基づく連帯感があったとしても不思議はないでしょう。
加えて、そもそも契丹(遼)の建国者たる耶律阿保機の正妻は、ウイグル王族の淳欽皇后です。
つまり血筋にてもつながっておったのです。
ウイグルが臣従する相手として、カラ・キタイというのは、史料が伝えるほど悪いとは想えないのです。
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