上 下
33 / 206
第2部開戦

2(ブグラーの妻子とカン、そして后妃クラン・カトン)

しおりを挟む
 大集会クリルタにて最終的にホラズム征討は決定された。
 恐らくそこに集うほとんどの者はそれをなす理由を知っておったろうが、チンギスはあらためてそれを自ら告げた。
 反対する者は皆無であった。
 またこの時ジェベがグチュルクの首を持ち帰ったことも、チンギスは皆に報せた。
 通常ならば、歓声があがってもおかしくないほどの慶事であるが、チンギス自身も含め、そこに集う者たちの渋面が崩れることはなかった。
 大集会クリルタにつきものの宴が開かれることもなかった。
 ひたすら軍議を重ねて、主要戦略、更には出軍の日程や合流の詳細を決めた後は、皆、早々に戻った。
 当然、準備のためであった。

 問責の使者としてスルターンの下に赴き殺されたブグラー。
 その息子たちは、是が非にも西征に付き従い、自身で父の仇を討ちたいと願い出た。
 チンギスの答えは次の如くのものであった。
「そなたらの気持ちは良く分かる。しかしよくよく考えよ。そなたらは父を亡くしたばかり。
 我が経験を語り聞かそう。
 我は昔、子供の時分に父を亡くした。その後、同族たるタイチウトに追われて、ひたすら逃げ回った。
 生き延びるためよ。無論、まずは我がため。
 ただ、亡くなった父上のため、また懸命に我が家を支えておる母上を想ってでもあった。
 我が殺されたならば、タイチウトは勢いに乗って、次は次弟カサルを、次は三弟カチウンを、次は末弟オッチギンをとなってしまう。
 それを最も望んでおらぬが、まさに我が父母ちちははであるは明らかであったゆえに。
 そなたも亡くなった父のことを想うなら、
 そして夫を亡くし、我がホエルン・母上エケと同じく一人で一家を支えんとしておる母のことを想うなら、
 まずは生きよ。
 それにこう言っては何だが、我らはホラズムと戦をしに行くのだ。
 そなたらに何ができよう。馬扱いはどうか。弓にて敵を射殺せるのか。
 例えそなたらが前線に赴くを望み、我がそれを許したとしても、そこをにな隊長ノヤンたちには、足手まとい扱いされるだけであろう。
 といって、そなたらを父と同じ任務、使者として赴かせ、殺されてしまっては、どうなる。我はそなたらの父ブグラーに受けた恩をあだで返すことになってしまう。」
 チンギスはここで玉座より立ち上がり、檀上より降りた。ひざまずく両人の前で、自らもまたしゃがみこむ。そのまま二人の息子の頭を柔らかく抱えて、
「頼む。ここは我に免じて、自ら仇を討つはあきらめてくれ。我らに託してくれ。必ず仇は討つ。」
 二人の力の無い「はい」との返事を聞くと、チンギスはその姿勢のまま、次の如くに告げた。
「我が出軍した後、ここの留守営はオッチギンに託すことになる。兄の方はそこにて仕えをなせ。
 弟の方は母親の面倒をしっかりと見よ。」
 兄の次の返事は力強かったが、弟の方はなかなか返事をせぬ。
「二人ともオッチギンの下にやり、母を放って置くとなっては、クランが納得せぬであろう。」
 チンギスはしばし考える風であったが、やがて次の如くに告げた。
「ならば、こうしよう。
 そなたらとその母親がどうするかは、クランに決めさせよう。
 想うところがあるならば、母親と共に直接訴えよ。」
 そこで一息入れ、笑みを浮かべて、最後に次の如く付け加えた。
「良いか。母親をないがしろにするなよ。クランを怒らせると、我ではかばいきれぬぞ。」
 そう告げられた相手は笑うどころか、ただただかしこまるばかりであった。
 チンギスは更に次の如くに続けた。
「そのクランだが、己も戦に行くというて聞かぬ。
 前線には決して出さぬぞ。行っても足手まといになるだけぞ。そなたが赴いて何をなし得るというのか。
 そう、いくら言い聞かせても、聞く耳を持たぬ。
 仕方のないことよ。あの者もまた武人のむすめ。
 我が母などは、トクを自らたずさえてタイチウトとやり合ったのだからな。
 そなたらは知らぬかもしれぬが、トクをたずさえるは、その軍にて最も勇猛なるゆえに、先陣を委ねられる将よ。
 そういえば、そなたらはまだ嫁をもろうておらぬのだろう。
 もしフェルトの民(遊牧民のこと)の娘をめとるならば、十分に覚悟してもらえよ。
 あの駙馬グレゲンどもは、我が妹や娘を随分とありがたがってもらったが、既に尻に敷かれておろう。」
 チンギスは最後は自ら半ば笑いながら言ったのであったが。
 やはりブグラーの息子二人はかしこまったままであった。
 チンギスはあきらめたようであり、二人にシギ・クトクの下に戻るを許した。

 後に、母と息子二人はクラン・カトンに呼ばれた。
 母の方は、「我がおらぬ間はイェスイ・カトン預かりとし、遠国のホラズムの話でも披露してくれれば、イェスイ姉上もきっと喜びなさろう」と告げられた。
 弟の方は「姉上のオルドの百人隊長に仕えよ」とされた。
 それから立ち上がり、弓矢を持って「案ずるな、ブグラーの仇は我が必ず討つ」といきまくを見せられる段となれば、母はただただ涙を流し、子二人は涙をたたえつつもようやく笑みを浮かべるを得たのだった。

注 フェルトの民:厳密に言えば、フェルト製の天幕に住まう民。
 フェルトの特徴は織る手間が要らぬこと。よって織機も必要としない。材料はあふれるほどにある羊毛である。まさに遊牧民にとって望ましきものである。
 モンゴルの天幕の外周を覆う白い布が、このフェルト製なのである。

 注 イェスイ: 第3オルドのあるじ。タタルの王女。往時、各々のオルドの主たる后妃もまた軍隊を持っており、この隊長の位は百人隊長であるが、実質千人隊長に等しい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悲しい恋 【完結】

nao
恋愛
レオとレミィは小さい頃からの婚約者。学園に入学してきた王女に横恋慕され別れさせられた。 タイトルどうりの悲しい話です。 どうぞよろしくお願いします。

フェリペとアラゴン王家の亡霊たち

レイナ・ペトロニーラ
歴史・時代
ユダヤ人の少年フェリペがアラゴン王家の亡霊たちと出会う物語

石川五右衛門3世、但し直系ではない

せりもも
歴史・時代
俺の名前は、五右衛門3世。かの有名な大泥棒・石川五右衛門の、弟の子孫だ。3世を襲名するからには、当然、義賊である。 謎解き連作短篇集。 [表紙絵] 歌川国貞 「石川五右衛門 市川海老蔵」 (1851) https://publicdomainq.net/utagawa-kunisada-0023110/

【完結】神柱小町妖異譚

じゅん
歴史・時代
江戸中期の武蔵国を舞台に、人柱に選ばれたことをきっかけに土地神と暮らすことになった少女・小藤が、不条理であったり、人情味あふれる体験をする連作短編。 ※全体の柱の物語はあるものの、連作短編なので、章ごとに話が完結しています。  ひとつの章だけでもお楽しみいただけます。 注:R-15ではありませんが、4章に若干、残酷なシーンがあります。   対象のシーンには、小見出しに★マークをつけます。 【登場人物】 ●小藤(こふじ)16才 人柱になった心清らかな少女。芯は強い。正義感が強いのには理由がある。 ●光仙(こうせん)見た目20代半ば 土地神。神々しく美しい容姿。 ●阿光(あこう)/●吽光(うんこう)見た目10才ほど。 狛犬の神使。双子のようにそっくりな容姿。

蒼穹(そら)に紅~天翔る無敵皇女の冒険~ 四の巻

初音幾生
歴史・時代
日本がイギリスの位置にある、そんな架空戦記的な小説です。 1940年10月、帝都空襲の報復に、連合艦隊はアイスランド攻略を目指す。 霧深き北海で戦艦や空母が激突する! 「寒いのは苦手だよ」 「小説家になろう」と同時公開。 第四巻全23話

Get So Hell? 3rd.

二色燕𠀋
歴史・時代
なんちゃって幕末、最終章? Open the hurt.

よあけまえのキミへ

三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。 落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。 広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。 京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。

パーティーから追放され婚約者を寝取られ家から勘当、の三拍子揃った元貴族は、いずれ竜をも倒す大英雄へ ~もはやマイナスからの成り上がり英雄譚~

一条おかゆ
ファンタジー
貴族の青年、イオは冒険者パーティーの中衛。 彼はレベルの低さゆえにパーティーを追放され、さらに婚約者を寝取られ、家からも追放されてしまう。 全てを失って悲しみに打ちひしがれるイオだったが、騎士学校時代の同級生、ベガに拾われる。 「──イオを勧誘しにきたんだ」 ベガと二人で新たなパーティーを組んだイオ。 ダンジョンへと向かい、そこで自身の本当の才能──『対人能力』に気が付いた。 そして心機一転。 「前よりも強いパーティーを作って、前よりも良い婚約者を貰って、前よりも格の高い家の者となる」 今までの全てを見返すことを目標に、彼は成り上がることを決意する。 これは、そんな英雄譚。

処理中です...