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第4章
この時のモンゴル2(ジョチと四狗ジェベ)
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(人物紹介
ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。
クナン:ジョチ家筆頭の家臣。ゲニゲス氏族。
バトゥ:ジョチの次子。)
例外は無論あった。最前線におる者たちであった。
長子のジョチはクナンの戻りに際し三日間盛大な歓迎の宴を開いた。
そしてチンギスのこたびの許しをまさに恩寵の如くに受け取り、軍征の準備が整うや、再び西へ赴いた。
ただ父の期待に応えるためであった。
とはいえ今回は、先のメルキト征討とは異なり、前方におる諸勢力に率先臣従を求めながら進軍するものであり、兵馬の負担は自ずと軽かった。
チンギス勃興の時より継続されていることであり、騎馬の諸勢力を自らの下に引き入れ、それにより自軍をひたすらに強大化させるための行いであった。
ジョチに対し、チンギスはその軍才を見込んで、
『馬蹄の及ぶまで我が帝国を広げよ、そしてそこをそなたに与えるであろう』
との終わることのない命を与えておった。
ジョチはまさにその生涯を通じてそれに忠実に応えようとし、ゆえにジョチ家の封領はそもそも賜ったイルティッシュ川流域より徐々に西方へと拡大しておった。
そしてこの命は、ジョチの死後には、その子のバトゥに引き継がれることになる。
(人物紹介
ジェベ:チンギスの臣。四狗の一人。ベスト氏族。
スブエテイ・バートル:チンギスの臣。四狗の一人。ウリャンカイ氏族。
グチュルク:ナイマンのカン。先代タヤン・カンの子供。
――カラ・キタイ最後のグル・カンの娘婿でもある。
トク・トガン、クトゥ、チラウン:いずれも、メルキトの王族)
カンより四狗の称号を賜るジェベ。
その追討は、まだ続いておった。
戦うことなくアルマリク(注1)からイシク・クル湖方面へ逃げたグチュルクを猛追し、一端は追い迫るも、天山山脈に逃げ込まれたため、その姿を見失った。
その後カシュガルにおるとの情報を得た。
天山山脈の峠道を越えてようやくカシュガル(注2)に至るも、やはりグチュルクは戦わずに逃げて、バダフシャーン(アムダリヤ川上流の南岸の地)の山岳に逃げ込んでおった。
そして現地勢の激しき抵抗に遭い、自部隊に少なくない損害が出ており、まさにどうしたものかという状況に陥っておった。
配下の訴えるところでは、
「現地勢は樹上や崖上に弓兵を配して我らを待ち伏せします。
あるいは山塞によって騎馬の突撃を拒みます。
そして残念ながら、カンの威名はこの遠き地には届いておりませぬ。
恐れのためにひれ伏すこともありませぬ。
それどころか、あれら定住の民は、遊牧の民と異なり、まさにその寸土を守るために死に物狂いであらがいます。」
といって、こたびの征討はその現地勢の臣従が目的ではない。
それを目的とするなら、それはそれで腰を据えてやれば良いこと。
ただ今回はあくまでグチュルクの首一つである。
その配下でさえ逃げ散ろうと問題ない。
ましてや現地勢など、端からかかずらあう気はなかった。
遊牧勢においては、グチュルクを除けば、もう我がカンに対抗しうる者は残っておらぬ。
軍兵を集めるには、何より血筋がものを言う。
ジョチがトク・トガンを、スブエテイがクトゥとチラウンの首をとったとの報告は、ジェベの下にも既にもたらされておった。
これでメルキトのカンたりえる血筋は滅んだ。
後は我だけか。
何としても、グチュルクの首をカンにお届けしたいと想う。
さすれば、ナイマンの血筋もまた絶える。
といって大きな犠牲を強いられるであろう現地勢の征討を強行することも、またためらわれるのであった。
注1 アルマリク: 現中国の新疆ウイグル自治区北西部にあるクルジャ(中国語名 伊寧)、もしくはその近郊とされる。いずれにしろ、これをうるおすイリ川沿いにあった。
往時モンゴルからホラズムに向かう主要街道はアルマリク→タラス→サイラーム→オトラルもしくはホジェンド(ともにシルダリヤ川沿いにある)を経由する。
注2 カシュガル: アルマリクから南西に約660キロ。現中国のほぼ西端に位置する。
いわゆるシルクロードの代表的な城市。長安(現西安)を出てタリム盆地を抜ける経路では、タクラマカン砂漠の北縁を通るものであれ南縁を通るものであれ、ここを出口として西域諸国に至る。
ゆえに地理的にはむしろ西域諸国に近く、カラ・ハン朝の時にはその領土に組み込まれ、この時がこの地のイスラーム化の始まりと考えられている。
ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。
クナン:ジョチ家筆頭の家臣。ゲニゲス氏族。
バトゥ:ジョチの次子。)
例外は無論あった。最前線におる者たちであった。
長子のジョチはクナンの戻りに際し三日間盛大な歓迎の宴を開いた。
そしてチンギスのこたびの許しをまさに恩寵の如くに受け取り、軍征の準備が整うや、再び西へ赴いた。
ただ父の期待に応えるためであった。
とはいえ今回は、先のメルキト征討とは異なり、前方におる諸勢力に率先臣従を求めながら進軍するものであり、兵馬の負担は自ずと軽かった。
チンギス勃興の時より継続されていることであり、騎馬の諸勢力を自らの下に引き入れ、それにより自軍をひたすらに強大化させるための行いであった。
ジョチに対し、チンギスはその軍才を見込んで、
『馬蹄の及ぶまで我が帝国を広げよ、そしてそこをそなたに与えるであろう』
との終わることのない命を与えておった。
ジョチはまさにその生涯を通じてそれに忠実に応えようとし、ゆえにジョチ家の封領はそもそも賜ったイルティッシュ川流域より徐々に西方へと拡大しておった。
そしてこの命は、ジョチの死後には、その子のバトゥに引き継がれることになる。
(人物紹介
ジェベ:チンギスの臣。四狗の一人。ベスト氏族。
スブエテイ・バートル:チンギスの臣。四狗の一人。ウリャンカイ氏族。
グチュルク:ナイマンのカン。先代タヤン・カンの子供。
――カラ・キタイ最後のグル・カンの娘婿でもある。
トク・トガン、クトゥ、チラウン:いずれも、メルキトの王族)
カンより四狗の称号を賜るジェベ。
その追討は、まだ続いておった。
戦うことなくアルマリク(注1)からイシク・クル湖方面へ逃げたグチュルクを猛追し、一端は追い迫るも、天山山脈に逃げ込まれたため、その姿を見失った。
その後カシュガルにおるとの情報を得た。
天山山脈の峠道を越えてようやくカシュガル(注2)に至るも、やはりグチュルクは戦わずに逃げて、バダフシャーン(アムダリヤ川上流の南岸の地)の山岳に逃げ込んでおった。
そして現地勢の激しき抵抗に遭い、自部隊に少なくない損害が出ており、まさにどうしたものかという状況に陥っておった。
配下の訴えるところでは、
「現地勢は樹上や崖上に弓兵を配して我らを待ち伏せします。
あるいは山塞によって騎馬の突撃を拒みます。
そして残念ながら、カンの威名はこの遠き地には届いておりませぬ。
恐れのためにひれ伏すこともありませぬ。
それどころか、あれら定住の民は、遊牧の民と異なり、まさにその寸土を守るために死に物狂いであらがいます。」
といって、こたびの征討はその現地勢の臣従が目的ではない。
それを目的とするなら、それはそれで腰を据えてやれば良いこと。
ただ今回はあくまでグチュルクの首一つである。
その配下でさえ逃げ散ろうと問題ない。
ましてや現地勢など、端からかかずらあう気はなかった。
遊牧勢においては、グチュルクを除けば、もう我がカンに対抗しうる者は残っておらぬ。
軍兵を集めるには、何より血筋がものを言う。
ジョチがトク・トガンを、スブエテイがクトゥとチラウンの首をとったとの報告は、ジェベの下にも既にもたらされておった。
これでメルキトのカンたりえる血筋は滅んだ。
後は我だけか。
何としても、グチュルクの首をカンにお届けしたいと想う。
さすれば、ナイマンの血筋もまた絶える。
といって大きな犠牲を強いられるであろう現地勢の征討を強行することも、またためらわれるのであった。
注1 アルマリク: 現中国の新疆ウイグル自治区北西部にあるクルジャ(中国語名 伊寧)、もしくはその近郊とされる。いずれにしろ、これをうるおすイリ川沿いにあった。
往時モンゴルからホラズムに向かう主要街道はアルマリク→タラス→サイラーム→オトラルもしくはホジェンド(ともにシルダリヤ川沿いにある)を経由する。
注2 カシュガル: アルマリクから南西に約660キロ。現中国のほぼ西端に位置する。
いわゆるシルクロードの代表的な城市。長安(現西安)を出てタリム盆地を抜ける経路では、タクラマカン砂漠の北縁を通るものであれ南縁を通るものであれ、ここを出口として西域諸国に至る。
ゆえに地理的にはむしろ西域諸国に近く、カラ・ハン朝の時にはその領土に組み込まれ、この時がこの地のイスラーム化の始まりと考えられている。
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